61 海外作家の本(イタリア)

2009.07.10

二度生きたランベルト

20090627_008 抜群なユーモアと奇想、皮肉もしっかり込められていて、シュールな展開はたまらなく魅力的だ。イタリアン・ファンタジーの最高傑作という帯どおり、シュールレアスティックなファンタジーであり、スリリングな冒険譚でもあり、作者の茶目っ気とアイロニカルな諷刺精神がピリッと効いたユーモア小説でもあり、老いや死をテーマにした物語でもある。非現実的な世界と卑近な事例にもとづく現実の世界とが入り乱れ、不思議な魅力を醸し出している、ジャンニ・ロダーリ著、白崎容子訳『二度生きたランベルト』(平凡社)。タイトルからしてユニークなのだが、各章ごとに著者の覚え書きなるものがついていて、物語作りの舞台の裏側を垣間見せてくれるサービス精神たっぷりの一冊でもあるのだ。

 イタリア北部、オルタ湖の中にサン・ジュリオ島があり、そこには御歳93歳になる男爵ランベルト氏が住んでいる。世界中に24の銀行を持つ大富豪だが、歳には勝てずに身体のいたるところに24の病気の症状を抱えている。唯一の身内である甥のオッタヴィオは、そんなランベルト男爵の遺産を狙っているが、予想に反して、この頃の男爵はやたらと元気に若返っている様子。オッタヴィオはランベルト男爵を亡き者にしようと企むが、ある日ランベルト男爵の屋敷に24人もの“二十四ラ団”なる強盗団が侵入し、島ごと占拠されてしまう。ランベルト男爵を人質に身代金を要求するものの、うまくゆかない。何しろ、エジプト旅行の際にアラブの隠者に教わった健康法が効いて、不死身になっていたのだから。

 まえがきに詳しく書かれているとおり、この物語はエジプトの宗教について書かれた書物の中の言葉“名前を呼べば命は不滅”という言葉が発端になっている。この言葉を信じたランベルト男爵と忠実な召使いのアンセルモは、6名の人物を雇い、理由を打ち明けずに法外な給料を出して交代で毎日“ランベルト”と名前を連呼させているのだった。そんな男爵の秘密を探り当てたオッタヴィオは、混乱のどさくさにまぎれて、男爵の殺害を計画するのだったが…という物語。男爵は、名前を呼ばれ続けることで死を遠ざけて、しまいにはもう一度生きなおす。これは自然の摂理には背いた行為であり、物語の中だからこそ成り立つものと言っていい。ハチャメチャなところも、イタリアらしくて愉快である。

 この物語の著者であるジャンニ・ロダーリは、作品を書く場合に「作家のエゴを通して作品を書くよりも、読者の声を反映させたほうが面白い作品になる」というような独特の方法論を持っている様子。この物語にもその考え方が用いられ、読者の意見を反映しながら書かれている。どんな風に作品を練ったのかは巻末にまとめられた覚え書きで読むことができるのだが、これがまた面白い。素朴な子どもたちの意見に真摯に応えて、結末をどんなふうにも解釈できるようにうまくまとめ上げている。本としては児童書にあたるこの物語だが、大人だからこそ味わえる楽しみもあるとわたしは思う。この抜群のユーモアと奇想、皮肉が込められたシュールな物語を、多くの人に読んで欲しい、と心から言いたい。

4582829570二度生きたランベルト
Gianni Rodari 白崎 容子
平凡社 2001-05

by G-Tools

 ≪ジャンニ・ロダーリの本に関する過去記事≫
 ・『パパの電話を待ちながら』(2009-05-01)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.07

カナリア王子 イタリアのむかしばなし

20090624_016 イタリアは“民話の宝庫”と呼ばれているらしい。そんなイタリア全土を旅しながら民話を収集して再話した、イタリアを代表する作家イタロ・カルヴィーノ。200もの民話の中から、恐ろしくも美しくもある7つのお話を収録したのが、イタロ・カルヴィーノ再話、安藤美紀夫訳、安野光雅画による『カナリア王子 イタリアのむかしばなし』(福音館文庫)。本書では、表題作「カナリア王子」と「とりごやの中の王子さま」、「太陽のむすめ」、「金のたまごをうむカニ」、「ナシといっしょに売られた子」、「サルの宮殿」、「リオンブルーノ」という、選りすぐりの7つお話が楽しめる。とりわけ安野光雅による画が、シュールで奇想的なお話の展開に豊かな彩りを持たせ、とても贅沢な気持ちになる。

 表題作「カナリア王子」では、継母の陰謀によって森の城の塔に閉じ込められてしまった姫と、森の向こうを通りがかったとき姫をみそめた王子の話である。囚われの姫と姫に恋する王子ふたりの身振り手振りのやりとりに見かねた魔法使いが、魔力を持つ古本を与えて、ふたりの仲を取り持ってくれる。魔法のページを前からめくると王子がカナリアに変わり、後ろからめくるとカナリアから人に変わるという。けれど、そこはお話のお約束とも言うべきか、姫の継母が悪巧みをしかけてくるのである。人が鳥へ、鳥からひとへ…という、美しいイメージだけでは終わらない、魅力的なお話。ストーリー展開が素朴で設定が大雑把なところもまた、民話らしい味わい深さを感じる気がする。

 他に印象的だったのは、「太陽のむすめ」。こちらでは、ある王と王女が長い間の念願だった姫を授かることになるのだが、その姫が20歳のとき“太陽のむすめ”を生むことになるだろうと星占い師に予言される。心配になった両親は塔に閉じ込めるものの、予言どおりになってしまうのだった。王の怒りを恐れた乳母は、太陽のむすめを畑に置き去りにして、そのむすめはやがて、通りかかった他国の王によって息子と一緒に育てられることに。その後、むすめは宮殿から追い出されるものの、太陽のむすめにふさわしい超人的な力を発揮して、自分の望みを叶えるというお話。太陽のむすめと王子の花嫁との知恵比べというか、女のプライドをかけた競い合いが残酷ながら面白く読めるお話だ。

 その他の「とりごやの中の王子さま」「金のたまごをうむカニ」「ナシといっしょに売られた子」「サルの宮殿」「リオンブルーノ」もそれぞれに味わい深い。設定がバラエティ豊かで、厭きさせずにぐいぐい読ませるのだ。魔女や魔法が、人と共にあたり前に存在する世界にもとても惹かれるし、機転を利かせて大らかさとほんの少しの運で幸せをつかむ人たちにも好感が持てる。これがイタリア人の気質や文化なのだろうか…と思うと、とても感慨深いものがある。また、ほんのり毒を含ませながら強引に展開してゆく物語を、読み手にまるごと受け入れさせる力があると思う。明るい語り口がそうさせるのか。それとも、長い間語り継がれてきた重みなのか。むかしばなしはなかなか侮れない。

4834023885カナリア王子―イタリアのむかしばなし (福音館文庫)
安野 光雅 Italo Calvino 安藤 美紀夫
福音館書店 2008-10

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.19

小さな本の数奇な運命

20090615_044 まだ読まずに積んである100冊以上の本を思って、ひとつ深いため息をつく。本にとって読まれないということは、おそらく最悪のこと。何年も忘れ去られることも、きっと悪いことのひとつなのだろうから。そうして、長い年月を経て、廃棄されることはもっとも悪い結末である。本は読まれてこそ本というもの。読まれるために存在しているというもの。アンドレーア・ケルバーケル著、望月紀子訳『小さな本の数奇な運命』(晶文社)という本は、そんなことを伝えてくれる一冊。本が自らの人生を語るという、風変わりな形式のこの物語は、古書店の片隅で買い手が現れるのを待っているところから始まる。ヴァカンスまでに売れなければ、廃棄処分という絶体絶命の状態にあったのだった。

 身につまされる本の独白は、60年前にも遡る。新刊で書店に並んだときの晴れがましさや、初めて女性の手でページをめくられたときの喜び(どうやらこの本は男性らしい)、そして何度も訪れる持ち主との別れ、本棚の隣人たちとの関わり合い、売れてゆく本への嫉妬、リサイクルされてダンボールになる恐怖…それらはまさに生きている本の心の内を語ったものである。一冊の本の浮き沈みのある人生は、人の感情のそれとよく似ている。本棚に収まって次に手に取ってもらえる日を待ち焦がれていることを思うと、自分の本棚をじっくり見入ってしまう。乱雑に収納された自分の本棚を眺めて、何だか本たちに申し訳ない気持ちにもなったりする。本棚にすら入れていない本には頭が下がる。

 古書店で買い手がつくのを待っているこの本、屈辱的にも躍起になって自分を売り込むはめになったり、自尊心と格闘したり、古書店を訪れる客たちの手に取る本に対していちいち講釈をしてみたりする。ヘミングウェイは最高の作家だとか、スタインベックだって選択としては合格だ、とか…。客たちが自分の方に近づいてくるだけでどきどき心躍らせたり、女性というだけでかなり心弾ませたりするのである。それが何とも可笑しくて、思わずくつくつと笑ってしまう。本だから下心なんてないのだろうけれど、この本、男性の読者よりも女性の読者を求めているのである。それだからこそ、ある持ち主の一万冊目の本になったときに、自らの人生について語りたいと申し出た気がするのだ。

 そうして、ふっと思い巡らせるのは、わたしの100冊以上もの積読本たちはどんなことを思っているのだろう…ということ。読まれないまま本棚に乱雑に入っているものもあれば、そのまま積んであるものもある。何年もほったらかしにされていたり、再読しようとして積んでいたり、さまざまではあるのだけれど、やはり読まれない本は悲しいだろうなと思う。本としてこの世界に存在しているというのに、その役目を果たすことができないのだから。本は読まれてこそ本というもの。読まれるために存在しているのが、本というものなのに。何だか身につまされる思いがしたのだった。今後はもう少し一冊一冊の本に愛情を込めて接してあげたいと思う。本という本来のあるべき姿を尊重して。

4794926618小さな本の数奇な運命 (シリーズ愛書・探書・蔵書)
望月 紀子
晶文社 2004-02-25

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009.05.01

パパの電話を待ちながら

20090429_041 愛に溢れたシュールでポップな不思議な童話世界は、普遍的な面白さを持って現代のわたしたちに語りかける。思わずこの目を疑うほどの驚き。そして、奇想天外のキャラクターたちが代わる代わる登場し、笑わせたかと思うと、ふっと平和の尊さを感じさせ、ほろりと涙も誘う。そんなきらめくようなショートショートを集めた、ジャンニ・ロダーリ著、内田洋子訳『パパの電話を待ちながら』(講談社)。20世紀のイタリアを代表する作家の新訳のこの一冊は、身も心も柔軟にさせてくれる。子供向けに書かれた物語ながら、その味わいはほんのりビターな味わいも含んでおり、大人になった今だからこそ味わえるものばかり。類稀なる想像力の紡いだ物語は、確かなものとして、脳内に広がってゆく。

 イタリア中を旅するセールスマンのビアンキさんは、毎日夜の9時きっかりに娘に電話でお話を聞かせる約束をしていた。お話がどれも短いのは、ビアンキさんの電話代の関係というから、なかなか面白い設定である。娘可愛さに少々長めに話してしまうこともあるから、微笑ましい。仕事がうまくいったときには、長めの話をビアンキさんはした様子。おてんばなミニサイズの女の子の話、お城をみんなで壊す話、遊びに行った先で腕や足を忘れてくるうっかり坊やの話、とんがりのない国の話、前歩きするエビの話、鼻が一人歩きしてしまう話…などなど、とにもかくにもその面白さったらない。ただのファンタジーに終わらずに、言葉遊びや平和に対する祈りのようなものも感じさせる。

 この一冊でジャンニ・ロダーリの描く世界は、絶対にあり得ない不思議なものばかりだ。けれど、その世界は作り物であっても、脳内の中にするすると入り込む。確かに起こった出来事のように、自然と受け止めさせる魅力があるのだ。言葉の魔力と言ってもいいかもしれない。読み手であるわたしたちは、その魔法にかかったまま、夢見心地でただただ読み耽る。隠された教訓などお構いなしに、物語に浸りこめばいい。声高に語らないやわらかな語り口に、自然と心地よく揺さぶられればいいのだ。ただただ読み耽り、感じる。そして、感じたままに受け取る。きっと読書というのは、それでいいのだと思う。物語を心から気の向くままに楽しむ。その自由に、その幸福に、身を委ねればいい。

 とりわけわたしが好きだった「ひとりだけれど七人」という話は、ひとりの男の子と出会って、その子は一人だけれど実は七人だったという物語である。ローマにもパリにもベルリンにもモスクワにもニューヨークにも上海にもブエノスアイレスにも男の子はいて、七人は一人に違いないから、戦争はできなかった…というもの。ここには、ひそやかに平和への祈りと、この物語に限らず、すべての物語がわたしたちであり、著者ロダーリであり、一人は全員であることを示している。全員は一人。どんなに心細くても、一人じゃない。冷たい風が吹こうが、雪が降ろうが、雨が降ろうが、わたしたちは一人で全員。そんな愉快なユーモア溢れる心あたたまる発想もロダーリならではのものである。

4062149710パパの電話を待ちながら
内田 洋子
講談社 2009-04-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009.02.19

冬の夜ひとりの旅人が

20090218_058 目の前にある本に対して、読者は無力な存在だ。その本が好きな作家の新作だったならば、なおさらのこと。読みたくてうずうずしながら、はやる気持ちを抑えつつ震える手でページをめくる。いや、めくらずにはいられない。先へ進むことを惜しみながら物語に身も心もゆだねて、活字の渦にたゆたうのである。けれど、イタロ・カルヴィーノ著、脇功訳『冬の夜ひとりの旅人が』(ちくま文庫)という物語は、読み進めようと先へ急ぐ読者をしばし困惑させる。“あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている”という書き出しにはじまるからだ。そう、この物語の主人公はカルヴィーノの読者の一人。あなたのようであなたじゃない誰かである。そして、いざ読み出す肝心の物語は途中で繰り返し中断され、次々と別世界へと誘ってくれるのだ。

 あなたである<男性読者>が読み始めたカルヴィーノの新作。だが、それは乱丁本であった。先を読みたい<男性読者>は書店に向かい、製本上のミスで別の作家の物語と混ざってしまったのだと知らされる。そこで、同じように苦情を言ってきた<女性読者>ルドミッラと知り合う。交換してもらった本をいざ読もうとすると、それはまったくの異なる別の物語であることがわかる。物語の続きを求めて、あなたは世界中をめぐってゆく。ここでのルドミッラは、著者の理想とする読者象として描かれる。“物語ろうとする欲求のみが、ストーリーにストーリーを積み重ねようとする欲求のみが原動力となるような作品”や”謎や苦悩がちょうどチェスをしている人の頭のように精密で冷徹で影のない思考力によって濾過されているような本”を求めている読者である。

 あなたが読むことになる物語(10もの作中作)は、いずれも異なる作風のものであり、どれもがそれぞれに味わい深い面白さがある。中には、日本文学と思しき耽美な作中作も含まれており、日本人としては思わずくすっと笑ってしまう。続きが読みたい…と思わせておいて、ふっと途切れてしまうあたりが心憎い。また、この理想的読者であるルドミッラに振り回される<男性読者>の行動も、なかなか面白い。目の前に本があれば、読まずにはいられないタイプの、活字中毒者。出会う人出会う人に振り回されながらも、それでも読むことを止めないのだから、よっぽどの本好きなのだろう。しかも、一度読み始めた物語はそれがどんなジャンルであれ、最後まで読まずにはいられない性格なのである。読み手は、そんな<男性読者>と一緒に物語を探す旅をすることになる。

 この物語は“あなた”という二人称を使うことで、主人公である<男性読者>と読み手であるわたしたちを近く寄り添わせる。ちりぢりになった物語は、永遠に終わることを知らない。何しろ、続きが見つからないのだから。物語には決まって始まりがあり、おしまいがある。けれど、それを超越してある意味において原則を覆すような物語が存在するとしたらどうだろう。無限の可能性と謎めきを秘めたまま探し続けなければ読めない物語があるとすれば、どうだろう。このカルヴィーノの物語はそれを体感できる気がする。書くこと、読むことに対する真摯な姿勢が伺え、繊細に、かつ大胆に描かれた物語は、最後の章で語られる様々な読者の本に対する考えからもいろいろなことを考えさせられる。改めて読書好きな人間にとっての本とは、なんと凄い力を持っているのだろう…と思わせる。そうして、やはり目の前にある本に対して、読者は無力な存在であると思うのだ。

4480030875冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)
Italo Calvino 脇 功
筑摩書房 1995-10

by G-Tools

≪イタロ・カルヴィーノの本に関する過去記事≫
 ・『まっぷたつの子爵』(2007-11-07)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.02.03

レクイエム ある幻覚

200502077_998014 いつ果てるとも知らぬ長き日は、わたしたちを道連れにする。誘われるままに進みゆけば、そのあまりにも密度の濃い追憶に圧倒され、呑み込まれてしまうのだ。たかが十数時間。されど十数時間。呼んだのか、呼ばれたのか。時間軸のねじれの中、この世の者ともあの世の者とも区別のつかぬ者たちと出会う旅は、逃れようもない今日という日、変えようもない己の運命とやらを、まざまざと見せつけてくるようでもある。そうして見えてくるのは、追憶の中に眠るわたしたちの過去である。いつしか向き合わねばならないそれは、今いるところから前進するために必要不可欠な一歩に違いなく、その助けとなるのが、ある者との対話だったのだろうと思い当たる。

 アントニオ・タブッキ著、鈴木昭裕訳『レクイエム ある幻覚』(白水Uブックス)は、主人公である<わたし>がある偉大な詩人と出会うまでの長き一日を描いた物語である。じりじりと照りつける太陽の下、じっとりと背を流れる汗をふきふき、待ちぼうけをくいながら、リスボンの街をさまようようにして歩き、様々な人々と出会い、別れ、その端々で追憶に耽る。死んでしまった友人や恋人、若き日の父親、ジプシーの老婆など、その数は23名にもなるから驚きである。<わたし>に纏わる数々の者たちの声に耳を傾けながら思うのは、誰もが語るべき何かを持っているということだった。とりわけ、模写画家との対話はとても興味深いものがあった。

 模写画家は語る。“わたしたちのなかで眠っていたものが、ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、わたしたちがそれを手なづけるすべを身につけることによって、ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない”と。これには、なるほどと頷いていた。まさに過去とはこういうものではないかと思うのだ。模写画家がこの世の者なのか、あの世の者なのかはわからない。だが、少なくとも逃れようもない過去を持っている者であることはわかる。そうして、改めて思う。追憶に眠る過去との、上手な付き合い方を。どうにかして向き合う、心の強さを。いつしか物語は、鎮魂曲としてわたしたちを包み込む。

4560071306レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
Antonio Tabucchi 鈴木 昭裕
白水社 1999-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ←励みになりますので、宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007.11.07

まっぷたつの子爵

20071021_046 ふたつの自己に引き裂かれて、ここに在る自分自身を知る。不完全な存在であるからこそ感じる、つらさや苦しみ、痛みは、きっとこの世界を取りまく深い闇に通じているのだ。何らかの欠如がもたらすまなざしは、すっと奥まで見据えることができると信じたい。信じていたい。イタロ・カルヴィーノ著、河島英昭訳『まっぷたつの子爵』(晶文社)は、戦争を背景にした奇想天外な物語である。砲弾をあびてまっぷたつに吹き飛んでしまったメダルド子爵が巻き起こす騒動の数々は、人々を混乱させる。左右別々のメダルド子爵は、それぞれに非人間的な悪徳さと美徳さを持ち合わせて、読み手のわたしたちの中に潜む闇の部分をひどく刺激してゆく。

 物語の闇の部分。それはやはり、戦争という悲劇に纏わるものだろう。物語の前半部分に描かれている戦場の光景は、滑稽に描かれつつも、当然のことながら生々しい。そういう中で描かれているメダルド子爵のまっぷたつに裂かれた要素(悪と善)は、人間の醜さの象徴のように思えてくる。戦争というもののもたらす、光と影を表しているような。そして、戦争における生と死ということを表しているような。もちろん、これはあくまでもメルヘン的要素の高い物語であるから、それほどまでに深刻に読む必要はないのだろう。けれども、メダルド子爵の悪の部分が全開に展開する場面になると、ついわたしは闇の部分に焦点をあてて読んでしまうのだった。

 また、この物語の語り手であるメダルド子爵の甥である<ぼく>が、イタロ・カルヴィーノ本人を思わせるところも見逃せない。物語の端々で孤独で退屈な日常についてぼやいている場面や、すっかり空想の世界に浸っているあたりが、心憎いのである。物語は、この<ぼく>の成長と共にあって、奇妙な登場人物たちとの関わり合いが描かれてゆく。中でも、メダルド子爵に振り回されるだけ振り回される(死刑台を作る)親方の苦悩は、とても親しみを覚えるもので、相反する自己との闘いの困難さを感じさせた。メダルド子爵を振り回す側であるパメーラの存在は、物語唯一の花で、この物語になくてはならない存在だったように思う。

4794912439まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)
Italo Calvino 河島 英昭
晶文社 1997-08

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.26

おとなは知らない

20061125_002 わたしは知らない。子どもがいつから、純真無垢でいられなくなるものなのか。子どもがいつから、無邪気さを武器にしはじめるのか。自分が通ってきた道のはずなのに、わたしは知らない。何もかもが遠い記憶の果てに追いやられて、いつのまにか自らの手で蓋をした。忌まわしい記憶から逃避した。だから知らない。大人となった今では、もう子ども時代の心持ちを知らない。思い返したところで、本当の意味では何も知らない。シモーナ・ヴィンチ著、泉典子訳『おとなは知らない』(早川書房)は、そんなことを思わせるほどに、自分の無力さと無知さ、忘れてしまった記憶と失われたいくつもの感性を刺激される一冊である。その内容の衝撃。そこに漂う虚しさ。子ども時代とは、あまりにも酷だと気づくのだ。

 物語の舞台となるのは、小さな田舎町。小さな子どもたちにとって、少しばかり年上の子どもたちは、遥かに大人びて見える。そんな頃。自分の身体の変化に気づきはじめる、ほんの少し前の頃。十歳のマルティーナを含める四人の子どもたちは、少しだけ年上のミルコの誘いにのって、打ち捨てられた倉庫に集まった。そこで彼らが目にしたものは、子どもたちの知らないポルノ雑誌の数々。そして、それを見つめながら自分の股間に手を伸ばすミルコの姿だった。マルティーナは、その光景に恐れおののきながらも、不思議なおののきも同時に感じる。少し怖くて、素敵な遊びだ、と。やがて、彼らは雑誌の真似事をはじめ、もう戻れない道へと踏み込んでしまうことになるのだった。

 大人の目の届かない場所で、彼らが繰り返した真似事。それには、実は大人の企みが隠されている。子どもたちの中でのリーダー格のミルコを悪巧みに導いたのは、まぎれもなく彼らよりはずっと大人であったし、そもそも過激な雑誌を欲望のままにしているのは、大人たちであった。子どもたちの真似事遊びには、欲望も愛も何もない。ただの真似事。真似事を楽しむという遊びでしかない。それが、次第にエスカレートしはじめたところから、狂いだしてしまうのだ。そこにある無。なんとも言えぬ、虚しさ。ただの遊びだったはずのものによって、犯してしまった罪。子どもたちは、それを罪とも知らずにただじっと見ている。そうすることしかできないことを、知っているかのように。

 性的なこと。わたしがそれを知ったのも、きっと大人には想像もつかないところでだ。マルティーナよりもずっと幼くて、まだ何も知らなくて、やっぱり欲望も愛も何もなかった。それは決して、遊びではなかったけれど、わたしの周囲ではきっと、遊びだったに違いない。何も知らないわたしは、知らないがゆえにただ従って、押し黙っていた。そこにあるのは、沈黙に耐えるだけの心持ちだけ。無意識のうちに気づくのだ。これは、秘密にしなくてはいけないのだ、と。そうさせる何か。そうさせるもの。掻き立てるもの。その正体をわたしは未だに知らない。だからこそ、今もなお、引きずる思いが疼いているし、忘れるすべさえも知らない。子どもだったわたしは、もう確かにいないというのに。

4152083468おとなは知らない
シモーナ ヴィンチ Simona Vinci 泉 典子
早川書房 2001-05

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.25

白い虹の伝説

20061124_011 どの色に染まりやすくも、自分の色を保ち続けることができる色。つまりは、いろんなものを吸収し、自分の糧にできる色。それが白という色のような気がする。たとえ、虹色に加わることができなくとも、闇に排除されようとも、その白はこの世界に満ちている。そう思わせる物語が、ウル・デ・リコ著、寮美千子訳『白い虹の伝説』(小学館)である。『虹伝説』の続編として描かれたこの作品は、前作よりもやわらかな色づかいで、淡く霞がかった印象を受ける。色が主張しない。それなのに、色は確かに在る。不思議と光と影とを意識させられる。色の持つ魔力のようなものに包まれながら、わたしたちは白に魅せられる。魅せられながらも、胸に疼く痛みを知るのだ。

 物語は、虹を食べる七匹の鬼たちの亡き後の世界を描いている。実はこの鬼たちには、末っ子に白いゴブリンがいたのだった。白いゴブリンは、どんな色をも食べることができたのだったけれど、虹は七色ではなければならないという理由から、一族から忘れ去られていた。白いゴブリンは、北の果てでまっしろな雪だけを食べて暮らしていたのだった。たったひとりきりで。そんな中、兄たちの無様なる死の知らせを聞いた白いゴブリンは、色に満ちた世界を目指して南へと向かうのだった。そして、そこで目にしたあまりにも美しい光景を目にして、闇のゴブリンたちを導こうとするのだ。少しばかりの悪と、ほんの少しばかりの善とを持って。それは、新たなる光の世界への危機にも繋がるのだが。

 白いゴブリン。彼は果敢にも、ひとりきりで闇のゴブリンたちを動かした。闇のゴブリンたちの欲望は果てしなく、留まることを知らなかった。それは、白いゴブリンの想像を超えていたのだった。そう、闇にいたゴブリンたちは、あまりにも長い時間光を知らずにいたから。ひっそりと暮らすことしか知らずにいたから。色のない世界にいたゴブリンたちには、色がもたらす力を知らずにいたから。欲望は人を掻き立てる。いい意味でも。悪い意味でも。それが、分かれ道。そこが、白いゴブリンと闇のゴブリンとの違い。わたしたちのいるこの世界にもある、人それぞれの違い。だからこそ、人は争い、失うものから目を背けようとする。そんなところに重なる自分がいることが、ひどく怖い。

 わたしたちが、いや、世界が平和であるためには、この世界を知る必要があるような気がする。どれほど目を背けたくなる光景が広がっていても、ちゃんと見なければならないのだと思う。同時に、美しいものを美しいと思わなくてはならない気がする。正しいことを正しいとも、思える人間で在らねばと思う。そう、逃げてはいけない、とも思う。でも、言葉で云うほどに容易なことでないことは、充分に知っている。実際問題として、この世界が平和だとは云いにくい。嫌なニュースばかりが耳に届く世の中がある。聞きたくないことばかりが溢れる、世界がある。知りたくないことばかりが溢れる、世界がある。悲しいかな、それが現実だけれど、それでもなんだか愛おしい現実もある気がするのだ。

409394024X白い虹の伝説
ウル デ・リコ Ul de Rico 寮 美千子
小学館 1997-05

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.11.24

虹伝説

20061124_030 ざわめきの中で、色が目覚める。やがて、色は声をあげる。そして、色が満ちる。満ち溢れる。騒々しさからはかけ離れた、広い大地で。圧倒的な存在感で。誰も何も侵せないほどの強さを保って。そう、その色は褪せることを知らない。どこまでも深く、どこまでも濃い。どこまでも強い色なのだ。それも、ときには意思を持つような。ウル・デ・リコ著、津山紘一訳による『虹伝説』(小学館)には、そういう色の物語が描かれている。これはそう、滲むことを知らない、虹。薄れることさえも知らない、虹。消えることさえも知らない、虹。そんな強い虹の物語だと思う。とにかく、この色彩は強い。記憶からこぼれることさえも、決して許しはしないくらいなのだった。

 物語は、虹を食べる7色の鬼たちが、虹を求めて谷を目指すものの、やがて滅びゆく様を描く。森には彼らが虹を食べ尽くしたせいで、すっかりその姿を消していた。虹の生まれる谷を除いては。だから、彼らはもちろん、腹ぺこだったし、虹を食べるためならば、もはや手段を選ばないほどにまで達していた。だから、そこを目指すわけである。7色の鬼たちは、虹の生まれる谷の洞窟で悪巧みの相談をする。そして、夢を見る。虹色の汁を食べ尽くす夢を。色に満たされる夢を。けれど嵐の後、彼らの悪巧みは、予想もしなかった方向へ展開してゆくのである。そう、悪巧みはざわめき。その中で色は目覚めた。やがて、声をあげた。そうして、満ち溢れたのだった。ありとあらゆる、そこら中に。

 この作品。実はわたし、まだ文字が読めなかった頃から知っている(初版本)。母に読み聞かせられ、やがて自ら進んで読み、親しんだ一冊である。だからこそ、忘れられない一冊であり、思い入れもひとしおの一冊なのだった。何よりも印象的だったのは、この作品に満ちる色彩だ。色というものに意思があり、色というものが確かに存在感を放っていることに気づかされた、最初の記憶だったように思う。7色の虹というものが、手に届かないゆえん。その奥に秘められた物語を、ここで初めて知らされたように思うのだった。本来色は、混ざり合うことを知っている。けれど、ここでは色はただ一つの色として、独立してその色を放っているのだ。生きている色、とでも言うべきか。そういう強い色なのだった。

 生きている色。それは決して手に届くものではない。だからこそ、伝説。だからこその、物語なのだろう。けれど、著者のウル・デ・リコは、それを操るすべを知っている人のように思う。色を慈しむ人だからこその、表現。それを知っているのだと思わせるほどに。赤を赤として、橙を橙として、黄を黄として、緑を緑として、青を青として、藍を藍として、紫を紫として。そうして、その色たちを混ざり合わせずに、その色をその色のまま、描く。物語る。だから、色は命を吹き込まれたかのように目覚める。声をあげる。満ちる。そこら中に満ち溢れて止まらない。誰にも侵せない領域で、生きる。確かに生きている。そんな気がするのだ。そして、呼ぶ。記憶の中で、いつまでも疼くように。

4093940231虹伝説
Ul de Rico 津山 紘一
小学館 1997-05

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

01 安房直子の本 | 01 雨宮処凛の本 | 02 池澤夏樹の本 | 03 いしいしんじの本 | 03 石井睦美の本 | 03 絲山秋子の本 | 04 井上荒野の本 | 04 稲葉真弓の本 | 05 岩阪恵子の本 | 06 魚住陽子の本 | 07 江國香織の本 | 08 大島真寿美の本 | 09 小川洋子の本 | 09 長田弘の本 | 10 荻原浩の本 | 11 尾崎翠の本 | 12 恩田陸の本 | 13 角田光代の本 | 13 鹿島田真希の本 | 14 金井美恵子の本 | 14 金原ひとみの本 | 15 川上弘美の本 | 15 川端康成の本 | 16 北村薫の本 | 17 桐野夏生の本 | 18 久坂葉子の本 | 18 倉橋由美子の本 | 19 栗田有起の本 | 20 黒川創の本 | 21 小池昌代の本 | 22 河野多恵子の本 | 23 桜庭一樹の本 | 23 酒井駒子の本 | 24 佐藤亜有子の本 | 24 佐藤友哉の本 | 25 佐野洋子の本 | 26 重松清の本 | 27 澁澤龍彦の本 | 28 島田雅彦の本 | 29 島本理生の本 | 30 清水博子の本 | 31 庄野潤三の本 | 31 朱川湊人の本 | 31 笙野頼子の本 | 32 瀬尾まいこの本 | 33 嶽本野ばらの本 | 34 太宰治の本 | 35 田辺聖子の本 | 35 谷崎潤一郎の本 | 36 多和田葉子の本 | 36 津村記久子の本 | 37 中島たい子の本 | 37 中島京子の本 | 38 中島らもの本 | 39 長野まゆみの本 | 40 中原昌也の本 | 40 夏目漱石の本 | 41 中山可穂の本 | 41 中村文則の本 | 41 楡井亜木子の本 | 42 蜂飼耳の本 | 42 長谷川純子の本 | 43 服部まゆみの本 | 44 平田俊子の本 | 44 東直子の本 | 45 古川日出男の本 | 45 福永武彦の本 | 46 星野智幸の本 | 47 堀江敏幸の本 | 48 前川麻子の本 | 48 町田康の本 | 49 三浦しをんの本 | 50 皆川博子の本 | 51 村上春樹の本 | 52 本谷有希子の本 | 53 森絵都の本 | 54 山田詠美の本 | 54 湯本香樹実の本 | 54 矢川澄子の本 | 55 吉田篤弘の本 | 56 吉本ばななの本 | 57 吉行淳之介の本 | 58 海外作家の本(アメリカ) | 59 海外作家の本(イギリス) | 60 海外作家の本(フランス) | 61 海外作家の本(イタリア) | 62 海外作家の本(ドイツ) | 63 海外作家の本(ロシア) | 64 海外作家の本(その他&分類不可) | 65 新潮クレスト・ブックス | 66 Modern&Classicシリーズ | 67 白水Uブックス | 68 エッセイ・詩・ノンフィクション本 | 69 アート・絵本 | 70 漫画本 | 71 猫の本 | 72 犬の本 | 73 心理学・精神医学関連の本 | 74 その他の本 | ウェブログ・ココログ関連 | 日記・コラム・つぶやき | 書籍・雑誌