05 岩阪恵子の本

2006.04.30

台所の詩人たち

20050227_44012 ずんと響いてじんと残るもの。わたしにとって、そういうものは何だろう。考え始めてぱっとひらめかないのは、あまりにも多いからか、少ないからか。どちらにしても、それほど大きなものはないらしい。つまりは、無に等しいということ。些細ながらも少しの間しゅんとして、活字の渦に呑まれてみた。呑まれるしかなかった。そして、そんなときにするりと入ってきた、岩阪恵子著『台所の詩人たち』(岩波書店)に、はっとする言葉を見つけた。“私たちの心にこげついて根を一生にのこす処のものは、日常のくだらぬ事ばかりがなかなか生きている”というものである。小出楢重の随筆にある言葉だ。ああ、そうか。そうだったのか。意味する言葉とわたしなりの解釈。そこにぴんと張られた糸を感じた瞬間だった。

 この本は、わたしにとって3冊目の岩阪作品になる。ふるさとのこと。日々の暮らしのこと。自然へのさまざまな思い。それから、よむこと。みること。きくこと。1976年から2001年までの随想集である。長短それぞれ。味わい深い、なんとも心地よい文章の流れを感じる。これはまさに、日常。くだらないとは言い難いが、たわいもない日常である。そして、わたし自身が“ああ、そうか。そうだったのか”と思った日常に、とてもよく似ていたのだった。読みながら気づく。わたしは、大きな出来事などなくてもいいや、と。注意しなければ目に止まらないくらいの、何気ない日常やささやかな喜び。それの方がずっとずっといとおしいじゃないか、と。

 日常。そこで交わされる言葉について、語られている部分がいくつかある。中でも、人との距離を考慮した言葉のはさみ方の部分が興味深かった。著者はわたし同様に話し下手らしく、黙って微笑めばいいところで余計なことを言い、親しくなった途端にその人との距離をはかりかねるのだとか。言葉を交わす瞬間は流動的でありながら、どうもその瞬間というものを掴みきれない。そこで登場するのが、“人と話すとは、いかに話さないか”である。言葉を惜しむ。気持ちの高ぶりをつい言葉によって用いてしまうわたしたちには、少々痛い部分でもある。言葉は万能ではない。働きも不自由。ときには有害となる。だから惜しむ。惜しまなければ、と思ったのだった。

 著者の言葉の中に心地よさを覚えた部分が、もうひとつある。それは、自分自身への折り合いのつけ方が語られた部分である。少女から思春期。その時期に、著者はひどく戸惑ったという。生きづらさの根源。それを何とか収めることができたのは、最近のことらしい。わたしがほっとしたのは、そういう悩める時期というものが、決して一時ではないこと。無駄ではないと知れたからだろう。著者はそういう時期を“濃い時間”と表現する。そして、今もまだその濃い時間は続いているという雰囲気を漂わせて、文章は結ばれる。闇の深さ。光りの長さ。押し寄せるものに耐える日々。何とかやり過ごす時間。きっと、ゆるやかだけれど、確実に流れる。流れている。世の中も。人も。景色も。まさしくそれは、わたしの中にずんと響かせて、じんと残すべきものである。

4000012959台所の詩人たち
岩阪 恵子
岩波書店 2001-08

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2006.04.19

雨のち雨?

20050721_44069 経験を積むこと。歳を重ねること。そういうことが必ずしも成熟というものに結びつかないことを、私はなんとなく知っている。あくまでも曖昧に。自分勝手な理論をあれこれ並べてみたりして。岩阪恵子著『雨のち雨?』(新潮社)を読み耽りながら、成熟と未熟の境界がわからなくなって、私よりもずっと年配の人物に寄り添って、共鳴して、安堵している私がいた。そして気づく。人は経験を積んだからといって、立派な人間になれるわけではない。歳を重ねたからといって、尊敬される人間になれるわけではない。大人と呼ばれる年齢になったとしても、すぐに大人然となるわけでもない。子どもが子どもを産むとか、大人げないとか。そんな言い方があるのは、きっと人はみな一生未熟で、学ぶべきことが尽きないからなのだろう。

 まずは、表題作「雨のち雨?」から。ある日突然、夫が失踪してしまい、その妻が義母と共に暮らし始める話である。行方のわからない夫を捜すべく、妻も義母も何か懸命に手を尽くすわけでもなく、警察沙汰を避けるようにお互いを探り合い、ただ待っている。今日帰ってくるかも知れない。そうでなければ、明日帰ってくるかも知れない。そんな淡い期待を抱いているかのように。しまいには、失踪という出来事を楽しんでいるようにも思えるくらい。妻と義母の遠慮がちでぎこちない関係がふとした瞬間に近づくのは、なんだかはっとするほどの奇跡のようでもある。女という生き物は、ときとして不思議なくらいに結びつくのだなと思い知る。男性には理解できぬ部分が、ここには描かれているのかも知れない。

 そして「鮮やぐ夏」。老いた両親のもとにたびたび訪れる女性が、たまたま目にした新聞記事から、幼き日々の出来事を甦らせる話である。強い日差しと裏庭のノウゼンカヅラの色。ずいぶん月日が経ってから、あの時はこうだった。ああだった。消化しきれぬまま封印していた光景が鮮やかなものとして思い出されるとき、私たちはきっと、人として幾重にも成熟するのかもしれない。一歩。また一歩。そうやって少しずつ進みながら、自分なりのすべで収めてゆくのだろう。後悔しても戻らない日々は、戻らないからこそ未熟な私たちを大きくする。それでも過ちが繰り返されるのは、私たちがいろんな意味でまだまだ未熟ということだろう。だからといって、そこに安住していてはいけないのだろう。

 もうひとつ「子の闇」を。なにが原因か。なにがきっかけか。登校しなくなった息子を抱える女性の話である。能天気に励ましの言葉を放つ夫はもはや頼りになどならず、彼女は息子を叱ることも責めることもできずにいる。それは他でもない、彼女が息子と似たような時期を過ごしたことがあるからだった。その頃の周囲への違和感や葛藤が、同じものかどうかはわからない。けれど、彼女は彼女なりに寄り添おうとしている。曖昧なまま放置していた思いと、向き合おうとしている。大人として見下ろすのではなく、同じくらいの、或いは少し低いくらいの、そういうところに目線を合わせているのだ。未熟じゃなければできないこと。未熟だからこそできること。私はそれを大切にしたいと思う。

4103847034雨のち雨?
岩阪 恵子
新潮社 2000-06

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2006.04.17

掘るひと

20050601_44036 日常にあるもやもやや、うずうず。その正体をなんとなく探りたくなるのは、どうしてだろう。そ知らぬふりをして、一切かまわずに放っていればよいのだろうに。そわそわと落ち着かぬ私は、知りたい知りたいとしきりに問いかけてしまう。自分の中に留めきれずに。誰彼かまわずに。岩阪恵子著『掘るひと』(講談社)は、そういう私にしっくり馴染む物語である。9つの短い物語は、どれもある程度歳を重ねた女性(50~70代くらい)が主人公で、執拗なまでに倦怠や苛立ちを描いているのだが、嫌な感じは全くない。余計な感情を排除した、主観に流されない文章ゆえ、するりするりと物語が入ってくる。ありふれているのに上質な日常。そんなふうに思う。

 まずは、表題作「掘るひと」から。単身赴任中の夫の母親と暮らす、女性の話である。黙々とひとり穴を掘る彼女は、奇異な周囲からの目やあからさまな言葉を受け流しつつ、それでもやっぱり掘ることをやめられないでいる。庭の北側にあるいくつもの穴は、すべて彼女が少しずつ掘ったもので、そこで生ゴミと枯葉が腐敗してゆくのだ。便利なものがある今、なぜ彼女は穴を掘るのか。物語にはそれが、ほとんど描かれていない。無心に堀りながら、精神の均衡を正そうとする思い、ほんのりと感じる達成感か。想像できるのは、これくらいだ。窓から見える清潔さを装った生ゴミ入れに対して、思わずため息がもれた。その緑色が、なんだか意味もなく自己主張しているようで。

 続いては「庖丁とぎます」を。何もしないよりはいいだろう…そんな理由から、ドアノブに“庖丁とぎます”とぶら下げることにした女性の話。特別な技術があるわけでもなく、道具がそろっているわけでもなく。素人なのにもかかわらず。耳の遠いお隣の老夫婦のこと、娘を思い出させる少女のこと、3年前に亡くなった夫のお悔やみに来る男性のこと。どれも些細な日常であるのに、とてもいとおしい気がしてくる。戻らないひと。戻らない時間。誰もが去りゆく世の中のしくみとやらを、はじめて気にしてみたりして。それは、物語のあちこちに臭い立つものが、私の中の記憶をぢんぢん刺激するせいかもしれない。例えばそう、あの、血なまぐさい庖丁をとぐときの臭いだとか。

 もうひとつ、「流しの穴」を。ふとしたときから、流しの臭いが気になり始めた女性の話である。雨まじりの風の強い日になると、心なしか臭いがひどくなるよう。けれど、一緒に暮らす夫にはその匂いがわからないらしく、彼女はひとり、排水口をこまめに洗ったり、パイプクリーナーを試したりしている。所帯じみた生活の臭いを嫌悪しているはずなのに、彼女は外出先でついそういうものばかりを手にとってしまう。そして、洗練された売り場とは別世界のような、野暮ったい屋上で腰を落ち着ける。その後の展開もリアルな生を感じさせ、少し疲れた主人公の姿や言動に寄り添いたくなる。私の心は中年なのか…と思いつつ、まぁなるようになりますよ、とひとり、つぶやいてみたのだった。

4062132478掘るひと
岩阪 恵子
講談社 2006-01

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