72 犬の本

2008.11.07

あの犬が好き

20080824_005 ぱっと目をひく黄色い本に込み上げるのは、何とも言えぬ愛おしさ。言葉がこの世界にあることに、自分の感情を表現する自由のあることに。こうして言葉と向き合えることの至福の時間に、思わず感謝したくなるのだ。帯にあるとおり“詩と少年と犬の本”である、シャロン・クリーチ=作、金原瑞人=訳『あの犬が好き』(偕成社)は、詩って何?詩って誰のもの?そんな素朴な疑問から出発して、読み手を詩の世界へと導いてくれる。はじめは、“いやだ。だって、女の子のもんだよ、詩なんてさ。男は書かない”と言っていた少年ジャックだが、それでも日記風に日々言葉を綴ってゆく。そうして、自分の抱えていた気持ちを解き放つことで、悲しみを乗り越え、いつしか明日を見据えていくのである。

 ジャックの書く日記風の詩の数々と、その先生であるストレッチベリ先生の読んでくれた詩八篇からなるこの作品は、少しずつ懸命に詩と向き合おうとする少年の心をやわらかに描いている。9月に詩を書くことを嫌がって“ぜったいわかんない”なんて言っていたのに、やがて1月になると“たぶん、ことばで絵を描いたんだ”と詩について理解する。また、先生は熱心に生徒の詩をパソコンで打ち、掲示板に貼るのだが、ジャックは匿名ならばと承諾し、自分の書いたものがどうやら詩らしいと自覚。3月には、自分の名前を出すことを了承する。先生の紹介した詩の中で、とりわけ気に入ったウォルター・ディーン・マイヤーズの詩との出会いは、ジャックの心を強く揺さぶり、手紙を書くまでに至る。

 そうしていつのまにか、頭の中に言葉がわき出てくるまでになるジャック。心が、身体が、彼のすべてが詩を欲してゆく。マイヤーズの詩「あの男の子が好き」はこんな詩である。“あの男の子が好きだ。/ウサギが大地を駆けるのが好きなように。/あの男の子が好きなんだ。/ウサギが大地を駆けるのが好きなように。/こう、呼びかけるのが好きだ。朝、男の子に/こう、呼びかけるのが好きなんだ。/「おおい、おはよう!」”率直で清々しい詩だと思う。自分が好きなものに対する迷いは、どこにも感じられない。ただ一心にあの男の子が好きだと伝える詩である。ジャックは、この詩に感動し、マイヤーズの言葉を借りて、詩を紡ぐ。それが、タイトルにもなっている“あの犬が好き”へと繋がる。

 “あの犬が好き”の背景には、飼っている犬との大切な絆と唐突に訪れる別れがある。それは、ジャックにとってとてつもなく深い悲しみに違いない。けれど、言葉で感情を表現することを学んだ彼の心はどこか冷静さを保っている。もちろん、悲しみを感じている。だが、自分の紡いだ言葉が誰かを悲しませないかどうかを案じる気持ちの方が強いようだ。ああ、彼は成長したのだ。彼の心は解き放たれたのだ。そう確信できる逞しさが、彼の言葉の中にあるように思うのだ。だからたまらなく愛おしい。言葉がこの世界にあることが。自分の感情を表現する自由のあることが。こうして言葉と向き合えることの至福の時間に、思わず感謝したくなるのだ。そして、言葉の限りに叫びたくもなるのだった。

4037267500あの犬が好き
金原 瑞人
偕成社 2008-10

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2006.12.21

犬は神様

200612001_018 完全なる猫派のわたしだが、犬もかなり好きである。現在飼っている愛犬は、いくらムダ吠えしようとも無条件に可愛いし、猫とは違うその魅力にもひそやかながらはまってしまっている。犬。そのアルファベットDOGを反転させてGODと思いついたのは、銅版画家ならではの発想だろう。山本容子著『犬は神様』(講談社)には、小さな頃から気がつけばいつでもそばに犬がいたという著者の犬に纏わるエピソードが紡がれている。同じ時間を共有した五匹の犬たちそれぞれに対する思い入れは、文章だけでなくいくつものデッサンや版画からも切々と感じられる。その絆の深さは、犬を飼ったことのある人ならば、痛いほどわかるに違いない。ほろりともなるかもしれない。

 著者にとっての犬。それは、パートナーをも超えた存在である。五匹それぞれに甦る思い出は違えども、その頃の記憶は人生そのものをぎゅっと濃縮したものになっているように感じられる。犬は、人間よりも遥かに短い人生をたどる動物だからだろうか。その分、わたしたち人間が犬(動物)に学ぶことは多い気がする。この作品の中では、特に老いを受け入れて生を全うしたルーカスの存在が、まさにそれを示してくれている。その生き様というものに、どこか犬という存在を超えたものを見出さずにはいられなくなるのは、飼い主である著者だけではないだろう。懸命に生きるとは、まさにこの姿だ。わたしはそんなふうに思えてならなかった。そして、自分を省みて恥ずかしくなった。

 そういえば、わたしにも、そんな懸命な姿を見せてくれた犬がそばにいたことがある。そもそも出会いからして劇的なものだった。長い帰り道、とぼとぼと歩く幼きわたしの後をずっとついてきてしまった子犬がいた。まだわたしが、7歳になるかならないかの頃である。小学校に迷い込んだ子犬は、なぜかわたしを選んだ様子で、わたしが振り返ると立ち止まり、わたしが歩けば子犬も歩いた。その繰り返しで、とうとう家まで着いてきてしまったのだった。家には既に先住の犬がいて、気性の荒い性格のため、わたしは噛まれたことすらあったのだが、子犬はその犬ともすぐに打ち解けてしまい、いつのまにか当然のように居着いてしまった。なんともまあるい性格の子犬だったのだ。

 やがて、老いゆくとき「今年いっぱいでしょう」と獣医さんに言われ続けてから三年ほど長く生きた。その間、二匹の仲間の死を見送り、最期まで穏やかに生き抜いた。わたしが泣いているときは、いつでもなぐさめるように寄り添ってくれたし、お尻ごと思い切り尾を振るのは、老いてもずっと変わらなかった。現在、我が家には、わたしが生まれてから四代目となる犬がいる。まだ数年しか生きていない彼女(犬)に人生を学ぶことは、まだ残念ながらないけれども、いつでも無条件にわたしを受け入れてくれるし、けなげにも帰宅を待っていてくれている。家の主である父親に日に日にそっくりになってゆく表情を見ていると、愛おしくてたまらなくなるのだ。でも、わたしはやはり完全なる猫派だ。

4062137151犬は神様
山本 容子
講談社 2006-11-18

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2006.11.09

カシタンカ

20060805_008 目に見えない闇。そこに、一生の縮図を見た気がした。嗚呼、カシタンカ。嗚呼、カシタンカ。わたしは何度も何度も、繰り返し呟かずにはいられなかった。あまりにも愛おしすぎて。チェーホフ没後100周年記念出版である、アントン・P・チェーホフ作、ナターリャ・デェミードヴァ絵、児島宏子訳による『カシタンカ』(未知谷)を読んで、そんなことを思った。決して忠犬の一生を描いた作品ではないのに、だ。それでもカシタンカは、やはりイヌであり、イヌらしく生きているから。イヌとしての生き方というものを、ちゃんと理解しているから。きっと、この物語の愛おしさは、そこからくるものだと思うのだ。自分の生き方をよく知らないわたしにとっては、なおさら。

 カシタンカ。それは、“栗”の意味だそうである。赤毛の雌イヌのカシタンカは、ダックスフントと野良犬との雑種で、キツネのような風貌をしている。ある日、主人と共に街へ出かけ、あまりの嬉しさにはしゃぎすぎてしまうのである。そして、あっけないくらいに迷子になる。凍えるような闇の中で、新たなる主人と出会い、そこでの奇妙なる生活が始まるのだった。新しい生活。その中で、学ぶべきことは山ほどあって、カシタンカはひとつひとつをしっかりと見つめている。中でも、仲間と呼ぶべき他の動物たちとの関係には、はっとするものを感じてしまう。特別、ある夜の見えない闇の恐怖というものには、イヌとしての本能のようなものを見ることができる。

 本能。つまりは、鋭い五感のようなものだろうか。その見えない闇というものを、すばやく感じ取ることができたカシタンカ。その正体を知ったとき、カシタンカは多くを学ぶ。それはまるで、人生の縮図と同じように思えるものだ。だからわたしは、嗚呼、カシタンカ。愛おしいカシタンカ。そんなふうに呟きたくなってしまったのだった。そして、そんなときでもマイペースに振る舞うネコにも、見えない闇に支配されてゆくガチョウにも、やわらかな一面を垣間見せた主人にも、この物語自体にも、何もかもに対して、愛おしさを感じずにはいられなくなったのだった。今ここに生きているということ。それが、どうしてこんなにも愛おしいのか。不思議なくらいに胸がいっぱいになったのだった。

 けれど、物語はまだ続く。新たなる生活の中で様々なことを学び、自分の才能というものを見出したにもかかわらず、カシタンカはかつての主人と出会ってしまうのである。そして、その本能のままにそちらの方へと向かってしまうのだ。そこはやはり、イヌなのだろうか。かつての暮らしを懐かしむ心のままに動いてしまった、カシタンカ。そこでもまた、わたしは“嗚呼、カシタンカ。嗚呼、カシタンカ…”そう呟いてしまっていた。別れと出会いとが一緒くたになってやってきて、悲しみと喜びとが一緒くたにやってきて。わたしはそれに対して、立ち止まっては迷い、怯えてばかりいるというのに…。嗚呼、カシタンカ。嗚呼、カシタンカ…やはりいつまでも、呟かずにはいられない。

4896421140カシタンカ
アントン・P. チェーホフ 児島 宏子
未知谷 2004-11

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2006.08.20

犬に本を読んであげたことある?

20060818_003 いわゆるおちこぼれとされる子どもたちに自己肯定感をもたらす、読書介助犬。その存在を、今西乃子著『犬に本を読んであげたことある?』(講談社)によって初めて知った。“犬に本を読み聞かせること”それが、どうして本嫌いの子どもたちに自信を与えるのか。犬好きでアニマル・セラピーに深い関心を抱いていた看護師、サンディ・マーティンによって考えられたそのR.E.A.D.プログラム(Reading Education Assistance Dog)は、アメリカやカナダで1000以上ものボランティアの飼い主と読書介助犬のチームに発展しているという。児童書のノンフィクション本ということで、さらっと読めるかと想像していたものの、まぶたと目尻が赤く腫れ上がるほど、泣かずにはいられなかったわたしだ。なんともいい本である。著者のやわらかな眼差しは、すっと心によく馴染む。

 内容は、サンディという1人の女性と、世界初の読書介助犬のオリビアとの運命的な出会い、そしてオリビアによって新たな自分を見出した子どもたち、サンディの活動を支える多くの人々についてである。はじまりは、1998年5月。サンディは、アニマル・シェルターという、野良犬や野良猫、何らかの事情で飼えなくなった動物たちを保護して、里親が見つかるまで一時的に預かり世話をする場所を訪ねていた。看護師としての自分に出来ることの限界を知った彼女は、セラピー犬となるにふさわしい犬を探していたのだ。清潔に保たれた施設内で、じっくりと犬を選んでいたサンディ。だが、思わず心を揺るがすような残酷な運命にある動物たちの現実を知り、ひどい巻き毛のオリビアを敢えて選ぶ。そして、オリビアは見事に読書介助犬へと成長するのである。

 サンディ。彼女が仕事以外のボランティア活動に積極的なのは、ありふれた単純な想いからではない。彼女は、人が陰から日向へと向かい、変わってゆくさまを見たかったのだ。たまたま、彼女が絵本好きだったこと。それはのちに、R.E.A.D.プログラムへと発展するわけだが、周囲はなかなかそれを受け入れようとはしなかった。大人だけでなく、子どもたちも。読書。それは、言葉だけではない。文字が読めなくとも、本の世界へ入り込むという想像力だけでも、立派な読書ではないのか。サンディはそうやって、正しく発音できなかったり、スペルがなかなか読めなかったりする子どもたちを導く。間違えても子どもたちを笑う者はいない。オリビアはただじっと寄り添って、嬉しそうに聴いていてくれるのだから。

 オリビアに注目されたいだけだった子どもたちは、やがてオリビアのために自分が出来ることを探し始める。そして、誰かを愛おしいと思えること。誰かのために何かをしたいと思えることを学んでゆく。求めるだけではいけないことを知ってゆくのだ。それは、サンディの意図したことを超えて、読み書きのレベルアップだけでなく、複雑な環境下にいる子どもたちの心を大きく成長させることになる。自分を無条件に受け入れてくれる存在。わたしたちはきっと、誰もがそんな存在を求めている。たった一人きりでいい。誰かが寄り添ってくれるだけで、不思議と救われる心地になるものだ。だが、その反面で身勝手なわたしたちは、そういう存在を見殺しにしている。忘れてはならない現実問題として、心に刻むべき課題はすぐ傍にあまりにもたくさんあるのだ。

4062134322犬に本を読んであげたことある?
今西 乃子 浜田 一男
講談社 2006-06-21

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2005.12.19

ベルカ、吠えないのか?

pochi これは悲劇である。イヌと人間の。また、この世界を生き抜いた証でもある。込み上げる熱い感情の置き場が見つからないまま、多くの試練や数々の生死、繰り返される闘いに目を奪われる、古川日出男・著『ベルカ、吠えないのか?』(文藝春秋)。それは、己との闘いでもあり、敵との戦いでもあり、同士との戦いでもある。強い者が残る。必然的に。身も心も耐えうるだけの強さがなければ、ただ途絶えるのみ。そこには平等も不平等もない。描かれる20世紀の軍用犬の歴史の中で、その時代ゆえにイヌたちは翻弄される。愚かな人間に。勝手気ままに。或いは、確信を持って。戦争と欲望の道具として。その習性ゆえ。その能力ゆえ。その本能ゆえに。

 うぉん。という鳴き声と共に語られる20世紀。物語は、ただのイヌの話ではない。偉大な、本物の、イヌの話なのである。英雄と語られるに相応しいイヌ。ぬくぬく暮らす飼い犬とは比べものにならないくらいの。これは、決して生易しい物語ではないのだ。生まれては死んでゆくイヌたち。無限に増え、血統は続き、絶たれてもなお、複雑にその系統樹は広がってゆくイヌの物語。至るところで繰り返される繁栄と衰退。どこまでも根をはり、枝を伸ばすように繋がる線を思うとき、私という存在もまた、そうやってこの世に生まれたのだと思い知る。これまで歴史を、様々なルーツを気に留めることなく過ごしてきたことをひどく後悔しながら。

 物語はイヌたちの歴史ばかりでなく、いくつもの伏線を張りめぐらせながら、人間の歴史や成長をも語る。例えば、世界へと手を広げようとしているヤクザの娘の。イヌに人間襲撃を訓練する老人の。裏社会に生きる者たちの。イヌに欲望を見出した者たちの。彼らの生きる場所には、もちろんイヌがいる。ときにイヌたちは彼らの手となり足となり、敵にも味方にもなる。中には同士となるイヌもいる。イヌは、その命を繋ぐために人間をも食べる。仲間をも食べる。個人的な関係に左右される時代や人間に翻弄されながらも、その上を行く。経験と訓練と本能を発揮して。世界の最下位にまで落とされても、生き抜くことのできるイヌは残る。

 この数奇な運命をたどるイヌたちの物語は、なまぬるく生きる者を戒める。時代が違う。生きる世界が違う。環境が違う。そもそも私はイヌではない。そんな言い訳を全て却下するほどのチカラをもって。謙虚になれ。耳を傾けろ。己を知れ。イヌたちはそう語りかける。長い命も短い命も、その生をまっとうし、深い何かを刻んでゆく。この先続く生へ。もちろん、それ以前の生へも。おまけにちっぽけな私の生へも。イヌ。その存在を侮るなかれ。圧倒的な筆力を感じさせる物語は、歴史も地理も苦手な者をもその世界へと誘うはず。現に私がその典型であるから。ここまでの文章に年号も地名も出てこないのは、そのせいである。威張るな、私。

 ※画像はベルカとは一切無関係な、今は亡き愛犬ポチ。

4167717727ベルカ、吠えないのか? (文春文庫 ふ 25-2)
古川 日出男
文藝春秋 2008-05-09

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2005.07.21

犬連れバックパッカー

20050721_195 八ヶ岳南麓に移住し、息子へのクリスマスのプレゼントに子犬をあげようと思いついたことから始まる、斉藤政喜・著『犬連れバックパッカー』(新潮文庫)。子犬を大阪からベビーカーに乗せて、クリスマスまでに八ヶ岳まで連れて行くというかなり異色な旅から、日本各地様々なところを犬と一緒に旅してゆく。またの名をシェルパ斉藤という著者のことは、何も知らずに本を手に取ったのだが、予想外に楽しめた。弱々しかったゴールデン・レトリバーのニホが逞しくなってゆく姿や、ニホと著者との心温まる絆に心が和んだ。途中、犬を飼うことに関する考え方の違いを少々感じたのだが、こんな考え方もあるのだなと思うことにした。

 ゴールデン・レトリバーを飼うことに決めた著者とその家族は、相場である15万円という値段に納得がいかず、情報誌で見つけた“血統書付き3万円”に惹かれて飛びつく。電話口で多くを語らず、自分の電話番号も教えない飼い主だったが、安さとクリスマスまでに間に合わせることの焦りから、譲り受けることを決めてしまう。子犬は、6ヶ月にもなるのに予防注射を受けておらず、怯えて震えており、ひどく痩せていた。その上、ペットショップや動物病院で、アカラスという皮膚病だと告げられる。そう告げられてますます飼いたい気持ちを刺激された著者。発育時にたくさん歩かせるのはよくないことから、子犬のためにベビーカーを購入する。危なげな始まりである。

 著者とニホとの旅は、多くの人との出会いに支えられている。世の中には、動物好きな人もいれば、当然動物の嫌いな人がいる。人間社会の中には、様々な決まりや約束事がある。そういう中で、著者のように犬と一緒に旅することは、かなり難しいことなのだとわかる。例えば、公共機関の乗り物。電車、バス、船、飛行機…口輪をしなければいけないとか、檻にいれなければいけないとか、荷物扱いになるなど様々である。中には、人情味溢れる対応をしてくれるところがあり、救われる思いがする。ヒッチハイクにしても、犬を乗せることに関して快く承諾してくれる人が登場すると、何とも嬉しくなってしまう。人間まだまだ捨てたものではないと。

 それから、ほんの少し私自身の犬事情を述べておきたい。猫写真満載のブログのため、猫しか飼っていないとか、一体何匹の猫を飼っているんだ(3匹です)とか、毎日猫いじりばっかりしているんでしょうと思われがちな私。実は今月1歳になったワンコも飼っている。著者のほとんどしつけをしない自由な育て方のごとく、我が家の犬ものびのび育っている。飼い始めの頃は、いろんなしつけ教室に行ったり、マニュアル本を片手に教え込ませようとしたものの、クークー切なげな声を出すのが可哀想でやめてしまった。生活に必要なある程度のことができればいいと思うようになったのは最近のこと。気負わず、焦らず犬との時間を大事にしていけたらと思っている。

4101004218犬連れバックパッカー―シェルパ斉藤と愛犬ニホの旅物語 (新潮文庫)
斉藤 政喜
新潮社 2004-06

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2005.06.09

介助犬オリーブのきもち

20041104_049 ニャンコネタが多いので、たまにはワンコネタで書こうと思う。2002年、盲導犬、介助犬、聴導犬を補助犬としてまとめ、その使用、育成、受け入れに関しての法律「身体障害者補助犬法」ができた。補助犬の理解と普及のために、補助犬の中の介助犬に焦点を当てて、実際に働く介助犬の生活を写真と共に紹介している、本田真智子・著『介助犬オリーブのきもち』(小学館文庫)。3歳半のラブラドール・レトリバーのオリーブの視点で、子犬時代からの様々なエピソードを綴った半生記である。

 介助犬が日本で働きだしたのは、まだ約10年。実際に介助犬として働いているのは、30頭前後だけだという。補助犬の1つである盲導犬の育成が日本で始まってから、40年以上が経つものの、実際に働いている盲導犬の数は、1000頭に届かない。介助犬というのは、身体障害者の日常生活を手伝うように訓練された犬のこと。具体的に言うと、落とした物を拾う。手の届かない場所にある物を持ってくる。ドアや窓の開閉などの仕事をするなどで、ユーザーの希望する作業ができるように訓練される。それに加え、ユーザーとの相性も重要らしい。

 生後約50日で親や姉弟たちと離れ、1年間盲導犬候補の子犬を預かるパピーウォーカーのもとで暮らし、日本盲導犬協会訓練センターに戻り、本格的な訓練が始まる。その前によりよい盲導犬を育成するために欠かせない適性評価が行われる。オリーブの場合は、様々な刺激に対して過度に反応し、自己処理できていないと判断されたが、働く犬になるように繁殖された犬なので介助犬に向くかもしれないと介助犬協会のトレーナーの目にとまった。オリーブと一緒に生まれた3頭のうち、盲導犬となったのは、1頭のみ。他の犬が繁殖犬や家庭犬となっていることを考えれば、盲導犬になることの難しさがうかがえる。

 オリーブのユーザーである山口さんの話によると、介助犬への理解がまだまだ深まっていない現状を痛感させられる。障害を持っていても、一人で自分のことが出来るので、「犬の嫌いな市民もいる」とか「物を落としたら、同僚だって手伝ってくれる」と言われたという。山口さんは、“心ある生き物である介助犬は、常に傍にいて指示に従って手伝ってくれるだけでなく、心を感じ取って考えて行動してくれる”と語る。この“心を感じ取る”という言葉で思い出したのが「危険予知犬・フューチャー」のこと。日本ではまだ1頭しかいないらしいのだが、発作などを起こす前に状況を察知して薬を飲むように教えてくれると紹介されていた。発展途上の段階のようだが、心を感じ取るには、何より人と犬との絆が大切であることを示しているように思った。

4094183817介助犬オリーブのきもち―わたしの職場は市役所です (小学館文庫)
本田 真智子
小学館 2003-07

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