29 島本理生の本

2006.02.09

生まれる森

20050711_054 日常はさまざまな人やもの、出来事に満ちている。けれど、その中で自分自身と関わりある事柄だけをつまみ出してみれば、ごくごく僅かであることを思い知らされる。空や海はどこまでも広がっているのに、私はあまりにもちっぽけである。目の前にある光景ですら、手の届かないことが多いのだ。世の中にはそういうことが溢れていて、それを不思議であるとか、理不尽であるとか、そんな感情を抱くことすら愚かしいことなのかもしれない。島本理生・著『生まれる森』(講談社)に対して私が思ったのは、こんなことである。物語は、私の思いとは裏腹に、さらっとした心地よい文体で紡がれている。ささっと流れて漂って、するりとかわして何かを残す佇まいをしている。

 物語の主人公は大学生である。いい子のままではいられなくなった、微妙な年頃の。そう、たぶん主人公はいい子できたんじゃないだろうか。これまでずっと。長い間。例えばこうだ。そこそこ誰かを好きになって、そこそこ悪いとされることもして、でも門限はきちんと守るし勉強もする。家族との仲もいい。特別いいとかではないのだけれど、決して悪くはない。そんな感じの。主人公が、誰との間の子供なのかわからぬまま“妊娠した”と告げようとも、ふしだらだとか、だらしがないとか思うことなく読んでしまうのは、きっと彼女自身の生きてきた時間が、そこそこ切実であったせいだからだろう。もちろん、彼女の切実さと私の切実さは違うのであるが。

 主人公は長い夏休みの間だけ、実家に帰ってしまう予定の友人に部屋を借りる。家族内での気まずい空気から逃れるため、という名目で。少しずつ自分自身に馴染んでゆく部屋の雰囲気を感じながら。一人でいる。ここに私がいる。そう強く意識しながら。主人公が唯一妊娠のことを話したのは、高校時代のクラスメイトであるキクちゃんで、あっけらかんと深刻なことも猥雑なことも話すのがおもしろい。キクちゃんの兄である雪生さんは、それとは対照的な雰囲気ながら、どことなく血のつながりを感じさせる。主人公は、心から求めた人、或いは求めていたつもりになっていた人への思いを抱え続けたまま、新たな一歩を踏み出すかどうかで、迷っている。差し出される手に戸惑いつつ。

 その迷いはきっと、彼女以外には無関係なものだ。寄り添いたいと思う人だけが、関わるべきもの。そういうもの。突き放すように、私はそう思ってしまったのだ。人は皆、自分自身のことにばかりにかまけ、無責任に身勝手な言葉を投げてしまう。そうやって寄り添ったつもりになって、自分で自分に満足する。愚かにも。けれど、物語で彼女に言葉を放つ登場人物は皆、彼女に寄り添おうとしている。そして彼女もまた、相手に寄り添おうとしているのだ。大切に選び抜かれた心ある言葉には、人を救う力がある。出会ったすべてのひとにそう接するのは無理な話だけれど、ちっぽけな私のすぐそばにいるただ一人のあの人くらいには、心を込めて寄り添うべきなのかもしれない。

4062756277生まれる森 (講談社文庫 し 75-3)
島本 理生
講談社 2007-05-15

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2006.01.30

リトル・バイ・リトル

20050815_127 シンプルな清らかさにくらくらした。ほんの少しでも目をそらしたら、衝動にかられて別の場所へ視線を向けたら、陥ってしまいそうな闇がすぐ傍にあるのに。もう半ば陥っているかもしれないのに。島本理生・著『リトル・バイ・リトル』(講談社文庫、講談社)に対して、私はそんな思いを抱いた。瑞々しさを感じるさらりとした文体は、するりと心に染み込んでくる。あぁ今、入ってきた。あぁもう、出ていってしまった。そんなほんのり奇妙な感覚と、読み終えるまでの間ずっと一緒にいた気がした。いつまでもじわじわと余韻を残すものもいいけれど、こういうさらっとした心地もなかなかいいものだと思う。

 母親と父親の違う妹と暮らす主人公は、経済的な事情から大学進学を先延ばしにしてアルバイトをしている。特定の人との関わりを避けるように選ぶ職種と、実の父親へのトラウマ的とも言える複雑な感情、血のつながりのない父親との気まずいやり取り。主人公の日常は、ある男の子との出会いなどをきっかけに、少しずつ変化を見せ始める。それはあまりにささやかで密やかなものかもしれないし、緩やか過ぎて見落としてしまうほどのものかもしれない。読み手の私にもあるような、ありふれた日常である。特別何かが起こるわけではないそういう時間は、ひどく単調ながらとてつもなくいとおしい。物語に素直に身を任せながら、そう思うのだ。

 物語には、主人公の空虚感を示す部分があちこちにある。中でも、義父と家族とで食事に出かける場面が印象的だ。記憶の中にある諍いが夢か幻かに思えるほど、今主人公の目の前には平和な家族の光景が広がっている。けれど、記憶の中の義父がいない日中だけの静けさは、一切の音を失って使われなくなって放置された船のようだと、主人公は思うのだ。海に出なければ船は船じゃない。家族でなくなったら家の意味がない。ばらばらになった思い出に対して主人公が抱く思いは、和やかな食事の席でも複雑な翳りを落としてゆく。向けられる言葉は、あまりにも他人事であるし。それを当然のことだと受け入れているのが、何とも痛いが親しみを覚える部分でもある。

 物語がさらっと清々しい理由をあれこれ考えているうちに、著者のあとがきの言葉が胸に染み入ってくる。“明るい小説にしようと…”という言葉である。この小説はどんな小説であるかを説明するとしたら、「あぁ、これは明るい小説だよ」なんていう一言では済ませられない。言い尽くせない。けれど、明るいというには充分な希望や光りが満ちている。満ち過ぎている、とも言えるほどに。著者の人柄なのか、漂う品のある清らかさ。控えめな明るさが、溢れているのである。それを感じることのできる、受け入れることのできる、それを大事にしたいと思うことのできる、そういうひとりの読者。そして、ひとりの人間でありたいと強く思ったのだった。

4062752956リトル・バイ・リトル (講談社文庫)
島本 理生
講談社 2006-01

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2004.11.27

シルエット

 島本理生が作家になってから、初の文庫化作品「シルエット」を読んだ。著者が17歳で書いたというから、驚きである。“読みやすそう…”という、私の期待をよい意味で裏切ってくれた気がした。今現在も21歳という若さだが、「シルエット」の主人公の<わたし>と同じ17歳の強く人を求める気持ちを等身大で描ききっている。

 父親がいなかった<わたし>は男の人というものをどこか理解できない生き物のように思っていた。そんな主人公が、恋愛をするようになって人との関わりについて学んでゆく姿が丁寧に描かれてゆく。初めて自分の存在を認められた嬉しさという、10代の若さならではの気持ち。本来ならば、自分自身が自分のことを一番愛するべきなのだろう。けれど、主人公の<わたし>は、まだそのことを知らない。自分に自信のない子供にすぎなかった。とにかく、自分のすべてを認めて肯定してくれる存在を必要としていた。

 いくつかいいなぁと思うフレーズがあったので、挙げてみる。

 ・始まりは曖昧なのに終わりはいつだってくっきりしている。
 ・秘密の陰にはかならずと言っていいほど痛みや傷があり…(省略)
 ・すっぽりと覆いかぶさるように生を抱きしめた死の気配は、どこか優しい。
 ・桜は雪に似ているからつらくなる。

 人との関わりの中で、様々なことを学んでゆく主人公。こんな会話が出てくる。「自分の中で、なにかが終わってしまったり、過ぎ去ってしまったと感じたときってあった?」その問いに対して、彼は言う「本当に過ぎてしまったことだから、言ってもしかたないよ」と。主人公はその出来事を彼が言わない限り一生知ることが出来ないのである。それがわかった瞬間、自分が彼と同じ星に生まれただけの他人だということを初めて強く実感する。

 また、こんな場面が好きである。これまで他人に自分を合わせるとこが苦手だった主人公が、「好きな人に合わせるのってちっとも苦痛じゃなく楽しいね」という場面。それから、ふと友達に「お前はいま幸せじゃないの?」と訊かれて初めてきちんと考える場面。若さならではの初々しさがきらきらひかっている作品である。

 そして、17歳の物語を読みながら、自分は幸せかどうか考えてみたりしてしまった私…。答えは、「シアワセ」である。漢字にしたくない雰囲気なのは、希望や夢が叶えられていないから。でも、「シアワセ」であると、即答できるだけ日々考え成長し、生きているのだと改めて思った。

4062749262シルエット (講談社文庫)
島本 理生
講談社 2004-11

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