06 魚住陽子の本

2006.12.29

雪の絵

1010133_444ggrr つうんとした空気の中で、いくつもの言葉が心を埋めてゆくような心地になる。まるで、しんしんと降り積もる雪のように。けれどその余韻は、どこか虚しさにも似た静けさをしていて、いつの日か消えてしまうのだ。掴めないものを必死で掴もうと、希求することにも似ている気がする心地。だからきっと、心を埋めてゆく感覚というのは、まぼろし。あまりにも儚い夢なのだと思う。だから人は、孤独を感じる生き物なのだろうか。魚住陽子著『雪の絵』(新潮社)を読みながら、そんな思考をめぐらすわたしは、まぎれもなく一人で。孤独で。寂しい生き物なのだろう。それでも、心が埋まってゆく感覚を抱いていられるだけで、充分満たされている心地にもなっているのだった。

 表題作「雪の絵」。この作品で少女の視点が捉えるものは、大人の“不毛”というものだ。なんらかの理由で上手くゆかなくなった夫婦関係。そこに子どもを巻き込むということの虚しさが、始終雰囲気として漂っている。妻は二人の子ども(少女)を連れて、あてもない旅をするわけだが、そのゆらゆらとした不確かな立場を敏感にも少女は感じ取ってしまう。そう、少女はちょうど世の中のいろんなことに対して敏感になる年頃なのだ。だからこそ、問うてはいけないことを知っている。多くを知ってはいけないことも、当然のように知っている。それは、無意識のことかもしれないし、意識してのことでもあるだろう。その心の動きというものに、はっとさせられる作品だ。

 はじめに収録されている「別々の皿」。この作品にも虚しさは漂う。もちろん、孤独も。満たされない思いは、“食”に対して敏感になり、執拗なまでにそれを描き出している。それは、端から見れば痛々しいはずなのに、なぜか穏やかな日常の断片のようにも感じてしまうから不思議である。それは、他に収録されている「秋の指輪」や「雨の中で最初に濡れる」にも通じることで、どこか懐かしい印象すら漂う。そうして気づくのだ。ああ、そうだった。これは、わたしも感じたことのあることだった、と。いつのことだったのかはわからないけれど、わたしにも同じような気持ちを抱いたことがあったような…そんな気がしてしまうのだった。もちろん、誰もが、という意味ではない。

 心を埋める。その作業は、きっとこの作品たちのようなものだと、わたしは思う。喜びでも、悲しみでも、愛おしさでも、寂しさでも、なんでもいい。一瞬でも心の片隅をよぎったものに、寄りかかってみたいのだ。ときには、そうして夢を見るのもいい。思い出して浸りきるのもいいだろう。そうやって、ほんの少しでも心を埋めることで、なんらかの呪縛から逃れることができるのならば、わたしは進んでそれをしたいとすら思う。その作業にいくら孤独や寂しさがつきまとおうとも、わたしはかまいやしない。わたしにはまだ、時間があるのだから。それは同時に、心を埋める作業が必要以上に多くなってしまうことにも違いないのだけれど。恐れていては、埋まるものも埋まらない。

4103840013雪の絵
魚住 陽子
新潮社 1992-02

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.10

公園

20061110_028 見つめられる側と、見つめる側。思われる側と、思う側。わたしは確かにあの頃、見つめる側であり続けた。思う側であり続けた。そう、あの頃。確かにあの頃のわたしは。そして、今もわたしは見つめ続けたい衝動に駆られて、思い続ける気持ちを必死で堪えようとしている。なぜ見つめるのか。なぜ思うのか。わからないほどに狂おしい、なんとも言えない心地がここにはまだある。魚住陽子著『公園』(新潮社)は、そういう懐かしき日々と今のわたしとを結びつけるような、感性を揺さぶられる作品である。公園という場所を舞台にし、謎めいた“あの人”を登場させて、“あの人”を“あの人”のままにしておく。そうっと。輪郭をぼかしたまま。ずっと。じっと。いつまでも。

 “あの人は今日も来ている”わたしはその書き出しから、物語にするりと入り込んで読んだ。こんなにも至福の時を味わったのは、とても久しぶりである。もう何度も読んでいる作品なのにもかかわらず、毎回するりと入り込ませてくれる。それはきっと、読むたびに違う一面を見つけるから。そして、わたしが見つめ続ける側であるからに違いない。今日も来ている“あの人”。その“あの人”のように見つめているのは、わたし。嗚呼、この物語にはわたしがいる。そんな愚かしい錯覚さえ覚えるほどに、この物語の“あの人”に強いシンパシーを感じずにはいられないのだ。もちろん、“あの人”はひとりきりじゃない。たくさんの“あの人”がいて。“あの人”を見つめる誰かがいる、のだけれど。

 物語の語り手は複数いて、その誰もが“あの人”を見つけてしまう。公園という場所で。それも大きな広い公園で。だから、必ずしも“あの人”が来ていることに気づくことができないし、“あの人”の姿を見られないと不安になったりもする。それぞれが見つけた“あの人”は、結末ではゆっくりと幾重にも張りめぐらされた線となって結びつくのだけれども、それでも物語の輪郭は不思議となめらかなまま余韻となって残るのだ。その余韻が、不思議と心地よいのである。曖昧にぼかされて、明確にされないこと。それがこんなにも心地のよいことだったとは…という発見があるのだ。読まずにはいられない物語。続きを紡ぎたくなるような物語。まさにそういう物語だと言い切ってしまいたい。

 わたしのあの頃。それはもう、遠い記憶になっている。それでも色褪せずに残っているのは、あまりにもじっと長く見つめ続けたせいだと思うのだ。わたしが見ていたのは、公園ではなくて校庭だったのだけれども、休み時間も放課後も必ず見つめていた。ときには、図書室の窓辺から、校舎の死角となる日陰から。じっと。ただじっと。一歩も動くこともできずに、ただ見つめていた。そんな憶病なわたしの見つめる先にあったものを感じ取ったのは、“あの人”だった。わたしを見つめていた“あの人”。何かをじっと見つめるわたしを、さらに見つめる人がいたのである。そのときの驚き。あの瞬間。忘れもしない。“あの人”は去りゆくときに言った。“好きだよ。でも、おまえの好きな奴には、俺は何もかなわないな”と。

4103840021公園
魚住 陽子
新潮社 1992-08

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。励みになります!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.05.13

動く箱

20050512_44007 家という名の入れ物。住処というもの。人の器。その大きさがどうであれ、どんな形態であれ、わたしたちはみな、そこで生活を営む。逃れようもなく関わり合う。ときに心を揺さぶられる。魚住陽子著『動く箱』(新潮社)に収録された作品はいずれも、そういうものを思わせる。から箱、夜の箱、箱の日々、音の箱、箱の上、声の箱、の短い6つの話からなる、表題作「動く箱」。雨のもたらす疼きと執着を描いた「雨の箱」。ある程度の歳を重ねた女性が、自分だけの家を求めて過疎化の進む地で家を見て回る「流れる家」。家族を放って違う生き方をしようと決めた女性の、家を出るまでの葛藤を描いた「敦子の二時間」。今日のような雨のしとしと降るときに、よく馴染む作品ばかりである。

 “待つことは病気だ”という文章が出てくる。流れゆく時間というものを、時間そのものとして捉えることは、ひどく難しい。わたしたちは、そこで何かをせずにはいられない。或いは、何もかもが手につかない。ただそこに佇むのは、それだけのことながら、あまりにも厄介で、逃れようもない。言ってみれば、重みだ。わたしはこの作品の中に、そういう重みの中ですら、さまざまに試みる人を見る。これから起ころうとする重み(重圧)と、じりじりと向き合う人を見る。過ぎ去った重みに、囚われた人を見る。重みに耐えかねて、すべてに押しつぶされそうな人を見る。待つ。待てない。その狭間で揺れて、わたしたちは日常というものを埋めている。そんな気がする。

 「敦子の二時間」。まさにこれは、時間の重みを感じる作品である。描かれるのは、たったの2時間なのだが、その限られた時間だけで、積み重ねてきた年月というものを知ることができる。そして同時に、たったそれだけの時間で、積み重ねてきた日々が壊れることに気づいて、はっとするのだ。重くのしかかるものが、後々引きずるにしても脆いことに対しても。踏み止まることも、踏み出すことも、同じくらい重いものであることに対しても。憶病なわけじゃない。決して強いわけでもない。忍耐だなんてとんでもない。めぐりめぐって苦しいのは、どちらにしても、どんな選択をしても、大して変わらないのではないだろうか。残念ながら、ここに根拠はないのだけれど…。

 さて、日常を埋めてきたものの象徴としての入れ物である、家。「流れる家」には、さまざまな家とそこに暮らす人々を描き出している。想像をもめぐらせる。意識せずとも、どうしても滲み出てしまうそれは、もしかしたら、人の表情や仕草、言葉よりも、ずっとずっと鮮明にわたしたちを映すものなのかもしれない。わたしたちが染められるのか、染めるのか。読みながら、思わずわたし自身とわたしがいる場所との関係の正体を探ってしまった。このよく馴染んだ住処は、わたしらしいのか。わたしそのものなのか。いつからなのか。どこからなのか。物語の展開や結末なんぞそっちのけで、あれこれもぞもぞと思考をめぐらせるわたしだった。ここには生き物のごとく、感情が住みつくのだ。

410384003X動く箱
魚住 陽子
新潮社 1995-11

by G-Tools

もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…
にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.29

奇術師の家

 19の頃、都内に住み始めたことをきっかけに、探している本が見つけやすくなった。いつのまにか、本屋に行ってお目当ての本を実際に手に取り、手触り、文章の書き出し、装丁に至るまで確かめてから本を選ぶようになっていた。

 その頃出会った小川洋子著「妖精が舞い降りる夜」の中には、魚住陽子さんの小説に対する著者の熱い思いが綴られていた。小説を手に取り、タイトルを眺め、書き出しの数行を読んだ途端、ここから替わって自分がこの小説を書きたい、と思う小説を書く作家さんであるという。

 それは、魚住陽子さんの「公園」という小説なのだが、私は古本屋でも都会の大きな本屋でも、魚住さんの小説を探し出すことが出来なかった。今では、ネットでちょちょいと検索できるのだが…それに本屋に注文すればよかったのに…でも、調べてみれば在庫切れ。もっと早く魚住作品を読んでおけばよかった。とても悔やまれる。

 私が魚住作品を諦めた頃、古本屋のセールで、この「奇術師の家」を見つけた。私は20歳になっていた。残念ながら「公園」は見つからなかったけれど、魚住さんの小説に触れることが出来て、無性に嬉しくなった。もちろん即買い。そして、魚住さんの小説の世界にぐっと引き込まれた。その後、すぐにその本は文庫化され、私の手元には文庫だけが残った。

 「奇術師の家」は主人公の母がかつて住んでいた、取り壊しの決まっている借家での生活が幻想的に紡がれてゆく。残り少ない余生を生きる母のために引っ越してきたのである。30年ぶりにその家に戻った病床の母は、夢なのか過去に実際にあった出来事なのかわからないことを口にする。心も体も不安定で、夢の中のような話を語り続ける母。家の持ち主である奇術師・鬼頭とは一体どんな人物なのだろう…母との関係はいかなるものであったのだろう…主人公の私は思いをはせる。奇術師という言葉だけで幻想的なイメージが私の中には広がった。超能力者でもなく、マジシャンでもなく、特別な意味合いを感じる奇術者なのである。言葉の選び方も素敵だ。いつか、こんな小説を書いてみたい…と本気で思った。

4022641002奇術師の家
魚住 陽子
朝日新聞社 1996-02

by G-Tools

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

01 安房直子の本 | 01 雨宮処凛の本 | 02 池澤夏樹の本 | 03 いしいしんじの本 | 03 石井睦美の本 | 03 絲山秋子の本 | 04 井上荒野の本 | 04 稲葉真弓の本 | 05 岩阪恵子の本 | 06 魚住陽子の本 | 07 江國香織の本 | 08 大島真寿美の本 | 09 小川洋子の本 | 09 長田弘の本 | 10 荻原浩の本 | 11 尾崎翠の本 | 12 恩田陸の本 | 13 角田光代の本 | 13 鹿島田真希の本 | 14 金井美恵子の本 | 14 金原ひとみの本 | 15 川上弘美の本 | 15 川端康成の本 | 16 北村薫の本 | 17 桐野夏生の本 | 18 久坂葉子の本 | 18 倉橋由美子の本 | 19 栗田有起の本 | 20 黒川創の本 | 21 小池昌代の本 | 22 河野多恵子の本 | 23 桜庭一樹の本 | 23 酒井駒子の本 | 24 佐藤亜有子の本 | 24 佐藤友哉の本 | 25 佐野洋子の本 | 26 重松清の本 | 27 澁澤龍彦の本 | 28 島田雅彦の本 | 29 島本理生の本 | 30 清水博子の本 | 31 庄野潤三の本 | 31 朱川湊人の本 | 31 笙野頼子の本 | 32 瀬尾まいこの本 | 33 嶽本野ばらの本 | 34 太宰治の本 | 35 田辺聖子の本 | 35 谷崎潤一郎の本 | 36 多和田葉子の本 | 36 津村記久子の本 | 37 中島たい子の本 | 37 中島京子の本 | 38 中島らもの本 | 39 長野まゆみの本 | 40 中原昌也の本 | 40 夏目漱石の本 | 41 中山可穂の本 | 41 中村文則の本 | 41 楡井亜木子の本 | 42 蜂飼耳の本 | 42 長谷川純子の本 | 43 服部まゆみの本 | 44 平田俊子の本 | 44 東直子の本 | 45 古川日出男の本 | 45 福永武彦の本 | 46 星野智幸の本 | 47 堀江敏幸の本 | 48 前川麻子の本 | 48 町田康の本 | 49 三浦しをんの本 | 50 皆川博子の本 | 51 村上春樹の本 | 52 本谷有希子の本 | 53 森絵都の本 | 54 山田詠美の本 | 54 湯本香樹実の本 | 54 矢川澄子の本 | 55 吉田篤弘の本 | 56 吉本ばななの本 | 57 吉行淳之介の本 | 58 海外作家の本(アメリカ) | 59 海外作家の本(イギリス) | 60 海外作家の本(フランス) | 61 海外作家の本(イタリア) | 62 海外作家の本(ドイツ) | 63 海外作家の本(ロシア) | 64 海外作家の本(その他&分類不可) | 65 新潮クレスト・ブックス | 66 Modern&Classicシリーズ | 67 白水Uブックス | 68 エッセイ・詩・ノンフィクション本 | 69 アート・絵本 | 70 漫画本 | 71 猫の本 | 72 犬の本 | 73 心理学・精神医学関連の本 | 74 その他の本 | ウェブログ・ココログ関連 | 日記・コラム・つぶやき | 書籍・雑誌