58 海外作家の本(アメリカ)

2016.01.02

オルフェオ

20160102_4009janie_4 いくつかの物語の軸が結ばれ、ひとつになる。今、過去、そしてもうひとつの、少しずつつながりを見せる言葉の行方を追ううちに、ピーター・エルズという人生に引きつけられていた。彼が望んだこと、その甘美さに孕む危うさの中で、言葉は音楽と共に彼の迷いと間違いに満ちた人生を語ってゆく。友人、妻、娘、彼を愛した人々、彼を信じた人々との時の中で、彼がめぐらす思考はシンプルな答えに行き着く。何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか。変えられない、戻れない人生、自分自身を抱えた先にある音楽。その果てしなさにそっと息をついた。

 リチャード・パワーズ著、木原善彦訳『オルフェオ』(新潮社)。本文の中で展開する今と過去の物語と、それに絡まる音楽史、枠でくくられた短文が、少しずつ結ばれ、ひとつの物語になってゆくほどに、夢中になり、ピーター・エルズという一人の男の人生に引き込まれていた。誰も聴いたことのない音楽を書こうとする彼が望んだこと。その甘美さに孕む危うさの中で、言葉が音楽と共に彼の迷いと間違いに満ちた人生を語ってゆくのが、皮肉のようでありながら、人生の機微とその中にあるささやかな喜びを伝えてくるようで、ぐっと心に迫る箇所がいくつもあった。友人、妻、娘、彼を愛した人々、彼を信じた人々と過ごした時の中で、彼がめぐらす思考がシンプルな答えに傾き、行き着こうとする過程が、とても魅力的に感じられた。

 “何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか” 哲学者ウィトゲンシュタインの言葉の引用で作られた曲「プロヴァーブ」の何頁にもわたる描写は、エルズの心の在り方やその変化を丁寧に描いていて、とりわけ好きな箇所だ。この箇所は、音楽を聴きながら読むと、その音楽の吸引力に魅せられてゆくエルズと、それを読みながら、聴きながら魅せられてゆく読者(私)とがないまぜになって、どこか遠くへ気持ちが飛ぶような、そんな心地すら覚えた。音楽の力と、言葉の力。それを思う箇所でもあった。マーラーやメシアンの音楽の登場する場面の描写も引きつけられたが、とりわけライヒの「プロヴァーブ」の箇所が鮮烈な印象を残した。“何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか”その言葉から思うこれまでの人生は、変えられない、戻れない人生を思わせた。エルズが物語の端々で思う人生、他のどんな人生にも劣らぬいい人生だったと、そう思う箇所は、救いのようであり、じんとくる。再会したクララとの場面、そして、娘との時間も、とてもいい。

 人生の中で思い至るまでの過程、その長い年月がありながら気づくのが遅すぎたこと。こうして、物語として追う読者の一人としては、どこか達観して見られる人生だけれど、自分の人生を振り返ってみれば、もどかしいことだらけで、わからないことだらけで、結局のところ、ほんの少ししか変えられないし、戻ることなどできない。その現実が、物語の結末とぶつかるとき、深い息をつくことしかできない私がいた。“やってきたことは変えられないし、作ったものは変えられない。あなたはあなただ。”この箇所が出てきたときには、ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』を思い出して、“わたしはわたしだ”と思い至る部分と重なったのだった。結局のところ、人間の最後に行き着く思いというのは、どの人にも通ずるものなのかもしれない。そんなふうに思うと、そこまでに至る長い時間、自分自身を抱えた先にあるエルズの音楽の果てしなさに、またひとつ、そっと息をついたのだった。

追記
この文章は2015年に書いたものです。

4105058754オルフェオ
リチャード パワーズ Richard Powers
新潮社 2015-07-31

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2012.03.10

チャリング・クロス街84番地 書物を愛する人のための本

20080606_006 真心を尽くす、というその言葉の本来の意味を、あるべき姿を、ヘレーン・ハンフ編著、江藤淳訳『チャリング・クロス街84番地 書物を愛する人のための本』(中公文庫)によって、わたしは知ったような気がした。ロンドン古書専門店であるマークス社とアメリカの女性・ヘレーン・ハンフとの20年にもわたる心温まる往復書簡集である。そこにはもちろん、古書店とその顧客という関係があるのだが、それをこえた、いや、それ以上の人と人との思いやりややさしさ、お互いを気遣い合う、真心が伝わってくる。マークス社の静かな仕事に対する情熱、ヘレーン・ハンフの読書の趣味の良さなどにも、読書好きを唸らせるものを感じる。まさに書物を愛する大人のための一冊なのである。

 手紙のやりとりがはじまるのは、1949年10月から。第二次世界大戦後のロンドン、チャリング・クロス街84番地にある古書専門店マークス社宛に、アメリカのニューヨークに住む貧乏作家のヘレーン・ハンフからの手紙が届く。彼女は地元ではなかなか手に入らない英国文学作品を広告に載っていたマークス社から取り寄せようとしていたのだった。彼女のリクエストに応じたのは、買い付けを担当するベテラン店主のフランク・ドエル。彼のおかけで、アメリカで売られている本とは異なる、見事な装丁の古書が次々と彼女の元へ太平洋をこえて届けられてゆく。当時ロンドンでは食糧難が続いていることから、彼女は注文のたびに心のこもった贈り物とアメリカ人らしいユーモア溢れる手紙とを送るようになる。その彼女の人柄に、読み手は一気に心惹かれてゆく。

 フランクだけでなく、その家族やほかの店員たちへの気遣いも彼女は忘れない。二人のやりとりにとどまらず、そのほかの人たちも彼女の手紙を待ちわびるようになり、お得意様以上の人として関わっていることが読み取れる。1952年の手紙には、とうとう“ハンフ様”ではなく、“ヘレーン”という呼称に手紙の文面が変わるほど、親しい関係となる。そして彼らのやりとりは20年にも及ぶのだ。注釈はあるものの、往復書簡という形式をとっているため、手紙に書かれていること以上のことは、読み手であるわたしたちは知り得ない。けれど、余計な説明が一切ない分、それ以上の感情を読み手に想像させ、小説とは一味違った深い余韻を残してゆくような気がする。二人の人柄、本に対するお互いの思い、深い友情、国の豊かさの違いなどなど。

 第二次世界大戦を境に世界の覇権国家としての地位が逆転したイギリスとアメリカ両国の関係は、食糧難の問題だけでなく、本代を支払う際のドルとポンドの力関係にも及び、20年もの長い交流の中で、刻々と時代が変化してゆく様も感じ取れる。二人が好対照な様子も伺えるのも面白い。ヘレーンの飾らないユーモアまじりの文面に対して、フランクはイギリス人らしい控えめさで語りかける。また、ヘレーンの注文する名著は、そのまま読書案内としても楽しめるのだ。二人は会いたいと切望しながらも、渡英資金をふいにしてしまうことが次々起こる。それがなんとももどかしい。今の時代とは異なる距離や時間、読書感覚というものを呼び覚ましてくれるような真心溢れる往復書簡である。なお、本書は1986年には映画化もされている。

4122011639チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)
ヘレーン・ハンフ
中央公論社 1984-10

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B002MTS446チャーリング・クロス街84番地 [DVD]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2009-11-04

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2012.03.07

短くて恐ろしいフィルの時代

20090429_001jpg_effected 突拍子もなくもユーモラスで奇妙な物語ながら、痛烈なまでに面白く、ちくりと胸を刺し、その恐ろしさに、強烈な読後感を残す、ジョージ・ソーンダーズ著、岸本佐知子訳『短くて恐ろしいフィルの時代』(角川書店)。物語はどこかとぼけたおかしさで展開するのだが、そのおかしさは、ルワンダ、ヒトラー、イラク戦争、アブグレイブ刑務所などといったものを風刺的に取り入れた寓話として読むと、笑うに笑えない。そして、読み進めるうちに、読み手のわたしたちの中にも、恐ろしい独裁者としての自分を感じてしまう。人間のエゴというもの、その象徴として描かれる独裁者は、わたしたちの中にも潜んでいるのではないかと、自分をはっと省みてしまう。独裁者とは、まだ決して過去のものではないのである。

 物語に登場する<内ホーナー国>は、一度に一人しか住めないほどのものすごく狭い国土の国。残りの6人は<外ホーナー国>の領土内の<一時滞在ゾーン>に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っている。痩せてひ弱で背が低い国民であることが特徴で、こみいった数学の証明問題を互いにひそひそ相談しあって、自国に入る待ち時間をやり過ごしている。自分たちの国がいかに他国もうらやむほど素敵に小さいかを感傷たっぷりに歌う。一方<外ホーナー国>は途方もなく広い国土で、国民は大きく肥って色つやがよい。広々としたカフェの通路に脚をいっぱいに伸ばして、のうのうとコーヒーを飲む。自国を絶対最大な強国だと思い、身をひそめあっている<内ホーナー国>の人々を胸糞悪く眺め、長年それを許している自分たちの寛大さを思っているのだった。

 こんな物語設定だけでも、くすりと笑ってしまう。だが、この小さな<内ホーナー国>を取り囲む大きな<外ホーナー国>にフィルという独裁者が突然誕生するのである。そして、国境めぐって<一時滞在ゾーン>にいることに対する税金を取り立てはじめる。次々とエスカレートする迫害は、いつしか国家を巻き込み、その国家の転覆にもつながってゆく。登場人物たちは、ツナ缶やバックル、縄などのガラクタのパーツの寄せ集めのような人々。独裁者フィルの脳もときどき落ちてしまい、脳が落ちている時間が長ければ長いほど、どんどんおかしな熱弁をふるうようになり、痙攣し、やがてバッテリー切れを起こすらしい。そのほか、おつむの弱い年老いた大統領の会話にもくすりときてしまう。

 そんな物語の展開に笑っていられるのは、途中まで。もちろん、最後まで面白く読めるのだけれど、他人事のように面白く読んでいる自分自身が恐ろしくなってくる。フィルの独裁ぶりは、かつて時代に生きた独裁者の最大公約数に違いなく、もちろん恐ろしい。けれど、それを楽しく読んでいる自分はもっと恐ろしいのではないかと思うのだ。ユーモアにくすりと笑っていた自分自身を恥じ入るように、そっと“創造主”を思うとき、わたしたちの愚かさやちっぽけさを思い知る。物語の端々に、たとえば“いいよね!忠誠心”なんていう言葉に思わず笑ってしまう自分もたぶん、この物語の中ではフィルと同罪なのだ。真実の裏返しのような物語に、ぶるぶると震えつつ思う。もしやわたしも解体されたら、ツナ缶やバックル、縄なんかでできていたりして……嗚呼、なんて恐ろしい。

4047916447短くて恐ろしいフィルの時代
ジョージ・ソーンダーズ 岸本 佐知子
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-12-27

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2010.06.08

ミスター・ヴァーティゴ

20100409_4008 あなたにも、わたしにも。生まれ落ちたときに持ち得た、たくさんの才能がある。例えば、夢見ること。例えば、夢を叶えること。何も、特別な才能などはいらない。人は皆、その才能の可能性をうちに秘めている。信じる、という思いの強さがひとつの才能かもしれない。耐える、という精神の強さがひとつの才能かもしれない。我が身の才能を信じ抜く強さがあれば、天賦の才などなくともそれだけで事足りるのかもしれない。わたしにもできる、わたしにはできる…そう信じ込めたら、もう一歩は踏み出している。夢見ることに終わらない一歩を。わたしたちが持ち得た才能を生かす一歩を。その一歩を踏み出す勇気さえあれば、夢を叶えることだってできるかもしれない。あなたにも、わたしにも。

 ポール・オースター著、柴田元幸訳『ミスター・ヴァーティゴ』(新潮文庫)。山あり谷あり、転落あり浮上あり、二転も三転もある運命に翻弄されてゆくウォルトが語るその人生の一代記は、清々しいほどに逞しい。幼くして両親を亡くして小銭をせびって暮らしていた日々から、9歳でイェフーディ師匠に救われるように拾われてカンザスへ。イェフーディ師匠はウォルトに13歳までに空を飛べるようになることを約束する。ウォルトを待っていたのは、空を飛ぶための辛い修行の日々と初めて出会うあたたかな家族のような存在たちだった。始めはなかなか新しい生活を受け入れることができないウォルトだが、さまざまなものを貪欲なまでに吸収し、少しずつその一歩を踏みしめて進んでゆくのだ。

 9歳から77歳までのウォルトの人生は、“空を飛ぶ”というおとぎ話的なモチーフを備えながらも、一筋縄ではいかない波乱に満ちた物語になっている。ウォルトが少年時代を過ごす1920年代の人種差別や大恐慌、街にはびこるギャングたちの様子が物語に雰囲気を持たせているし、イェフーディ師匠がウォルトに課す試練の数々や修行の様子は、まるで本当に人は空を飛べるのかもしれない…と思わせてくれる。ウォルトが実際に空を飛べるようになり、世の中に名前が知られるようになっても、物語はそこでハッピーなエンディングを用意してはくれない。突然のスランプも過酷な運命も愛しい人々との別れも、ウォルトには待ち受けている。激動の時代の中、それでもひたすらに生きてゆかねばならない。

 何度も何度も人生の岐路に立たされながらも、さまざまに方向転換しながら生きるウォルト。彼をその端々で救ってくれるのは、イェフーディ師匠の言葉と懐かしい記憶。めまぐるしく変化したウォルトの人生の、とびきりに楽しかった日々…。やがて歳を重ねたウォルトが出会うのは、かつての自分自身を見ているような一人の少年の姿。生まれ落ちたときに持ち得た、たくさんの才能のかたまり。例えば、夢見ること。例えば、夢を叶えること。何も、特別な才能などはいらない。人は皆、その才能の可能性をうちに秘めているとはたと気づく。自分の身に起きたすべてのことは、特別であり、特別じゃない。この物語のたどりつく先も、きっとそう。あなたにも、わたしにも起こり得ることなのだ、と。

4102451099ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)
ポール オースター Paul Auster
新潮社 2006-12

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 ≪ポール・オースターの本に関する過去記事≫
 ・『わがタイプライターの物語』(2006-03-08)
 ・『幻影の書』(2009-12-03)
 ・『ガラスの街』(2010-02-25)


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2010.02.25

ガラスの街

20100224_4006 いつからか、どこからか。自己と他者との境界が曖昧になってゆく。“わたし”という輪郭がぼやけ、“わたし”という概念がぼやけ、どうかすると自分の存在の根拠を見失ってしまう。そもそものところ、“わたし”とは何者なのだろう。その存在を証明する根本を、わたしは知らない。その存在を確かにするすべを、わたしは知らない。“わたし”は宙ぶらりんのまま、この世界の迷路でさまよい歩き続ける。いつまでも、どこまでも。止まることなく、迷い続ける。ポール・オースター著、柴田元幸訳『ガラスの街』(新潮社)は、底なしの都会にずぶりずぶりと読み手を呑み込むように展開する。おのれの存在の根拠を失うほどに、どっぷりとはまり込んだら最後、繰り返し自分自身に問いをぶつけてしまう。

 はじまりは1本の間違い電話だ。小説家の主人公のもとに“ポール・オースター”という私立探偵をたずねる電話がかかってくる。一度は「いない」と答えたものの、なりゆきから、いないはずの“ポール・オースター”を演じることになってしまう。探偵に扮する主人公は依頼者を訪ね、ときに戸惑いときに混乱しながら、あるひとつの事件を追い続けることになる。だが、次第に事件には何の実体もないと思い至る。探偵を名乗ってしまった以上、それに見合うようにさまざまな物語をでっち上げてゆくしかない。事件は探偵が動き回ることでつくられてゆくようなもの。主人公が動けば動くほどに事件は込み入ったものになり、どっぷりと物語の深みへと読者を巻き込んでしまうのだった。

 例えば、自己と他者との違いはどれほどのものだろう。物語の中でいとも容易く他者になりすました主人公を思えば、自己と他者との境界の曖昧さに少し愕然となる。“わたし”を“わたし”たらしめているのは何なのだろう、“わたし”とは一体何者なのだろうと考えてしまうのだ。よくよく考えてみれば、自分の存在を証明する根本をわたしは知らないし、自分の存在を確かにするすべもわたしは知らないと気づく。言葉を尽くして切々と何かを書きつけても、言葉の連なりは虚しいほどに散り散りになる。この世界という迷路で、わたしたちはさまよいながら生きているのだ。手探りのまま、あてもなく、“わたし”という曖昧な器の中で。ときに傷つきながら、ときに喜びながら。ただゆくしかない。

 物語の前半部分にこんな箇所がある。“ニューヨークは尽きることのない空間、無限の歩みから成る一個の迷路だった。どれだけ遠くまで歩いても、どれだけ街並や通りを詳しく知るようになっても、彼はつねに迷子になったような思いに囚われた。街のなかで迷子になったというだけでなく、自分のなかでも迷子になったような思いがしたのである”ニューヨークという迷路に迷い込んでしまった主人公は、もはや誰でもない。どこにもいない。彼は彼であって、実のところ彼でない。底なしの迷路の中で、永遠に迷い続ける。“わたし”という輪郭がぼやけ、“わたし”という概念がぼやけ、どうかすると自分の存在の根拠を見失うほどに、どこでもない場所で、何者でもない姿で、その生を生きてゆく。

4105217135ガラスの街
柴田 元幸
新潮社 2009-10-31

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 ≪ポール・オースターの本に関する過去記事≫
 ・『わがタイプライターの物語』(2006-03-08)
 ・『幻影の書』(2009-12-03)


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2010.02.05

マルベリーボーイズ

20100131_4010 しなやかに。したたかに。生き延びること。信じること。仲間を大切にすること。わかちあうこと。決して裏切らないこと。誠意を尽くすこと。一少年の芯にある思いは、彼を生かし、人を動かす。彼の持つ強みに、強く強く惹かれてゆく。ドナ・ジョー・ナポリ著、相山夏奏訳『マルベリーボーイズ』(偕成社)は、19世紀末のニューヨークスラム街で生き抜いた、ユダヤ人少年を主人公にして描かれる物語。これまで「ヘンゼルとグレーテル」「ラプンツェル」「美女と野獣」「ジャックと豆の木」「シンデレラ」といった童話をモチーフに独特の解釈で描いてきた作者が、亡き祖父をモデルに紡いだという。ドナ・ジョー・ナポリという作家の新たな魅力に、読者であるわたしたちは圧倒される。

 物語の舞台は1892年。9歳のユダヤ人少年ベニアミーノは、イタリアのナポリからアメリカのニューヨークへ密航し、たった一人きりで生き抜くことを余儀なくされる。母親の買ってくれた新しい革靴のおかげで、イタリアからの移民を手引きする仲介人パドローネから逃れ、ドムという名でニューヨーク最大のスラム街マルベリーストリートで生きてゆく。青果店の主人グランディネッティの助けを借りて、一匹狼の少年ガエターノやパドローネの下で働く少年ティン・パン・アレイらと協力してお金を稼ぐ方法を見出し、ドムは着々と自分の居場所を築き上げてゆく。少年たちがさまざまな出来事を乗り越えて仲間を信じ、知恵と勇気で懸命に未来を切り開いてゆく姿に心打たれる。

 ドムの根底にあるのは、信仰と幼い頃からの教えだ。生き延びること、信じること、仲間を大切にすること、わかちあうこと、決して裏切らないこと、誠意を尽くすこと…。誰かを出し抜くことで生きている者の多い大都会の裏では、こういうドムの姿勢は一見甘いきれいごとに映るかもしれない。けれど、決して悪い人ばかりじゃないと信じるからこそ、誰かに助けられたり、仲間との友情を育んでゆけたりもする。信じなければ、何もはじまらない。信じなければ、何も得られない。街の流儀と逆行しているからこそ、浮かび上がる彼の強み。それは、彼を生かすばかりでなく、人の心を動かすほどに力を持っていた。傷つきながらもひたむきに生きる、ドムの逞しさの根は奥深くにあった。

 信じること。それはドムのひとつの希望でもあった。真実はどうであれ、ドムは母親を信じていた。幼いドムを一人きりで密航させたという事実を押しのけて、彼の目線で描かれる母親は美しくてやさしい。“あなたは特別な子”とドムを呼んで、深く愛してくれていた。だからこそドムは、いつの日か家路にたどりつくことを夢見て懸命に生きたのだろう。けれど、ドムから離れて改めてその母親を考えたとき、読み手であるわたしたちは別の顔を思ってしまう。ドムにとってはつらくて悲しい真実を終始思ってしまう。だが、ドムは読み手の心配をよそに、自らの道を歩きはじめる。すがすがしいほど強く逞しい彼の選択と、成長と、築き上げた居場所に、どこかほっと安堵を覚えるくらいに。

4037267705マルベリーボーイズ
Donna Jo Napoli
偕成社 2009-10

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 ≪ドナ・ジョー・ナポリの本に関する過去記事≫
 ・『逃れの森の魔女』(2008-10-30)
 ・『わたしの美しい娘―ラプンツェル』(2008-12-02)
 ・『バウンド―纏足』(2009-05-03)


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2009.12.03

幻影の書

20091027_4010 いくつもの偶然が重なり合って、ひとまとまりの必然になる。いくつもの生が重なり合って、ひとまとまりの物語になる。わたしたちのそばに横たわる、さまざまな出来事の共鳴をいくつも繋いで、新たな事象を導き出す。必然という名の物語は読み手の衝動を掻き立て、次から次へとわたしたちを導いてゆく。ポール・オースター著、柴田元幸訳『幻影の書』(新潮社)を読みながら先へ先へとはやる気持ちを抱くのは、きっとわたしだけではないだろう。過去から呼び起こされる事象はさまざまに絡み合い、別の事象を呼びつつスリリングに進行してゆく。気がつけば、後戻りのできないところにわたしたちはいる。残酷な運命に翻弄されることに夢中になって、物語の深みにはまっている。

 妻と息子二人を飛行機事故で失った大学教授のジンマーという主人公は、生きる気力をなくしていた。だがある日、昔の白黒の無声映画を見て心を動かされる。その製作者であり、出演俳優でもあったヘクター・マンという男に惹かれるようになり、評論の執筆を始めるまでに至るのだ。謎の失踪をとげたヘクターの映画の中に閉じこもり、かろうじてその生を保つことに成功するジンマー。評論執筆後のある日のこと、“ヘクターの妻”を名乗る人物から手紙が届く。ヘクターがあなたの本を読み、会いたがっている…と。ヘクターの消息が途絶えて六十年。ジンマーは、ヘクターの謎に満ちた生涯にふれ、自身にも大きな出来事が起こり、次第にその物語に呑み込まれてゆくのだった。

 この物語の中で印象的に描かれているのは、人生というものの美しい悲しみのような気がする。人生にははじまりがあり、そのおしまい、つまり“死”がある。そして、この世界には語られない人生の物語が無数に存在している。それでも誰かが生きた時間は、他者へと何らかの影響を及ぼしながら残ってゆく。姿かたちはなくとも、消滅は消滅のままに終わらない。少なからずいくつかの事象を呼び起こして、共鳴する。いつしか小さなほころびは、小さな罪へと姿を変えてしまうだろう。いくら自分自身を完全に消滅させようと試みても、この世に刻み込まれた姿は完全にはなくならない。それがたとえ、たった一人きりの記憶の中だとしても。既に別の人の内にわたしたちは抱かれている。

 抱かれたわたしたちは自分自身の人生だけでなく、自分以外の誰かの人生に意識せずとも呑み込まれている。生れ落ちたその瞬間から、いや、それ以前からもしかしたら呑み込まれているのかもしれない。わたしのいた時間は、気づかぬうちに自分の手を離れ、消滅し得ないものへと変わり果てる。いくつもの偶然が、ひとまとまりの必然へと変わり果てる。いくつもの生が、ひとまとまりの物語へと変わり果てる。わたしたちのそばに横たわる、さまざまな出来事の共鳴をいくつも繋いで、新たな事象を導き出して。必然という名の物語は読み手の衝動を掻き立て、次から次へとわたしたちを導いてゆくのだろう。そして思う。人生の儚さを。人生の美しさを。その悲しさを。その痛みを。

4105217127幻影の書
柴田 元幸
新潮社 2008-10-31

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2009.06.13

ハートビート

20090604_007 走るリズムの音がする。タッタッ、タッタッ。命の鼓動の音がする。トクトク、トクトク。命ある者の音がする。それは生きるリズム。それは生きている証。わたしたちの奏でる音。命ある限り発する音。シャロン・クリーチ作、もきかずこ訳、堀川理万子絵『ハートビート』(偕成社)は、タイトルのとおり、命をテーマに扱った物語である。けれど、命そのものを重たく扱ったものではなく、ひとつの“りんご”というモチーフや今ある命と新しく芽生えた命、衰えてゆく命を織り交ぜながら、軽やかなリズムの散文詩の形式で12歳の少女の視点から綴ってゆくものである。100日間見つめ続けたりんごを通じて見えてくる命というものを、瑞々しい感性溢れる文章で紡ぐ、一味違った命の物語と言える。

 12歳の少女アニーが好きなのは、走ることと絵を描くこと。毎日のように裸足で走るアニーには幼なじみの気分屋のマックスがいて、ときどき一緒に走る。多感な年頃のアニーの周囲は何やら変わり始めている。母親のお腹には新たな命が宿り、元陸上選手の祖父は日に日に忘れっぽくなっている。ある日、週に二度ある美術の時間に課題に出されたりんごの絵を100日間描くことになるアニー。じっくりりんごを見つめ続けることで、アニーはりんごが日々変化してゆくさまに気づく。そして、さまざまな命のあり方を考え、知るのだった。堂々としたりんごは、最後にはひと粒の種となり、種はこれからの命の可能性へと繋がってゆく。それは老いゆく祖父と生まれたばかりの赤ん坊の弟にも重なる。

 この物語を魅力的にしているのは、老いゆく祖父の姿が頼もしい存在として描かれているからだろう。アニーがマックスに陸上部のチームに入らないことで臆病者と言われて落ち込んでいると“自分を見失うんじゃないぞ”と助言してくれたり、アニーの誕生日ごとに手紙を書いてくれたり(でも、手紙をあけるのは祖父の死後と言う)、“走ることの喜びのために走るのさ”などとかっこいいことを言ったりする。物忘れがひどくなる中でも、アニーをはじめ、家族のことを深く愛していることが伺える。アニーのよき理解者であり、人生の大先輩でもある祖父の存在は、アニーにとって、とても心強い存在に違いない。そして、だからこそ、アニーにとって身近な祖父の老いというものが真に迫るものとなる。

 また、アニーという少女の感性にも注目したい。何になりたいのか。何がしたいのか。自分のことがまだよくわからずにいる最中のアニー。ときどき無性に自分の立ち位置がわからなくなったりするのだ。「わたしはなぜここにいるの?」とふと思うような。わたしにも何かできることがあるはず。もっと大事なことがあるはず…そう思い悩みながら、日々を生きているのである。ときには意地になってみたり、孤独を感じてみたり、自分の正しさに疑問を感じてみたり、そして幸せを噛み締めてみたり、新たな命の誕生を喜ぶ傍らで、祖父の命の先の短さを思ったり…。そういう人間的な部分に惹かれずにはいられない。等身大の命を真摯に見つめる少女の姿に寄り添うことがとても心地よいと感じられた。

4037267608ハートビート
堀川 理万子 Sharon Creech もき かずこ
偕成社 2009-03

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≪シャロン・クリーチの本に関する過去記事≫
 ・『あの犬が好き』(2008-11-07)


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2009.06.09

私たちがやったこと

20090515_020 息が詰まりそうな凄まじいばかりの狂気にくらくらとなる。何しろ互いをひとつにせんばかりに、私とあなた、その境界を曖昧にさせるのだから。私という個など必要ない。あなたという個なども必要ない。むしろ、“私とあなた”、或いは“あなたと私”という個が必要なのだと言わんばかりに。そうして“私たち”になれば、何も怖くないはずだった。レベッカ・ブラウン著、柴田元幸訳『私たちがやったこと』(新潮文庫)という美しくも幻想的な短編集の表題作は、互いが不可欠になるために耳を聞こえなくした画家の<私>と、目を見えなくしたピアニストの<あなた>の物語である。愛する二人の世界はどこまでも閉じていて、その綻びに気づき始めたとき、痛烈なまでのおしまいが待ち受けている。

 “安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。こうすれば私たちはいつも一緒にいるはずだ”という印象的なはじまりは、二人の関係の濃密さと切実なまでの思いを感じさせる。外部を遮断して、まるでさも耳が聞こえるように、目が見えるように振舞う<私>と<あなた>。二人の世界を誰にも邪魔させない。そして、<あなた>なしでも<私>なしでも生きられないように、あくまでも、<私たち>でいられるための手段。それを選んだはずだった二人には、落とし穴がいくつもあったのだった。愛は盲目と言うけれど、まさにそれを描いたような狂気の世界。恐ろしいのに惹かれるのは、きっとここまで誰かを愛したことがないからかもしれない。

 その他の印象的な物語を挙げると、「結婚の悦び」では、二人きりで過ごすはずの新婚旅行先の人里離れたコテージに、夫の知人がどっと押し寄せてくる。夢と現実の区別のつかない世界が狂気に取り憑かれたように押し寄せる。そして、「よき友」では互いに同性愛者同士の男女の友情を描いていて、ほんのりあたたかさを感じる物語だ。けれど、恋人を亡くし自分の死期が近づいている日常からは、狂気を超えた何かを覚える気もする。「悲しみ」では、外国へ旅立つ彼女を送る私たちの残された思いを描く。誰かがいなくなって、ぽっかりと穴があく。そんな思いを彼女が戻ってくることを懸命に信じて埋めようとする物語である。その虚しさ漂う雰囲気に呑み込まれてはっとする。

 いずれも様々なかたちの織り成す愛の物語に違いなく、狂気を孕んだものが多い。登場人物に名前が与えられているものは少なく、ごくごく閉ざされた世界で登場人物たちは生きているように感じる。あくまでも愛する<あなた>と<私>の世界なのである。性別も年齢も余計なものは取り払われて、ごくごくシンプルな生身の人間がここにはいる。そうして、“愛する”というひどく困難ながら誰もが求め得るものを全身全霊で行う。愛されるという期待などなく、ただただ見返りを求めない愛としての“愛する”を。だから苦しい。とても苦しい。ひどくつらい。ひどく痛い。けれど、これが不器用ながら生きるわたしたちの為すすべなのですよ、と物語たちは語っているような気さえしてくるのだった。

4102149325私たちがやったこと (新潮文庫)
Rebecca Brown 柴田 元幸
新潮社 2008-09-30

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  ≪レベッカ・ブラウンの本に関する過去記事≫
  ・『若かった日々』(2007-02-13)
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  ・『家庭の医学』(2005-07-31)


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2009.05.22

遠い声 遠い部屋

20090515_4029 子ども時代特有の移ろいやすさと屈折した心理。純真無垢ばかりではいられない、大人に近づきつつあるそんな子ども心を余すところなく描いた、トルーマン・カポーティ著、河野一郎訳『遠い声 遠い部屋』(新潮文庫)。カポーティという人は、本当に子ども心をうまく掬い出す。子どもが意識的に大人に媚びへつらうことも知っているし、その内面が複雑に揺らぐことも良く知っている。大人からしてみれば、嫌な子どもに違いないけれど、この物語の主人公のように親戚をたらいまわしにして放り出された少年は、いやおうなしにそんなすべを身につけてしまったに違いない。美しく幻想的な文体で描かれる魅力溢れる少年の内面は、傷つきやすい少年の鋭い感覚を浮かび上がらせる。

 母親を亡くし、父親探しの旅に出た13歳のジョエルは、アメリカ南部の小さな町を訪れる。父の待つはずのヌーン・シティは辺鄙な町であり、途中お転婆娘のアイダベルらと知り合いながら、なんとかたどり着いたものの、邸には父親の後妻のエイミイとそのいとこであるランドルフ、召使いのミズーリがいるだけで、なかなか父親に会わせてもらえない。父親のことを口に出すたびにはぐらかされてしまうのだった。この邸に潜む謎、そして過去に起きた出来事とはなんなのか…次第に明らかになってゆくほどに、ジョエルの困惑は広がる。そして、ここから逃げ出したい衝動をふつふつとわかせるのだった。置かれた状況。それに抗うほどにジョエルを封じ込めるように壁が立ちはだかる。

 物語にランドルフがナルシスについて語る場面がある。ナルシスはわたしたちの一人に過ぎなかったというのである。鏡がなかったら、わたしたちはどこに自分が自分であるという安心を求めればよいのだろうかと。ナルシスは、たまたま孤独の中で自分の映像を見て、そこにただ一人の離れられぬ恋人を見つけた。そして、彼はこの点において誠実だったただ一人の人間であるという。この鏡の話は、登場人物の孤独をより深い闇の中へと追いやってゆくような気がする。そして、自己愛という名の闇からランドルフだけでなくジョエルの心の闇に潜むもろもろの情念をも映し出す。まるで、子ども時代を振り返るときがきていることを告げるかのように。そのことを痛感させる展開だ。

 けれど、ジョエルは大人になることを徹底的に拒絶し、ナルシスのような誠実さを持って自己愛に踏み出しはじめ、鏡の向こう側に永遠の美しい子どもを幻視することを求める。それは子どもゆえに先鋭化したナルシシズムなのか、それとも彼自身がもともと備えていた性質なのか。痛々しいまでにねじれた自意識は、今後の彼をどう変えてゆくのか。そして、子どものイノセントな部分が必ずしも美しいものではないこともカポーティは余すところなく描き出す。その内に秘めた不気味さや怖さといった部分まで。子ども時代特有の移ろいやすさと屈折した心理。純真無垢ばかりではいられない、大人に近づきつつあるそんな子ども心を思うとき、わたしはただただため息がもれるばかりだ。

4102095020遠い声遠い部屋 (新潮文庫)
河野 一郎
新潮社 1971-07

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 ≪トルーマン・カポーティの本に関する過去記事≫
  『誕生日の子どもたち』(2006-04-28)
  『真夏の航海』(2007-11-11)

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