44 平田俊子の本

2008.12.04

殴られた話

20081203_010jpg_effected 我慢なさい。我慢なさい。我慢なさい。そう頭の中で言葉がこだまする。圧倒せんばかりの息苦しさの中には、押さえきれない感情が渦巻いている。憎しみにも似た愛情、強く根をはる怒り、癒えることを知らない悲しみ…それはどれもこれも心を痛めるに充分なわたしをつくり出す。それでも、我慢なさい。我慢なさい。我慢なさい…そう繰り返し言葉はわたしを支配する。平田俊子著『殴られた話』(講談社)には、どうしようもない男たちを愛してしまった女たちの心の葛藤が細やかに描かれている。表題作「殴られた話」「キャミ」「亀と学問のブルース」と三つの物語を収録しているが、どの女性もいずれもダメな男たちを憎みきれずに、忍耐を強いられる。我慢なさい。我慢なさい。我慢なさい、と。

 どうしてこうもダメな男たちを愛してしまうのか、我慢を強いられても耐えようと思えてしまうのか、三つの物語を読んでいるとほんの少しわかったような心地になる。いつのまにやら主人公の女性たちに寄り添っているのである。あの人(男)のことを本当に理解しているのはわたしだけだ。女性関係にだらしなくても、最後にはわたしのところに戻ってきてくれる。そんな過度な思いが少なからずとも浮気を許す女心というものだろうか。本当は別れた方がいいに決まっている。早く別れるべきだ。けれど、ずるずると相手のペースに巻き込まれて、ぐっと多くの言葉を呑み込む。別れてしまいたい。いや、別れたくない…そんな自問自答を繰り返しながら彼女たちは苦悩し続ける。忍耐の女たちである。

 表題作「殴られた話」は、決して後味のいい物語ではない。ある意味女たちの醜さ全開の物語である。いきなり殴られる冒頭からはじまって、そこに至る経緯が展開されてゆく。妻子のいる男である椎名をめぐって、女たちはそれぞれがそれぞれにかけひきのような付き合いをしている。主人公はこそこそとしか付き合えない自分の立場に悩み、椎名に言い寄られていると妄想する女の存在に悩み、そのことを椎名に言えないことに悩み、ついには“我慢しなさい”と言われてしまう。殴られたことも。何もかも。これまでのすべてを。これからのすべてを。殴られた痛みよりも、心の痛手の方が主人公にはこたえた。女への激しい憎悪、椎名への憎悪…それでも、前を見据えるしかすべのないことにも。

 「キャミ」「亀と学問のブルース」でもやはり主人公の女たちは悩ましげだ。やはりどうしようもない男たちに振り回されて我慢を強いられて、それでも憎みきれずに別れを惜しんでいる。何を目にしても、愛する男たちのことを思い出す。考える。愛さずにはいられない。別れてもなお、愛し続ける。忘れることなどできない。男性たちからみたら、こういう女性は都合のいい女、ダメな女に違いないのだが、それでも彼女たちの一途さには胸をきゅっと締めつけるものがある。結局は捨てられることがわかっていても、捨てられてもなお、言葉を反芻する彼女たちの思いの強さ、愛情の深さには頭が下がる。我慢なさい。我慢なさい。我慢なさい…わたしの中でも誰かの声が聞こえてくるような気がしてきた。

4062150409殴られた話
平田 俊子
講談社 2008-11-05

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2007.08.22

さよなら、日だまり

20070820_017 爽快なまでに壊れゆくものがある。ごくありふれた日常に潜む、ほんの僅かな綻びが命取りとなって。そこにつけ込む人がいて、つけ込まれる人がいて。そんな光景は、第三者から見ればひどく滑稽に映るのであるが、当事者にはなかなかわかるまい。いつしか見せた弱さは、ときに底知れぬ恐怖へと結びつくこともあるのだ。平田俊子著『さよなら、日だまり』(集英社)は、あるひとつの夫婦のかたちが崩壊するまでを描いた、見事な心理劇である。理性と常識とを持ち合わせていようとも、太刀打ちできずにじりじりと追いつめられてゆく過程は、ぞっとするほど恐ろしい。そして、タイトルに込められた思いに、ほろりとくるのだった。

 物語は、主人公が、偶然知り合った女性に結婚生活の不満をぽろっとこぼしたところから、ずんずんと崩壊へと向かう。その女性の紹介で占い師の男性を紹介され、手相を見てもらうことになった主人公は半信半疑だったものの、のちに彼らと出会った主人公の夫はいとも簡単に信じ込んでしまうのだった。そして、彼らとの交流が深まれば深まるほどに、取り返しのつかない結末へと近づいてゆくのである。和やかムードの占いから一転して呪術的な示唆へと変わるあたりから、登場人物たちの関係は滑稽さを増し、胡散臭いムードが立ちこめる。あの手この手を尽くして、よどみなく重ねられる様々な嘘は、もはやとどまることを知らないのだった。

 この物語。恐ろしくも、滑稽にも読めるわけであるが、同時に虚しさをも呼ぶ。人と人との関わり合いの中で、生まれてくる隙間に対して、無性に哀しみを覚えるのだ。かつて信じ合っていた者同士が、ほんの僅かなことですれ違うことがある。同じものを見つめていても、その感じ方や受け取り方が違うこともある。言葉一つにしても、その解釈は違うのである。そんな曖昧な感受性をもって関わり合うことで、果たしてわたしたちは何をしたいというのだろう。信じ合えたつもりになって。分かり合えたつもりになって…。物語は、あまりにさらっと読めてしまう。だが、そのさらっとした文体の奥に、心の底に根づく疑問を隠し持っている気がした。

4087748634さよなら、日だまり
平田 俊子
集英社 2007-07

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2007.06.15

二人乗り

20070526_008 かつてのわたしは、進むべき指標なるものが目の前に現れるのを、ずっと待っていた気がする。もちろん、ただ長い間待っていただけではなく、わたしなりにもがき足掻いてみたものの、見えてこないしるしに何だかもう、うんざりしてうんざりして…。もはや手遅れ間近になってから、やっと重い腰をあげて“我が道をゆく”ことに頷いてみたのだ。思えば、何とも遠まわりの人生だった。そんなことを死に際でもないのに思い返してみて、長かったとため息をつく。そう、進むべき指標なんてものは、見えなくて当然なのだ。重い腰をあげたからこそ見えるものがあるわけで、出発地点から怖じ気づいていたわたしに、しるしなんてあるはずもなかったのだ。

 しるし。行く先を告げるそれは、きっと自分自身の中にあるのだろう。平田俊子著『二人乗り』(講談社)を読んで改めてそう感じた。あそこに行けば変われるかもしれないとか、もう一度あの場所に戻ろうとかいう言い回しは、よくよく考えてみれば、単なる気持ちの整理や次のステップへの勢いづけのようなものだ。自分自身の芯さえ揺るぎなくあるならば、それだけでもうひとりで歩くことができる。その、揺るぎない芯というのが、くせ者なのだけれども、気がつけばにょきにょきとどうやら生えているらしい。ひょいと乗り越えてみたところ、“あった”という感じだろうか。まあ、要は自分次第、心持ち次第ということなのかもしれない。我が道というのは、意外と険しい。

 さて、この物語の肝心な内容と言うと…「嵐子さんの岩」「二人乗り」「エジソンの灯台」からなる、輪舞構成となっている。恋をしたために夫と離婚し、自由自適に暮らす嵐子さん物語。嵐子さんの妹である不治子さんが、ある女性と出会うことで日常が色づく物語。不治子さんの夫・道彦さんが、愛人宅にて暮らす中でふと灯台に向かってゆく物語。と、3人が絶妙に絡まりあって、最後まで読み終えると繋がりが見えてくる構成となっている。それぞれがそれぞれに悩みもがき足掻いて、自分なりの行く先を見つけてゆくようなエンディングが、とても清々しく感じられる。とりわけ、最後の「エジソンの灯台」は、妙に親近感を抱いた。あまりにも思考が似ていて・・・

4062129132二人乗り
平田 俊子
講談社 2005-07

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2006.05.09

きのうの雫

20050830_44152 しなやかにしたたる。したたかにしたたる。言葉はそうやって、ときにわたしの中へ落ちてくる。そこに秘められたユーモアと哀しみとは、いくらこぼれ落ちても果てることを知らず、いつまでも終わりなくしたたっている。平田俊子著『きのうの雫』(平凡社)は、まさにそんな1冊だと思う。著者の作品にはじめて触れたときから、したたり落ちてきた言葉たちは、詩や小説にとどまらず、“日々のこと”や“かくことよむこと”、“生きてきたこと”を連ねた散文集でもしっとりとわたしに馴染んでくる。わたしが意識して寄り添う必要もなく、したたって染みゆく。むしろ、言葉たちの方から寄り添ってくる。わたしと言葉とがごくごく近い関係になる、したたりなのだ。

 この1冊の中でわたしが心惹かれたのは、傷について書かれた文章だった。人は誰もが傷を抱え生きているものだが、それと向き合うことはひどく難しい。思えば、傷が癒えることよりもずっと、傷を負うことは容易だ。体の傷は、心を蝕む。心の傷は、体をも傷つける。わたしたちは、それでも“生きよ”と背中を押されてしまう。そんなふうに掻き立てるのは、傍にいるあなたかもしれないし、わたしたち自身かもしれない。あるいは他の、もっと大きなものに呑まれてしまうのか。5歳の頃から傷を抱えている著者は、傷を撮っている写真家と出会い、あるとき被写体になることを決意する。そこで著者が体験した不思議な感覚、心の変化というものが、やわらかに綴られていく。

 また、孤独について書かれた文章もいい。著者のライフワークである詩。そこに横たわる深い孤独というもの。なぜ紡ぐ。どうして紡がずにはいられない。その答えを探るように、いろいろに思いをめぐらせてゆく。人はみな、どうしたって誰もが孤独。きっと、幸せでも不幸せでも。めぐらせた思考の結論としたら、そう曖昧になってしまう。そして、著者は言う。“詩人は孤独だから詩を書いて、書いていっそう孤独になる”と。逃れられないもの。それでも、さらに奥へ進まずにはいられないもの。孤独という存在は、わたしたちをぐいっと引き寄せて逃がさないらしい。だからわたしは、孤独を紡いだ詩人たちの言葉に、怯えることなく浸ってみたい気がする。著者の尊敬する辻征夫とか、くちあたりのいい金子みすずとか。

 もうひとつ、詩のボクシングについて。たびたびこの1冊の中に出てくるイベントの話である。リング上で自作の詩を交互に朗読して、競い合うという。全部で十ラウンド。最後の詩は、3分間でつくらなければならない。このイベントで著者は島田雅彦氏と競うことになり、詩の競技のときの光景をぱっと見せてくれる。男前の上に、舞台慣れしていて、さらに観客をも巻き込み、わかせる島田氏に対して、正攻法の著者。詩に対する深い愛情とプライド、少し卑屈な心持ちを感じさせる、憎めない人。可愛らしい人。何よりも、誠実な人だと思った。しなやかにしたたる。したたかにしたたる。著者の言葉はそうやって、始終わたしの中へ落ちてきたのだった。

4582829708きのうの雫
平田 俊子
平凡社 2001-10

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2005.09.21

ピアノ・サンド

20050916_230 少し前に新聞の書評欄で、“平田俊子”という人の小説に関する記事を読んだ。詩人で劇作家で小説家でもあるその人に、とても興味を抱いた。小説の内容に心惹かれたのではない。記事を書いたのが私の好きな作家だったからでもない。直感のようなものだろうか。この人の書いた小説は、私の好きな物語であるに違いない。そう思ったのだった。利用している図書館には新聞に載っていた新作はなく、平田俊子初めての小説である『ピアノ・サンド』(講談社)のシンプルな背表紙が涼やかに棚に収まっていた。それを見た瞬間、直感は確信に変わっていた。間違いなく私は、この小説を好きになるだろうと。

 表題作「ピアノ・サンド」も「ブラック・ジャム」どちらも、“一人の時間を過ごすのも悪くはない”そんな思いを感じさせるものだった。好きな人、恋人、友人…そういう存在は自分を楽しくも悲しくもさせる。喜びだけをもたらすものではない。いなければ寂しいものだが、いないならいないで何とかなってしまう。一人きりでは孤独だけれど、孤独な時間もまんざらでもないのかもしれない。そう思わせてくれる主人公たちの言葉は、私の内省的な部分をほんのりと和らげてくれた。多分私はずっと、誰かにそう言ってもらいたかったのだろう。繰り返し自分に言い聞かせてきた呪縛のような“一人でも生きられるようにならなくちゃ”ではなく。

 「ピアノ・サンド」は、フランス製の百年前のピアノに思いを巡らす女性が主人公。小ぶりで燭台付きのアップライトのピアノ。預かってもらえる人を探しているという話に、よく考えもせずに応じてしまう。主人公が住んでいるのは、ピアノなど置くスペースなどない狭い部屋なのにもかかわらず。結婚していた当初使っていた一人用には大き過ぎるテーブル、ダブルベッド、ダイニングセットなど。ピアノを置くために家具を買い換え、ピアノがある部屋を想像したり、ピアノに関する恋人の話に傷ついたりする。ピアノに振り回されていくのだ。物語が進むにつれて変化していく主人公の思いが、なかなか爽快である。

 「ブラック・ジャム」は、腕に傷を抱えている女性が主人公。幼い頃からの経験上、ずっと傷を隠し続けてきた。これまで付き合った男性や一目見て心惹かれた男性の隠し通せない傷と、隠すことが可能な自分の傷を思うとき、彼女は自分がずるい人間のように思えてならない。ほんのちょっと袖からのぞく傷。それでも人は、目ざとく傷を見つけてしまう。ないはずのものがあり、あるはずのないものがないと、人の目は敏感に反応してしまうのだ。無神経にも残酷にも。その思いはひどく痛い。卑屈になりながらも、それでも彼女は前を向いている。著者のかなり長いあとがきを読み終わる頃には、心地よい気分になっていた。

4062755645ピアノ・サンド (講談社文庫)
平田 俊子
講談社 2006-11-16

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