明日の記憶
記憶だけでなく、人格をも失われてゆくアルツハイマー。言葉や思考に続いて、体の機能も奪われてゆく死に至る病である。50歳にして“若年性アルツハイマー”と診断された佐伯が、病気を受け入れて生きようとするまでを描いた、荻原浩・著『明日の記憶』(光文社)。読みながら胸が息苦しくなり、何度も泣きそうになった。世間がアルツハイマーという病に関して、いかに無知であるか。誤解をしているか。そして、この病の者が抱える胸の内がどんなものであるのか。傍に寄り添う者の苦悩とは。そういうことを思い、感じ、考えていくうちに、私の中で何かが弾けた。ぷつん、と。
不安。恐怖。絶望。アルツハイマーだと診断された佐伯は、この3つの感情に支配される。文字にしてみれば、何のことはない熟語。あっさりしている。けれど、キレイに並んでいるこの言葉が、小説の中できつく胸を締めつける。あまりにも深く広がる不安であり、どこまでも続く恐怖であり、限りない数の絶望である。“なぜだ。なにが悪かったんだ。どこで間違えたんだ。教えてくれれば、そこからやり直す”切実な佐伯の言葉が、じわじわと心の奥底まで響く。目の前に広がる厳しい現実を、そう簡単に認めることなど出来ない。目をそらすことが出来るのならば。逃げることが出来るのならば…
記憶を失ってゆくことを知られるのが恐かった佐伯。彼は、ある時期まで病のことを黙って仕事を続けようとする。たくさんの情報が書かれたメモをポケットにしまい、その情報を頼りに仕事をする。速記者のようにメモをとりながら会議に参加する様、電話での応対や失敗…そういうことに、周囲の者は何かがおかしいと思い始める。佐伯の病状が進むほどに。信用していた者の裏切り、敵のように感じていた者の思わぬ気遣い。そういう変化と共に、佐伯の気持ちも変化してゆく。その様子は、潔くもあり後ろ向きでもある。一方では右と言い、一方では左と言う。2つの思いの間で大きく揺れている。
“まあ、しかたない。生きられるだけ生きよう”病を受け入れてこんな思いに至るまでには、多くの時間を要する。人はなぜ生きるのか。どう生きるべきか。人生の意味は。生と死とは…そんな問いを嘲笑うように、人の命はそれらとは無関係に生まれ、翻弄され、消えゆく。頭だけで難しく考える必要はない。感じるまま、思うままに。今という時間を大切に生きればいい。この本は、そう語りかけてくれているように思う。そして、こう付け加える。記憶が消えても、私たちが過ごしてきた日々が消えるわけではない。失った記憶は、同じ時間を過ごしてきた人々の中に残っているのだから、と。
![]() | 明日の記憶 (光文社文庫) 荻原 浩 光文社 2007-11-08 by G-Tools |
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