31 朱川湊人の本

2006.11.15

赤々煉恋

20061112_009 遠くなる。現実から。遠のいてゆく。夢見ていたことから。そうして、次第にゆっくりと遠ざかるものを見送りながら、わたしはページをめくっていた気がする。めくらずにはいられなかった気がする。朱川湊人著『赤々煉恋』(東京創元社)は、そんな1冊である。人間の切望。悲哀。妄想。固執。赤裸々なまでに描かれた5つの物語には、何とも切ない余韻がじわじわと残るのだった。身を焦がすほどの切実な思いの中に、思わず彼らの行く先を想像して、涙するほどに痛かった場面もある。ときには狂おしいほどに心地よく感じていた場面もある。そういう自分にふっと気づいたとき、わたしの中にも欲望がひしめいていることに、今さらながら驚くのだった。

 人を愛するということ。わたしは未熟なあまりに、それをまだよく知らない。ただわかるのは、物語の中にも出てくるように、互いを見つめ合って胸をときめかせることではないこと。優しい言葉で労り合うことでもないこと。同じベッドで繋がり合うことでもないということ。そして、相手の人生を契約のように縛って、明日を保証してもらうことでもないということ。それだけである。すると、“愛する”とは、一体どんなものなのだろうか…たちまちわからなくなる。迷い始める。そんなことを思考しながら、物語は人々の欲望の果てを次々と語ってゆくのである。残酷なまでに痛く。狂おしく。ときに哀しみを伴いながら、いつまでも深い余韻を残しながら。

 物語の中で、わたしが一番心惹かれたのは、「死体写真師」だった。若くして病に侵された妹の死に直面した姉の姿が、描かれてゆく物語である。妹の最期に心を尽くそうと決める姉。その傍には、妹が結びつけてくれた、恋人の姿がある。将来を約束した、恋人がずっと寄り添うようにいてくれたのだった。2年もの間。ずっと。妹の死後、恋人は奇妙な話を持ち込んでくる。遺体を専門に記念写真を撮ってくれるという、葬儀屋があるというのだ。しかも、美しい姿で。まるで、ただ眠っているかのような写真を。迷った末に、自己満足にすぎないとしても、妹の美しい姿を思い出としてかたちに残そうと決める姉。けれど、そこにはおぞましいほどの秘密が隠されていて…。

 姉の姿。それは、日常に溢れるような、わたしたちの愚かさによく似ている。死者には意思がない。けれども、死者を前にわたしたちは勝手に涙を流し、勝手にあれこれと思い出を甦らせる。それが、供養にでもなるかのように。それほど涙を流すのならば、悲しみに暮れるのであれば、なぜ生前にもっと後悔のないことをするべきであったのだろうか、と。愚かな行為だとは思いつつも、自己満足にすぎないとしても、それをせずにはいられないわたしたち。あまりにも身勝手で。あまりにも滑稽で。それでいて愛おしい存在。それが人間という生き物なのかもしれない。けれど、物語を通じて思うのは、やはり、わたし自身のなかに潜む、愚かさばかりなのだった。

448802386X赤々煉恋
朱川 湊人
東京創元社 2006-07-10

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2006.10.31

水銀虫

20050618_44026 手を伸ばした先にある心理。いわば、内面の吐露。醜悪な色をしたそれに、わたしはときに怯えることがある。目を背けていたはずのものに直面したような、軽い目眩すら覚えるほどに。そして、足下が少しずつ、確かにぐらつくのを感じるのだ。朱川湊人著『水銀虫』(集英社)には、そんな思いと重なるいくつもの光景が描かれている。7つの物語は、いずれもホラーらしきものでありながら、心をひどく震わせ、きゅうっと胸を締めつける。人々の日常に近いところにある、罪と罰。誰もが多かれ少なかれ抱える“水銀虫”という奇妙なるモノをモチーフにして、読み進めるほどにぐいぐいと読み手の心にまで寄生してくる。まさに、この作品そのものが、“水銀虫”であるかのごとく…

 けれども、恐れるなかれ。読み手こそがホラーゆえ。何しろ、この作品の中で最も恐ろしいのは、ごくありふれた人間であるのだから。知らぬまに犯していた罪。それから目を背けているわたしたちこそが、罰を下されるべき存在であるのかもしれないのだから。首筋や背中、足先にもぞもぞっと何かを感じたとき、そこには忘れている何かがあるのかもしれないのだから。そう、その奇妙なるもぞもぞこそが“水銀虫”。小さな虫である。思い当たる節があるのなら、省みるべききっかけを作ってくれる。或いは、望みどおりの道を歩ませてくれるやもしれない。嗚呼、恐ろしや。いや、恨めしやなのか。自分次第で道は分かれるだろう。たった一言で。たった一歩で。

 この“水銀虫”という名が、はっきりと登場するのは、「はだれの日」のみ。姉を自殺へと追い込んだ、死神のような女であるさな子に対する激しい怒りを切実に語る、弟の独白の物語である。そして、そのさな子の作ったとされるホームページに、この“水銀虫”が登場するのだ。苦悩する人間のようにも見える、コガネムシに似たその虫は、人の魂に入り込んで這いずり回り、やがては無数の穴をあけるらしい。死を弄ぶ。その罪深さは、人にとどまることを知らず、なんとも悲劇的な結末を呼ぶ。けれど、陰湿なのか無意識なのか、直接は手を下さないのが、なんとも利口なやり方だ。人づての情報や間接的な関わりの中で、心乱される人々の姿が滑稽に思えるほどに。

 また、この作品で忘れてならないのは、日本語の美しい響き。恐ろしさを感じつつも、うっとりと読めてしまうのは、きっとその影響が大きい気がする。四季折々の風景。言葉。中でも、“斑雪(はだれゆき)”などという言葉は、この作品を読まねば、一生知らなかった言葉だ。真っ白な雪が春先に解けだしてまだらになる。その光景が、まさに“斑雪”であるらしい。わたしはその光景をイメージしたとき、少しずつ心が蝕まれてゆく想像図と重ねてしまった。虫が這いずり回ることによってできた、荒れ地。雪解けのように少しずつじわじわと進む、いたたまれない虚しさ。風景に人の心を見るような、不思議な心地がしたのだった。そうして、冬が近づくほどに、わたしはこの作品への恐怖を深めることになるかもしれない。

4087748138水銀虫
朱川 湊人
集英社 2006-09

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