67 白水Uブックス

2008.02.03

レクイエム ある幻覚

200502077_998014 いつ果てるとも知らぬ長き日は、わたしたちを道連れにする。誘われるままに進みゆけば、そのあまりにも密度の濃い追憶に圧倒され、呑み込まれてしまうのだ。たかが十数時間。されど十数時間。呼んだのか、呼ばれたのか。時間軸のねじれの中、この世の者ともあの世の者とも区別のつかぬ者たちと出会う旅は、逃れようもない今日という日、変えようもない己の運命とやらを、まざまざと見せつけてくるようでもある。そうして見えてくるのは、追憶の中に眠るわたしたちの過去である。いつしか向き合わねばならないそれは、今いるところから前進するために必要不可欠な一歩に違いなく、その助けとなるのが、ある者との対話だったのだろうと思い当たる。

 アントニオ・タブッキ著、鈴木昭裕訳『レクイエム ある幻覚』(白水Uブックス)は、主人公である<わたし>がある偉大な詩人と出会うまでの長き一日を描いた物語である。じりじりと照りつける太陽の下、じっとりと背を流れる汗をふきふき、待ちぼうけをくいながら、リスボンの街をさまようようにして歩き、様々な人々と出会い、別れ、その端々で追憶に耽る。死んでしまった友人や恋人、若き日の父親、ジプシーの老婆など、その数は23名にもなるから驚きである。<わたし>に纏わる数々の者たちの声に耳を傾けながら思うのは、誰もが語るべき何かを持っているということだった。とりわけ、模写画家との対話はとても興味深いものがあった。

 模写画家は語る。“わたしたちのなかで眠っていたものが、ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、わたしたちがそれを手なづけるすべを身につけることによって、ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない”と。これには、なるほどと頷いていた。まさに過去とはこういうものではないかと思うのだ。模写画家がこの世の者なのか、あの世の者なのかはわからない。だが、少なくとも逃れようもない過去を持っている者であることはわかる。そうして、改めて思う。追憶に眠る過去との、上手な付き合い方を。どうにかして向き合う、心の強さを。いつしか物語は、鎮魂曲としてわたしたちを包み込む。

4560071306レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
Antonio Tabucchi 鈴木 昭裕
白水社 1999-07

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2006.11.05

遠い水平線

20050706_99014 わたしはめぐる。ゆるやかにめぐる。物語をそっと手繰り寄せながら、うずく遠い記憶を思って。今ある痛みを思って。追いかけているはずの物語に呑み込まれる心地に、深く酔いしれながら。嗚呼、そうそう。そうなのだ。わたしはこれを待っていたのだった。そう思わせるものが、アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳『遠い水平線』(白水Uブックス)には描かれているのだ。特に、その視点。つまりは旅人の目である。訪れたこともない異国の地。物語を読みながら、わたしはいつのまにか、旅人の目を持っているかのような錯覚に陥ったのだった。ページをめくればその視野はさらに深まり、わたしの思考をさまざまに豊かにしてくれる。そんな感覚に、わたしはただただ、酔いしれていたのだと思う。

 物語はある夜、死体置き場に運び込まれた、身元不明の他殺死体を核として展開してゆく。その身元不明の死体に深く魅せられた、死体置き場の番人であるスピーノ。彼が、死体の正体を探るべくして、亡くなった男の生をたどりはじめるのだ。周囲は1人の男の死をなきものとしているのにもかかわらず。新聞社の友人も半ば呆れるほどの執念を感じさせる、スピーノの探索。彼がなぜそこまで、ただ1人の死体に対して懸命になっているのか、その謎はきっと、スピーノ自身の生い立ちに関係しているのではないだろうか。彼曰く“人生の倉庫”である死体置き場という場所。そこにおける自分なりの役割というものを、彼は見出そうとしていたのかも知れない。わたしには、そう思えてならない。

 スピーノ。彼はかつて、将来を期待されていた存在であったらしい。恋人のサラがもらす愚痴の中には、彼が学士号を取り損ねたことや、夢見ていた未来のかたちなるものからかけ離れてしまったことを感じ取ることができる。死体置き場の番人というところに身を置いているスピーノ。その穏やかながらも、彼の抱く闇を隠しきれないでいるのは、きっとそこからくるものなのかもしれない。彼はじっと思索に耽る。生者と死者との距離について。つまりは、死んだ途端に、もの扱いされて番号で分類されてしまうことについて。それほどまでに、生者と死者との距離は大きいものであるのかと。そして、存在しているすべてものに、たった1つでもいいから、例外が許されてもいいのではないか、と。

 例外。スピーノが思うのは、死者だけに対する例外だけではないだろう。延期や忘却といった類の、具体的ながら多くの意味合いを含んだ言葉で思索に耽りつつも、やはり、自分自身について考えていないはずはないと思うからだ。かつての自分が手にするはずだったもの。もう少しで、手が届くはずだったもの。そういうものについて、後悔せざるを得ない生き物が、悲しいかな、人間というものであるから。あっけらかんとしていたって、どこか悔しさがじんわりと残っているに違いない。それが不本意なかたちであればあるほどに、その悔しさは闇になる。闇になって深く心に刻まれる。知らぬまに、漂ってしまう。その人となりを表す、雰囲気として。だからきっと、わたしも物思いに耽るのだ。

4560071152遠い水平線
アントニオ タブッキ Antonio Tabucchi 須賀 敦子
白水社 1996-08

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2006.03.22

カモメに飛ぶことを教えた猫

20050721_109 同類と共に暮らし、接するのは容易い。異なる者を排除するのではなく、認め合い共に生きることは、それ以上に困難だ。私たちが求めるのは、気の合った仲間だとか趣味趣向が似通った同士だとかであることが多くて、異なる主義主張や文化、人種というものを乞うことであることは少ない。ルイス・セプルベダ著、河野万里子訳『カモメに飛ぶことを教えた猫』(白水Uブックス、白水社)は、そんなことを気づかせてくれる物語である。人間の犯した過ちゆえに瀕死の状態に陥ったカモメの3つの願いを守るために、猫のゾルバは仲間たちと共に奮闘する。港の猫の名誉をかけて、展開されるユーモアあふれるさまざまな試みには、読み進めながら何度もはっとさせられる。

 世の中に対する強い好奇心から、母猫や兄弟たちと離れ、一人の信頼できる少年と出会った黒猫のゾルバ。5年もの友情を確かにしていたゾルバは、夏休みの2ヶ月間少年といられないことに満足げでもあった。エサとトイレは、少年の家族の友人が世話してくれるのだから。そんなゾルバのバルコニーでのまどろみをうち破ったのは、瀕死の1羽のカモメ。黒い死の波に襲われて、やっとの思いで辿り着いた先がゾルバのいるバルコニーだったのだ。カモメが願ったのは、これから産む卵を食べないこと。ひなが産まれるまで、その卵のめんどうをみること。ひなに飛ぶことを教えてやること。黒い死、それは海の呪いである原油。ゾルバは、カモメを助けるすべを求めて仲間のもとへ向かう。

 ゾルバの仲間というのは、なんとも個性的。年齢不詳の不思議な助言能力のある、大佐。それを絶妙にフォローする、秘書。さまざまな知識を備え百科事典を読みこなす、博士。彼らは、一匹の猫の問題をすべての猫の問題として全力を注ぐのだ。大佐と言っても、博士と言っても、それはあまりにまどろっこしく危なっかしいのだが、最高の善意から最悪な事態を引き起こすような人間よりも、はるかに人情味あふれているように感じられる。物語で展開される不幸は、人間がもたらしたもの。それでも彼らは、自分の信じる人間という存在を心得ているし、どんな人間が寄り添って力になってくれるかを見極めることもできる。猫としての守るべき掟というものを破ってまでも。

 物語を読みながら、猫という生き物の存在が高貴に思えてくる。猫は知っているのだ。人間が自分と異なるものが自分を理解したり、互いに理解し合おうとしたりすることを素直に受け入れられないと。だからこそ、守り心得ている掟があるのだ。そして、読み手である私は学ぶ。自分と異なるものに心を寄せること、同類の中に慣れすぎてはいけないこと、他者を受け入れる心の余裕を残しておくべきことを。そういうことを軽視して、寄り添ったつもりにならないことを。ゾルバや仲間たち、彼らの信じた一人が見上げるハンブルクの夜空。そこを自由に舞う1羽のカモメの姿を思って、心の底から願い、全力で挑戦する大切さを忘れずに刻みたくなるのだった。

4560071519カモメに飛ぶことを教えた猫 (白水Uブックス)
河野 万里子
白水社 2005-11-15

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2005.12.17

インド夜想曲

20050830_147 散りばめられたいくつかのエピソード。それらを丁寧に紡ぐように、ある1つの物語が展開する、アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳『インド夜想曲』(白水uブックス)。良質なミステリーの要素を含みながら、読み進めるほどに謎が深まってゆく。インドで失踪した友人を捜して、ボンベイ、マドラス、ゴアを旅するイタリア人が主人公。彼が様々な場所で出会う人々の奇妙さとその言動から、インドという国の魅力に強く引き込まれていく。この物語がただの人捜しでもなく、ただの旅行記でもないこと。彼が訪ね回る場所というのが、必ずしも失踪した友人の行き先でもないこと。ならば、彼はどうしてこの地を巡るのだろう。それらの問いを抱えながら、私は物語に浸った。

 主人公が捜しているのは、シャヴィエル・ジャナタ・ピントという男である。貧困がひしめく地で、男の傍にいた女性の手紙を頼りに。男が病気になったということ、何かの神智学協会との繋がりがあったということ、彼女が語る恋物語と共にいくつもの情報を得て、それを辿ってゆく。順に。転々と。それがもしもインドでなかったのならば、主人公の追跡はもっとスムーズに男に向かっただろう。そのすぐ近くまで。男の肩をぽんと叩くほどに。けれど、主人公には男を示すもの(例えば写真)が何1つないばかりか、男を正確に描写する言葉もない。そして、男の名はいつの間にかシャヴィエルですらなくなるのだ。主人公が捜しているのは誰なのか。その目的は何なのか。

 それから、物語に登場する人々について。まず、病院で主人公が目にする病人のしもの世話をするアンタッチャブル。彼らの存在は、此処が異国であるということ、階級制度のあるインドという地を印象深くする。様々な文化や宗教が溢れ、それとわかる身なりをしている者、それについて議論をもちかける者がいる。おそろしい形をした過去も未来も見えるという、アーハントを背負う少年がいる。アトマン、カルマ、マーヤー、個々の魂や幻影、そういうものの定義するところ、私たち人間を形づくるものたち、そういう話はやはりインドという地を強めてゆく。物語の舞台として此処が選ばれた意図を、あれこれと思い巡らす。そう、主人公がこの国を巡るのと同じように。

 この物語の冒頭には、不思議な文章がある。“これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している”と。この文章を頭の片隅に置いた状態で物語を読むものの、文章が示す意味がよくわからない。最後の最後になって、その意味を自分の中で解釈できるのだが、多分それはミステリーの謎解きのように“これ!”というものではないように思えてならない。少しでも荒っぽく扱ったら壊れてしまいそうなほど繊細で、なおかつ曖昧な、そんな答えであるように思うのだ。浮かんできたその答えをいつまでも味わいながら、自分だけの余韻として残す。きっと、それが私なりのこの物語の結末なのだ。

4560070997インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
Antonio Tabucchi 須賀 敦子
白水社 1993-10

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