30 清水博子の本

2007.09.03

ドゥードゥル

20070901_042a じりじりと心が急く。けれども、はやる気持ちが募れば募るほどに、活字は思うように脳内には入ってこず、その蠢きを増すばかりである。視界を行ったり来たりする無数の黒。それに少しばかりの苛立ちと、同時に愛おしさを覚えつつ、清水博子著『ドゥードゥル』(集英社)を読んだ。閉塞感に満ちた語りはどこまでも読み手を追いつめ、息苦しさの中にぽんと放り込む。そして苦痛なくらいに長く、癖のある文体の先にあるのは、ある種の快感である。読み始めたらもはや、本を閉じることなど許されない。いや、許して欲しくない。身勝手なわたしは、その苦痛の先にある快楽に溺れるようにして、一人この作品の世界を耽読してみた。

 表題作「ドゥードゥル」。悪戯書きを意味するタイトルの響きからして、かなり好みの作品である。文学創作科出身の同窓生の結婚式で久しぶりに再開した友人の一人に、身の上話を打ち明けられ、それを自分に代わって小説にして欲しいと頼まれる<わたし>。苦心の末、何枚かの草稿にまとめて送ると、元の文章がわからないほどに添削されたものが返される。半ば逃げるように外国へ行っている間に、同窓生たちに回覧されていたことを知るのだった。これは、書くことについて書いた小説であり、現実と虚構の世界との境界が溶けゆくのが、何とも心地よい。次第に精神的に追いつめられてゆく<わたし>の内省的な語りにも、ひどく魅せられた。たとえ、出口が見えなくとも。

 もうひとつ収録されているのは「空言」。ベランダに干してあった外国に単身赴任中の夫の下着だけが盗まれた…そんな訴えからはじまるこの物語は、そこから既にある執念のようなものを感じさせる。主人公の縫子は集合住宅にて一人の時間を持て余しており、夫に命じられるままローマ字でひたすらメールのやり取りをしている。ここでもやはり、書くことに対する苦悩なるものが描かれており、懸命に紡がれた言葉たちが、現代社会の中でいとも簡単に消えてしまう虚しさをふと考えさせられる。日常に潜むはっとするほどの闇。ほんの少しの歪み。それらが縫子を呑み込んでゆくのを、ただただじっと耐えるようにして読んだ。だが、それもまた妙なくらいに心地よいのだった。

4087744035ドゥードゥル
清水 博子
集英社 1999-04

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2006.03.15

vanity

20051120_44020 生きてゆくための“装い”というものを、私はときどき考える。表面的な着飾りはもちろん、心の置き所や言動、他者に与える雰囲気などなど。私自身の思惑と他者の捉え方が多少異なっても、理想的にありたい自分と確かにある自分とをさまざまに組み合わせ、絡め取り、精一杯に装ってみせるのだ。その行為はなんとなく、清水博子・著『vanity』(新潮社)の物語世界と似た匂いを思わせる気がする。ヴァニティ、つまり虚栄心。うぬぼれ、空虚、虚しさ。プライドに縁取られたそれらの言葉の並びは、私の装いというものの愚かさを指し示すようだ。とは言っても、生きるためには、社会との繋がりを完全に断ち切ることなどできるはずがない。ゆえに、何かしら装わずにはいられない、ということになる。

 物語は、空き巣と小火で身を寄せる場所を失った画子と、その恋人の母であるマダムとの日々を描いている。東京郊外での味気ない暮らししか知らない画子が、古いしきたりが今もなお続く六甲の商家で、婚約者候補の女性として行儀みならいをするのだ。けれど、身を守るためだけに仕事を辞めるつもりなどなく、留学中の恋人と口裏を合わせて、画子は表玄関からいれてもらうためにマダムに虚偽を告げる。マダムはマダムで、周囲の人々に画子の所在を明らかにはせず、2階から降りてくることをよしとしないことも多々ある。有無を言わせないマダムの言葉に、肯定したようにも聞き返したようにも捉えられる曖昧さで“はい”と放つことを学んだ画子は、自分自身の身の振り方や決められている生き場所のようなものをぼんやりと意識し始める。

 画子が意識するもの。それは、文豪・谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」にもある、関西と東京との違いなどによってめぐらされる。声色から始まり、歴史的に虚栄まみれの場所での自分の嘘の無意味さ。秘密にしても露呈する、自分という人間の底の浅さ。かといって、正直さをもよく思われない。関西に深く根を張る美学としての諦念というものを、少しずつ知ってゆくのだ。虚栄の下では、ある条件がそろっていなければ、門前払いされる。一見、やわらかなのに、実は冷ややかな口調。意味を持って見下ろされる視線。そういうものを、心狭くフンと思うのは簡単だ。その地を離れればいい。出てゆけばいい。逃げてしまえばいい。ここにある疼きなど、素知らぬ振りをすればいい。けれど、フンと思うその気持ちこそ、うぬぼれじゃないのか。物事への。他者への。自分への…

 省みる点が多いのは、きっと私がマダムのような暮らしとは縁がないせいだろう。また、その暮らしとは対照的な場所での暮らしにも縁がないせいだろう。ゆえに、物語の中で画子が感じたように、一生足を踏み入れない場所というものがあることを自覚している。完璧に整えられた美しさと、裕福さとに縁取られた姿しか似合わないその場所は、たとえ私が潜り込めても、正しく馴染めないことを伝えてくるはずだ。自分の身分を思えば、それはごくごく当たり前の事実として目の前にある。そう、だって、正真正銘のマダムはこんな文章を連ねることなどないのだ。そもそも、書物を読みはしない。同じような身分に属する誰かの、限りなく気まぐれに近い憶測だらけの噂話を、完璧な装いで口にするのだ。「なんとかっていう本に、私たちが登場するらしいわ」とか。

4103016515vanity
清水 博子
新潮社 2006-02-23

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2005.09.14

ぐずべり

20050906_140 “少女”という微妙な年頃の感情を清らかに冷ややかに描く、清水博子・著『ぐずべり』(講談社)。頭の中の出来事と現実とがかみ合わない少女の視点から日常の機微を描いた「亜寒帯」。希望の持てない未来に少女が密かな復讐を試みる「ぐずべり」の2篇を収録。日常の中に揺らぐ狂気が印象的な中編である。著者の作品を読むのは、これが3冊目。毎回感じる文章の読みにくさなど、あまりにも些細なことであると思えるほどに、“少女”の語りが面白かった。その多感さに。その敏感さに。その高潔さに。気がつけば、もの凄く惹かれていた。隙間なく連なる活字の波にのみこまれてゆくことが、快感にすらなっていた。

 まずは、「亜寒帯」のほうから。主人公である少女・藍田本人が過去に関して語っているとも、第三者が少女を見下ろすようにして語っているとも、どちらにもとれる語りで物語は進んでゆく。北国の厳しい寒さの中、少女がどのようにして日々を過ごしているのか、どんなことを日々考えているのか、そんな小さくも大きくもあるような事柄が、読み手の私には愛おしい少女時代の思い出に感じられた。制服のスカートの襞がしわにならないように気にすることだとか、母親がよかれと思って買ってきたセンスのない外套を我慢して着ることだとか、残酷なまでに強いられる人間関係だとか…今となっては実にたわいもない数々の事柄に関して。

 2話目の「ぐずべり」。この物語では、1話目で少女だった藍田がイニシャルである“AA”で呼ばれる。親戚の間で、彼女はどんな人物ともとれるような言葉で語られている。潔い人生を送っているのか、変わり者として扱われているのか、さてはて実際のところどうであるのか。親戚の少女からは、“もしお母さんが同級生だったとしても、絶対に友だちになっていない。亜子ちゃん(AAのこと)がお母さんだったらよかったのに…”と、こんなふうに慕われていたりする。この発言をした少女は中学生。ちょうど1話目では、AAも中学生である。何ともいい合わせ方をしている。娘にこう言われてしまった母の立場は、あまりにもキツイものですが。

 そして、考え深い部分は、AAが過去の自分自身について回想するところである。AAの中には、人々の間で話題になる<AA>もいれば、それを傍観する≪AA≫というのもいる。今よりも毒気も色気もあったはずの20代の自分。いつのまにか摩耗していた言いたい事柄を思うとき、AAの内部にある<AA>がAAに代わって、AAとは無関係に、すでに場面全体を吸収し、記録し、分類し終えている…そんな思いになるのである。何ともややこしい説明。けれど、私の一番のツボだった。AAが中学時代に書いたという“理解できない「金閣寺」”という読書感想文も、よかったけれど。これは2番ですね。

4062113309ぐずべり
清水 博子
講談社 2002-10

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2005.09.03

街の座標

20050830_148 “小説の形式をしたストーキング。遂には殺してしまう…”そんな言葉で評された、清水博子・著『街の座標』(集英社、集英社文庫)。女子学生の主人公の<わたし>が卒業論文のテーマに選んだのは、女流作家I。近所に小説家Iが暮らしていることを知った<わたし>は、その痕跡を追い始める。下北沢という、2本の私鉄が交わり座標を形成する街を舞台に、微妙なすれ違いや関係のねじれを描く物語。読み進めるほどに、溢れゆく文字の連なりに、呑み込まれていくような感覚に陥り、戸惑いを覚える。それは、1文の中に“起承転”。次の文に“結”を置く、著者独特の情報量の多い文章のせいなのかもしれない。正直、読みにくい。けれど、はまったらクセになる。とても魅力的な活字の海だ。そう思うのは、溺れてしまった気がするから。だって、カナヅチなんだもの。

 卒業論文に小説家Iを選んだと言っても、主人公はたったの1冊しか作品を読んでいない。小説家の描いた<S区S街>に対して、様々な思いを巡らせているうちに、卒論の計画書に小説家Iの名前を書いてしまった。ただそれだけのこと。ただそれだけながら、幻想に浸るには充分だった。街で見られる景色には、小説の影響がややこしいかたちであらわれた。創作だろうと思っていた場所が目の前にあることに戸惑いを感じつつも、小説に書かれた言葉は決して魅力を失うことはなかった。それらの中には、何も挟む隙などなかった。現実の下北沢という街を自分の足で歩くことは、<S区S街>を特権化する行為となったのだった。

 この主人公、実に怠惰な日々を送っている。細かなことは書かないが、はっきりいってだらしない。けれど、そういうところが妙に親しみを感じる部分でもある。やらなければならないことは、充分にわかっているのだ。わかっているから、やろうとする。でも、どうしても出来ない。出来ないことに苛立ちを感じる。それでも、自分ではどうにもならない…こういう感覚は、誰もが経験することだろう。そして、何とか切り抜けること。けれど、物語の中では始終自分自身と葛藤する。その真っ只中で、苦しむ。周囲に助けはない。お金を払ってどうにかしてもらうことはあっても、やはり主人公は一人きりの印象が強く残るのだ。部屋に閉じこもって、小説家Iの作品を転写するだけで流れてゆく時間。それは、孤独とは趣が異なるように思える。

 あぁ、もしかしたら一人きりの人間ほど、幻想の中に呑み込まれやすいのだろうか。幻想の中というのは、何とも心地のよい居場所ではないのか。物語の中に深く浸っていたいと切に願う私は、そんなことを思う。私にとっては、主人公の小説家Iに対する思いは、ちっとも変わったことではないからだ。お気に入りの作家でなくとも、固有名詞が出てきた場合、胸が高ぶるのだから。それが、自分の知る街ならば、自らの足で小説をなぞりたくもなるだろう。そして、小説家が感じたのと同じ気持ちを私も味わいたいと願うだろう。そこまでの欲求が満たされれば、今度はもっと小説家自身に近づきたいと思い始めるかもしれない。それが、どんな方法かはわからないが。

4087473597街の座標 (集英社文庫)
清水 博子
集英社 2001-09

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2005.03.04

処方箋

 第23回野間文芸新人賞のどうやら傑作らしい清水博子著『処方箋』。帯に書いてあるとおり、困難な物語であった。現在の時代に漂う恋人達に救済の処方が、果たして本当にあるのか…そんなテーマのお話なのだと勘違いしたまま、読んでしまった。

 総合病院で事務職をしている沖村は、友人の片山から彼の「おねえさん」の病院の附き添い役を頼まれる。片山は社会人として外国へ留学するのだった。両親には姉の病状を詳しく伝えていないで、ひっそりと守ってきた生活を乱されたくない事情を抱えていた。多額な謝礼にも惹かれて、承諾したのだった。精神を病んでいるおねえさん。けれど、「おねえさん」と会うたびに体調が悪くなってゆく沖村。死んでしまうのではないかという不安や恐怖に突然襲われて身体に症状が出現するパニック・ディスオーダーに陥ったのは、病気のはずのおねえさんではなく沖村のほうだった。介護する側ほうが介護されていた。いつのまにか立場が逆転してしまう。

 あなたって、男女かかわらず、みためはひよわだけれど病気はしないくわせものが好きなんでしょう?そんなことを沖村は彼女から言われてしまう。彼女の見解は新しい症状の名前が増えるたびに、言葉につられて症状を発するのではないか…というものだった。症状が先ではなく、言葉が先にある。名付けられなければ症状はあらわれないのかもしれないと。

 しばらくして、片山が留学を終えて帰国する。一緒に暮らす彼女がおかしくなってきたのは、それからである。化粧する手が震え、輪郭が歪んだ彼女。内科的な異常はなく、精神科にかかることをススメられた。彼女は薬が効き始めて、不意にがさごそ動き回ることはなくなり、落ち着いてきた。けれど、娘が精神病だと知った親は、家系に問題があるのではないかとひるむか、現代病の一種としてつきはなすかのどちらかであることが想像できた。どちらの態度をとられても、治療には全く意味がないから、話しても仕方ないと彼女は考えていた。

 そして、彼女は沖村の前からなぜか消えてしまう。最後まで読んでも、理由や彼女の気持ちを理解するのはムツカシイ。もしかしたら、片山もおねえさんも彼女も、存在していなかったとも考えられる。全てが沖村の妄想だったのかもしれないなどと考えてしまう。

 単純な人間関係なのに、登場人物は少ないのに…ものすごく読みにくかった。多分、再読したらまた違う感想を思い浮かべることが出来るのだろうか。正直、小説の持つ雰囲気との相性が悪かったらしいと思う。だから読んでいてもしんどかったのだけれど…うーん、男性の視線で書かれているからなのでしょうか?それとも、誰に焦点をを当てて文章が書かれているのかがわかりにくかったからなのか?

4087477916処方箋 (集英社文庫)
清水 博子
集英社 2005-02

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