56 吉本ばななの本

2008.02.14

ハードボイルド/ハードラック

20050124_003 雰囲気に呑まれてしまうことがある。たとえば悲しみの。或いは、悲しみの連鎖の。目に見えないチカラによって為されるそれを何と呼ぶべきなのか、わたしにはよくわからない。けれど、何らかの奇妙な作用があって展開される、吉本ばなな著『ハードボイルド/ハードラック』(幻冬舎文庫)を読み終えてみると、科学的な根拠のないそれを信じてみるのも悪くない気がするのだった。「ハードボイルド」は、てくてく山道をあてもなく歩く場面からはじまり、なぜかかつて一緒に暮らしていた亡き彼女のことを繰り返し思い出す、という不思議な一夜を描いた物語である。一方「ハードラック」は、死にゆこうとしている姉を通して鮮やかに描かれる、ゆれる人間模様を描いた物語である。

 どちらの物語も“死”ということに重きを置いている点では共通していて、死者をより身近に感じ取っている主人公が登場する。「ハードボイルド」ではウトウト夢見心地で見る死者の姿は美しく、様々な記憶を呼び起こしてゆく。お互いに若かったゆえ、の後悔だとか。関係性の持続の困難さ、だとか。人とは、実に愚かにできているもので、後戻りできないところで地団駄を踏んでみたりするのであった。不思議なことが立て続けに起こる展開は、やがて読み進めるうちに明らかになってゆくわけだが、物語に始終漂う夢のような雰囲気はいつまでも余韻を残す。それがまた、心地よい。するりと脳内に染み入って、夢とうつつを行ったり来たりしたくなってしまうのだった。

 もうひとつの「ハードラック」では、脳と身体とが、別々に死んでゆく姉の死の不自然さと、それを見守る人々のある意味での自然さとの対比が印象的である。“自然”。そう一言で言ったところで、価値観や考え方は様々であるが、いわゆる脳死状態にある姉の死とどう向き合ってゆくのか、という重たいテーマを、主人公の妹と、姉の婚約者だった人の兄とのスムーズな会話によって、さらりと読ませてしまうあたりが心憎い。姉以外の人すべてが自然で、ただ一人姉だけが不自然…そんなふうに思ってしまう主人公の葛藤も、不謹慎ながらの淡き恋心もちゃんと描かれているところもまた、何とも心くすぐられる。悲しみに明けくれつつも、くれない。そんな物語なのである。

 そして、どちらの物語を通しても感じられるのは、変わりゆく人並みの中にも、変わらない大切なものがあるような気がする、ということだ。空はいつだって頭上に広がっているし、夜になれば星が煌めく。昼には太陽が燦々と照りつけて、月だって眠らずに片隅にいてくれることだってあるのだ。そんなふうに思っている先にも、世の中では必ず誰かが死に、誰かが泣きを見る。いつも起こり得るそれらを普段は意識しないだけで、悲劇はごく身近なところにあふれているのだろう。だからこそ人は、雰囲気に呑まれてしまうことがある。たとえば悲しみの。或いは、悲しみの連鎖の。そうして、目に見えないチカラによって為されるそれを信じてみたくもなるのだろう。

434440159Xハードボイルド/ハードラック (幻冬舎文庫)
吉本 ばなな
幻冬舎 2001-08

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2005.02.18

白河夜船

 淋しさに支えられている恋愛を描いた吉本ばなな著『白河夜船』。“いつから私はひとりでいる時、こんなに眠れるようになったのだろう”そんな冒頭から始まる。夜の果てである孤独の闇で、ひっそりとしていることの、じんとしびれるような心地から立ち上がれないのだ。惹かれ合う2人の関係は複雑で様々な事情があるものの、これから先をどうしたいかというようなはっきりした気持ちが、お互いなかった。彼の妻は植物状態。夫婦はこのままずっと、静かに立ち止まり、人の生死を話し合い、支え合い、主人公は無言で愛人のように日々を送り、眠り続けるのであった。

 疲れれば疲れるほどに彼は、現実から遠いところへ主人公を置く。主人公は彼といると、ただでさえ無性に淋しかった。いつも何だか悲しくて、青い夜の底にどこまでも沈んでゆきながら、遠く光る月を懐かしむような、爪の先までただ青く染まるような思いがつきまとった。それに加えて、友人であるかつての同居人の死。よく眠る主人公とは対照的で、「一晩中、眠るわけにはいかない」と以前に語っていた。彼女はお金を取って、添い寝をするという仕事をしていたのであった。となりの人が目を覚ました時、淋しくさせたくないという。彼女の元に集まる人々は、ものすごくデリケートな形で傷ついて、疲れ果てている人ばかり。けれど、彼女は自分が疲れていることすらわからないくらいに…

 主人公は、亡くなった友人との思い出の公園に来ていた。自分の意志ではもうどうすることもできないところに来てしまったようなこの気持ち…。それでも主人公は眠くて眠くて、何も考えることができなかった。すると、その公園で「短期でかまわないからアルバイトを見つけなさい」と助言される。偶然にも、友人から1週間だけのコンパニオンをやることになり、眠気をこらえて一歩を踏み出す。

 何をしていても眠く、つらくて仕方がない主人公であったが、何か、背筋のようなもの、いつでも次のことをはじめられるということ、つまり希望や期待みたいなことを、いつの間にか主人公も主人公の亡くなった友人も気づかないまま投げてしまっていたのだと知る。けれど、ずっと生きてゆくことに耐えてゆくには友人は弱すぎたのだった。

 自分の中にある闇と向き合ったら、深いところでぼろぼろに傷ついて疲れ果ててしまったら、ふいにわからない強さが立ち上がる。大好きな人と一緒にいられること、何もかもが恐ろしいくらいに澄んで美しく見える。その完璧過ぎる状況に涙をこらえる主人公。ほんのささやかな幸せが、主人公を優しく包んでいるようなお話であった。

4101359172白河夜船 (新潮文庫)
吉本 ばなな
新潮社 2002-09

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4041800072白河夜船 (角川文庫)
吉本 ばなな
角川書店 1998-04

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