60 海外作家の本(フランス)

2016.10.30

ジュリアン・グラック本尽くし

20161014_2 10月はジュリアン・グラックの本に埋もれていた。じわじわと魅せられ、いつの間にかはまり込んでいることにはたと気づく、甘美な読み心地の作品たち。逃れられない宿命や、果てる時をひたすら待つその過程、物語自体がシンプルな構成な分、いっそう際立つ隠喩や暗示を魅惑的に用いた文章、訳文の美しさに浸る時間は、私にとって格別な時だった。年々目立ったあらすじのない、とりたてて何も起こらない、そんな物語を求めたり、日記文学に惹かれる傾向にあるせいか、今の心の在り様とジュリアン・グラックの作品は、とても相性が良かった。シュルレアリスムにおさまならない広がりと奥行きを見せる物語世界に、個の文学性を追い求めるジュリアン・グラックの姿も感じられたのは、こうしてまとまった期間に多くの作品にふれられたからのように感じている。良き読書をした。そうまっすぐに言える時が、確かに流れていた。


* * *

■読んだ本についての短い感想

・『アルゴールの城にて』ジュリアン・グラック著、安藤元雄訳(岩波文庫)

 ふいに立ち現れては姿を隠す其処彼処に漂う宿命の気配が、物語を何処までも深く心掴んでゆく。何かが起こるべく足を踏み入れる地、其処に在る城、集う三人。そうして三者三様に抱える思いを押し込めながら、濃密な時が流れてゆく。推し量る以上に呑み込まれた言葉、行き来した思いは、ぶつかる視線の一つ一つ、其処に見る光景、夢想が幾重にも折り重なるように募ってゆく。自分たちがどうなるか知らず、それでも一人一人の内部で起こっていることを予感しながら、静かに本能が蠢く様が、次々胸にきゅっと押し寄せ、物語に溺れた心地になるのだった。

4003751280アルゴールの城にて (岩波文庫)
ジュリアン・グラック 安藤 元雄
岩波書店 2014-01-17

by G-Tools


・『シルトの岸辺』ジュリアン・グラック著、安藤元雄訳(岩波文庫)

 三百年も前から続く、けれど火蓋の切られぬ戦争。長く続くはずのない状況を強いられる虚ろな穏やかさの中、何かが起こるはずだと待ちに待つ日々は、終末の日が訪れ、勝ち目のない最後の戦いの時が満ちることへの欲求を募らせる。自分が何をしたのか、そもそものところの事態の本質をアルドーが全て悟るまでの長き対話は、物語の中でひたひたと押し寄せる恐ろしさを抱かせた。奥深くに満ちる人々の思惑と権威の縮図さえ、まるごと呑み込んでゆく宿命の力が人間の本質を貫かんとする様。それを冷静に語る覚悟の視点には、どこか美しさが漂っていた。

4003751299シルトの岸辺 (岩波文庫)
ジュリアン・グラック 安藤 元雄
岩波書店 2014-02-15

by G-Tools


・『陰欝な美青年』ジュリアン・グラック著、小佐井伸二訳(文遊社)

 それと知っていても、そ知らぬふりをしようとも、どうしたって向かってしまう逃れようもない宿命の影をひたひたと予感させながら、物語が進むのをただただ読むしかなかった。憑かれたように死と近しい者、それにはたと気づいた時には、自分も引き込まれている。そうして、自分の内にある倦怠を意識する以上に見せられる心地になる。止めようもなく、止まるすべもなく、彼はどこまでも彼であり、その淵に立たされ、戻るすべを失くしている。思えば、始まりすら結末を待っていた。眩暈に似た時の訪れは、物語に漂う甘美な死を痛いほど知らしめた。

4892571121陰鬱な美青年
ジュリアン・グラック 小佐井伸二
文遊社 2015-04-30

by G-Tools


・『森のバルコニー・狭い水路』ジュリアン・グラック著、中島昭和訳(白水社)

 待つ静寂と待つ人のいない静寂。物語全体を包む静けさは、ゆっくりと心情に寄り添いながら、その深みと対極にあるようで近しい側面を見せてゆく。始まっているのか、始まっていないのか。戦争の最中にあって、不確かな状況に置かれている猶予の身の心の拠り所となる森の存在、不安の中にも生まれる運命の徴は、“ここが好きなんです”という言葉と共に、突如として危険を孕んでゆくグランジュの心を静かに開いてゆく。果てる一日。そうしてその果てまで。細部に満ちる心は一人静寂に沈んでゆく様すら魅せる。「狭い水路」での記憶の中の静寂も響く。

456004435X森のバルコニー・狭い水路 (白水社世界の文学)
ジュリアン・グラック 中島昭和
白水社 1981-05

by G-Tools


・『半島』ジュリアン・グラック著、中島昭和・中島公子訳(白水社)

 甘悲しい思い出がそうさせたのか、移ろいゆく時がそうさせたのか。待つことの最中に巡らす思いの豊かさに対して、果てる時の先にある空虚に満ちる幸福に、思わず溜息がこぼれた。待ち焦がれ、その瞬間を想像し、目に映る景色にも溢れてくる感情、孤独と幸福の狭間に何度も揺れる心。すべては待ち人が来るまでの時に濃密に繋がり、魅せる「半島」。待つことを主題に置きながらも、現実と期待の入りまじる夢の佇まいと暗示を散りばめた「コフェチュア王」も心彩る濃密な時を巡らす。街道とそこに生きる女たちに思いを馳せる「街道」も刹那の時が深い。収録作品「街道」「半島」「コフェチュア王」。

4560044058半島 ((世界の文学))
ジュリアン・グラック
白水社

by G-Tools


・『ひとつの町のかたち』ジュリアン・グラック著、永井敦子訳(書肆心水)

 自分をつくっていった、ナントの町。読書を通じて目覚めてゆく想像の世界と自分の間に町が及ぼす影響は、寄宿生活の中で物質的な距離を置こうとも、豊かに心に生き続けた。地図の町とは違う、ただ一人の中にある心の中の町の在り様は、ジュリアン・グラックの視線が鮮やかに生きている。何を見て、何を読んで、何を感じ、何を巡らせたのか。その心がどれほど感受性と知識に満ちていたのかを、溢れんばかりに伝えてくる。そうして、ひとつの町と共に変化を続けた人物が確かな手触りで立ち現れ、私の心の中にもひとつの町が在ることを教えてくれた。プルースト、ジュール・ヴェルヌ、コレット、ボードレール、フロベール、スタンダール、バルザック、ディケンズ、ヘミングウェイなどなど多数の文学作品の魅力にも心掴まれる。

4902854015ひとつの町のかたち
ジュリアン・グラック 永井 敦子
書肆心水 2004-11

by G-Tools


・『街道手帖』ジュリアン・グラック著、永井敦子訳(風濤社)

 188もの断章の意識の波間を漂えば、ジュリアン・グラックの心にある風景を、そこに刻まれた数々の記憶を、その夢と現実、長年に渡り培われた文学と日常の狭間さえ、浸り込むほど近くに感じられる気がして、魅惑に誘われながら読み耽った。とりわけ、生涯のうちに費やした読書の時間について巡らせた箇所や、『失われた時を求めて』を端から端まで読み直したからこそ見えてくる真の主題、愛着を持っていないと言いつつも時々開く『陰欝な美青年』のプロローグ、戦時下まさにアメリカに旅立とうとするユルスナールらと過ごした時間が印象的だった。

4892193844街道手帖 (シュルレアリスムの本棚)
ジュリアン グラック Julien Gracq
風濤社 2014-08

by G-Tools


20161022_55janie_2
過ぎてゆく2016年の10月を惜しむように、記録としてここに記す。これからも良き読書を。良き時間を。Thank you for reading.


*

| | コメント (0)

2016.04.23

失われた時を求めて

20160410_4028janie これまで長い物語をことごとく避けてきた。日々読書の時を積み重ね、物語を求め、物語に焦がれ、寄り添えば寄り添うほどに、未熟な読者である私には到底読み通すことなどできないと、どこかで諦めていた。それでもずっと焦がれてきた物語には、何度も出会う。物語は何度も目の前に立ち現れる。読むべき時やそのきっかけは自然とやって来る。書店で、図書館で、ネットで。本が本を連れてくることもある。そうやって何度だって目を留めてしまう。まだ無理だ。そう目を逸らしてきた日々は、憧れを積み重ねた。そうして、その物語を大切に思う人との出会いまで連れてきた。長き物語を読んだことがある。長き物語を読もうとしている。物語と向き合う、向き合おうとする。そうしたいくつもの結びつきは、長き物語を知った時から、少しずつ、確かに、長き歳月をかけて自分自身にしみわたり、正面から向き合う時を待っていた。待っていてくれた。

 2015年7月、私は『失われた時を求めて』を読み始めた。焦がれてきた長い時を慈しむように、長い時をかけて、一頁一頁ちびちび物語の頁を捲った。物語にどっぷり浸るときもあった。少し距離を置くこともあった。他の物語に気を取られ、他の本にプルーストや『失われた時を求めて』が登場して、はっと我に返ったりもした。プルーストのことを、その作品のことを語る本はあまりにも多い。読めば読むほどに『失われた時を求めて』を読まねばならないという気持ちにさせられるのだった。読むまでの長き道、読み終えるまでの長き道を思って、途方に暮れそうになったこともある。けれども物語は待っている。待っていてくれる。私が追いつくのを、そこに行くのを、辛抱強く待っていてくれる。それは物語を読む読者にとっての、変わらない救いのように思える。だから読む。いつかきっとそこに行くと物語の入り口で決意する。きっとそこに行く。不確かな思いがいつからか変わっていた。必ずそこに行く、へ。

 2016年4月。約10ヶ月の果てに、ようやく私は物語の出口にいた。全13巻。読み終えるのが惜しくて、行きつ戻りつちびちび残りの頁を捲った。そうして私の中には、ひとつまた物語が加わった。大切な物語として、ここに。


・『失われた時を求めて1』 2015年7月23日読了
スワン家の方へⅠ マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

眠りに引き込まれて夢と現をさまよう書き出しから、物語に始終魅せられていた。目覚めて思い出すコンブレーでの幼年時代の記憶は断片的ながら、母のおやすみのキスを求める気持ちに心揺さぶられ、愛おしさでいっぱいになる。やがてある冬の日に紅茶に浸したマドレーヌによって記憶は生き生きと蘇り、過去のコンブレーとそこで出会った人々のこと、叔母を通じて知る老年の深い諦め、青い目の輝きに見た恋の刹那、将来を夢見る心などが語られる様子は、失われていた時間を少しずつ確かなものにして、これから続く長い物語への期待が高まる始まりだ。

4087610209失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-03-17

by G-Tools

・『失われた時を求めて2』 2015年7月26日読了
第一篇スワン家の方へⅡ  マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳 集英社

恋の盲目的なこと。愛のかたちの多様なこと。それを前にした愚かなまでの誠実さと、それを上回る賢さがあること。スワンの恋をめぐる物語を読みながら、繰り返しそんな思いがめぐっていた。渦中にいる人々はわからぬことをこうして知ってしまう、どこか後ろめたいような心地も抱かせる。語り手がめぐらす過ぎ去った歳月。それに伴う時の隔たりは、もう戻らぬ日々や現実、場所、家、道、通りなどへの追憶をさらに色濃くしていった。記憶の情景は矛盾を抱えていても、こうして物語としてここに在る。その事実は、戻らぬ過去よりも確かなことに思えた。

4087610217失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-03-17

by G-Tools

・『失われた時を求めて3』 2015年8月17日読了
第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

スワン夫人の圧倒的な存在感にくらくらしながら魅せられていた。物語られるほどに、あのオデットがより貴婦人然としているように思えて、そこまでに流れた時間をめぐらせてしまう。語り手とジルベルトとの関係は、これまで語られてきたスワンとスワン夫人との関係を思い起こさせ、そこに横たわる思いに揺さぶられる。どの恋愛にも通ずる苦悩は、ここでは若さゆえにどこか独りよがりで、駆け引きすら駆け引きにならないところが、惨めで悲しい。恋の終わりを受け入れる過程は、愛した日々の儚さを思わせ、時の流れと共に切ない余韻を残していった。

4087610225失われた時を求めて〈3〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-05

by G-Tools

・『失われた時を求めて4』 2015年9月6日読了
第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

バルベックでの青春の記憶が紐解かれてゆく。その地に着いたときの不安は、少女たちの姿や恋をしたいという望みによって掻き消え、語り手の若さゆえの浮ついた心が何だか微笑ましくもある。今この瞬間を楽しもうとする彼の思考の中にある少女たち、彼女たちと関わる上で思い出される記憶が、駆け引きを知らなかった語り手を少しずつ大人にしてゆくよう。語り手の中に生まれる様々な感情は、初恋の別の顔を見せていた。また、他人には分からないようなことのために人がどれほど苦しむかを知る、シャルリュス男爵の放つ言葉とその存在感が印象的。

4087610233失われた時を求めて〈4〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-05

by G-Tools

・『失われた時を求めて5』  2015年11月5日読了
第三篇ゲルマントの方Ⅰ  マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

パリのゲルマントの館の一角に引っ越してからの日々は、ゲルマント公爵夫人に近づこうとするがための行動と思考が巡り、想像と現実の中で悶々とする様子が何だか可笑しい。彼女のいる散歩道、彼女と親しくなるための友人との時間。やがて思い描いていた人物像が崩されてゆく過程は、足を踏み入れ始めた社交界の人間模様を様々に描き出してゆく。自分自身がどう他者に映り、どう語られているのか。その実情にふれる場面が印象的だ。また、眠りについて書かれた、無意識の中に広がる幻想と目覚めの蘇生についての語りも魅力的で惹きつけられた。

4087610241失われた時を求めて〈5〉第三篇 ゲルマントの方〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-08

by G-Tools

・『失われた時を求めて6』 2016年1月4日読了
第三篇ゲルマントの方Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

はっと胸を打つうら若い娘のような祖母の臨終の時の姿が、そこだけ静謐な忘れ難い光景として浮かび上がる。その後続くアルベルチーヌの不意の訪問からの、どことなく不謹慎にも感じられる恋愛描写の雰囲気に違和感を覚えつつも、続いて描かれるこれまで一方的に慕っていたゲルマント公爵夫人を始め、社交界の人々と語り手が言葉を交わすようになる様子に呑まれるように浸っていた。ゲルマント家の世界でのかけひき、大貴族然と振る舞う姿や才気は、社交界の現実を映し出してどこか虚しい。そして、久しぶりのスワンの姿に心を掴まれていた。

408761025X失われた時を求めて〈6〉第三篇 ゲルマントの方〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-08

by G-Tools

・『失われた時を求めて7』 2016年2月1日読了
第四篇 ソドムとゴモラⅠ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

冒頭から浮かび上がる同性愛の主題、ゲルマント大公夫妻のサロンの様子、そこで蠢くソドムの男たち、ドレーフェス事件が社交界に及ぼす影響、病身のスワンとの語らい、食い違い始めるアルベルチーヌとの関係、漂い出すゴモラの世界……と様々に展開する中で、とりわけ「心の間歇」と題された部分は鮮烈な印象を残した。二度目のバルベック到着の夜にふいに思い出される亡き祖母との記憶は、埋葬から一年以上も経って初めて実感として立ち上る。確かな愛情、その死への悲しみ。永遠に失ったことを悟る過程で、はっと母の苦悩を思う部分が愛しい。

4087610268失われた時を求めて〈7〉第四篇 ソドムとゴモラ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2006-10

by G-Tools

・『失われた時を求めて8』 2016年2月4日読了
第四篇ソドムとゴモラⅡ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

表層と心のうち。それを始終巡らす展開に眩暈を覚えながら、頁を捲るのを止められなかった。ヴェルデュラン夫人のサロンの様子にしても、シャルリュス氏に向けられる視線にしても、アルベルチーヌに対する愛情と激しい嫉妬の交錯にしても、語られるほどにその表層と心のうちの差を思わずにいられなかった。見抜かれぬように。見抜いていても、悟られぬように。冷めては熱し、繰り返し、揺れながら、揺さぶられながら、人の思考は変化する。祖母の面影を抱かせる母の姿は、語り手の人間性を救うように、その若さを包み込むように存在感を放っていた。

4087610276失われた時を求めて〈8〉第四篇 ソドムとゴモラ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-10

by G-Tools

・『失われた時を求めて9』 2016年2月5日読了
第5篇囚われの女Ⅰ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

愛ゆえの嫉妬とそれをこえた揺らぎの果ての、執着を感じさせるアルベルチーヌとの暮らしの中での語り手の心のうちにある、倦怠と苦悩の日々がつぶさに描かれてゆく。他者の本当の心のうちは、どうしたってすべては知り得ない。その普遍的な事実を、読みながら突きつけられたような心地になった。悲しき宿命が示すのは、傍にいたとて、所有する心を満たしたとて、どこか虚しき関係に思える。そうして、きっとそれを辿ることとて。ふいに記されるスワンの死にはっと胸を締め付けられながら、この物語に魅せられる理由を、辿る意味を探していた。

4087610284失われた時を求めて〈9〉第五篇 囚われの女1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて10』 2016年2月6日読了
第五篇 囚われの女Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

人が顚落してゆくその過程をつぶさに見つめている視線と、それを捉えながらも止めどなく溢れてくる語り手の抱える苦悩、そして端々に登場するスワンの影に、忙しいほどにはらはらと心を掴まれつつ読む物語は、ここにきてさらなる魅力を放っていた。アルベルチーヌを囚われの女としていた語り手自身が、自分の想像の果てに囚われていたこと。真実がどうあれ、それを少しずつ自覚してゆく思考は、どこか読者をほっとさせる。後半展開する音楽に文学論を絡めてゆく語りは、それまでの視線に新たな説得力を加えて、その思考を深いものに感じさせた。

4087610292失われた時を求めて〈10〉第五篇 囚われの女2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて11』 2016年2月29日読了
第六篇 逃げ去る女 マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

すべては失われた時の中。愛するものは過去の中に埋もれている。愛したもの、苦しめたもの、絶えず見ていたもの。それは一面にすぎず、思い出は真実とは限らない。過去の真実がどうあれ、苦悩を鎮めてくれる言葉を苦悩は知らない。多くの知らなかった時間を辿り、亡き人の隠された姿を探り、虚しくも執着を見せるその過程は、悲しいかな忘却とも結びつく。色褪せてゆく記憶は残酷にも求める過去を作り出す。そんな不器用にめぐる思考は、どこか愛おしい。物語の救いに感じられるのは、社交界でなく、文学を求める心を強く意識し出す語り手の思いだ。

4087610306失われた時を求めて〈11〉第六篇 逃げ去る女 (集英社ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて12』 2016年4月10日読了
第七篇 見出された時Ⅰ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

多くの歳月が流れ、短い生涯を終えた人々や老いゆく人の姿がある中、見出されてゆく失われた時の手触りが、物語の核を感じさせる。不揃いな敷石の感覚や皿にあたるスプーンの音、ナプキンのかたさ、そうして思い出されるマドレーヌの味に抱いた幸福感に始まった瞬間に蘇る記憶は、十全に生きられた真の生を見出し、それこそが文学だと思い当たる過程をつぶさに描く。これまでの生涯の一つ一つの出来事が、これから書こうとするすべてに結びついてゆくこと、そしてすべてはスワンとの出会いに始まったこと。起こるべく過ぎた時に胸がじんと熱くなる。

4087610314失われた時を求めて〈12〉第七篇 見出された時(1) (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-03

by G-Tools

・『失われた時を求めて13』 2016年4月14日読了
第七篇 見出された時Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

変わらずに今もなお結びつく瞬間。自分自身も知らぬうちに無限に広がる過去の記憶。時の中に見出してゆく人間の占める場所の長きに渡る歳月をめぐらせて、自分自身の内部にある日々と今ある日々を自らの一生として、支えにさえ思う箇所は、とりわけこの長き物語を一頁一頁読み進めてきた時間を、どこか格別の愛おしさに感じさせた。人生が様々な人間や出来事の間に神秘の糸をめぐらせてゆく真実、つきまとう死の観念、芸術の残酷な法則。それでも、今こそ作品にとりかかるべき時であるという言葉は、ここにある物語に、その人生に光を抱かせた。

4087610322失われた時を求めて〈13〉第七篇 見出された時(2) (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-03

by G-Tools

 私が実際に読んだのは文庫本ではなく、単行本のほうの『失われた時を求めて』でしたが、リンク先はお求め易い文庫のほうにしてあります。ご了承くださいませ。なお、岩波文庫、光文社古典新訳文庫などでも、この物語は読むことができます。

 全13巻にもわたるプルーストの『失われた時を求めて』。この物語にどっぷり浸ったり、他の物語に寄り道して少し離れたりしながら、約10ヶ月かけてようやくすべてを読了してみて心にあるのは、読んでいた時間の愛おしさだ。今となっては、物語に寄り添っていた時間はすべてがただただ愛おしく、物語の終盤には登場人物たちへの親しみと懐かしささえ込み上げていた。こんなにも長い物語を読んだ経験は、私にとって初めてのこと。読み終えた余韻に浸っていると、何だか胸いっぱい、愛おしさでいっぱい。濃密な読書だったと心から思う。そうして、これから先は長い物語にもっと果敢に挑んでゆこうという思いを強くしていた。

 ふと『失われた時を求めて』を読む以前に読んでいた、パトリック・モディアノの『失われた時のカフェで』のことを思い出す。モディアノ作品の読み心地は私にとっては特別で、この作品を読んでプルースト作品への期待と憧れを強くした日の気持ちを懐かしいような愛おしさで抱きしめたくなる。プルーストの『失われた時を求めて』を読み終えた今でも、モディアノの『失われた時のカフェで』という作品が、プルースト作品を意識しつつも、モディアノ独自の世界観と文体を持った作品であると改めて思う。

 「失われた時」と付くタイトルもまた、これまでよりもさらに特別な思いで、今眺めてしまう。時、その意味するところの響き、めぐらす余白を見せる奥行き、感覚的なものを含め、想像を幾重にも広げる言葉の組み合わせ。文字の並びだけでも魅力的な上に、そこには物語がある。確かに作品となって存在している。読者としての喜びは、私の中ではそこに尽きる。そうして、そういう思いを抱かせる物語を読めることにただただ感謝の言葉しかない。

・『失われた時のカフェで』
パトリック・モディアノ著 平中悠一訳 作品社

行間を読ませ、あからさまな愛の言葉を用いずに、抑制の利いた文章で誰かへの痛いほどの深い愛情を読み手に伝えてくるところに惹かれる。時間も記憶も縦横無尽に行き来する語りで物語世界へ誘い、今と過去とその先が同じ場所に横たわり、くらくらと眩暈を覚えるくらい不思議な切なさがそこにある。複数の語り手によって浮かび上がるルキという女性の謎めき、永遠の繰り返しという言葉の魅惑。同じように始まり、同じ出会いが繰り返される日々。答えのないままに残される問いが、いつまでも、そしてじわじわと後を引き、記憶の中に甦るよう。

4861823269失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ 平中 悠一
作品社 2011-05-02

by G-Tools

 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』、パトリック・モディアノ『失われた時のカフェで』。どちらも私にとっては魅惑。魅力の尽きない物語たち。失われた時の物語が多くの人に読まれますように。そっと願いを込めて。
 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

| | コメント (0)

2016.02.07

アドルフ

20150205_4032 私はまだ、愛を語るほど愛についての多くを知らない。愛がどれほど深いものであるのか、そしてそれがときにどれほどの幸福と不幸を生むのか。それを確かには知らないのだ。自分自身の意識するところでも、意識しない部分でさえも、やわらかに包み込むような愛情を確かには知らぬと思うのだ。目に見えるものではない愛情には手触りがなく、心で感じるものだと知っていても、どこかでいつも確かな愛を欲しがる思いがくすぶっている。愛を乞うばかりで、惜しみなく与えることを知らぬ者としての自分自身を、いつも不器用に抱えている。

 コンスタン著、中村佳子訳『アドルフ』(光文社古典新訳文庫)に描かれる愛を読んだとき、アドルフとエレノールの関係について愚かしく不幸だと感じながらも、遠い時代の他人事のようには思えなかった。客観的に見ても決して似ているわけではないのに、私自身の経験が及ばぬところなのに、物語の端々で自分自身を、心を重ねていた。それは、二人が愛のどつぼにはまるがごとく、ずるずると果てしなく苦しく関係を続けてゆくほどに、そこに本当の意味では愛を知らない二人を見たような気がしてしまったからかも知れない。登場人物の心理は、自分自身の心の内のように重なったのだった。私はアドルフだったかも知れず、エレノールだったかも知れない。そんなことを思わせた。

 アドルフとエレノール。物語を通して見えてくるこの二人の関係の不幸は、自らが招いたもののようにも感じられる。二人のそれぞれの人としてのあり方、その人間性といったものに目が向くのだ。アドルフの不幸はもともとの愛するという能力に、エレノールの不幸はその激しい感情の中にあるとも思える。それに加え、社会に承認されない二人の愛は、必要以上の苦しみを生んでしまったのではないかと。いつまでもしがみつく愛と、口実を見つけてそれを破壊しようとする愛。交わらない愛と呼べるか悩ましいほどの不幸な関係は、自らが招いたことだと知らしめるには十分かも知れない。

 けれど、果たしてそうなのだろうか。私たち一人一人は、愛する能力を持っているだろうか。誰かを愛するために必要な人間性を備えているだろうか。日々の生活の中で、激しい感情が生まれることだってあるだろう。今ある関係を手放したくないと、しがみつくことだってあるだろう。ときには言い訳を見つけて逃げ出そうとする気持ちだって生まれることがあるだろう。愛する対象として、自分に都合のよい相手を選ぶことだって少なからずあるのではないだろうか。恋愛関係に限らず、どんな関係においても、そうしたことは我が身に置き換えてまったく当てはまらない人などいないのではないだろうか。愛を乞う人ならば、身につまされる人は多いに違いない。

 アドルフやエレノールと自分自身を重ね合わせるとき意識させられるのは、関係性というものだ。そして、どんな関係においても決して縁を切ることのできない、自分自身の存在がある。思わず省みてしまう奥底に見えるのは、愛を語るほど愛についての多くを知らない未熟さだ。愛がどれほど深いものであるのか、そしてそれがときにどれほどの幸福と不幸を生むのかを、本当の意味では知らないということだ。恋愛に限らず、家族愛、友人愛、いろいろな愛が溢れる中で、その愛を確かなかたちで実感することは難しい。だからこそ愛は奥深く、尊いものなのだとも感じられる。その尊さゆえに、不安にもなる。心細くもなる。感情的にもなる。ときにそれを重たいとも感じる。確かな愛を欲しがる思いがくすぶってもいる。愛を乞うばかりで、惜しみなく与えることを知らぬ者としての自分自身を、いつも不器用に抱えている。それはまるで、もう一人のアドルフだったかも知れないし、もう一人のエレノールだったかも知れない、まぎれもない私自身だと思うのだ。

追記
この文章は2014年に書いたものです。

433475287Xアドルフ (光文社古典新訳文庫)
バンジャマン コンスタン Benjamin Constant
光文社 2014-03-12

by G-Tools


| | コメント (0)

2009.07.14

ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶

20090529_052jpg_effected 大人になりきれなくてもいいじゃないか。いつまでも子どもでいたっていいじゃないか。子どものままの視線で、わたしなりの視線でさまざまなものを見て、感じて、思って、考える。背伸びする必要などどこにもない。ありのままの自分で、ありのままの感性で、物事を見つめる。ただそれだけでいい。そうして自然と見えてきたもの、浮かんだものは、わたし自身の何よりも強みになる。そんなことを思わせてくれる、20世紀フランスの最大の詩人ジャック・プレヴェールの言葉たち。高畑勲編・訳、奈良美智絵による『ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶』(ぴあ)は、21世紀になっても世界中で読み継がれているプレヴェールの詩と奈良美智の絵が不思議に響きあう、魅力的な一冊である。

 表題にもなっているとおり、プレヴェールの詩には鳥が多く登場する。自由を求めて、大空を飛び廻る鳥のごとく生きられたら…そんなプレヴェールの思いを強く意識させられるぴったりの表題だと思う。ときには残酷なまでに真実を伝え、ときにはユーモアを込めて言葉遊びを楽しむ。そして、率直に伝えたいことを語り出す。そんな詩やお話の数々を収録。「灯台守は鳥たちを愛しすぎる」では、どんなふうにしても幾千羽もの鳥たちが死んでしまう。火に向かって飛ぶ鳥たちをどうにかしようと、さまざまな犠牲を覚悟で灯台のあかりをみんな消してしまう。けれど、幾千羽もの鳥を乗せた貨物船が難破することになってしまうのだ。救う命あれば、救われない命がどこかに必ずあることに愕然となる。

 「花屋にて」では、ある男が花を買う。男がポケットからお金を探ると同時に、急に心臓に手を当てて倒れてしまう。男が倒れると同時に床に転がるお金と、落ちる花束。花屋の女は立ちつくして、為すすべもなく、ただ死んだ男とだめになった花束と転がり続けるお金のことを見つめている。どこから手をつけるべきなのかわからずに。これは、リアルな感情を伝える詩だと思う。こういう時、すばやく行動できる人こそ人生経験を積んだ大人なのかもしれないが、ただただ立ちつくす花屋の女は正直だ。真実味がある。もはや救えない命が目の前にあること。そこには、自分の無力さや弱さ、儚い人間の命と花の命が一瞬にして浮かび上がる。そして、同時に自分が今ここに生きている、ということも。

 戦争の悲しさを綴る「家庭的」。母親は編物をする。父親は事業をする。当然のこととして息子は戦争をする。何の疑いもなしに命が続くと思っている家庭の光景。戦争が終わったら、父親の事業を自分もするだろうと思っている。けれど、母親が編物を続けるように、父親が事業を続けるように、戦争も続き、息子は戦死してしまう。彼の命は続かない。そしてやがて、墓地のある暮らしが当然のことになる。悲しいかな、母親と父親の暮らしは続いてゆくから。簡素な言葉で紡がれた言葉に、強く重くのしかかる。皮肉ったようなタイトルも、すべてがわたしたちのすぐ目の前にある、現実を照らし出す。目を背けたくなるようなことも。あますところなく伝える。プレヴェールは鋭い観察者だと思う。

4835616359ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶
奈良 美智 Jacques Pr´evert 高畑 勲
ぴあ 2006-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.04.28

闇のオディッセー

20090218_43082 狂気がすぐそばにあることに。たいていの人は気づかないふりをする。自分が闇に足を踏み出さないための一線を心得て。無視を決め込む。そうしてバランスを保って、自分を支えようとする。けれど、ジョルジュ・シムノン著、長島良三訳『闇のオディッセー』(河出書房新社)では、敢えてその闇と立ち向かう主人公を描く。すぐそばに迫りくる恐怖とどこまで自分が戦えるのかを試そうとするみたいに。安らぎとはほど遠い日々。緊迫した時間の流れ。闇に支配された心情をどこまでも深くえぐるその筆致に、読み手はずるずると引き込まれてゆく。いつしか闇に支配されていることに気づいたときにはもう、物語は終焉に向かっている。もはや明日などない。闇にすっかり覆われてしまっているのだから。

 パリの高級住宅地に住む裕福な産婦人科医で大学教授でもあるジャン・シャボは、家族や同僚、仕事や社会的地位に恵まれているように見える49歳の男である。妻公認の愛人もいるほどだったりする。けれど、内実は3人の子どもと妻に裏切られ、母親には疎まれ、妻の実家からは屈辱的な応対をされ、いつか起こすかもしれない医療過誤の恐怖に怯えている。そんな心身ともに深く傷ついた彼は、宿直中に<熊のぬいぐるみ>とひそやかに名づけた若い掃除婦の娘の無邪気さに心奪われ喜びを見出す。けれど、愛人であった秘書に気づかれ、病院を追われた娘はやがてセーヌ川に身投げする。娘の死後、身籠ったまま入水したことを知るシャボ。そして、謎めいた男からの脅迫に追いつめられてゆく。

 ポケットに拳銃をしのばせるようになるシャボ。けれど、とりわけ自殺願望や誰かに殺意を抱いたわけではなかった。だが、ときどき自分に拳銃を向けてみたり青み帯びたそれをさわってみたりすることで、いつでもこの世とおさらばできると言い聞かせて、やり過ごしていたのだった。そんな中、自分にたびたび問いかける場面が登場する。一体自分は何が不満なのだ?何が不足しているというのだ?と。強者である自分、男らしい男である自分、医学部教授である自分、自分の他者に対する役割に疑問を抱くのだった。シャボの問いは、ある意味誰もが日常の中で感じるものなのかもしれない。その大きさには差こそあれ、ふっと迷い込んだ先で思い悩む類のものに違いないと思えるのである。

 思えば、他人の目に映る自分の姿と、自分の内にある目でしっかりと見据えた自分とは、異なるのが当たり前である。著者は、その差に思い悩み、心理的に追いつめられてゆく主人公の内情をしつこいほどに描き出してゆく。一人の人間の本質に迫るように。サスペンスタッチとも取れるこの物語は、主人公の心の動きに寄り添いながらも、どこか冷淡なまでに彼を突き放して、読み手に本当の恐怖を耽読させる。わたしたちのすぐそばには、いつだって狂気があることに気づかせようと。それに気づかないふりをしているわたしたちを、ぞっとするほどの闇に誘い出すのである。緊迫した時間の流れの中で、読み手の心情をも深く深くえぐるように。はっと気がついたらもう、そこは深い闇である。

4309205089闇のオディッセー (シムノン本格小説選)
長島 良三
河出書房新社 2008-11-08

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.04.26

黄金の魚

20090422_039 一匹の魚が捕らえようとする手から逃れるように、するりするりと身をかわす。時の流れに逆らうように。時に流れに身をたゆたわせながら。それでも押し流されることなく、自分の選んだ道、信じた道を泳いでゆく。ル・クレジオ著、村野美優訳『黄金の魚(きんのさかな)』(北冬舎)は、15年にもわたるある一人の少女の流転、放浪の日々を描いた物語である。まるで魚が捕まえようとする誰かの手から逃れるように、するりと身をかわしてゆくような生き方をする少女ライラ。彼女は幼少期に暴力の手で捕らえられ、売られてしまった。過酷な現実の中に投げ込まれ、さまよいながらも、健気に生き抜こうとする少女の物語は、静かな余韻を残して確かなものとして胸を打つものだ。

 物語はモロッコからはじまる。さらわれて老婆ラッラ・アスーマに買われたライラは、片方の耳が不自由である。まだ6歳か7歳だったライラにさらわれる以前の記憶はなく、過去の形見は三日月形をした金のイヤリングだけ。ラッラ・アスーマは、ライラの将来を考えて、身の回りの世話をさせながらも、フランス語やスペイン語の読み書き、暗算や幾何などを教えてくれた。だが、ラッラ・アスーマの死後、ライラは15年にも及ぶ放浪の旅をしなければならなくなるのである。堕胎婦と娼婦たちの館での暮らし、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカと点々とするライラ。運命に弄ばれるように、けれど、ある一線は越えないように。彼女の中にはどこか芯の強い部分があったように感じられる。

 ライラには人を惹きつける魅力があって、出会う人出会う人すべての人が、ライラを自分のものにしようと彼女を縛りつけようとする。なぜなら、彼女はたくさんの言語を操る力と読書による知識やいくつもの才能を秘めていたからだ。中でも、彼女の研ぎ澄まされた感性は、音楽の才能を開花させる。もちろん、生きるために悪さをすることもしばしばだった。けれど、彼女はどこか落ちぶれてゆく人々とは異なり、気品を損なうことはなかったような気がする。彼女の放浪の日々は、自分探しの放浪とは異なり、自らが持っていた才能や感性を研ぎ澄ますための放浪のような気さえしたのだった。誰からも束縛されずに、自由に泳ぐ魚のような。そんな生き方。まさに黄金の魚の名にふさわしい。

 “世界には自分の居場所などないのだ、どこへ行っても自分はよそ者みたいだ、だから、いつも別の場所へ行く夢をみなければならない”ライラはこんなふうに考える。そして、いつしか自分が何者でもなくてもちっとも怖くなる日まで、彼女の生き様を物語は追う。彼女の放浪の日々はまだまだ続く。きっと生涯続くのだろう。生きている限り。ずっと。果てしなく。けれど、確かに彼女は自分の中にそのルーツを見出し、才能を開花させ、生き抜くことを選んだ。過酷な運命に翻弄されながらも自分を見失わない強い力を、彼女の中に読み手は見つけるに違いない。ライラ。あなたの行く先が少しでも明るい方へ向かいますように。そう願わずにはいられない。そして、きっとあなたを忘れない。

4860730100黄金の魚
J.M.G. Le Cl´ezio 村野 美優
北冬舎 2003-02

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.05

ハッピーデイズ

20090218_43018jpg_effected 自分の居場所とは果たしてどこであるのか。この広大な世界での人間の位置づけとは一体何であるのか。人間は何を自負することができるのか…ちっぽけなわたしたちは、ふと立ち止まって考えに耽りたくなる。些細な、けれど一個人にとっては大きなしがらみによって、自由の利かないこの身体と心の本当の住処があるとすれば、そこはどこなのか。答えの見つからない問いを抱えながら、それでも日々を消化する。一瞬たりとも立ち止まることを許されずに。ローラン・グラフ著、工藤妙子訳『ハッピーデイズ』(角川書店)は、生に飽きながらも生を見つめる男の物語である。立ち止まることを許されないわたしたちにはできない男の行動は理解しがたくも、何かを考えるきっかけをくれるような気がする。

 物語の主人公アントワーヌは、18歳にして自分の墓を買う。“子供の人生は大人の人生の縮図であり、もう人生すべての要素は体験した”と。その後、35歳になった彼に予想外の遺産が舞い込み、12年の結婚生活にピリオドをうち、老人養護施設「ハッピーデイズ」に入居するに至る。職員ではなく、立派な入居者として。生に飽きていたはずのアントワーヌだったが、施設で末期ガン患者のミレイユと出会い、その生へのしがみつきを目の当たりにし、何かが揺らぎ出す。そこで彼が見い出したものとは…。淡々と綴られる物語の中には、ある種の宗教的な思考が感じられ、著者の仏教への関心が伺える。そして、乾きの中にある、哀愁にときどきぐらぐらと揺らぐのは、わたしもまた主人公アントワーヌと同じく悩める者だからに違いない。

 この物語の中には、冒頭に挙げたような問いに対する答えらしい答えは、どこにも描かれてはいない。まるで、自らの力で答えを探すしかないのだと言わんばかりに。そして、死してもなお、その答えは見つからないとでも言わんばかりに。わたしたちの一生が、生を見つめる居場所探しなのだと言わんばかりに。答えが簡単に見つかってしまったら、それこそ生きる意味などないのだと言わんばかりに。生に飽きたはずの人間が、また生きることを見い出すその瞬間の煌めきは、何ものにも代えられない。その光を、その本能を、その衝動を、わたしたちは大切にするべきなのだろう。生きている間、ずっと。死してもなお、ずっと。そうして、生きている今という時間を、ときどきふと立ち止まって考えることの必要性を痛感させられるのだった。

4047916005ハッピーデイズ
Laurent Graff 工藤 妙子
角川書店 2008-02

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.09

名医ポポタムの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集3

20070106_008 奇想天外な展開と毒を含んだユーモアに、くらくらした。夏の暑さも加わって、この奇妙なる物語はひどくクセになるようだ。レオポルド・ショヴォー作、出口裕弘訳『名医ポポタムの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集3』(福音館書店)である。シリーズ第3弾の今回は、カバの医者ポポタムが主人公。ポポタム先生は、自らが発明したのりやポンプ、ペンキなどを駆使して、次々と患者である動物たちを治したり救ったりする。もちろん、ショヴォー氏とルノー君の何とも言えない息づかいの感じられる会話も楽しめる。ルノー君による序文も加わり、ますます楽しめる1冊だ。その他、「アザラシの子の話」「オオヘビとバクの話」「人食い鬼の話」の3編も収録されている。

 表題作「名医ポポタムの話」。カバのお医者さんという設定なのにもかかわらず、物語上では動物も人も皆、対等の立場にある。だから、アフリカからパリに赴いて人々の治療も行うし、どんな動物の治療も独自の手法で行うのが、ポポタム先生のポリシー。けれど、それだけなら立派なのに、どうもその治療方法というのが摩訶不思議なのだ。ザリガニ療法だとか、ポポタムのりやポポタミンなどなど、どうも怪しい。しまいには“患者が死んでからこそが私の出番”とばかりに、切ったかと思えば、貼り付けて、ポンプでふくらませて生きかえらせるのである。だが、ショヴォーの物語には毒が付き物。目には目を、歯には歯を。さらなる残酷な結末が待っているのだ。

 そして「人食い鬼の話」。人里で暮らすことになった鬼の運命を描いた物語である。この鬼、どうにも悪になりきれないところがあって憎めない存在。ずいぶん前から子どもを食べていなかった鬼は、食べる欲望に夢中になりすぎて脚の骨を折ってしまうのだ。そこへ来た、司祭によって助けられるわけだが、腕を切られ、歯を抜かれ、もう散々なのである。結局は、おとなしい鬼へと変わるわけであるが、実は人間の方が鬼なのではないか…なんてことを思わせる節がちらりと。こんな物語に対しても、ルノー君の反応は“鬼さんよかったね!”であるから、子どもの無邪気さもまた、侮れない。或いは人は皆、鬼である要素を持ち合わせているのかもしれない。

4834019497名医ポポタムの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈3〉 (福音館文庫)
L´eopold Chauveau 出口 裕弘
福音館書店 2003-05

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.08

年をとったワニの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集1

20070807_003_3 ときどき毒に満ちた物語が読みたくなる。例えば、苦味のあるユーモアや機知に富んだ物語だとか、基本的なスタンスがナンセンスである物語だとか。もちろん、結末はハッピーエンドじゃなくて、悲劇とも残酷とも取れるようなもの。皮肉めいた部分があったりしてもいい。レオポルド・ショヴォー作、出口裕弘訳『年をとったワニの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集1』(福音館書店)は、まさにそんな毒に満ちた物語の代表と言っていい1冊である。奇想あふれる作品の数々は、どれもショヴォー氏が息子のルノー君に語りかける形式で進み、気まぐれにも穏やかに物語は盛り上がりを見せてゆく。これは、表題作の他、全4編を収録しているシリーズ第1弾である。

 まずは「ノコギリザメとトンカチザメの話」。残酷なまでに悪さばかりするサメたちの、悲劇的末路を描いているこの物語は、もちろんただ悪が滅びるだけに終わらない。物語の余韻は、悪以上に残酷な者の姿を顕わにしているのである。次の「メンドリとアヒルの話」は、市場へ連れて行かれようとしているメンドリとアヒルの脱出劇である。やがて、コウノトリと出会うことで、その物語はさらなる残酷物語へと発展してゆく。表題作「年をとったワニの話」は、年をとってリュウマチになったワニが、仲間を共食いしたことから始まる、何とも不気味な後味を残す物語である。そして、最後の「おとなしいカメの話」だけが、唯一のハッピーエンドで締めくくられる。

 物語は、どれもルノー君の言葉がスパイスとなっている。お話し語りに対して、いい加減になっているショヴォー氏に向かって言うのだ。“パパのお話って、ばかみたいなときがいちばんおもしろいんだ”と。大人としたら、ここで内心は“やれやれ。子どもというのはなかなか侮れないものだな…”なんて思ってしまうのが普通だろうか。けれど、ショヴォー氏の場合は、まるでそれが褒め言葉であるかのように、嬉々として語りを続けるのである。そして、そんな父あって、子あり。ルノー君は、まるで物語に含まれた毒が、さもおいしい美味なものであるかのように面白がる。奇想溢れる物語の数々は、そうしてさらなる深みを持ち始め、そのきらめきを増すのだった。

4834019004年をとったワニの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈1〉 (福音館文庫)
L´eopold Chauveau 出口 裕弘
福音館書店 2002-11

by G-Tools

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.02.22

かくも長き不在

20050223_009999011 始終漂う、虚しさの影。切実なまでの愛を描きながらも、そこに根ざす心の闇を切々と感じさせる作品がある。マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロ著、阪上脩訳『かくも長き不在』(ちくま文庫)である。もちろんこれは、虚しいだけの物語ではない。ある一人の女性の、狂おしいまでの情念の物語である。けれど、作品に描かれていない部分を読み手に想起させ、やりきれない思いというものを痛いほどに感じさせるのだ。そこにある時間の経過と、忘れてしまいそうなほどに長い不在。その不在の意味を知るとき、待ち続けることの困難さと心の移ろいやすさを、まざまざと見せられたような心地になるのだった。

 カフェの女主人であるテレーズは、帰らない夫をずっと待ち続けている。生きているのか死んでいるのかもわからずに。女としての盛りを過ぎてしまった頃、夫にそっくりな浮浪者を見かけ、その口ずさむ歌に心奪われる。やがて、その浮浪者が記憶喪失であることを知ったテレーズは、それが夫であると信じ込み、彼の記憶を呼び起こそうと懸命に呼びかける。テレーズのひたむきな愛情は、行方知れずの夫に向けられたものである。浮浪者が夫であると信じるからこそのものだ。けれど、彼はそれに応えてはくれない。ぼんやりと、うつろなままで、「わからない」と繰り返す。報われない思いと、取り戻せない過去と、そのすれ違う心がなんとも悲しい。

 物語に漂う虚しさや悲しみは、女心というもののやりきれない部分を見事に描き出している。その思いは究極の片想いとも言うべきか。一方通行の思いは空回りし、その思いを向けられた相手にとっては、ただうるさく響くだけである。たびたび物語に登場する音楽は、それをさらに助長するように哀しみの色を奏で、この物語の背景にある悲劇的な結末を無意識に予感させる。かつての幸せだった日々。それが戻らないこと。どうしたって築きなおせるものではないこと。すべてが徒労に終わってしまうこと。けれど、わかっていても抑えきれない思いがあること。現実の厳しさを感じさせつつも、女性の強さを物語は語ろうとしているように感じられる。

 この作品。シナリオ形式で書かれており、映画化された際の写真が端々に散りばめられている。映画では、戦争の影を置いたものに仕上がっているようだが、こちらではそういうものはほとんど感じられない。浮浪者となった男性の記憶喪失の原因となるところも、多少異なっており、映画とはまた違ったかたちで、楽しめる作品になっている。浮浪者と出会ったときのテレーズの険しさ漂う表情や、その心の葛藤、悲しみに満ちた目、そういうものが文字だけでなく映像として目の前にあることで、イメージがわきやすく、読み手を裏切らないつくりだ。シナリオ形式で書かれたものが苦手な人でも、すんなり物語の世界に浸りきることができるだろうと思う。

448002736Xかくも長き不在
マルグリット・デュラス ジェラール・ジャルロ
筑摩書房 1993-04

にほんブログ村 本ブログ←素敵ブログ、いっぱい。
もしもお気に召しましたら人気blogランキングへ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

01 安房直子の本 | 01 雨宮処凛の本 | 02 池澤夏樹の本 | 03 いしいしんじの本 | 03 石井睦美の本 | 03 絲山秋子の本 | 04 井上荒野の本 | 04 稲葉真弓の本 | 05 岩阪恵子の本 | 06 魚住陽子の本 | 07 江國香織の本 | 08 大島真寿美の本 | 09 小川洋子の本 | 09 長田弘の本 | 10 荻原浩の本 | 11 尾崎翠の本 | 12 恩田陸の本 | 13 角田光代の本 | 13 鹿島田真希の本 | 14 金井美恵子の本 | 14 金原ひとみの本 | 15 川上弘美の本 | 15 川端康成の本 | 16 北村薫の本 | 17 桐野夏生の本 | 18 久坂葉子の本 | 18 倉橋由美子の本 | 19 栗田有起の本 | 20 黒川創の本 | 21 小池昌代の本 | 22 河野多恵子の本 | 23 桜庭一樹の本 | 23 酒井駒子の本 | 24 佐藤亜有子の本 | 24 佐藤友哉の本 | 25 佐野洋子の本 | 26 重松清の本 | 27 澁澤龍彦の本 | 28 島田雅彦の本 | 29 島本理生の本 | 30 清水博子の本 | 31 庄野潤三の本 | 31 朱川湊人の本 | 31 笙野頼子の本 | 32 瀬尾まいこの本 | 33 嶽本野ばらの本 | 34 太宰治の本 | 35 田辺聖子の本 | 35 谷崎潤一郎の本 | 36 多和田葉子の本 | 36 津村記久子の本 | 37 中島たい子の本 | 37 中島京子の本 | 38 中島らもの本 | 39 長野まゆみの本 | 40 中原昌也の本 | 40 夏目漱石の本 | 41 中山可穂の本 | 41 中村文則の本 | 41 楡井亜木子の本 | 42 蜂飼耳の本 | 42 長谷川純子の本 | 43 服部まゆみの本 | 44 平田俊子の本 | 44 東直子の本 | 45 古川日出男の本 | 45 福永武彦の本 | 46 星野智幸の本 | 47 堀江敏幸の本 | 48 前川麻子の本 | 48 町田康の本 | 49 三浦しをんの本 | 50 皆川博子の本 | 51 村上春樹の本 | 52 本谷有希子の本 | 53 森絵都の本 | 54 山田詠美の本 | 54 湯本香樹実の本 | 54 矢川澄子の本 | 55 吉田篤弘の本 | 56 吉本ばななの本 | 57 吉行淳之介の本 | 58 海外作家の本(アメリカ) | 59 海外作家の本(イギリス) | 60 海外作家の本(フランス) | 61 海外作家の本(イタリア) | 62 海外作家の本(ドイツ) | 63 海外作家の本(ロシア) | 64 海外作家の本(その他&分類不可) | 65 新潮クレスト・ブックス | 66 Modern&Classicシリーズ | 67 白水Uブックス | 68 エッセイ・詩・ノンフィクション本 | 69 アート・絵本 | 70 漫画本 | 71 猫の本 | 72 犬の本 | 73 心理学・精神医学関連の本 | 74 その他の本 | ウェブログ・ココログ関連 | 日記・コラム・つぶやき | 書籍・雑誌