66 Modern&Classicシリーズ

2006.12.08

エルサレムの秋

20050721_44017 二つの思いの狭間で揺れることがある。例えば、好意と嫌悪の狭間で。愛おしさと憎しみの狭間で。喜びと悲しみの狭間で。そこには、蠢き始める感情に逆らうように、何でもない素振りを見せようとする偽善的な人間の姿がある。いや、誰もが皆、偽善的に生きていると言った方がいいかもしれない。それほどまでにわたしたちは自分の本性を隠して、当たり障りのない言動を繰り返しているのだから。道徳という名の下に。大人という身分ゆえに。さらけ出すことの危険を知っている者たちだけが生きやすい、この世の中。そういうものに慣れっこになっている、わたしたちがいる世の中。いや、慣れっこになっている振りをしている、わたしたちがいる、のだと言った方がいいと思う。

 アブラハム・B・イェホシュア著、母袋夏生訳『エルサレムの秋』(河出書房新社)を読みながらめぐらせたわたしの思考は、揺れに揺れ蠢いた。それは、相反する二つの思いがあまりにも人間的で、その心理をしかと捉えていたからである。これまで様々な書物を読みあさってきたわたしにとって、この作家の作品はある意味衝撃とも言える。確かにある現実と、遠くにある過去。そして、淡い未来。また、過去を巻き込んでめぐらされる思考。その絶妙なバランスが、はじまりからおしまいまで途絶えることがなかった。抑制の効いた文章の中に、頻出する詩的な描写はひどく心を掴まれるし、未知の国であるイスラエルという国についての想像を良くも悪くも、掻き立てられた作品であったから。

 表題作「エルサレムの秋」には、かつての愛した女性の子どもを三日間だけ預かる男性の、複雑に揺れる心理が描かれている。彼は、キブツ(集団農業)を去り、エルサレムで高校教師をしながら、大学の卒論に奮闘している男である。女性とその夫は、半ば強引に大学の入学試験の間だけ幼子を預けてゆく。しかも皮肉なことに、その幼子はかつて愛した女性にそっくりなのだった。彼は、幼子の扱いなど何も知らず、甘やかしては痛めつけるようにして、報われなかった愛と、その復讐との狭間で揺れ蠢くのである。その心理を追ってゆけばゆくほどに、彼の孤独感はあまりにも痛切に胸に響いてくる。言葉や気持ちや行動など、それらが不毛なほどに痛々しくも、どうしてか不思議と清々しいものとして。

 他に収録されている「詩人の、その絶え間なき沈黙」では、既に筆を折った老いゆく詩人と、その境界線上にいる息子との日々が描かれている。老いてからできた息子ゆえに、詩人は自分の死を予期し始めているかのように思われる。息子は十七歳になってようやく、小学校を卒業するわけだが、ある授業で父親の詩が取り上げられたことにひどく心躍らされてしまう。そして、父親をせき立てるように、詩を書く真似事を始めてしまうのだ。言葉を捨てた父親の悲哀と、言葉を持とうとあがく息子の姿。その対比が、なんとも切ない。やがて、老いゆく父親は旅立ちへと向かう。それでも、最後まで息子を案じて、旅立とうと決意させたものを思うとき、さらなる物語の深みを感じずにはいられない作品である。

4309204678エルサレムの秋
アブラハム・B・イェホシュア 母袋 夏生
河出書房新社 2006-11-08

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2006.07.31

口ひげを剃る男

20060723_002 これは狂気の物語なのか。ただの利己主義の物語なのか。それとも、夢と現実の狭間で不安定に揺れ動く、長くも短い男の願望の象徴か。エマニュエル・カレール著、田中千春訳『口ひげを剃る男』(河出書房新社)という作品の解釈は、極めて困難だ。一人の男の主観で語られる物語は、ただ一人きりの、一方通行の思考である。読むほどにその主観を共有する読み手は、男と共に苦悩し、いつのまにか男の視線に呑み込まれる。この世界には確かなものなどないということ。最期まで信じられるものなど、あまりにも淡く儚いのだということ。そして、私たち一人一人の主観というものの、あまりの身勝手さ。気紛れに見る。思う。考える。悩む。それに伴う生というものの在り方を、わたしは問われている気がした。突然の眩暈にくらくらとなるほどに。

 物語のあらすじとしたら、説明は簡単だ。主人公の男は口ひげに固執している。5年もの結婚生活の中、ある日ふと思い立つ。今まであったはずの口ひげを剃ろう、と。男としたら、口ひげのない自分というものに慣れていない。もどかしいくらいに照れくさく、妻をはじめ、友人や周囲の人々に口ひげのない自分というものに反応して欲しいわけだ。だが、彼の求めるような反応は何もない。誰もが口を揃えて云うのだ。“もともと口ひげなんてなかった”と。ああ、そうか。これは妻が仕組んだゲームだろう。そう言えば彼女には、黒を白というところがあったっけ…男は妻のゲームに付き合ってやろうじゃないか、そう思うわけだ。だが、なぜ例外であったはずの自分をゲームのターゲットにしたのか…

 彼の思考はめぐりめぐって、妻への愛情と怒りに苦しみ出す。狂っているのは彼女か自分か。病に蝕まれたのは、どちらなのか。口ひげだけに留まっていたはずの話は、他のことにまで及び、疼くような痛みを思わせる。一緒に行ったはずの場所。一緒に過ごしたはずの時間。生きているはずの親の死。二人を繋ぐ絆は、どんどん脆くなってゆく。彼は探偵のごとく、自分の中で様々な仮説を思う。だが、考えれば考えるほどに自分自身の立ち位置は危うくなるばかり。そんな彼が選んだ選択肢は“逃走”。つまりは、妻の陰謀から逃れるための。5年もの、或いはそれ以上の絆。それが壊れる様というのは、あまりにも悲しい。誰かを疑うという行為もまた、あまりにも虚しい。きっかけが“口ひげ”だということが、さらに切なさを呼ぶ展開だ。

 たかが“口ひげ”である。されど“口ひげ”でもある。物語は男の思いを淡々と語り続ける。男の寂しく悲しき旅路を。そして、その顛末を。読み手は誰もが迷うだろう。これは狂気の物語なのか。ただの利己主義の物語なのか。それとも、夢と現実の狭間で不安定に揺れ動く、長くも短い願望の象徴か。わからないのだ。どれをも満たしつつ、どこか足りない。そんな気がしてならないのだ。その“わからなさ”を感じた時点で、もう著者の意図にはまってしまった、ということになるのだろう。わたしはこの物語の男の主観になっていた。逃れようもなく、苦悩していた。それはきっと、この物語に魅せられたということ。読み終えて、もどかしいほどに胸が痛いのは、寄り添いすぎた証拠に違いないのだから。そして、この物語、著者自身によって2005年に映画化されているそうだ。願わくば、そちらでもこの男の苦悩に寄り添ってみたいと思う、懲りないわたしだ。

4309204600口ひげを剃る男
エマニュエル・カレール 田中 千春
河出書房新社 2006-06-08

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2006.05.24

小鳥はいつ歌をうたう

20051109_005 言葉は世界を閉ざす。人をも閉ざす。すぐ傍にあると、存在を主張するから。巧みに操る人に、強さを与えてしまうから。いつだってそこに、孤独を生むから。ドミニク・メナール著『小鳥はいつ歌をうたう』(河出書房新社)は、そんな想いをめぐらせる作品だ。読み書きができない母親の<わたし>と、話すことができない娘アンナ。2人の物語は、閉ざした世界にある。言葉によって。言葉あるゆえに。言葉なきゆえに。自らによって閉ざされたもの。それをひそやかに、開こうとする者がいる。それは、救済か。学びか。気づきか。分岐点か。或いは、ただ愛なのか。閉ざし。それを絶対だとか必然だとか思うのは、わたしもまた、閉ざした部分を持つからなのかも知れない。

 物語は、昔話から始まる。<わたし>に深く根差した、おじいさんの話だ。けれど、これがすべて真実なのかは、定かではない。おじいさんは、帰ってこなかったからだ。誰かから伝わって、語られて。言葉は、勝手に一人歩きをしてしまったのである。<わたし>。彼女が拒んだ世界は、彼女にひどく深い孤独を与えた。狂おしいくらいのそれを。そして、その娘アンナから言葉を奪った。互いに足りないものを埋め合うがごとくの、2人。だからこそ、絆は固く、密接である。その境界が曖昧になるほどに。アンナは<わたし>。<わたし>はアンナ。<わたし>の混乱は、アンナをも混乱させる。作品にある学校でのカーニバルの様子は、まさにそんな混乱を鮮明に語っている。

 おうしんぼう。小さな頃、わたしは親戚の間でそう呼ばれていた。内弁慶的なコミュニケーションしかできなかったわたしを、はやし立てるようにそう云ったのだ。小さなわたしはどうかすると言葉を見失い、首を縦に振ることと横に振ることしかできなかった。おとなしい。その一言で片付けるには、あまりにも苦しかったわたし。からかいつつも、将来を心配した周囲。いつから人並みに(多分)話せるようになったのか覚えていないものの、未だにわたしが何か話すたびに、親戚は耳そばだてるように聴いてくれる。あらあら、少しは話せるようになったじゃない。まあまあ、びっくりしたわ。大人になったのね…そんな心持ちで(と、いうことは人並みじゃないということか…)。

 <わたし>とアンナ。そこに入り込むメルラン。アンナの学校の教師である。耳の聞こえない子どもたちの中にいて、最も話す可能性を秘めたアンナに、少しずつ言葉を近づけようとするのだ。だが、<わたし>はそれに怒りを覚える。彼の嘘と、アンナとの関係を乱されることに。アンナが話せるようになること。それは即ち、<わたし>の孤独が深まるということ。<わたし>が置き去りにされるようなものなのだ。彼女のルーツにある物語が、彼女を一人にするからでもある。言葉は、奪う。彼女から娘を。そして、世界を。何もかもを閉ざす。その存在を、主張するから。巧みに操る人に、強さを与えてしまうから。いつだってそこに、孤独を生むから。でも、孤独は、いつまでも続かないはず。きっと。たぶん、ね。

4309204554小鳥はいつ歌をうたう (Modern & Classic)
北代 美和子
河出書房新社 2006-01-11

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2006.01.17

なつかしく謎めいて

20050830_153 自分の意志とは無関係に時間軸に迷い込むということ。ときにそれは心地よく、ときにひどく不快なものである。アーシュラ・K・ル=グウィン著、谷垣暁美訳『なつかしく謎めいて』(河出書房新社)は、読み手をそんな迷宮的な物語世界に誘ってくれる作品である。先日記事にした『空飛び猫』は、実はこの作品を読むための心構えとして手に取ったものだったのだが、こちらはファンタジー的な要素よりも深い思索や文化論に満ちているように感じられる。描かれる旅行記的な物語には重いテーマが横たわっているのに、タッチが軽いためにさらりと読めてしまう。そこがこの物語の恐ろしい部分であり、著者に対する興味深い部分でもある。「ゲド戦記」シリーズも読んでみるべきか…

 物語の語り手は、著者を思わせる人物。原題の“changing planes”が示す通りに、空港が時間軸に迷い込む入り口となり、様々な場所への次元間移動を繰り返す語り手。旅行者には通訳機が与えられ、不自由なく(ときには役に立たないが)違う次元の人々とのコミュニケーションがとれるという設定になっている。次元間旅行局によってアドバイスされた場所に出かけたり、旅行者による様々な噂もなかなか頼りになったりする様子。中には、決して行くべきではない場所や、少しの間も滞在すべきでない次元もある。そういうところに足を踏み込み、元いたはずの地点に戻れなくなる可能性もあるのだろうか。読み手側の勝手な解釈によれば、既に語り手はその迷宮に入ってしまったように思えるが。

 迷宮的な物語のいくつかについて記しておく。中でも“眠り”関する物語「夜を通る道」と「眠らない島」について。「夜を通る道」のフリンシアでは、夢がすべての知覚力のある生き物の交わる場所として認識されている。すべての人は夢によって繋がり、自己という概念を薄れさせる。夢解釈の無力さと、それに対して抱く私たちの妙なこだわり。そんなものを砕かせるような物語である。また「眠らない島」では、眠りというものがどんなに人々にとって無用なものか。また、それがもたらした悲劇を説いている。はたして眠りは本当に知性を阻害するのか、なんていう疑問はナンセンス。もちろん物語もナンセンスなのだが、物語の中に展開される理論がどこかに存在する可能性を感じさせる。

 そして、物語の中で圧倒する存在感を放っているのが「翼人間の選択」という章。此処では、翼があるということに対しての2通りの考えが展開する。その多くを占めるのが、“死刑宣告としての翼”である。もちろん、素晴らしいことであると思う人々も僅かながらいる。だが、翼があるということは奇形であり、生命にも身体にも多くの負荷がかかるのだという。飛んでいるときに機能不全に陥る可能性も高い。そこで、翼を持ちながらも敢えて飛ばないことを選択する者が出てくるわけである。目立たないように翼を縛って生活する者。彼らは密やかに飛ぶことを夢見つつも、ごくありふれた普通とされる生き方をする。文字通りの“地に足をつけた生き方”、それが意味するところは人それぞれだが、幸せの意味だとか本当の意味での幸福だとか、そんなことを考えさせる物語である。

4309204503なつかしく謎めいて (Modern & classic)
アーシュラ・K. ル=グウィン
河出書房新社 2005-11

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2005.11.18

年老いた子どもの話

20051117_060 ある欺瞞がもたらした不思議な物語を読んだ。一体何のために?何を望んで?きっとその答えは、たった1人にしかわからない。そう思った、ジェニー・エルペンベック著、松永美穂訳『年老いた子どもの話』(河出書房新社)。Modern&Classicシリーズの作品は、これで4冊目。名前も住所も家族もわからぬまま保護された女の子。彼女は空っぽのバケツを手に、夜道にただ立っていた。14歳という年齢以外を明かすことなく、彼女の施設での暮らしが展開してゆく。その年齢にしては立派な体格をしていたが、周囲はそのことに深い関心を示さない。彼女の振る舞い、信念、佇まいの謎は、結末まで曖昧なまま読み手に委ねられる。このタイトル、なかなか考え抜かれている。

 ただ自分が14歳だとしか言えぬ女の子は、自分を最も低く落とすことで心を穏やかにしていた。一番弱い存在に自分を押さえておけば、同じ場所を永遠に持ち続けることができるのだと思って。その徹底的な振る舞いは、いつのまにか彼女のものとなり、意識することなしに取って付けたような愚かさを保つようになる。自分自身の首を絞めていることに気づくことなく。生まれながらにして規則を心得ている者のような従順さ、押し寄せてくる敵意に耐える秩序、序列の中で一番安全と思われる最下位に彼女はこだわる。高い地位を得るために、人はその能力や相応しさを示さなくてはならないが、最下位を示す必要はないのだからと。

 そんな彼女に対して、周囲は冷たい。施設での彼女の立場はほんのりと変われども、やはり周囲は彼女に冷たいと言えるだろう。存在を無視されることも、都合よく利用されることも、どちらにしても彼女の状況がよい方向にあるとは言い難い。思えば彼女は何かをしたわけではなかった。ただ周囲の気まぐれに付き合わされただけ。深い沈黙の中にいる彼女は、自分自身のことを話す変わりに、周囲の人間の語ることに耳を傾けているように見せていただけなのだ。自分のことを語り始めてしまったら、彼女の運命は大きく変わっただろう。よい方向にも悪い方向にも、どんな方向にも。そうなったら、この物語は生まれていないだろうが。

 多くの人は、皆自分の話をしたがる。相手の話を途中で遮ったり、口を挟んだり、それを自分の踏み台に利用したり。打ち明け話をした相手をことごとく後悔させるのは、そういうものだろう。私自身もそう。たわいのない話だろうが何だろうが、主役になるのは気持ちのよいものであるから。放ってしまった言葉を取り消すことができるのなら…。この物語での女の子は主役になることなく、どこまでも脇役を貫いている。物語の主人公にこんな思いを感じたのは、もしかしたら初めてのことかも知れない。彼女のその徹底ぶりが、いかに人に求められているかということを改めて知った気がする。助言など何もなくても、人は自分の問題の糸口を見つけてゆく。彼女にも、そうであって欲しい。

4309204007年老いた子どもの話 (Modern&Classic)
松永 美穂
河出書房新社 2004-02-11

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2005.11.14

カレーソーセージをめぐるレーナの物語

20051101_073 愛には憎しみと嘘がつきものだと、強く感じさせる物語を読んだ。ウーヴェ・ティム著、浅井晶子訳『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』(河出書房新社)である。Modern&Classicシリーズは、この本で3冊目。終戦直前の1945年のナチス・ドイツのハンブルクで暮らす一人の女性の無骨でしたたかな人生と、カレーソーセージという、ベルリンやハンブルクなどの北ドイツ地方のファーストフードの誕生の秘密が描かれている。物語は女性が若い脱走兵をかくまうことから始まり、悲痛な恋とその背景にある歴史が、重くならないユーモアを含みながら、読み手をするりと引き込む。

 “カレーソーセージとは何ぞや…?”そんな思いを抱いたまま読み始めた私は、次の疑問を思う。“カレーソーセージとブリュッカー夫人の恋物語は、どう関係しているの?”と。物語は老人ホームにいる年老いたブリュッカー夫人に、夫人の営む屋台でカレーソーセージを食べたことのある<僕>が話を聞き出し、それを語る形式。ときどき語り手はブリュッカー夫人(レーナ)になったり、レーナがかくまった若い脱走兵ブレーマーになったりするのだが、違和感なく物語に入り込むことができる。私が感じている疑問について<僕>が代弁してくれているのが、何ともニクイ。ブリュッカー夫人は、なかなか肝心な部分を語ろうとしてくれないのだ。

 冒頭の“愛に纏わる憎しみと嘘”。これは、この物語では見逃してはならないポイントかもしれない。運命的とも言えるような、食堂で働くレーナと脱走兵ブレーマーとの出逢い。2人を近づけ引き離したのは戦争の終焉。ブレーマーにとって、前線に行くこともレーナの所に留まっているのも、どちらも不安だった。選んだのは生き残ること。ただそれだけ。レーナに惹かれる部分はもちろんあった。だからこそ、彼は打算を隠して嘘をついた。そして、彼女もまた彼に嘘をついた。彼の人生に関わる大きな嘘を。ただ彼を引き留めておくためだけに。自分自身の嘘に苦しめられながら、互いを憎しみながら、2人は愛し合ったのだった。

 レーナという女性。彼女はとても強い。強い自分なりの信念や生き方も、屋台をするべくして自分を奮い立たせて行った取引も…ぎゅっと凝縮された彼女の物語は、とてつもなく心惹かれるものを感じさせる。なかなかのやり手。彼女の語りで一番印象深く残るのは、暗い時代の中にも明るい瞬間があることを教えてくれたことである。その時代が暗ければ暗いほど、その瞬間は余計に明るく輝いて見えるのだと語っている。人生の中であまりにも刹那のそういう時間を、私もいつまでも自分の中に置いておきたい。できれば、ときどき入れ替わって欲しい。さらに言うならば、積み重なっていっぱいに満たしたいのだけれども。自分の思うように物語が進まないのが、現実の厳しさか。

4309204392カレーソーセージをめぐるレーナの物語 (Modern & Classic)
浅井 晶子
河出書房新社 2005-06-10

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2005.10.31

すべての小さきもののために

20050916_218 “あれは命だよ”その言葉にはっとして、頁をめくる手を止められなくなった、ウォーカー・ハミルトン著、北代美和子訳『すべての小さきもののために』(河出書房新社)。Modern&Classicシリーズを読むのは、これで2冊目。物語の主人公は、幼い頃の自動車事故がもとで知的障害をもつボビー。無垢で傷つきやすい心の彼は、義父の虐待を逃れて“地の果て”という岬のあるコーンウォールの森に迷い込み、小動物の埋葬をする小さな男・サマーズと出会う。物語は、ゆったりとした時間のなかに読み手を誘い、せわしなく過ぎてゆく日常を忘れさせてくれる。短い物語だけれど、あたたかで切なくてほろりとくる。

 冒頭の言葉。これは、ボビーの出会ったサマーズが、雌牛を指して放ったもの。指したのは確かに雌牛である。続けてサマーズは言う。雌牛のかたちをした命だと。小動物に対するやわらかな眼差し。その先には、それだけにとどまらないこだわりを感じさせる。物語の背景にある自然回帰の時代に終わらないのだ。小さきものの命を守ることは、自分の命を守ることに繋がってゆく。“自分の命”…その言葉の響きに、その重みに、明日のことすら考える余裕のない自分自身に気づく。ほんの少し先の、そう、わずか数分後のことにも希望が持てないことを自覚するのだ(あくまでも私の)。物語に逃げることで、そういうものから避け続ける自分を。

 ボビーの物語は、逃げることから始まっているために、そんな私の心を刺激した。サマーズのことを知るほどに、抱えていた義父への殺意は薄れ、穏やかな日々を過ごすようになるボビー。鳥や花、植物への興味は日に日に増してゆく…。そんな中でも、義父につながる人物と出会ってしまったり、サマーズとはぐれて帰り道がわからなくなってしまったり、悪夢にうなされたり、ボビーの日々はのんびりの中に落ち着かない。ボビーの見つめる小さきもの、それは、いつの間にかちっぽけな自分への思いに変わる。自分自身の小ささに。ちっぽけな存在に。あぁ、私は小さかったんだ。たいそうな夢なんていらないじゃないか、と。

 それから、この物語には謎もある。読み終えた後で余韻に浸りながら、後半のサマーズの無謀に思える行動がじんわりと残るのだ。訳者によるあとがきでも、その謎については触れられていて、読み手に委ねられた解釈をどう受け取るのか、私はここまで書いても迷っている。小さきものを見つめ続けたサマーズの生きた果てなのか、サマーズの抱えていた過去の重さが選んだものなのか、私にはそんな暗い答えしか思いつかない。1968年に発表されたこの作品、1998年に映画化されているとのこと。日本では2000年に『コーンウォールの森へ』というタイトルで公開されたらしい。こちらも気になるところ。

430920399Xすべての小さきもののために (Modern&Classic)
北代 美和子
河出書房新社 2004-01-17

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2005.10.20

ロサリオの鋏

20051010_22112 中南米はコロンビア第二の都市メデジンを舞台にした、美貌の殺し屋ロサリオの物語である、ホルヘ・フランコ著、田村さと子訳『ロサリオの鋏』(河出書房新社)。海外文学のModern&Classicシリーズの第1回配本(2003年12月より)となっている。ロサリオ・ティヘーラス。それは彼女の本当の名ではない。“鋏”を意味するティヘーラスとは、彼女のあまりに悲痛な過去の出来事からとった名前である。物語は、至近距離から撃たれたロサリオが病院へ運ばれる場面から始まる。彼女に付き添う男の視点で、彼女を巡る追憶が静かに、けれど熱っぽく語られてゆく。1つ1つのエピソードは鮮やかで美しく、そのスピード感に引き込まれる。

 この物語の中で印象的なのは、時間軸の設定である。ゆるやかに流れるのは、手術室に運ばれたロサリオを待っている時間。待っている男は、ときどきその時間に引き戻されつつ、彼女との過去を思い出して、追憶に浸っている。彼女の語った過去の出来事、彼女自身のこと、大切な人に関する思い、男に対する気持ち…などなど。そういう事柄を読み進めるうちに、1つ気づくことがある。どんなに読んでも、繰り返し理解しようとしても、本当の彼女の姿がわからないということを。彼女が語ることは、微妙に矛盾しているばかりでなく、心から信じることができない。信じられないからこそ、理解できないからこそ、魅力的な人物に思えるのかも知れないが。

 そして、ふと物語の中から遠くへ視線を移したとき、読み手は、彼女(ロサリオ)の近くに寄り添いながらも、永遠に恋人にはなれない語り手の男と同じような立場にいるのだ。いつだって彼女のことを思っているのに。こんなにも愛しいのに。彼女は気まぐれで、暴力的な激しさを持ち合わせていながら、人を愛することに対してはドライである。取り巻きの仲間が彼女に何を求めているのかを熟知していたし、それを利用する術も心得ていた。裏切られるようなことがあれば、キスで償いながら至近距離で罰することもできた。その冷酷さを、そのまま自分自身に返されるとも知らずに。男の中の執着、束縛、憔悴は、流れに逆らうほどに悪循環となってゆく。

 私は物語の舞台となっているメデシンについて、何も知らないまま物語を読んだ。時代背景が、麻薬戦争中であった80年代だったことも、マフィアのテロが激化していった時期であることも。ロサリオのような若者が、生きてゆくために危険な選択肢をあえて選んでいるという厳しい現実も。何も考えないままに。彼らの中では、人を殺すことも自分が死ぬことも全く意味が異なるらしい。むしろ、意味なんてものはないのかもしれない。訳者によるあとがきに書かれている“人生は一瞬のことなのだから”という文字を見てしまった私は、心苦しさを抱えてしまった。ロサリオの物語を楽しんではいけないのではないか。この物語を“面白い”なんて、言ってはいけない気がして。

4309203981ロサリオの鋏 (Modern & classic)
田村 さと子
河出書房新社 2003-12-13

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