46 星野智幸の本

2009.06.02

水族

20090529_041 哀しみが横たわる。やわらかな雰囲気の中にも、哀しみは横たわる。横たわった哀しみに寄り添いながら、わたしにはなすすべもなく、ただただ立ち尽くすように読み耽る。彼の哀しみを人類の哀しみを、そしてわたしの哀しみを含んだ物語には、僅かながら希望が見える。けれど、果たしてそれを希望と呼んでいいものか迷ってしまう。あまりにも哀しみや憂いを含んだそれを、希望と言っていいものか、と。星野智幸著、小野田維画『水族』(岩波書店)。“文学とビジュアルが切り結ぶ、おとなたちへの贈り物”と題されたCoffee Booksのうちの一冊である。幻想的でほんのりグロテスクな画と文学との見事なコラボレーション作品である。このシリーズを読むのは3冊目。そのどれもが何とも美しい。

 主人公の雨利(あまり)は、動物園の一角にある湖底に設置された六方ガラス張りの部屋に住むことになる。表向きは監視員という名目で。人よりも劣っていると自分でも認識している彼。そんな彼が休日のたびに出かける地上は、植物が雨林のように繁り、建物がある地上は半地下のようなありさ様。地上は水浸しという様相である。物語が進むにつれて、彼がなぜそのような生活を強いられるようになったのか、地上がどうなろうとしているのかがわかってくる。そして、読み手は彼の哀しい運命や人類の進化の過程を思って、ほろほろとなる。わたしたちはいつからどうしてこんなにも傲慢にも狡猾にもなってしまったのか…と。ほろほろとなりながら、わたしは何かを堪えねばいられなくなる。

 抽象的ながら近未来を描いたSF風のこの物語は、さまざまな問いかけをしているように思う。環境問題、人間の残忍さ、そして現実を痛烈に批判し風刺したかのような設定。主人公の哀しさは、わたしたちの罪でもあると言わんばかりに。彼がなぜそうした生活を送らねばならなかったのか、地上で起こっていることとは一体何なのか、今後の地上はどうなってゆくのかはさておき、人間がもしも水の中に生活するようになったのならば果たしてどんなふうだろう…というイメージがさまざまに広がってゆく物語でもある。わたしたちが今見ている景色、そして今ある水中…それらが一緒くたになって生きるこの世界が何だかとても不思議に思えてくる。そして、今の生活をとてつもなく愛おしいと思う。

 物語の終盤には、主人公を脅かす影がちらちらとかすめるのに、描かれる時間ははじめと変わらずゆったりとした佇まいをしている。けれど哀しみが横たわることに変わりはない。やわらかな雰囲気の中にも、哀しみは横たわるのである。横たわった哀しみに寄り添いながら、わたしにはなすすべもなく、ただただ立ち尽くすように読み耽ることしかできない。彼の哀しみを人類の哀しみを、そしてわたしの哀しみを含んだ物語には、僅かながら希望が見える。けれど、果たしてそれを希望と呼んでいいものか迷ってしまう。あまりにも哀しみや憂いを含んだそれを、希望と言っていいものか。悲しみの中にも希望を見せるラストの場面では、思わずぐっと堪えてきた何かがわたしの中から飛び出した。

4000281747水族 (Coffee Books)
星野 智幸
岩波書店 2009-01

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 ≪星野智幸の本に関する過去記事≫
  ・『われら猫の子』(2006-12-03)
  ・『在日ヲロシヤ人の悲劇』(2006-10-30)
  ・『アルカロイド・ラヴァーズ』(2006-03-06)
  ・『目覚めよと人魚は歌う』(2006-02-28)
  ・『虹とクロエの物語』(2006-02-17)


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2006.12.03

われら猫の子

20050509_44045 心の奥底でもどこでもいい。ぽっかり空いた空洞を、埋めてくれるものがあるのなら。虚無感と孤独を少しでも和らげてくれるものがあるのなら。タスケテと、声なき声をあげることがないように。ほんのりと。一瞬でも。満たされる時があったらいい。星野智幸著『われら猫の子』(講談社)を読みながら、わたしはそんな思いを抱いた。心の中の空白や闇、違和感。それらを感じさせる十一もの短編は、どれも自分自身と向き合わされる作品ばかりである。それは、家族であったり、性的なことであったり、人と人との関係性であったり。そこに横たわる違和感というものに対して、ひどく虚しさを感じるわたしがいる。孤独をずくずくと疼かせる何かが、確かにあったのだった。

 表題作「われら猫の子」。これは、猫に救われる話とでも言うべきか。小道具としての猫の存在が、なんとも効いている物語である。ありふれた男女の生活を描いているように思わせつつ、そこに深く根ざすのは、心の中の葛藤だ。本当の意味での、自分の意思。それがどこからくるものなのか、不思議なくらいストレートに悩み出す二人がいる。思えば意思などというものは、必ず何かしらの影響を受けているものである。本当の本当に、自分自身だけで決められることなど、探してみればどこにもないのかもしれないのだ。何らかのきっかけで。何らかを介して。何らかの瞬間に。はたと気づいて呆然となる。わたしとは、何によって動かされているのか。わたしの意思そのものの根源はどこか、と。

 続いては、「ててなし子クラブ」。ここでは、心の中の空白について考えさせられることになる。父親の亡くなった仲間たちだけで、擬似的な父親話をするというクラブを作り、そのクラブの破綻までが描かれる物語である。彼らが繋がっているのは、父親の不在という点だけである。自分自身のことを語るわけでもなく、ただあたかも父親が存在しているかのように、彼らは父親についての話だけをするのだ。やがて解散し、恋人同士になった二人だけの関係になるわけだが、自分自身について語ってこなかった二人には、父親の不在以外の結びつきがない。それが、なんだか無性に哀しくて切なくて、同時に愛おしい。歪んだ別れというものが、いつまでもじわっと残る印象的な作品だった。

 最後に好きだった作品「砂の老人」を。細かく砂粒で書かれている分厚い本の存在をめぐって、不死の老人と出会う物語である。その名も、ホルヘ・ルイス・ボルヘス。あのボルヘスである。ボルヘス三世と一緒に、彼の故郷に向かうことになったホシノ。そして聞かされる。本には、“始めもなければ終わりもない”と。そして、“世界には一冊の無限の本しかない”と。その言葉の重みと虚しさに、著者同様わたしも愕然となる。砂のごとくにこぼれ落ちる何か。そう、自分が自分である必然性も何もないことに気づいて。いくら文字を書き連ねたとて、届かないものがあることに気づいて。書くという作業の虚しさと孤独を思って。けれども、それが人間たるもの。そう思うのだった。

4062136953われら猫の子
星野 智幸
講談社 2006-11-10

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2006.10.30

在日ヲロシヤ人の悲劇

20050227_44019 自己が侵食されてゆく。少しずつ、じわじわと。これは、わたしの思考なのか。はたまた、どこかでの受け売りか。影響されやすいわたしは、ときどきそんな混乱の中で、息苦しくなる。星野智幸著『在日ヲロシヤ人の悲劇』(講談社)を読みながらも、やはりその息苦しさはわたしをしばし、混乱させた。いわゆるインテリ一家の崩壊。政治小説とも、家族小説ともとれるこの作品は、あまりにも悲劇的な作品である。人々は皆、どこかしらにおいて自滅への道を選び、自己というものを見失っている。いや、それを知りつつも、見えない振りをして避けようとする。自分自身から。他者から。すべてから。そうして消えゆく自分というものに、酔いしれるかのごとく死を予感している。確かに感じている。

 リベラルだったはずの放任主義の父親。夫への怒りをためこんできた母親。過激な右翼に染まる娘。独自の左翼を名乗る息子。1つだった家族は、本当は空っぽで、父親は娘に属するかたちで寛大な親を気取っていた。それに対して狡さを感じつつも耐えてきた母親は、娘にかまける夫への怒りを感じ続けていた。それを見ていた息子は、父親への反発から母親を選択し、自らの道をゆく。娘は自分にとって都合のいい父親を選択し、どんどん右翼の深みにはまってゆく。そして、2つに分かれた家族は、母親の自殺によりさらに険悪なものへとなってゆく。和解したかと思わせつつも、その距離は埋まらない。家族というものが、こんなにもあっけない存在であることに、恐怖すら感じてしまう展開だ。

 物語は、右翼に染まった娘である、好美のハンストによる死を描く。家族らの独白という形式で語られるわけだが、政治や思想というものに無頓着なまま生きているわたしには、そのそれぞれの言い分が、どうも釈然としなかった。けれど、伝わってくるのは、自滅へと向かい、それを恐れていないということ。いや、むしろ、それを喜んで受け入れているということであった。娘亡き後の父親は、自分が娘と同じ役割を果たすことで自分を見出そうとし、母亡き後の息子は、母を葬りつつも祀って生きようとしている。それはまるで、同化して共にいる錯覚のようでいて、同じ末路をただたどっているように思えてならない。まさに悲劇の連鎖である。そこには愛情の欠片は、見あたらない。

 “相手の姿は自分の姿、相手の言う言葉は自分の言葉”物語の後半部分で、そんな思考をめぐらす好美の姿は、とても痛々しく胸に響く。それは、彼女に対する肯定でもなければ、否定でもない。ただ、死を身近に感じながら、周囲からの悪意をも感じながら、死にゆくという悲劇がなんとも切なかったのだ。今置かれている状況と過去とが入り混じって交錯するその思考は、自分の死後の家族の姿をも予感していた。そして“お互いが誰かを写し合っている限り、死ねない”とまで思うのだ。自分の無意味さ。そこにすら意味を見出した部分には、なんとも言えない感情がよぎる。こんなにも寂しくて苦しい生きざまに。こんなにも、もがき足掻いた生きざまに。彼女の死に。安易に死を選びがちな、この世の中の今にも。

4062129515在日ヲロシヤ人の悲劇
星野 智幸
講談社 2005-06

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2006.03.06

アルカロイド・ラヴァーズ

20051104_038 今、目の前にあるように思える現実と、夢とも過去とも幻想とも見分けのつかぬものの交錯する、星野智幸・著『アルカロイド・ラヴァーズ』(新潮社)。それは、私にとって、とてつもなく引き込まれる物語世界で、その匂い立つ毒と放たれる言葉に浸っているのが、なんとも心地よく感じられた。そこに横たわる意味合いが、今いる自分の地点への安住ゆえのものなのか。今生きる時間、1つ1つの瞬間すべてが余生ゆえのものなのか。それとも、ただ物語に寄り添ったつもりになって、登場人物に同化してしまったゆえなのか。描かれている楽園(パラデイソ)の方が、現実よりも色濃く思えてしまうのは、きっと私の思考の配線のゆるみと混乱のせいだけではない。だって物語に導かれてゆく思考は、いびつに歪んで戸惑いつつも、あまりに愉快なのだから。

 自分の部屋が燃えていることに高揚して、懸命に走る咲子。そんな場面から、物語は始まる。部屋にいるはずの陽一が、腐れ縁のベンジャミンが、燃えゆく様を思って“ブラボー”なんて喜ぶ理由。物語は、そこに至るまでの経緯を丁寧に追っている。咲子の部屋の窓際には、無数の鉢植えの植物がある。“いざというときの非常食”という表向きの口ぶりは、陽一からの34歳のプレゼントであるベンジャミンに乱される。細い3つの幹を編むように絡ませたベンジャミンに想起される、人の首。それも、楽園にいた頃に愛し合ったサヨリが、目を閉じてうつむき、青ざめている首に。生い茂る葉は、ショートカットを毛羽立てたサヨリそのもの。不気味である。恐ろしい光景を思わせる。けれど引き込む。

 咲子の言う楽園。夢とも過去とも幻想とも見分けのつかぬそれは、何度も繰り返し生き直せる場所。誰かを愛するために誰かになり、その他の邪魔な生を奪いつつも、生まれ直した生を育てる場所である。繰り返される憎悪と欲望に学ぶ者などはおらず、似たような過ちの中で似た生を繰り返し、ただ愛のままに生きて死ぬ。そして、再び生まれる。そんな楽園を追放されて罰を与えられた咲子は、落とされた地で、かつて愛したサヨリの首に出会ったのだ。そして、ちらりと存在を主張する楽園にいた者の姿が、咲子の罪深い行いを思い出させ、今ある生というものを、償いとしての余生だと信じ込ませる。そして、そんな生き方の中に、道連れのごとく陽一を引き込んでいる。だから少しずつ、毒を盛っていたのでしょう?

 と、ここまで勝手な解釈をあれこれ並べてみたけれど、物語のどこに着目するかは人それぞれなのだと思う。陽一という存在はあまりにも曖昧であるし、そもそもその素性は怪しすぎる。役所勤めをしていたことくらいしか、確かなものはない。咲子に飲まされる薬らしきモノの正体にだって、気づいているのに従い続ける。また、自分を詩人だとか作家だとか名乗る男や、咲子が最期の身を委ねる<わたし>だって、あやふやな存在だ。もしかしたら、ベンジャミンだけが確かなのか。その生命力、その佇まい、その逞しさ。植物にみなぎる力に負かされたくない。どこからなのか、そんな思いがじわじわと広がってゆく。曖昧な私も、ほんの少し、確かなものになるならば。

4104372021アルカロイド・ラヴァーズ
星野 智幸
新潮社 2005-01-26

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2006.02.28

目覚めよと人魚は歌う

20050228_008 落ちるところまで落ちないとダメな人、というのがいる。ギリギリまで追い込まれないとダメな人、というのもいる。そして、そういう状況に自分を置かなければダメな人、というのがいる。私は、間違いなくこれらをすべて満たす者で、それゆえに、壊れた愛の記憶に取り憑かれている女性と、日系ペルー人の宿命に追い込まれている男性を描いた、星野智幸・著『目覚めよと人魚は歌う』(新潮文庫、新潮社)にひどく心を奪われた。記憶が幻想的に蘇り、現実との境界を曖昧にするのが、なんとも心地よく、私の中に刻まれたいくつもの記憶の断片をも疼かせた。痛みを覚えるほどの疼きは、紛れもなく私を奥底に追い込むような類のもので、答えのない問いを繰り返し響かせた。物語に追い込まれているのか、自分自身に追い込まれているのか、奇妙な感覚が駆けめぐっていったように思う。

 物語は、日常からかけ離れたような、逃避にはもってこいの場所で展開する。世の中の流れからも、人々の喧騒からも、ぽつりと取り残されたような場所。この世の果てか。それとも、この世の中心か、はじまりか。ススキ野原と赤砂漠に囲まれた家は、そんな光景を思わせる。そこで暮らすのは、そんな地の墓守の丸越(まるこし)と、丸越を頼って生きる屍と化して暮らす糖子(とうこ)。そして、糖子の息子である蜜生(みつお)。そこに加わるのは、ある事件から身を隠すために、友人のネット仲間を通じて辿り着く、日系ペルー人のヒヨ(ヒヨヒト、日曜人)とその恋人のあなだ。糖子とヒヨの内的世界を中心に描かれる物語は、微妙で絶妙な関わりを見せながら読み手をぐいぐい引き込んでゆく。

 描かれる魅力的な部分は、深刻でありながらもなかなか現実味帯びてこない内的世界と、非現実的なのにもかかわらず生活臭を放つ外的世界の対比。このあべこべさが面白い。具体的に言えば、登場人物たちの会話がいいのだ。嫌味たっぷりに刺々しいかと思えば、性的な意味合いを含んだ誘いに変わり、やわらかかと思えば、突き放したような他人行儀になる。特に、糖子の口調が印象的で、彼女の内面に疼いている感情が大きく揺れ動いているのを伝えてくる。そして、それを確実に感じ取っている繊細な心の動きを見せるヒヨ。彼女を無き者として佇む息子の蜜生の存在も際立つ。楽観的に振る舞いながらも、親しみをわかせる照れと格好悪さを持つ、丸越とか。さりげなく“あなるちゃん”と呼ばれてしまう、あなとか。

 読み終えてから疼く思いはいろいろあれど、一番の驚きは、物語に描かれていたのがたったの3日間だけだったということ。閉鎖的な場所で、奇妙な疑似家族が存在したのがそれほどまでに短かったのが意外だった。それは、ここからここまでが1日目ですよ、みたいに明確でないゆえ。人と人とがあまりにも親密に関わり合っていたように思えたゆえ。そして、私が短い物語を何日もかけて楽しんだゆえなのだろう。ある人によれば濃密。ある人によれば窮屈。私には濃密で心地よい窮屈。過去と今と、これから先にある何もかも。すべての後悔と反省とエゴを根こそぎに。確かに消えない痕跡を残す物語は、しばらく余韻となって疼くに違いない。もっともっと、星野智幸の作品を読まなければならなくなってしまった。

4101164517目覚めよと人魚は歌う (新潮文庫)
星野 智幸
新潮社 2004-10

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2006.02.17

虹とクロエの物語

20050906_142 まばゆい光りの中で、脳裏に浮かび上がる記憶。確かに共に過ごしたはずの日々は、あまりにも淡くて曖昧にそこに在る。手を伸ばせば届きそうなくらいに近いのに、やはり遠くに在る。もう戻れない。でも、ひょっとしたら何らかのカタチで、すぐそばまでは近づけるかもしれない。例えば、“戻る”ではなくて“はじまる”というカタチで。“懐かしむ”ではなくて“過去の延長線上にある今を感じる”というカタチで。星野智幸・著『虹とクロエの物語』(河出書房新社)は、そんな思いを抱かせる作品である。20年前、少女だった虹子と黒衣(クロエ)の濃くて特別な二人の時間。そして、20年後のそれぞれの時間。それに関係する、無人島で暮らす男性。20年間を生まれおちることなく、胎児のまま生きている存在の<わたし>。それらが絡まり合い、1つの物語を成している。

 物語は、胎児の回想からはじまる。生命力に満ちているわけでもなく、世界を知りたいと思うわけでもなく、20年もの間、我が身のおかれている状況を受け入れている胎児である。そこに響く音。そして痛み。時間の流れのままに意識しはじめたものに従い、そこに“在る”のだと信じている。<わたし>の意味は。<わたし>の仕組みは。<わたし>は誰か…問いかけ続けている。どこにもおさまることのないその存在は、何者でもない。同時に何者でもある、不可思議なもの。何者にでもなり得るゆえに、踏み止まっているのか。安住しているのか。外側なのか内側なのか、あまりにも曖昧になった世界から伝わってくる情報は、そこに居続ける胎児を揺さぶるほどの力はない。だから生まれない。だからそこに“在る”のだろうか。わからない。だからこそ惹かれる。

 虹子とクロエの出会いは、ちょっとした悪戯のようなものだ。一瞬のやり取りにして結ばれ、強く深く根をはった。そんな関係である。周囲よりも一足先に大人に近づいた二人は、その世界を自らの方法で築きあげ、ふいに足下に転がってきた1つのサッカーボールが、それを確固たるものにする。球を蹴り合う。それによってもたらす会話、感情、リズム。二人だけの言語が、そこにはあった。けれど、そんな日々が永遠に続くはずはない。少しずつのすれ違いは、二人をどんどん遠ざけてゆく。憎み合うわけじゃない。強く軽蔑し合うわけじゃない。口先だけの言葉を真に受けるほどの、弱い結びつきのはずもない。お互いを知りすぎている。知りすぎているゆえに、きっかけは些細だ。積もりに積もれば、些細なものはそれでなくなる。

 物語には、世の中に対する風刺のようなものも読みとれる。虹子とクロエは、サッカーというよりも、“球蹴り”に夢中な少女時代を過ごした。クロエと離れた虹子は、その頃に軽蔑していたはずの、にわかサッカーファンになり下がってしまう。それも、卑屈なまでのシンクロを武器に。“中田こそは私に応えてくれる”とか。“その無限の可能性に釣り合うのは私だけ”とか。自分の愚かさには気づいている。でも、そうならざるを得ない何かが虹子を捕らえるのだ。虹子をそう動かすのは、クロエだろうか。世の中だろうか。それとも彼女自身だろうか。20年もの歳月は、そう簡単に答えは教えてくれないのだ。でも、いい。誰かの記憶は、別の誰かの記憶を呼ぶに違いないから。

4309017436虹とクロエの物語
星野 智幸
河出書房新社 2006-01-06

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