52 本谷有希子の本

2009.09.09

あの子の考えることは変

20090907_014 結局のところ、わたしたちは自分以外の人間の孤独を理解することはできないのかもしれない。でも、できないからこそわかろうとして寄り添い合う。なけなしの想像力で誰かのことを思う。そんな気持ちが孤独をそっと包み込む気がする。ほんの一瞬でも繋がっていることができるのなら、それだけでいいとすら思うほどに。本谷有希子著『あの子の考えることは変』(講談社)は、ルームシェアする女性二人の奇妙で身につまされる心情が綴られている一冊である。23歳の抱える孤独、苦悩、性的コンプレックスなどなどを赤裸々に描き、タイトルどおりに変だと思いきや、読んでいるわたしたちも誰もが皆変であると認めざるを得なくなる展開が待っている。何とも奇妙な物語である。

 語り手である巡谷は、Gカップの胸を自分の唯一のアイデンティティにしている23歳のフリーター。アパートの同居人である日田は、自分は臭いと信じる自称・手記家の23歳の処女。ゴミ処理場から出るダイオキシンと自分の臭いに異常な執着を見せ、処女コンプレックスに囚われて、外見をまったく気にしないでいる日田のことを、常々変人であると思っている巡谷。だが、日田から見れば、巡谷の男への異常な執着や突然気がふれそうになる瞬間があることは変人極まりない。この相当に変人な二人のテンポいい会話に引き込まれるうちに、二人を抑圧してきたものの正体を思うと、もしや自分も彼女たちとなんら変わらぬ変人なのかもしれない…と思考し始めるから不思議である。

 中学時代から同級生だった二人。同じ上京組としてたまに連絡を取り合う程度の仲だった二人が、なぜ引き寄せられたのか。読み進めるほどに、二人の孤独感が浮き彫りになってくる。一人称小説ゆえに、もちろん“あの子”とは日田のことを指すのだが、よくよく読んでみるほどに、語り手の巡谷こそ“あの子”なのかもしれないと思えてくる。そう、あの子とは、読み手のわたしたちも含めたすべての人を指すとも言える。皆それぞれに変な部分を抱えて、自分が正しいと生きている。その正しさこそ、変に違いないのである。そもそも、何が普通で何が変なのか、その境界は曖昧なもの。わたしの信じる正しさは、きっと誰かにとっては変に値することなのかもしれないのである。

 物語はあっけらかんとコミカルなタッチで描かれているが、巡谷も日田も23歳なりに精一杯悩んでいる。その悩みの大きさには差こそあれ、誰もが悩みながら生きていることを考えれば、わたしたちの誰もが二人に通ずる何かを多少なりとも持ち合わせていると言えるだろう。誰もが少しずつ変で、少しずつ自分勝手で、少しずつ正しい。そんなわたしたちが少しずつ寄り添って、少しずつ思い合って、少しずつその孤独を癒せたら、それで充分。そうして、誰かの孤独とわたしの孤独とが少しずつやわらげばいい。結局のところ、自分以外の人間の孤独を理解することはできなくても、少しずつでいい。ほんの少しでも、ほんの一瞬でも繋がることができたなら、それで充分なのだ。

4062156385あの子の考えることは変
講談社 2009-07-30

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2008.11.21

偏路

20081203_012 人間のどろっとした生々しい部分を、多くの人はひた隠しにしている。家族であれ、親戚であれ、友人であれ、どんな人間関係であれ、本音をぶちまけてしまったらたちまちその均衡は崩れ落ちる。今まで積み重ねてきたすべてのものが。今まで堪えてきたすべてのものが。けれど、そうやって均衡を保とうとするだけが、人間関係じゃないことをわたしたちの誰もが知っている。ときには毒を吐き出し、たまりにたまったガス抜きをするのだ。本谷有希子著『偏路』(新潮社)には、そんなどろどろを通りこしたグロテスクな人間模様が、これでもかこれでもかと描かれてゆく。人間の心に秘めたそんな醜い感情を、笑い飛ばすかのごとく、さらりと。それでいてアットホームに。

 物語は東京で女優を目指していた若月が都落ちしようと、九年ぶりに田舎にある親戚宅に父親と一緒にやってくるところからはじまる。夢を諦めようとする娘・若月とそれに対して暴走を繰り広げる父・宗生。親戚を巻き込んでの父と娘の大喧嘩は、どこかコミカルでありシニカルである。とにもかくにも暴れ回る宗生。言っていることも無茶苦茶だが、行動も無茶苦茶である。そして、この父あってこの娘ありと言わんばかりに、自意識過剰で傲慢な若月。二人の理屈はどこか妙ちくりんでありながら、読んでいてわからないでもないところがあるのがなんとも心憎い。そこへ、親戚である和江やノリユキ、知未、依子らが絡み合い、ドタバタ劇へと展開してゆくのである。それはまさに圧巻。

 この物語の全体に漂う雰囲気は、地方家庭にある嘘くさいまでのなまあたたかさである。そして、それに対してひどく嫌悪感を抱いている若月の、無意識のうちにあるどこかさめた視線だろう。若月が親戚に対して田舎に安住することを“薄っぺらい”とか“浅い”とか口にするとき、その浅はかさの根源にあるのは、現実と対峙する意識にある憎悪や妬みだろうか。若月にとって田舎というものは、負のエネルギーを持ち合わせているものでしかない。善意ある心遣いも何もかも、すべては気持ちの悪いもの、グロテスクなものとして認知されているのである。けれど、田舎に暮らす人々の誰もが東京に憧れを抱いているはずもなく、いとこにはあっさりと否定されてしまう若月なのだった。

 そして、忘れてはならない。この物語のタイトルが、お遍路さんの“遍路”ではなく、にんべんの“偏路”であることを。思えば、過剰なまでに偏った人たちの、偏った思考の、偏った道筋を描いた物語なのである。だが、登場人物たちの迷走ぶりを、ただただ面白可笑しく描いているわけではない。だからわたしたち読み手は、手放しには笑えない。自分自身を思わず省みてしまう。何しろわたしたちも皆、どこか歪なかたちをした人間の一人であるから。そうして登場人物たちや物語の展開の歪さが映し出すのは、血縁関係の不思議であり、人間の本質でもあるような気がしてくる。危うい均衡で繋がっているわたしたちの人間関係は、どうかすると偏っては脆くも崩れ落ちてしまうのだから。

4103017732偏路
本谷 有希子
新潮社 2008-09

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2008.07.18

グ、ア、ム

20080717_4017 何だか無性にせつなくなった。こんなにも痛快なのに。こんなにも可笑しいのに。きょうだいとは、一体何ぞや…としばし考えてしまったのである。“きょうだいは他人のはじまり”という言葉があるように、歳を重ねるにつれて疎遠になってゆくその間柄。そこに根深くある葛藤のようなものから、わたしは果たして目を背けてはいないだろうか…と、ふと思ったのだ。本谷有希子著『グ、ア、ム』(新潮社)に登場する姉妹と同じく、四つ違いのきょうだいがいるわたしとしては、いくら他の人が羨むくらいに小さな頃から仲睦まじかろうと、いずれは離れてゆくであろうきょうだいの存在のことを、今のうちから覚悟しておかなければなるまいと痛烈に思ったのだった。

 これは、父親を留守番に母、長女、次女が初めての海外旅行に出かける物語なのだが、三者三様に個性的で様々な確執を抱えている。この長女の世代というのは、ちょうど今の二十五歳から三十五歳あたりまでの、バブル時代もぎりぎりに終わっているし、受験戦争時代をくぐり抜けなければならなかった年代。そうして、受験戦争から逃れられたかと思えば、就職氷河期が待っていたという、何とも可哀想な世代なのだ。いわゆる格差社会の犠牲者とも言える。そんな長女とはうって変わって、次女は堅実派で、姉に辟易することしばしば。何かと折り合いがつかない。そんな二人の間でただ右往左往する母。それに加えて、せっかくのバカンスに母は生理になるし、次女は歯痛、天候にも恵まれない。

 三者の抱えるこころのうちは、なかなか後半まで言葉にはならない。家族旅行の目的すらもよくわからないまま、姉妹は感情をしだいに高ぶらせるのである。物語にはこんな箇所がある。“同じDNAから生まれ、同じ性別を持ち、同じ環境を与えられ、同じ両親に育てられた二人がいたとして、その差がたったの四年だとして、性格の、人生の、その違いはなんぞ?”と。ここには世代の問題以前の、根源的な問いかけがあるように思えてならない。もしも…という可能性。それに加えて、どうしてもきょうだいというのは必然的に比べられる。たとえ親が比べなくても、きょうだいはそれを意識せずにはいられないのだ。それはきっと、近くてもいつかは遠ざかる存在だからなのかも知れない。

4103017724グ、ア、ム
本谷 有希子
新潮社 2008-06

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2008.04.24

ほんたにちゃん

20070416_025 ひりつく脳内を抱えながら、ふと“わたし”という在り方について考えてみる。どうかすると過剰なまでに反応する自意識に、我ながら恥ずかしさを覚えつつ、それでも一生つき合うしかないわたしという存在を、自分自身でただただ抱きしめてやる。本谷有希子著『ほんたにちゃん』(太田出版)に描かれる、ひりひりと痛いまでの自意識過剰な勘違いの数々は、もはやある意味あっぱれといった感じである。もう何というべきか、読み手はその饒舌過ぎる語りに対して、もうもう苦笑するしかないのだ。この作品が著者の原点と言うべきもので、執筆当時19歳の自伝的処女小説のセルフリメイクとなれば、ミーハーなわたしは飛びつくしかなかった。恐るべし、本谷有希子!

 90年代の東京。カッコイイ自分が好き。自分は特別な人間。そんなふうに思ってきた<私>ことほんたにちゃんは、自分の痛さを重々承知している。けれど、今さらそれを変えることもできずにいた。ある日、通っている専門学校の飲み会で、ほんたにちゃんはカリスマ的存在のイラストレーター・野次と出会う。何となく(本当はかなりびんびんに意識して)飲み直すことになる二人だったが、それがほんたにちゃんと野次との戦いのはじまりとなるのである。と言っても、ほんたにちゃんにとって戦いなだけで、野次にとっては戦いでも何でもないはずなのだけれど…。ほんたにちゃんの過剰なまでの自意識は、様々に自分を演出することに夢中である。嗚呼、苦笑。

 “あなたが思うほど、他人はあなたのことを気にしない”ほんたにちゃんほどではないにしても、こんなことを言われた経験のあるわたしとしたら、何だか憎めないキャラクターのほんたにちゃんである。ほんたにちゃんの思考回路や言動を読むほどに、まるで自分の内面の奥深くに眠っている自意識がむくむくと目覚めた気がする。もしかして、一番痛いのはほんたにちゃんじゃなくてわたし自身かも知れない、と。そうしていつしかひりひりとひりつく思いを胸に、自分自身の在り方を考え込んでしまったわけである。決して文学的ではない作品に対して、ここまで頭を抱え込むことになろうとは…。いやはや、毎度のことながら驚くばかりでございます。本谷さん!

4778311167ほんたにちゃん (本人本 3) (本人本 3)
本谷有希子 okama
太田出版 2008-03-20

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2008.03.08

乱暴と待機

20070215_032 つながりたいという切実な思いがあるのにもかかわらず、そのすべを知らない者たちがいる。知らないからどこかしら歪んで、不器用なまでに醜態を晒すその姿は、自分自身にも通ずるものを感じて、ときどき息苦しささえ呼ぶ。そこでは“憎しみ”というひとつの感情が生みだした関係が、血縁関係や愛情関係によりも、強力な結びつきとなっていたからである。本谷有希子著『乱暴と待機』(メディアファクトリー)に描かれているのは、そんな憎しみの上に成り立っている奇妙な関係だ。得体の知れない憎しみを抱き、それに見合うだけの復讐を考え続ける男。いわれのない復讐を相手の意のままに待ち続ける女。二人の関係をつなぐのは、鬱々と横たわる虚しさのようなものだ。

 “復讐相手として憎まれている限り、お兄ちゃんが私から離れていくことはない”人から嫌われるということを極端なまでに恐れる奈々瀬は、英則からのいわれのない復讐を待ち続けることを選んだ。色気を感じさせないスェットとだて眼鏡姿で家にこもり、英則の監視下のもと、日夜笑いのネタを考える。一方英則は、復讐を考え続けながらも、その方法もそもそもの原因も思い出せずに、一年ほど前から屋根裏に潜み、奈々瀬を覗くという行為を繰り返しているのだった。こんな4年にも及ぶ二人の生活の中に、英則の同僚の番上と、その恋人で奈々瀬の同級生のあずさが絡み、複雑なねじれを見せながら物語は展開してゆく。そうして、それぞれの本音が交わるとき、物語は一気に加速する。

 気づかないふり。気づかれていないふり。見え透いていながらも、それを続けることで保ってきた奈々瀬と英則の関係は、“復讐”という名目があるとはいえ、どうかすると崩れそうで、あまりにも脆く思えてくる。それは、本当の意味での憎しみというよりは、半ば強引に憎しみという感情を生みだした結果ではないだろうか。そうして見えてくるのは、恋愛感情にもよく似た思いである。ここまでの執着、しがみつきを見せる英則の言動行動のひとつひとつに、それにひたすら応えようとする奈々瀬の異常なまでの献身的な態度に、おかしな気分になりながらも自分を重ねていることに気づいて、こういうつながりもまた、ひとつの愛をデフォルメしたかたちだよなぁと、認めてしまったわたしだ。

4840121761乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)
鶴巻和哉
メディアファクトリー 2008-02-27

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2007.05.31

遭難、

20070526_017 多くの人々が、自分自身のことにかまけて生きている。己を好きか嫌いかは別として、要は自分のことがたまらなく大事なのだろう。そもそも社会科でよく見る地図がそうであるように、どの人々も皆自分を主張して生きている。性格の差はあれ、積極的な者は強い存在感を、消極的な者はそれなりの存在感を、意欲を削がれた者はその負のエネルギーを放っているのだから。それでも他者と関わりなく生きるわけにはいかないから、ある一定の領域を超えないようにと気遣う常識というものが無意識に働いて、周囲から自己を防衛しているのでは…なんてことを思うのだった。いわゆる本音と建て前みたいなもので。これがいわゆる社会的に健康な人のメカニズムのような気がしている。

 けれどそのメカニズムは狂うこと多々あって、ときに争いを生む。大小様々な争いは、人の心の内面をえぐるようなものから様々だが、本谷有希子著『遭難、』(講談社)に至っては、職員室を修羅場と化すまでになるのである。生徒の自殺未遂がきっかけで、その学年の担任だけを集めた職員室。そこで行き来する感情は、互いを醜くさせるような責任転嫁と疑心暗鬼というもの。それらのもたらす、歪んだ思い。そして、愚かなまでのトラウマ語りというものまで。教師4人と生徒の母親、5人が繰り広げる物語は誰もがひた隠しにしている何かを疼かせてゆく。シリアスな内容を可笑しく読ませるあたりが、さすが著者の力作であると唸らせる。

 わたしが思うこの作品の魅力は、はじまりからおしまいまでの温度差の揺らぎだ。もちろん、どの物語にもそういう揺らぎは付き物かもしれない。けれど、この作品の揺らぎは、その振り幅の速度が最大にまで至るのである。というより、最大値を示し続ける部分が多いからこそ、最小値がふっと光る、というべきか。展開の読めない物語は、活字だけでもその温度を伝えてくるようで、なんとも痛烈な印象を残すのである。また、先に述べた自分自身のことにかまける人の究極のデフォルメは過剰ながら、つい己の胸に手を当てたくなるほどにリアルである。そうして、その行為自体が自己中心的なものであると気づくとき、さらなる自己嫌悪に陥るのである。そしてさらなる…

4062140748遭難、
本谷 有希子
講談社 2007-05-16

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2006.10.16

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

20061015_008 ほろほろと鳴く。わたしの中で。その存在を思って。いわゆるそこにある意義と価値とを思って。ほろほろと鳴く。心が鳴く。泣けずに鳴く。痛いと鳴く。居場所を探して鳴く。ただただ鳴く。わたしが、本谷有希子著『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社)を読みながら、唱えていた呪文。ほろほろ。“ほろほろ鳴くのは、何だったか。ああ、そう、きっとホロホロ鳥ね。食べるときっと、おいしいわ。おろろんよりも、やっぱりほろほろでしょう。そうね、きっとおいしいはず…”なんてことを思いつつ。わたしの中の自意識をフル動員して、ほろほろと読んだわけである。この、ありえないくらいの自意識と憎々しい狂気を秘めた物語を。そして、あまりにもそこからかけ離れた世界の住人の物語をも。

 腑抜けども。即ち、ばかどもめぇ。そこに愛はあるのかい…なんて言葉を想起してしまうほどに、この1冊はどこまでも浅はかで、それでいて過剰なまでに深い悲しみに満ちた物語だと思う。生きること。それはもしや、演じることなのか。それとも、演じること。即ちそれが、生きることなのか。わたしたちは皆、知らぬうちに演じているのか。著者の文章を読みながらめぐらすのは、こんな思いだ。わたしを観ている誰かいて。誰かを観ているわたしがいて。そこには、わたしを観ているわたしもいる。知らず知らずのうちにこぼれる、小さな呟き。それはもしかしたら、わたしを演じている証拠になるかもしれない。こうして思考するわたしだって、100%自然体とは言い難いものがある。もしやわたしも?もしやあなたも?なんてことを思うのだ。

 さて、調子に乗り始めてきたので、物語に話を戻そう。物語は、両親を同時に亡くした家族の物語である。家族。一言でそうは云えども、なんとも複雑に絡まり合う家族である。何をしてでも家族を繋ぎ止めようと必死になる、血の繋がらない兄。田舎に埋もれたくない、自意識過剰な女優になりたい姉。狂気を秘めた、なんとも陰湿な行動を繰り返す妹。そして、兄の妻である孤児院育ちの、どこまでも従順な義姉。演じる役柄としては、どれも個性的である。華があるのは、やはり姉だが、世間とのズレのある思考回路を植えつけられたまま育ってしまったという、義姉も捨てがたい。そして、ホラーな姉マニアの妹というのも、なかなか面白い。と、言いつつ悲しいのだ。やはり。そこに愛がないから、だろうか。

 わたしの中で、ほろほろと鳴いたのはなぜか。わたしが、その存在意義と価値とを見出したくなったのはなぜか。泣けずに鳴いて、おろおろと居場所を探すのはなぜなのか。心が痛いのはなぜなのか。その問いを叫んでいる。それが、この物語のように思ってしまうのだ。少なくともわたしは、ほろほろと心で泣けずに鳴いた。だから、思う。わたしはわたしを観ている、と。わたしを観ているわたしが、確かに存在するのだと。自意識が過剰な部分も、内に秘めた狂気も、陰湿な感情も、鈍感なまでのふてぶてぶてしさも、何もかももれなく持ち合わせていると。ただ、その配分が違うだけで。ただ、その配列が異なるだけで。ただ、その違いだけではないのだろうか、と。だからこそ、“腑抜けども、この物語を読め!”とも思うのだ。

4062129981腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
本谷 有希子
講談社 2005-07

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2006.09.10

生きてるだけで、愛。

20041113_9999048 わたしという身体があって、わたしという心があって、それに加えてなにやらいろいろと厄介にも複雑に絡まり合うものたちがあって、わたしという存在となる。それは整形しようとも、洗脳されようとも、何にしても、ゆるぎなく“わたし”でしかない。その命が果てるまで、“わたし”は“わたし”から逃れられないのだ。もしかしたら、果てた後も“わたし”は続くかもしれないのである。そして、“わたし”だけの主観というものは、“わたし”にしか見えない世界を作り上げ、思考をめぐらせて、感じさせる。行動させる。立ち止まらせる。本谷有希子著『生きてるだけで、愛。』(新潮社)は、そんな独自の“わたし”を描いたような作品であるように思った。誰もがいずれは、<あたし>から去る。でも、<あたし>は別れられないのだ。<あたし>という名の自分自身とは。一生。

 物語は、過眠・メンヘル・25歳の女性が主人公。生きること。ただそれだけのことが、どうしようもなく疲れてしまう。生きにくい現代社会には、もはや当然のごとくに、鬱の日々に耐え続ける人々がいる。彼女もそんな多くの人々の1人であり、自分の苦しさや苛立ちを伝えたくても伝えられず、伝えるすべもなく、端から見たら怠惰に思われるような日常の中に身を置いている。なんとなく一緒に住むことになった、彼女の恋人である、多忙な津奈木にしても、彼女とは違う意味で生きづらさを抱えている人物である。人と人との繋がりというもの。お互いにお互いを理解し合うこと。それの何たる難しいことだろうか。言葉のある部分、例えば語尾だとかニュアンスだとか状況だとか、そういう些細なことですら、相手によっては傷ついてしまうのだから。

 ただですらしんどい生活を、悪意に満ちた人物によって乱される主人公の彼女であるが、それがよかったのか悪かったのか、彼女にとっての変化が展開されてゆく。自分に欠けていたもの。意識せずにいたこと。自分の当たり前と、別の誰かとの当たり前が異なるということ。それを彼女は短期間のうちに知るのである。不器用だけれど、自分なりの思いと方法で。心の赴く方へと。そこまでの何たる遠回り。それが、なんだか妙に人間らしくて、わたしは読みながら、思わず自分自身と重なる部分に付箋をいくつも貼っていた。例えば、日本の四季。そう、それの何とも厄介な移り変わりについて。彼女にとっても、わたしにとっても、それはもはや美徳でも何でもなく、体調管理の難しいだけの乱期のようなものなのだ。世の中には、気圧の変化に弱い、繊細で敏感な人間もいるのだよ、と。

 また、収録されている書き下ろしの「あの明け方の」に出てくる主人公もまた、どこか生きづらさを抱える人物である。自分に対して余計な期待はしない。あらゆるもののイメージを信じない。すべてを無意味というには、あまりにも浅はかだけれど、“頑張ってるのは分かるけど無意味”という感覚。その温度の冷ややかさに対して、頷く読者は多いに違いない。特に、厳しい現実を歩んできた者にとっては…。明日は何が起こるかわからない。晴れた青が急ぎ足で灰色に染まって、こぼれ落ちる涙のように雨が降る。そんな不安定な天候のごとく、わたしたちは生きているのだから。そして、そんな現実を流れるように上手に渡ってみせることが、与えられた一生の課題のようにわたしは思うのだ。それでも生きるしかない。いつかきっと、生きたくてたまらなくなるのだ。そう信じてみるのも、悪くないじゃないか。

4103017716生きてるだけで、愛
本谷 有希子
新潮社 2006-07-28

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2006.09.03

ぜつぼう

20060829_9999011 例えばここに、不幸な女が1人いるとしよう。彼女にお似合いなのは、不眠症のためにできたひどいクマ。泣き腫らして重たく目を覆うまぶた。笑みを失った顔にある、ネガティブさと頑固さを思わせる垂れ下がった口角。そして、彼女は思っている。“幸せなわたしなんて、考えられない。不幸なのが、わたし。いいえ、わたしそのものなの。幸せになることは、怖くてたまらない。慣れていないの。だから、不安でしかたない。わたしはいいの。このままでもいいの…”と。だから、変化を嫌う。変化に怯える。不幸が続く人生に安堵すら抱いている。もう、安住の極みなのか。己の人生の本質だと納得済みなのか。流されるまま流されて、ただその流れに揺さぶられて。もしかしたら、そういう者は多いのかもしれない。例え話の根本は、わたし自身であるからして…

 そんな例え話によく似た、本谷有希子著『ぜつぼう』(講談社)は、タイトルにあるように、絶望の中にいる男・戸越の心情を描いている。芸人としての、一時の人気。その無責任な移ろいやすさに踊らされた戸越は、自分という存在をどこまでも深く下へ下へと落としてゆく。こそこそとひっそりと暮らす日常は、戸越をどこまでも冷たく見下す。そこに疼く絶望というものが、どこからその支配力を増して戸越を呑み込もうとしたのだろう。戸越はいつのまにか、そんな自分に安心感を抱いていた。彼の言うところの“揺るぎない絶望”というもの。彼がこの世の中に見出した繋がりは、どんなことにも耐え抜くほどの、確固たる“絶望”になっていたのである。そして、それをぎゅっと掴んで離さない。

 戸越の生活が変化するのは、ある公園で出会ったホームレスによってである。野生の鳩を伝書鳩にして、自分を嘲笑った村人たちを見返すため。それだけのために、都内で鳩をせっせと教育しているという、なんとも不思議な存在の男である。この男、とぼけたようでなかなか面白い。この男の言うとおり、戸越は復讐したい人物の名前を挙げ、ホームレスの男の実家のある村で、伝書鳩からのメッセージを待つことになるのだ。それは、あまりにも非現実的であるがゆえに、すがってしまったものなのか、なんなのか。だが、いざその村に着いた頃、ホームレスの男の家には先住者がいたのである。主人公のファンだった…そう名乗る女がひとり。掴み所のないふわふわした危うい女が…。

 この小説の面白さは、やはり主人公の戸越の主観の変化だろう。様々に細かに描かれる思考は、何とも情けない。だが、読んでいて決して嫌な気持ちにはならないのだ。戸越ほど深く落ちたことはなくとも、彼の抱く思いは理解できる。納得できる。苦悩せざるを得ない状況もなにもかもに対して、不思議とうんうんと頷けてしまうのだ。それは、自分探しのモラトリアムの時期にも似ているし、未来の自分を思い描けない若者たちには、しっくり肌に馴染むことだろう。人という者、誰しもが抱える根本的な悩み。それは、もしかしたら“一生自分探し”なのかもしれないゆえ。なりたい自分と、現実の自分。そして、あるべきはず自分と、装わずにはいられない自分。その狭間で、わたしたちは誰もが悩み抜き、絶望を知ってゆくのかもしれない。

4062133245ぜつぼう
本谷 有希子
講談社 2006-04-28

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2006.02.18

本谷有希子文学大全集 江利子と絶対

20051212_059 “文学大全集”という文字に惹きつけられた。この若さで。この厚みで。狙いなのか、大真面目なのか。タイトルと大げさな帯に引けを取らない、絶妙な、けれど過剰な、そんな悪意とユーモアに満ちた世界が描かれている、本谷有希子・著『江利子と絶対 本谷有希子文学大全集』(講談社)。久しぶりに出会った、小説を小説として素直に“おもしろい”と感じられた作品である。ひきこもりの妹の、自己中心的な生活と心情を姉の視線で描く「江利子と絶対」。ある男へのとてつもない執着ゆえに、衝動的な感情をぶつけるイカレた女・アキ子と、あまりにも気の毒な人生を歩んできた多田の愛を描く「生垣の女」。問題児の少年に振り回されている手下の少年らが、奇妙な屋敷に迷い込むホラー「暗狩」を収録。

 表題作「江利子と絶対」。“エリ、これから前向きに生きてくから”。ひきこもりの妹を母に託された姉は、ふいにそんな言葉を妹の口から聞く。電車事故のニュースがきっかけであるその言葉に、どう前向きになるのかを問うてみれば、具体的に何かを始めるわけでもなく、“ハンデを背負いながらポジティブ。なんか新しいでしょ”なんていうことを言う妹。でも、姉は今までにないくらい目を輝かせている妹をそれでもよしとする。そして、ある日唯一の役目であるゴミ捨てから戻ってきた妹は、1匹の子犬を拾ってくる。その名も“ゼッタイ”。絶対にエリの見方、という意味を込めて“ゼッタイ”。前向きに世の中と人々を見捨てている妹ならではの、いい名だと思う。名付けられたゼッタイの運命は、かなり悲惨であるが。

 その後の妹の論理と言動は、あまりにも身勝手なものであるが、それを安易に笑い飛ばすことはできない。耐えても可笑しくて、にやけてしまうのだけれど。それは、妹のエリの中では、めちゃくちゃな論理が見事に成り立っているからである。私の中で私の論理が成り立っているのと同じように。そんなことを言い始めたら、犯罪者の論理も認めてしまうのか、なんて意見も出てきてしまうが、論理には切実さの限度があるということでまとめたい。エリの思考は切実なのだ。言葉を向ける相手が違っていても、その論理と結びつける対象が違っていても。世間で常識とされていること、黙認されていること、そういう部分を“間違っている”と言える切実さがあるのだ。たとえ、その切実さが“正しい”と言えなくとも伝わってくる。

 続いては「生垣の女」。これは、さらに笑えてしまう作品。生垣の小さなスペースに身をひそめて男を待ち伏せする女・アキ子。それを偶然にも目に留めてしまったゆえに、穏やかな日常を奪われる男・多田。猫の菊正宗と暮らす多田は、その不幸で悲劇的な人生の中に初めての快楽を見出す。あまりにも可哀想なのだけれど、ここまでくるともう…ふふ。悲しみに負けるな、多田。虚しさはいつの日か埋まるかも知れぬ。ふふ。そして「暗狩」。始終立ち込める緊迫感と恐怖に圧倒される作品である。3人の少年たちの変わりゆく関係、複雑に揺れ動く感情が、丁寧に描写されている。迷い込む屋敷の奇妙さに潜む恐ろしい秘密は、心をひどく掻き乱す。そして、強く読み手を引き込むホラー。もしかしたら私たちの生への欲求は、物語の中に見出せるかもしれない。

4062119277江利子と絶対―本谷有希子文学大全集
本谷 有希子
講談社 2003-10

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