10 荻原浩の本

2005.08.17

明日の記憶

20050815_170 記憶だけでなく、人格をも失われてゆくアルツハイマー。言葉や思考に続いて、体の機能も奪われてゆく死に至る病である。50歳にして“若年性アルツハイマー”と診断された佐伯が、病気を受け入れて生きようとするまでを描いた、荻原浩・著『明日の記憶』(光文社)。読みながら胸が息苦しくなり、何度も泣きそうになった。世間がアルツハイマーという病に関して、いかに無知であるか。誤解をしているか。そして、この病の者が抱える胸の内がどんなものであるのか。傍に寄り添う者の苦悩とは。そういうことを思い、感じ、考えていくうちに、私の中で何かが弾けた。ぷつん、と。

 不安。恐怖。絶望。アルツハイマーだと診断された佐伯は、この3つの感情に支配される。文字にしてみれば、何のことはない熟語。あっさりしている。けれど、キレイに並んでいるこの言葉が、小説の中できつく胸を締めつける。あまりにも深く広がる不安であり、どこまでも続く恐怖であり、限りない数の絶望である。“なぜだ。なにが悪かったんだ。どこで間違えたんだ。教えてくれれば、そこからやり直す”切実な佐伯の言葉が、じわじわと心の奥底まで響く。目の前に広がる厳しい現実を、そう簡単に認めることなど出来ない。目をそらすことが出来るのならば。逃げることが出来るのならば…

 記憶を失ってゆくことを知られるのが恐かった佐伯。彼は、ある時期まで病のことを黙って仕事を続けようとする。たくさんの情報が書かれたメモをポケットにしまい、その情報を頼りに仕事をする。速記者のようにメモをとりながら会議に参加する様、電話での応対や失敗…そういうことに、周囲の者は何かがおかしいと思い始める。佐伯の病状が進むほどに。信用していた者の裏切り、敵のように感じていた者の思わぬ気遣い。そういう変化と共に、佐伯の気持ちも変化してゆく。その様子は、潔くもあり後ろ向きでもある。一方では右と言い、一方では左と言う。2つの思いの間で大きく揺れている。

 “まあ、しかたない。生きられるだけ生きよう”病を受け入れてこんな思いに至るまでには、多くの時間を要する。人はなぜ生きるのか。どう生きるべきか。人生の意味は。生と死とは…そんな問いを嘲笑うように、人の命はそれらとは無関係に生まれ、翻弄され、消えゆく。頭だけで難しく考える必要はない。感じるまま、思うままに。今という時間を大切に生きればいい。この本は、そう語りかけてくれているように思う。そして、こう付け加える。記憶が消えても、私たちが過ごしてきた日々が消えるわけではない。失った記憶は、同じ時間を過ごしてきた人々の中に残っているのだから、と。

4334743315明日の記憶 (光文社文庫)
荻原 浩
光文社 2007-11-08

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2005.08.09

メリーゴーランド

20050807_106 地方公務員。36歳の遠野が任されたのは、市が建設した超赤字のテーマパーク「アテネ村」の経営を建て直すこと。地方都市の村興しと権力闘争に翻弄され、おかしくも哀しくもある奮闘を描いた、荻原浩・著『メリーゴーランド』(新潮社)。市役所の管理職は丸投げを決めこんでいるし、報告書と準備室の看板書きばかりに熱心な課長は頼りにならないし、アテネ村の運営会社であるペガサスリゾート開発には古い概念にとらわれた口うるさい理事たちばかり。そんな中、あれこれもがいてみせる遠野らの姿に好感がもてた。するりと物語に入っていける描き方にも、とても惹かれた。ユーモア小説という部類に入るのか。荻原氏の作品は初めてなので、もっと読まねば。

 私が一番気に入ってしまったのは、遠野が息子の作文を想像するところ。テーマは、お父さんの仕事。『うちのお父さんの仕事は、たのしいゆうえんちをつくることです。毎日の仕事は、がつんとはく力じゅうぶん』と言って、照れまくる。『うちのお父さんの仕事は、すごくいそがしくて、土よう日も日よう日も出かけます。ぼくとのやくそくもまもってくれません』と言って、家族に申し訳なく思う。親の背中を見せることは、子供への何よりの教育と言うが、背中ばかり見せられたら、子供だってたまらないだろうと思う。こういう親心は、なかなか子供には伝わってこないものだから、自分のことのようににんまりしてしまった。

 あれ?そういえば、私は父親の仕事が何なのか説明できないかもしれない。ふと、そんなことに気づく。職種は言える。どんな役職なのかも言える。言えるが、具体的に何をやっているのかは知らない。異動が多いせいもあるのだけれど、父親と仕事の話をほとんどしないせいもあるのだけれど。私が朝起きた時には、もう出かけた後のことが多く、夜はさっさと就寝してしまう。あぁ、私は作文が書けない。まあ、書く必要はないので困る必要はないのだが、私はあまりにも父親のことを知らないことに気づかされた。今日交わした言葉といえば、父「日経PC、2冊持っていかなかった?」私「1冊じゃなかったっけ?」父「バックナンバーが2冊ないんだよ」私「じゃ、探しとく」このくらいだ。

 それから、この本を読んだ多くの人が、公務員に対して怒り又は疑問を感じるのではないかと思う。この本に描かれているお役所の実態が、あまりに呆れてしまうものだから。それとも、本当にこんな許し難いことが行われているのか。ユーモアにしても、父親が公務員の私は少々複雑な気持ちになった。ニュースでの報道を聞く限り、呆れる実態があることは事実のようだが、そんな人はわずかであると信じたい。ごく一部の人のせいで誤った認識が広まってしまうのは、とても残念に思う。それは、どんな仕事にも言えることだけれど。父親をよく知る人から聞いた、“君のお父さんは、とても凄い人なんだよ”という言葉が、私をずっと支えてくれている。明日は、もう少し語り合ってみようかな。

4101230331メリーゴーランド (新潮文庫)
荻原 浩
新潮社 2006-11

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