55 吉田篤弘の本

2007.11.23

それからはスープのことばかり考えて暮らした

20060616_999028 これさえあればいい。そうきっぱり言いきれる人を、わたしはひどく格好いいと思う。余計なしがらみや多くの荷物に束縛されることなく、しゃんと一人で立っていられるのが、わたしの理想とするところなのだ。吉田篤弘著『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮しの手帖社)には、次のような箇所がある。“本当に何もない家でしょう?わたしはね、食べることと、お昼寝と、本を読むことだけ。その他には何もいらないの(191p)”実に潔く、格好いい生き方だ。そして、わたしは何が大事なのだろうと考えてみる。あれもそれもと浮かんではみるものの、どれもこれもが違う気がして、何だか自分が無性に情けなく思えてきたのだった。

 この物語は、そんな潔い生き方をするあおいさんにほのかな憧れを抱く、ぼく(オーリィ君)を主人公に展開してゆく。仕事を辞めたオーリィ君は、なかなか新たな職に就くことなく、古い映画を観るために映画館に通う日々を過ごしていた。ある日ふとしたきっかけから、サンドイッチ屋「トロワ」で働くことになったオーリィ君は、サンドイッチに合うスープを考案することになって、試行錯誤を繰り返すことになる。やがてスープ作りに没頭するうちに、正しい時間の流れからふと切り離されて、さまざまなことに思いを馳せるオーリィ君。物語は一見穏やかに流れているように思えるが、ほのぼのとした交流の中に、たくさんの気づきが隠されている。

 これさえあればいい。わたしにとって、それは一体何だろうか。かつてどこかに理想の休日の過ごし方として、こんなことを書いた。「ひたすら活字に囚われる。傍には愛猫が寄り添う。そんなまどろみの休日」と。要は、本があって猫がいて眠れればいいということなのだが、果たして本当にそれはわたしが求めているものなのか…今は正直自信が持てなくなっている。本を読むことが苦痛なことがたびたびだし、猫が傍にいるとゆっくり眠れないのである。まったく移ろいやすい心だと思う。この移ろいが、わたしの成長の証なのか、単に厭きやすいだけなのか、体調不良のせいなのかはさておき、時間というものはその流れを止めることがないことは確かだ。

4766001303それからはスープのことばかり考えて暮らした
吉田 篤弘
暮しの手帖社 2006-08

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (8) | トラックバック (4)

2007.11.16

針がとぶ Goodbye Porkpie Hat

20071114_030 記憶は人知れず繋がってゆく。わたしがたぐり寄せずとも。ときに誰かの記憶を呼びながら。あるいは、確かな執着を持って。まだ見ぬ誰かを待ち焦がれるがごとく。いつしか。いつからか。いついつまでも。吉田篤弘著『針がとぶ Goodbye Porkpie Hat』(新潮社)には、そんな思いを抱かせる7つの物語が収録されている。それぞれの物語は、ページに広がる物語の世界を飛び越えて、いい意味合いで共鳴し、新たな物語を紡ぎ出している。はじまりの一編からから最後の一編まで、ぐるりと一巡りしてみると、もう一度最初の一編を読んでみたくなるほどに。そして、二巡りしてみて気づくのは、誰かと誰かの記憶の繋がりというものなのだった。

 表題作を含め7つの物語の中で、わたしが一番印象に残ったのは、「金曜日の本」という一編だった。ホテルのクロークルーム(外套室というべきか)に勤める男性が主人公の物語だ。ある日彼は、ある映画の登場人物であるジャネット似の女性のコートを預かるのだが、お客はどうやらコートを預けたことなど忘れてしまったらしい。そのまま勤務交代の時間となり、彼はコートのことを気にかけながら、自宅で大好きな読書に耽ることにする。読み始めた本の主人公は、偶然にもジャネット。やはり彼女もコートをどこかに置き忘れている。彼は実在するジャネット似の彼女と、物語の中のジャネットとを混同しながら、刺激的な読書の時間を過ごすのだ。

 彼の読んでいた本は、その名も『運命の女賭博師』なる本だったのだが、まさに彼は読みながら、その運命を翻弄されたと言えるだろう。現実に存在する記憶の中の人と、虚構の中の人(それも、本の中に登場し、自分の中でイメージを創り上げた人物)とを、さまざまに思いめぐらし、その行方を案じていたのだから。そして気づく。差こそあれ、読書というものは皆そういう体験の連続なのだということに。もちろん、それは読書に限ったことではないだろう。映画でも。演劇でも。そうして、自分自身の中に眠る記憶と物語が結びついたとき、そこには新たな疼きが生まれ、きっと物語が出来上がるのだ。人知れず誰かと誰かを繋ぐような物語が。

4104491020針がとぶ Goodbye Porkpie Hat
吉田 篤弘
新潮社 2003-12-19

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007.11.12

百鼠

20071109_007 小さな幾つもの疑問符が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。わたしの知らない世の中の表層と水面下で起こっていることだとか、しばし混乱をまねく一人称と三人称との関係性のことだとか、物語におけるある種の分身としての自己のことだとか…。吉田篤弘著『百鼠』(筑摩書房)を読みながら感じたそれらのことは、淡くも確かなしこりとなって、わたしの中をぐるりとめぐりめぐった。読みやすい筆致で、次々と繰り出される言葉の迷宮に酔いながら、ゆうるりのんびり至福の時間を味わったのだった。収録作品は「一角獣」「百鼠」「到来」の3つ。いずれもほんのりと連作めいているあたりが、心憎いところだったりする。

 まずは「一角獣」。この作品では、主人公のモルト氏とその恋人の関係性のゆらぎが描かれている。なかなか結婚に踏み切れない、煮え切らない態度に、読み手としては親近感とじれったさを感じつつ。そこへユニークなキャラクターである恋人の兄や、モルト氏の妹が絡んできて、興味深い会話を繰り広げてくれるのである。例えば、水面下の世界について。そこでの繋がり(例えば兄妹というもの)について。そういうことを意識するだけで、何だかずいぶんすべてのことが違ったものに映る気がする。そしてきっと、水面下で眠る何かを考えるときの心持ちは、目に見えないものを信じる思いと似ているのではないだろうかとも思うのだった。

 表題作の「百鼠」。これは、天上に暮らす<朗読鼠>の物語である。いわゆる地上というところで、作家が三人称の<物語>を紡ぐのを管理するのが仕事。物語では、この三人称に縛られた世界で、一人称の魅力を知ってしまった<朗読鼠>の葛藤が描かれてゆく。一人称、三人称の話が、はたまた自分自身をめぐる客観と俯瞰へと発展するあたりが痛快である。また最後の「到来」では、母親の小説の中に登場する<彼女>と主人公の<わたし>との関係性が印象的である。わたしは彼女であって、彼女は作り直されたわたし…そんな分身としての自己を物語に見つけてしまうのである。こうして書き連ねてゆくと、物語とは実に奥深いものだと痛感する。

448080384X百鼠
吉田 篤弘
筑摩書房 2005-01

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.04.15

フィンガーボウルの話のつづき

20050413_014 ゆうるりとゆるやかに流れる時間は、たまらなくいとおしい。いま、そっと過ぎゆく時間も、数秒後にはいとおしさを覚えるようなものになるかもしれない。もしかしたら、を確かにするのは、他でもない私。まぎれもなく、私だ。そんなことを思わせる物語が、吉田篤弘著『フィンガーボウルの話のつづき』(新潮社)である。16もの短い物語をつなぐのは、ビートルズのホワイトアルバム。その際立つ佇まい、そそがれる思い入れ、謎めく通し番号など、人を惹きつけ魅了し、何かを掻き立てる不思議なキーアイテムとして登場するのだ。実物を見たことのない私は、精いっぱい想像めぐらすしかないのだけれど。なんとなく神々しい雰囲気がするのは、間違いだろうか。

 どこからも遠い、世界の果てにあるような小さな食堂を舞台にした話を書きあぐねている<私>。物語はどうやら、そこを訪れる人々に纏わるもののよう。共通するのはビートルズのホワイトアルバムきりで、交じり合うとも結びつくとも思えぬ物語が並ぶ。読み手の解釈によっては、つながりを感じられずに「はて?」とも思うかもしれない。けれどよくよく考えてみたら、食堂に集まっている人々というのは全員が全員知り合いであるはずもなく、偶然に居合わせただけにすぎない。つながるようでつながらない。関わるようで関わらない。それがごくごく自然ということなのだろう。思い至って、納得してみた私。でも、解釈はいろいろでいいとも思う。

 中でも面白く読んだのは、「その静かな声」。ささやかな電波で気まぐれに放送する声に引き寄せられた<わたし>が、旅の途中に声の主に会いに行く物語である。自分の耳に馴染む声というものに出会えた<わたし>に、ほんのりと嫉妬心を抱きつつ読んだ。そして、私がかつてそういう声と出会っていたことを思い出した。それはそれはささやかな電波で、私は遠く離れた場所の周波数を、ある日ふとキャッチしたのだった。あれは確か15のときで、心地よく耳を疼かせる声の主に恋とよく似た思いを抱いていたっけ…ひどく懐かしく、かけがえのない日々。忘れていた記憶を物語によって思い出すのは、なんだか妙に照れくさい。嬉々としながらも恥ずかしい。

 もうひとつ印象深かった話は、「白鯨詩人」というもの。ありとあらゆるものの余白に、言葉を書きつける男の話である。彼が何も意識せずに反射的に書いてた時間と、表現の先にあるものを考え始めた時間の違いに、翳る思いを見た気がした。無意識のうちはいい。衝動のままに書き続けられるうちはいいのだ。誰かがそれを読み物としたとき、誰かがそれを求めたとき、もう言葉は別のものへと変わり果てるのだろう。そこにはもう、何かに囚われた言葉があって、書き手を離れて力を持つ。いい意味でも。悪い意味でも。書き散らせるうちは幸せということか。そんな結論にたどりついて、自分の言葉を省みたくなった。もう少し。もっともっと、と。

4101324514フィンガーボウルの話のつづき (新潮文庫 よ 29-1)
吉田 篤弘
新潮社 2007-07

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログにいらっしゃい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.11.23

つむじ風食堂の夜

20051117_087 さらっとした好感の持てる文体、心地よい適度な改行、風変わりでほんのりと奇妙な設定、いずれも文句なく楽しめた作品である、吉田篤弘著『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫、筑摩書房)。クラフト・エヴィング商會名義の作品での読者を魅了するポイントも風味もしっかり押さえつつ、厭きさせない物語展開を見せて読ませる。哲学的とも宇宙論とも思えるような言葉がちらりと出てくるのに、少しも堅苦しくならずにふわふわゆらゆらとたゆたっていられる。そういうやわらかな物語に浸っていられる時間というのは、何とも贅沢なものである。

 物語の舞台となるのは、月舟町の十字路にある無名の店。パリ帰りの店主のこだわりがぎゅっと詰まった店ゆえ、なかなかどうしてふふふふふであるのだ。面白い。人は皆いつのまにか店を“つむじ風食堂”と呼ぶようになり、馴染みの客たちがその店で交流を深めている。人工降雨の研究をしながら“書く”仕事で生活している“雨降り先生”、古本屋の“デ・ニーロの親方”、読書家の果物屋主人、帽子屋の桜田さん、舞台女優の奈々津さんらを中心に描かれる何気ない日々。二重空間移動装置、オレンジ、エスプレーソ、唐辛子千夜一夜奇譚、星を描く仕事、帽子、袖だけの舞台衣装…書き記しておきたいことは、あまりにも多い。

 中でも、インチキ臭い商売で品物を買わせようとする様子が見え見えな古道具屋の親父の言葉がいい。それは、“傷は、そこに人が生きていた証ですから”というものである。無数に残る傷跡だらけの皿について。机について。それは放たれたもの。懐かしい傷、美しい傷、目を背けたくなる傷。一重に傷と言っても、その種類は多岐にわたる。作品の中の傷以外にも、同じ名で呼ばれる傷が世の中には溢れている。例えばそれに囚われる人がいる。苦しんで泣いている人がいる。抱えきれないそれは、“証”というただ1つの言葉に救われる。たった一言に救われる。それにすがり過ぎてはいけないけれど、ときどきは甘えさせてもらいたい。

 それから、あれこれと考えてしまったのは、終焉について。人生の終わりについて。“雨降り先生”の父親の最期というものについて。手品師だった男の消え方とすれば、見事である。後腐れのない絶妙なタイミングで、静かに安らかな余韻を残す。鮮やかな手品のような死は、実際問題としたらあり得ないことなのかも知れないが、理想的なもののように思える。その不思議。その謎。その刹那。死の淵に立たされたとき、私はきっとこのことを思い出す。いや、思い出さなくてはならない。さらりと見える死を。一瞬だけかすめる、風のような死を。風はやわらかに、どこかへ運んでくれるはず。都合のいいところに、ぜひ。

4480421742つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)
吉田 篤弘
筑摩書房 2005-11

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログにいらっしゃい。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

その他のカテゴリー

01 安房直子の本 | 01 雨宮処凛の本 | 02 池澤夏樹の本 | 03 いしいしんじの本 | 03 石井睦美の本 | 03 絲山秋子の本 | 04 井上荒野の本 | 04 稲葉真弓の本 | 05 岩阪恵子の本 | 06 魚住陽子の本 | 07 江國香織の本 | 08 大島真寿美の本 | 09 小川洋子の本 | 09 長田弘の本 | 10 荻原浩の本 | 11 尾崎翠の本 | 12 恩田陸の本 | 13 角田光代の本 | 13 鹿島田真希の本 | 14 金井美恵子の本 | 14 金原ひとみの本 | 15 川上弘美の本 | 15 川端康成の本 | 16 北村薫の本 | 17 桐野夏生の本 | 18 久坂葉子の本 | 18 倉橋由美子の本 | 19 栗田有起の本 | 20 黒川創の本 | 21 小池昌代の本 | 22 河野多恵子の本 | 23 桜庭一樹の本 | 23 酒井駒子の本 | 24 佐藤亜有子の本 | 24 佐藤友哉の本 | 25 佐野洋子の本 | 26 重松清の本 | 27 澁澤龍彦の本 | 28 島田雅彦の本 | 29 島本理生の本 | 30 清水博子の本 | 31 庄野潤三の本 | 31 朱川湊人の本 | 31 笙野頼子の本 | 32 瀬尾まいこの本 | 33 嶽本野ばらの本 | 34 太宰治の本 | 35 田辺聖子の本 | 35 谷崎潤一郎の本 | 36 多和田葉子の本 | 36 津村記久子の本 | 37 中島たい子の本 | 37 中島京子の本 | 38 中島らもの本 | 39 長野まゆみの本 | 40 中原昌也の本 | 40 夏目漱石の本 | 41 中山可穂の本 | 41 中村文則の本 | 41 楡井亜木子の本 | 42 蜂飼耳の本 | 42 長谷川純子の本 | 43 服部まゆみの本 | 44 平田俊子の本 | 44 東直子の本 | 45 古川日出男の本 | 45 福永武彦の本 | 46 星野智幸の本 | 47 堀江敏幸の本 | 48 前川麻子の本 | 48 町田康の本 | 49 三浦しをんの本 | 50 皆川博子の本 | 51 村上春樹の本 | 52 本谷有希子の本 | 53 森絵都の本 | 54 山田詠美の本 | 54 湯本香樹実の本 | 54 矢川澄子の本 | 55 吉田篤弘の本 | 56 吉本ばななの本 | 57 吉行淳之介の本 | 58 海外作家の本(アメリカ) | 59 海外作家の本(イギリス) | 60 海外作家の本(フランス) | 61 海外作家の本(イタリア) | 62 海外作家の本(ドイツ) | 63 海外作家の本(ロシア) | 64 海外作家の本(その他&分類不可) | 65 新潮クレスト・ブックス | 66 Modern&Classicシリーズ | 67 白水Uブックス | 68 エッセイ・詩・ノンフィクション本 | 69 アート・絵本 | 70 漫画本 | 71 猫の本 | 72 犬の本 | 73 心理学・精神医学関連の本 | 74 その他の本 | ウェブログ・ココログ関連 | 日記・コラム・つぶやき | 書籍・雑誌