23 酒井駒子の本

2009.06.27

BとIとRとD

20090627_027 幼い頃の世界は、小さいながらにとてつもなく無限に広がっているように感じられて、ささやかなことにいちいち驚いては歓喜し、未知なる不思議にわくわくどきどきしていたような気がする。無限の扉をあけてみれば、そこはもはや別世界。大人になってからは感じることのできないものたちが、いっぱいごろごろしているのだった。酒井駒子著『BとIとRとD』(白泉社)には、幼い女の子の視点で、そのまなざしにうつるもの、心に生まれるものたちが描かれている。8編のショートストーリーが綴るのは、やわらかな夢か。はたまた女の子のリアルな現実か。その夢と現実の狭間にある不安とぬくもりとが、手に取るようにつぶさに感じられる。そして、愛らしい女の子の画が何とも言えず胸にしみる。

 「昼間の蒸気機関車」では夢の中の出来事を語り、「図書館」では大人に混じって小さな女の子が独特な方法で本を読む。「お友達」では□(しかく)ちゃんなる女の子が登場して、乳母車を押す。「12月」でも、この□ちゃんが主人公。雪を一心に見つめる□ちゃんが印象的。「幼稚園」では一人で幼稚園に行けるようになった□ちゃんが、一番乗りに幼稚園に登園する姿が描かれる。「指しゃぶり」ではどうしても指しゃぶりをやめることができない□ちゃんのことが描かれている。お母さんの工夫も虚しく、□ちゃんに根負けしてしまうところが微笑ましい。「カミナリ」では幼稚園で□ちゃん独自のカミナリについての講釈が聞ける。「スイレン」では池のスイレンがどうしても欲しい□ちゃんの健気さが可愛らしい。

 中でも、わたしが印象に残っているのは、「図書館」というショートストーリー。大人に混じって本棚を眺める小さな2歳か3歳の女の子が、“シィッ”と人差し指を立てて、見えない誰かに絵本を読んであげるお話だ。しまいには、歌まで歌ってしまうから可愛らしい。静かな図書館で女の子の声は調子よく響き、さぞや図書館はほっこりとした雰囲気に包まれたことだろう。また「カミナリ」もいい。□ちゃんがカミナリは畑ではリンゴにおちると言い張るところが何とも可愛らしいのだ。“あのね、リンゴは小さいから、小さい小さいカミナリがおちるの……”なんて言われたら、ああ、そうだね。きっとそうかもしれないねなんて、言ってしまいそうだ。幼いなりに、いや、幼いからこそ、その発想は面白い。

 また、何といっても、□ちゃんというネーミングが酒井駒子さんらしくて素敵だ。タイトルになっているBとIとRとDにちなんで、どの画にも鳥が登場していることも見逃せない。蒸気機関車を見つめる女の子の頭上に、本を読む女の子の傍に、乳母車を引く□ちゃんの傍にだって、ちゃんと鳥はひそやかにいる。そっと見守るように。主張し過ぎないくらいのさり気なさで。そうして、短い文章にぎゅっと濃縮された小さな女の子の世界は、想像力に満ち溢れて、どこまでも無限に広がっていると感じさせてくれる。黒い色を多用した画は、どこかノスタルジックでもあり、小さな女の子という人物に深みや奥行きを持たせているようにも感じられる。とにもかくにも愛おしい本。この言葉に尽きるだろう。

4592761359BとIとRとD
酒井 駒子
白泉社 2009-06

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2007.08.23

ビロードのうさぎ

20070820_033 本物になること。それは、心から愛されることで叶う夢。子ども部屋のおもちゃたちは皆、男の子が自分を遊び相手に選んでくれる日を待ち望んでいるのだ。いつしか本物になるために。子ども部屋の住人の中で最もかしこいウマはいう、「ほんものというのはね、ながいあいだに 子どもの ほんとうの ともだちになった おもちゃが なるものなのだ。ただ あそぶだけではなく、こころから たいせつに だいじにおもわれた おもちゃは ほんとうのものになる。たとえ そのころには ふるくなって ボロボロになっていたとしてもね。おまえさんだって そうなるかも しれないよ。子どもべやには ときどき まほうが おこる ものなのだ」と。

 こんなふうにして始まる、ぬいぐるみのうさぎの物語は、1922年に初版が刊行されて以来、多くのこどもたちを魅了し続けてきた。マージェリィ・W・ビアンコ原作、酒井駒子絵・抄訳『ビロードのうさぎ』(ブロンズ新社)は、センチメンタルな古典名作を新たに甦らせ、ここにこうして佇んでいるのである。やわらかく滑らかな文章は、語りかけるように綴られており、読み手の心にすっと染み込んでくる。また、美しい絵は、物語にあらたな息吹をもたらし、ただただうっとりするほどに愛らしく、うさぎの存在感を際立たせている。そして、黒色によって引き締められた場面の一つ一つが、神秘的にもリアルにも見えるのが興味深いところである。

 描かれる「本物」になるまでの過程は、決して平坦なものではない。ときとして子どもは残酷であり、それに輪をかけたように大人はもっと残酷であるから。たかが、ぬいぐるみ。そんなふうに思って手放してきたいくつものおもちゃを思うとき、この物語はひどく胸を刺すものへと変わってゆく。大切に、大事にしなかった多くのもの。きっとそれは、ぬいぐるみに留まらないはずだ。書き損じた紙一枚にしたって、朽ちた鉛筆一本にしたって、一度読んだきりになっている本にしたって…同じことではないだろうか。わたしは、そういうありとあらゆるものの扱い方を省みて愕然とした。このままではいけない。絵本を片手に、危機感を募らせたのだった。

4893094084ビロードのうさぎ
酒井 駒子
ブロンズ新社 2007-04

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2007.08.21

ヨアキム 夜の鳥2

20070820_013 危うい中で展開されてきた家族のかたちが、変わろうとしている。パパ、ママ、そしてヨアキム。三人きりだった関係は、次第に新たな家族のかたちを生み出すのだ。あしたのために。これからの三人のために。或いは、それぞれのために。始終つきまとっていた不安の影を、どこかへ追いやるために。トールモー・ハウゲン著、山口卓文訳『ヨアキム 夜の鳥2』は、『夜の鳥』の続編として書かれた作品である。物語は、ヨアキムの父親が精神病院へ入院するところからはじまり、ヨアキムの心を満たしている不安感は前作の時よりも強まっている。いよいよヨアキムは自分の寝室で眠れなくなり、ママのベッドで精神の安定を取り戻すのだった。

 物語の中で、印象的な場面がある。ヨアキムが、自分を小さくなったように感じる場面である。その頃、ヨアキムの周りは秘密に満ちていた。その秘密が大きくなればなるほどに、不安感は募り、ヨアキムはそれらに押し潰されそうになるのだった。そして、ヨアキムはこれまで押し殺していた感情を、一気に父親へとぶちまけるのである。その場面の言葉ひとつひとつが、痛く心に染み入るのは、きっとかつてのわたしも抱いたことのある感情だからに違いない。そして、かつての子ども心が、大人と呼ばれる年齢に達してしまったわたしに、ひどく突き刺さるものだったからに他ならない。著者はどこまでも容赦なく、子どもと大人とを結びつけてゆくのである。

 まだ、ヨアキムは小さな子どもである。だが、子どもは子どもなりにいろいろなことを考えている。両親のこと。友だちのこと。学校のこと。よその家族のこと…。そうして、漂う雰囲気の変化を、違いを敏感にキャッチして、子どもなりに懸命に思い悩んでいるのである。ヨアキムの周りの子どもたちも例外なく皆、それぞれにさまざまな思いを抱えていることからも、それは窺い知れる。そして、その様子から気づく。大人の問題だから、子どもの問題だから…そんな区分など本当は存在しないのだろうと。子どもと大人の境界線が曖昧なのと同じように。きっと著者の描いた物語の視点は、その幅広い視野に支えられ、読み手の心の奥底にまで届くのだろう。

4309203825ヨアキム 夜の鳥2
山口 卓文
河出書房新社 2003-06-21

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2007.08.20

夜の鳥

20070820_058 季節の足音と共に、少年の心にそっと歩み寄るもの。不安。そして、哀しみの影。やがてそれらは、少年の抱いた幻想を現実のものへと変えるほど、大きく、大きくなってゆく。ゆっくりと。ひそやかに。でも、確実に。そうして立ちこめた不安は、さらなる不安を呼び、哀しみの色を濃くさせるのだ。どこまでも深く、深く根をおろすように。世界の果てにある光など、もはや闇にまぎれてほんの少しだって見えやしないのだ。トールモー・ハウゲン著、山口卓文訳『夜の鳥』(河出書房新社)に始終漂うそんな危うげな雰囲気に、はっと呑み込まれた。無駄を削ぎ落とした文章は、読み手の想像を掻き立て、さらなる物語の深みに浸らせてくれる。

 主人公のヨアキムは、都会のアパートで両親と暮らしている。精神を病んだ父親は、さびしさから逃れようと、ふらっとどこかへ行ってしまうこと、しばしば。そんな中、ヨアキムの不安は次第に大きくなってゆく。“夜の鳥”の幻想として。この夜の鳥は、ヨアキムの部屋の洋服だんすの中に住んでいて、しっかり鍵をかけておかなければ、その大きな翼を押し広げてヨアキムの世界をすっかり闇に覆ってしまうのだ。この物語に始終漂う不安の影。それは、ヨアキムの両親の不安に違いなく、子どもはそれを否が応でも感じ取ってしまうものである。多感であるがゆえに。敏感に。著者はそのことを、現実世界だけにとどまらせずに読み手に伝えてくる。

 また、この物語を語る上で見逃せないのは、ヨアキムを取り巻く子どもたちである。哀しいトーンを貫く物語の中で、生き生きとした子どもたちは、ほんのりとあたたかな救いのような存在である。そこには、日々誰かと誰かが喧嘩し、その関わり合いにびくびくし、ときどき過ちを犯しながら、確かな成長を遂げる姿があるのだ。子どもたちのユーモア溢れる語り口は、ふっと一瞬ヨアキムの心を解放してゆくようでもある。季節の足音と共に、そっと歩み寄るもの。哀しみや不安。けれど、もちろんそれだけじゃない。ヨアキムの中に染み入るように入り込んださまざまな思いは、きっとどこかへ向かうはず。物語は、そんな余韻を残してゆくのだった。

4309203817夜の鳥
山口 卓文
河出書房新社 2003-06-21

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2006.10.25

いたずらハリー きかんぼのちいちゃいいもうと その3

20050527_44198 自分がいい。自分でよかった。だれかを羨むのではなく、そんなふうに思えることは、とても容易いようでひどく困難だ。羨む。すなわち、“恨む”という感情も含まれたこの言葉は、わたしが最近一番避けたい言葉の1つでもある。ドロシー・エドワーズさく、渡辺茂男やく、酒井駒子え、による『いたずらハリー きかんぼのちいちゃいいもうと その3』(福音館書店)では、まだ幼い少女よって、そんなことを気づかされる。ずっと追いかけてきた全3巻のシリーズも、これでおしまい。とてつもなくきかぼのちいちゃいいもうとに、もう振り回されずになるのかと思うと、少し寂しさを覚える。だからわたしは、彼女がきっと、素敵なレディに成長することを願って、大事に読んだ。1つ1つのエピソードを。

 いたずらハリー。彼は、ちいちゃいいもうとの親友である。前作『おとまり』にも、ちらっと登場したのだけれども、彼女に負けず劣らずの、きかんぼ少年である。しかも、彼女とはなかなかよいパートナーシップを発揮して、思わずふふふっと笑みがこぼれてしまった。自分の誕生日パーティーだというのに、ちいちゃいいもうと一緒に、悪巧みを計画するし、そうかと思えば、さまざまな遊びを思いついては、意固地なまでに自分を主張する。けれど、それは、彼なりの理論上ではきちんと成立していて、憎めないのである。ちいちゃいいもうとに関しても、それはいえることなのだけれども。子供はこれくらいじゃなきゃ…なんて思うまでに至ってしまう、読み手であるわたし。このきかんぼぶりが好きなのだ。

 この作品の中で印象的だったのは、小さな子供の想像力の果てしなさ。もう、大人の年齢になってしまった者としては、頭が下がるくらいのものである。さまざまな状況下において、なんでも遊びに変換してしまうことなど、わたしにはもうできない。いや、むしろ、子供の頃から、そういうことに関しては苦手な方だった気がするのだ。だから、写実的な絵は描けても、想像で何かを描くことなどちっともできなかったし、率先して遊びの輪の中に入ることもできなかった。わたしはたった1人ぽつんと取り残されて、みんなを眺めては先生と話して過ごすような、内気な想像力に乏しい子供時代を過ごしてばかりいたのだ。そう、つまりは遊ぶすべを知らなかったのだろう。

 それでも、わたしはわたしらしく日々を過ごし、歳を重ねてきた気がしている。わたしは他でもない、わたしであるからこそ、生きているのだから。きかんぼのちいちゃいいもうとだって、そのことを無意識ながら知っているはずなのだ。それは、この作品の結末が語っている。そして、そのきかんぼぶりに振り回される周囲の人々だって、そう思っているに違いないのだ。だって、あんなにも愛おしく接することができるのだから。叱りながらも心配して、抱きしめて、いい子じゃないところまで愛してくれる。語り手の姉の口調にも、その愛しさは満ち溢れている。たった1人きりの、きかんぼのちいちゃいいもうとに他ならず、きっとわたしたちも皆、たった1人の誰かにとっての存在なのだと思いたい。

 ≪このシリーズに関する過去記事≫
  『ぐらぐらの歯 きかんぼのちいちゃいいもうと その1』(2006-03-26)
  『おとまり きかんぼのちいちゃいいもうと その2』(2006-06-14)

いたずらハリー きかんぼのちいさいいもうと その3 おとまり―きかんぼのちいちゃいいもうと〈その2〉 ぐらぐらの歯―きかんぼのちいちゃいいもうと〈その1〉

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2006.06.14

おとまり きかんぼのちいちゃいいもうと その2

20060531_44021 “きかんぼ”であること。わたしはそれについて、歳を重ねるほどに失いゆくものであると思っていた。期間限定の、甘い言葉で囁いて誘ってくるお菓子みたいなものであると。けれど、ドロシー・エドワーズ著、渡辺茂男訳、酒井駒子画による『おとまり きかんぼのちいちゃいいもうと その2』(福音館書店)を読んで、この“きかんぼ”が歳を経てもなお、続くものであることを知った。やわらかに日々を過ごしつつも、ゆずれないものが1つでもあること。それはまさに“きかんぼ”の証拠だ。さまざまなものに揺られて、流されて。そういう生き方もよい。それでも1つきりくらいは、ゆずれないものを持ち得たい気がした。イギリス幼年童話の傑作シリーズは、これで2冊目。あと1冊でおしまいなのが、心なしか寂しい。

 シリーズ1冊目同様に、姉がいとおしい妹について語る形式。それがなんとも美しい姉妹愛で、語り手である姉をはじめとし、周囲の大人たちも含め皆、“きかんぼ”な妹が可愛くて可愛くてたまらない様子。2冊目のはじまりは、その“きかんぼ”ぶりが生まれた頃からであることを知ることができる。ここまで語られてしまったら、もうある種の才能というものかも知れぬほどの存在感。こんなにもあたたかで、やわらかに満ちた日常があるのならば、まだまだこの世界に生きる価値はあるに違いない。そんなふうに日々に疲れた大人の心を和ませる物語の数々である。対象年齢は5歳から。ちいちゃな女の子に読み聞かせてみたら、きっと素敵なレディになれるのでしょう…きっと。

 ここからは、冒頭で触れた“きかんぼ”の大人たちについて語ってゆこう。「『かがり火の夜』のプディング」に登場するおばあさんは、かがり火も花火も嫌いだというこだわりを見せ、ちいちゃいいもうとと一緒に、大イベントを無視してプディングを作る。それがもう、特別に愉快な時間で、いい雰囲気である。そして、「たいそうお年よりのたんじょう日」には、もっと“きかんぼ”な大人と云える存在の大おばあさんが登場。100歳を迎えるお祝いに、それぞれプレゼントを持ってかけつける話なのだが、この大おばあさんが素敵なのだ。少女のままの部分を残して、小さく小さく歳を重ねてきた日々を感じさせる佇まいで。やはり、このちいちゃいいもうと“きかんぼ”ぶりは血筋なのかもしれない。

 それから表題作である「おとまり」についても触れておかなくては…。遠くに住む名付け親のおばさんのもとへおとまりに行く姉を、羨ましく思ういもうと。けれど、ここでも“きかんぼ”ぶりがすごいのだ。いつもと違う絵がかかっている部屋で、いつもと違うベッドで、いつもと違うごちそうに、うちにはないピアノ。でも、それを求めて遠くまで行くのはイヤだと云うのだ。そこで周囲が思いつく、“きかんぼ”のためのおとまりメニュー。なんともあったかく、とてつもなくやわらかな眼差しを持つ人たちによる、本当に視野の広い案。このおとまりメニュー。かなり、実用性があるのではなかろうか。そういえば、3冊目にたくさん登場すると予想される、いもうとの友だちであるハリーがちらりと出てくる。ふふ。3冊目を楽しみに待とう。

4834022005おとまり―きかんぼのちいちゃいいもうと〈その2〉 (世界傑作童話シリーズ)
ドロシー・エドワーズ
福音館書店 2006-04-13

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2006.04.06

ロンパーちゃんとふうせん

20050324_035 無条件の可愛らしさというのは、期間限定だからこそ心奪われるもの。借り出してきてから何度も繰り返しページをめくるうちに、酒井駒子著『ロンパーちゃんとふうせん』(白水社)に対して、ふっとそんな言葉を思っていた。けれど、私にとってはそれが、小さな子どもへの切なる思いには通じてはいない。絵本の中の子どもはたまらなく愛おしくても、実際に生身の子どもを目の前にしたら、なかなかまっすぐな気持ちを抱けないのだ。いやしくもつぶさに欠点を見つけて、“ほら、やっぱり”なんて思ったりするのだ。だからこそ、絵本の中の子どもは私に愛情を抱かせる。都合のいい理想を積み重ねるだけ重ねて、満足げに頷くことができる。いつのまにやら、ひねくれちゃったわ。私。そう思う。

 さて、絵本の中のロンパーちゃん。それはもう、完全無敵の可愛らしさに満ちている。ぷっくりとした頬、丸み帯びた肢体、その切実なるまなざし、ひとつひとつのしぐさに至るまで、可愛くて可愛くてたまらないのだ。ロンパーちゃんの傍に寄り添う母親からは、子どもへの愛が溢れている。この人は、まぎれもなくロンパーちゃんの母親なのだ、と思わせる佇まいである。そして、物語はロンパーちゃんに焦点を合わせて進んでゆく。あたたかに、細やかに、やわらかに進む。ロンパーちゃんにとっての大きな世界が、小さく切り取られて描かれてゆく。読み手である私は、そっと見守るようにその世界を覗き見る。

 物語は、ロンパーちゃんが街で風船をもらう場面から始まる。風船が飛んでしまわぬように、風船はロンパーちゃんの小さな指にくくられる。その結び目すら、愛おしくなるような絵で描かれる。おうちに戻ったロンパーちゃんは、思う存分風船と遊ぶ。ふわふわとゆらゆらと生き物のように漂う風船は、からかうように小さなロンパーちゃんの届かぬ場所へと向かってしまう。そこには、母親のひと工夫が役立つ。絵になる繊細な知恵。書きたいけれど書けますまいと思わせる。私はきっと、この知恵をどこかで使う。いや、絶対に使ってみせる。ロンパーちゃんは、外の世界で風船と戯れることができる。この知恵を用いれば。素敵。たまらなく素敵だ。

 ロンパーちゃんと風船。その関係もまた、言ってみれば期間限定のもの。だからこそ愛おしい。だからこそ心惹かれる(私の場合は)。夢のような時間は、しだいにしぼんでゆく運命にあるから…なんていう物語には描かれていない、描いて欲しくない悲しい結末は、はっとするような色に霞みゆく。それはそれは美しい、鮮やかな結末である。この場面は、ずっとずっと私の中に刻まれるだろう。ひねくれちゃった私の心に、ほんのりとやさしく、何かが灯ったようにも感じられる。ロンパーちゃん、あなたはやはり無条件に可愛い。たまらなく可愛い。著者の子どもへの思いを、私も少しだけ抱けた気がする。錯覚ではなくて、確かに触れた、気がするのだ。

4592761006ロンパーちゃんとふうせん
酒井 駒子
白泉社 2003-03

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2006.03.29

ぐらぐらの歯 きかんぼのちいちゃいいもうと その1

20050325_023 “きかんぼ”。それは、人にゆずったり負けたりするのを嫌がる、性質の激しい子どものこと。私たちはきっと、歳を重ねるたびに、学ぶことでそれを失ってゆく。余計な殻に自分を閉じこめて、少しずつそれを失ってゆく。そんなふうに私には思えてならない。無垢ゆえの思いは、ガチガチにもきちきちにもその力を弱め、私たちは“大人”と呼ばれる輪郭を顕わにしてゆくのだと。ドロシー・エドワーズ作、渡辺茂男訳、酒井駒子絵による『きかんぼのちいちゃいいもうと その1 ぐらぐらの歯』(福音館書店)を読みながら、私はそんなことを考えていた。ちいちゃいいもうとなりの論理は、しばしば心を揺さぶられるほどに、魅力的であるから。

 10もの物語はどれも、ちいちゃいいともうとのことを、姉の視点から描いている。姉の語る、ちいちゃいいもうとのきかんぼぶりは、愛情に満ちている。姉は、いもうとに憧れに似た思いをひそやかに抱いているようにも感じられる。いもうとよりも歳を重ねた姉は、その自由な我が侭さに、その身勝手な正直さに、自分の持ち得ないものを感じているように思われるのだ。だからこそ、読み手である私たちは、あたたかな心地でいもうとを見守るように、かつて持ち得ただろう思いを重ね合わせるように、物語を慈しむことができる。そして、語り手の言葉に寄り添うことができるのだろう。また、いとおしい気持ちにも、自然と包まれるのだろう。きかんぼなのが、無条件に可愛らしくなってくるほどに。

 私が好きだったのは、「おまつり」という物語。興奮してしまうと気難しくなってしまう、ちいちゃいいもうとの或る1日の出来事が描かれている。もちろんそれは、タイトルにもなっている“おまつり”に対しての興奮。この興奮。いもうとがその正体を把握しているのかどうかとなると、どうやら把握できていない様子。何かを察して、思わずわくわくそわそわする気持ちは、いやいやを言うことに繋がってしまう。けれど、きかんぼ。そこはもう、ちゃっかりしていたりするわけで。その後のおまつりでの事件も、周囲の心配をよそに、うまくまあるく立ち回ったりする。“ちいちゃな子どもに対して親切な大人”というものをよく知っている気がしてくる。それも憎いくらいに、可愛いのだ。

 それから、もう1つ。表題作である「ぐらぐらの歯」について。タイトルからして、そそられてくる響き。このタイトルでなかったら、きっと私はこの本を手に取ることもなかったはず。ちいちゃいいもうとの歯がぐらぐらになって歯医者に行く、というそのままの話なのだけれど、とてつもなくいとおしいのは、最後のいもうとの行動。それを促すのは、いもうとを優しく見守る周囲の大人たち。大人たちの言葉はやわらかであたたかで、きかんぼの気持ちをなんとも巧みに揺さぶるのだ。ただの優しさじゃない。ただのあたたかさでもない。心から向き合って、寄り添って、感じて、考えて。そうやっているからこその、優しさのように思えてくる。ちいちゃな子どもとしてでなく、対等な一人として接している気がするのだ。これこそ、素敵な大人。

4834021548ぐらぐらの歯―きかんぼのちいちゃいいもうと〈その1〉 (世界傑作童話シリーズ)
ドロシー エドワーズ
福音館書店 2005-11

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2006.03.25

ぼく おかあさんのこと…

20040920_097 “キライ。”という言葉にいとしさを覚えたのは、はじめてのことかも知れない。せいいっぱいの不機嫌さを感じる<ぼく>が腕組みしている姿がなんとも可愛らしい、酒井駒子さんの文・絵による『ぼく おかあさんのこと…』(文溪堂)は、そんな思いを抱かせる作品。小さなウサギである<ぼく>の気持ちが、じんじんずんずん伝わってくるのだ。そして、キュンと心が締めつけられる。あぁ、いとしい。あぁ、せつない。あぁ、もどかしい。あぁ、かわいい。わたしたちが幼い頃に、全身で感情を表現していたことを思い出させるような物語なのだ。“うれしい”も“キライ。”も、なにもかもすべてを、そうやって純粋に揺らして、ときにはひねくれて痛めていた小さな頃。あぁ、いとしい。たまらなく、いとおしい。

 小さなウサギの<ぼく>の視線から描かれる物語は、母親をなかなか厳しく評価している。<ぼく>が挙げている母親への“キライ。”は、かなりポイントをついてくるのだ。そうそう、そうなの。あるよね、こういうの。うちもそうなの…と思うようなことばかり。そして、小さな頃に男の子が母親に一度は思い描く、もしくは思い描いて欲しい願いもチラリと出てくるのだ。どれもこれも些細なこと。でも、かつて必死に懸命に思っていたこと。無邪気にもひそやかに、じっと抱えていたこと。大人と呼ばれる年齢になってみると、そういう類のものはとても少ないから、失われてゆくから、さびしくなる。ひどくさびしいと思う。だからこそ、物語が響くのかも知れないけれど。

 酒井駒子さんの文章はもちろん、絵は文句なく可愛らしい。たまらなく可愛い。中でも、この作品のウサギは耳に表情があって、そこに注目して読み返してみると、<ぼく>の感情の揺れる動き方がわかるような気がしてくる。ぴんと張ったとき、内側によっているとき、左側に傾いているとき、クタッとなっているとき、片方の耳だけが折れているとき。ウサギの耳は、口ほどにものを言う。そんな雰囲気が漂う。<ぼく>の言葉と、耳と、しぐさと、そのありとあらゆるすべてを合わせて、いとおしいと思うのだ。母親の表情が後半になるまで見えないからこそ、そこに注目してしまうのだろう。描き方、見せ方がいいのだなぁ。素晴らしいのだなぁ。そして、わたしは好きなのだなぁ。

 それから、<ぼく>の母親のことを少し。なかなか痛いところを<ぼく>に語られてしまっているけれど、心憎いくらいに素敵でもある。<ぼく>の言葉に、どきっとしている。はっとしている。もしかしたら、これまでのいろいろをさまざまに、めぐらせているのかもしれない。そんな表情を見せてくれるのだ。なのに、やはり大人であるから、<ぼく>に対しての余裕を感じさせてもいる。それが、これまでの日々の積み重ねなのか、血のつながりというものなのか、母というものなのか、わたしには計り知れない部分ではあるのだけれど、親子という関係のあたたかさを見せられ、魅せられた気がしてならない。あからさまにはもう、口にすることのなくなった“キライ。”が、いとしい言葉に変わる瞬間がここにあるように思う。

4894232618ぼく おかあさんのこと…
酒井 駒子
文溪堂 2000-05

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2006.03.19

金曜日の砂糖ちゃん

20050314_023 あなたが少年だった頃。わたしが少女だった頃。少年として、少女として、確かにも曖昧にも幻想的にも刻まれた記憶というものがある。そして、そこにいつも寄り添うようにして横たわる闇というものがある。懐かしくもいとおしいそれらのことを思い出させるような、酒井駒子著『金曜日の砂糖ちゃん』(偕成社)は、なんとも繊細で美しい佇まいの本である。絶妙な色づかいで描かれる、異国の匂いを放つ少年少女たち。思わずつんつんしたくなる頬は、ぷっくりとしている。そして、ほのかに染まってもいる。小さな瞳は、大人以上に憂いを含んで、何かを言葉少なに伝えてくるよう。多くを語らずとも、さまざまに何かを思わせる物語は、表題作「金曜日の砂糖ちゃん」と「草のオルガン」「夜と夜のあいだに」の3つを収録。

 まずは「金曜日の砂糖ちゃん」。あたたかな午後に眠る女の子“金曜日の砂糖ちゃん”を一目見ようと、いろいろなお客さんがやってくる物語。その中でもカマキリは、無防備な女の子を守ろうと鎌を振り上げて寄り添っている。じっと。ずっと。カマキリの思いは、狂おしいほどに切実だ。でも、女の子はそれを知らない。“金曜日の砂糖ちゃん”なんて呼ばれていることも、知らないのではないだろうか。カマキリの思いは一方通行。女の子の眠りとは、この先もずっと交わることはないのかも知れない。それでもきっと、女の子が去ってもずっと、カマキリは女の子を思っているに違いない。女の子を守ることが使命なのだと、思い続けるに違いない。カマキリの姿が美しく感じられたわたしは、振り上げられた鎌の先に、いとおしさを思わずにはいられなくなる。黒と白と、添えられた赤で描かれる絵は、目を奪い、魅せてくれる。

 続いて「草のオルガン」。これは、さみしいことやつまらないことを抱えた男の子が、知らない道をとおって帰る物語。いつもと同じ道をとおりたくなくなる。なんとなく寄り道をしたくなる。そういう思いは、きっと少年だった頃や少女だった頃に多くの人が持ち得たもの。それも、友だちを連れ立ってゆくのではなく、たった一人きりの帰り道でのこと。小石やら空き缶やら、そんなものを蹴飛ばしながら気を紛らせつつ、ふと目を止めてしまうような、“入るな危険”だとか“立ち入り禁止”なんていう領域は、なんとも魅力的に映るものだ。そこは、さっきまでいた場所とは時間の流れが違う。漂う雰囲気が違う。そわそわとどきどきと、うきうきとどきまぎと。少年と少女しかいられない空間のよう。けれど、時はあまりに残酷だから、遅かれ早かれ、現実に引き戻されてしまうもの。大人って狡い。

 最後に「夜と夜のあいだ」。これは、色気ある女の子の夜を描いた物語。小さな女の子が、見よう見まねで母親のすることに興味を持つ。そんな時期に、女の子誰もが経験するような夜の出来事。それを、幻想的な余韻を残していつまでもどこまでも続いてゆくように描かれているところが、なんとも素敵に心憎い。そういえば、わたしの場合は、サーモンピンクのマニキュアだったなぁ。重箱のように何段にもなった裁縫箱だったなぁ…除光液のツンとした匂いと、いくつもの縫い針をなくしたことで、あまりにも簡単に母に見つかってしまったけれど。特に、針を足の裏で踏むと、体の中に針があっという間に入り込んで、脳までめぐって死んでしまう…そんな恐ろしいことを言われて、ずいぶんと眠れぬ夜を過ごしたわたし。無垢な少女でありました。

4039652401金曜日の砂糖ちゃん (Luna Park Books)
酒井 駒子
偕成社 2003-10

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