20 黒川創の本

2006.01.09

もどろき

photo98-026 自分の生を感じるとき、そのルーツを思うときがある。例えば、様々な時代を生きてきたであろう家族や先祖を。小さな頃、こっそり盗み見ていた祖父の黄ばんだ古いアルバム。一言“見せて”とか“見てもいい?”とも言えぬまま過ぎたあの時間。そんな光景を思い出させてくれたのが、黒川創・著『もどろき』(新潮社)という作品。描かれるのは、主人公とその父、その祖父の三代にわたる生き様である。異なる時代、時間を生きた記憶と、今を生きる主人公との思いが交錯する物語は、還来(もどろき)神社をめぐってゆるやかに語られてゆく。それは心地よく、どこか新鮮ながらも懐かしく胸に響いてくる。

 主人公の職業は、地図をトレースすること。既存の地図の上に別の種類の情報を合成して、新しい地図を生産するという。依頼された場所やものを中心に拡大したり、組み合わせたり、消したりする。そんな中で放たれる言葉に、“いったい誰が、世界地図の正しさを証明するのか。ほんとうらしくあろうとすれば、そこにはより多くの嘘が要る”というのがある。この言葉は、様々なことに置き換えることができる。小説にも、人生にも、確かな真実にも。語られる真実が人に信じられるために必要なもの。それは、限りなく真実に近い嘘。人のやさしさの裏に潜む、偽りの姿にも似たものではないのか。そんなことを思う言葉に感じられた。

 そして、物語の中で鍵となるデッド・レター。受取人の転居先が不明で、差出人の住所もわからずに、仕方なく郵便局の引き出しかどこかにしまわれたままの手紙。行き場をなくした届くことのない手紙。主人公の父親は、そういう手紙がこの世に実在していたことになるのか、そこに書かれたメッセージは何か意味を持つのか、という質問を投げかける。主人公は言う“実在する”と。“それについて考えることが、誰かの心の中に引っ掻き傷を残すんじゃないか”と。つまり、父の言葉によって、読めない手紙のことが主人公の中に残るのだと。見えないもの、見たことがないもの。それが自分の中に残るということ。何とも不思議な感覚である。

 なぜ、父親が息子にそんな話題を持ちかけたのかといえば、のちに自ら命を絶とうとする父親が、郵便局で働いていたガストン・バシュラールの本を読んでいたからである。そして、祖父の代から足を運んでいたもどろき神社の由来である、“自分の生まれた土地にもどってくる”という言葉。その2つの事柄の意味が入り混じって、物語が展開している。小説をいくつか書いていた父の遺した言葉。それに促されるように自分も小説を書こうとする主人公の思い。その思いの中に横たわる漠然とした何か。単純にも複雑にも絡み合ってゆく葛藤や迷いがとても好ましい。あぁ、彼は今を生きているんだ。小説の登場人物に対して、そんなことを思うほどに惹かれていた。

4104444014もどろき
黒川 創
新潮社 2001-02

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2005.12.26

明るい夜

20041212_008 自分一人だけが世界から剥がれ落ちてゆくような感覚。押し寄せてくる何かに怯えるような恐怖。そういうものが細やかに描かれている、黒川創・著『明るい夜』(文藝春秋)。さらりと読めてしまうのに、内容に密度の濃さがあって引き込まれた作品である。ちょうど、私自身と同年代の、モヤモヤしたものが似ている登場人物がいるということもあって、物語に心地よく浸れた。浸りすぎなくらいに。眠れない<わたし>とその友人。小説を書くと言いながらも、なかなか書くことのできない<わたし>の恋人らしき男性。もう、その設定だけで充分。それに加えて、青春小説にありがちな取って付けたような若さではなく、絶妙なところを突いてくるいい雰囲気がある。

 物語の前半で印象深いのは、ウィークデーにもかかわらず、ぶらぶら散歩する<わたし>とその友人の会話。2人は、小説を書くと決めて無職になった男性を、遠くから眺めてあれこれ勝手気ままに語り尽くす。もう、それは言いたい放題で、その男性が知らないのが救いであるくらいである。彼女たちは場所を移し、河原に座ってぬるいビールを啜る。そこで繰り広げられる内面の吐露。おぼつかない足取りの。胸を張って“若い”とは言えなくなった微妙な年齢の。ゴミをきっちりレジ袋に入れて持ち帰る几帳面さがあるのに、暮らし全体はあまりにだらしない。けれど、彼女たちなりに必死な部分が伝わってくる。考え、悩み、迷いながらも進む。そういう部分を。

 例えば、眠れない<わたし>が“眠れない”と“眠りたくない”を考える部分。その2つの境界はあやふやながら、どちらも眠りを妨げる要因であると。眠ってしまうことで消えてしまう自分。今日とは違う自分を拒むもの。それを求めるもの。そういう葛藤の中で、様々な足掻きを見せる。ゆっくりと。でも、確かな手応えをもって。その過程にある苛立ちも焦りもむかつきも描かれながら。その他にも、“わからない”と相手に伝えることの難しさについての部分。それは、“わかる”いうよりもずっと誠実なものなのであろうか。“わからない”ことも含めてお互いを認め合うこと、それこそが本当の意味での共感なのだろうか、と。そんなふうに思いめぐらせてしまった。

 それから感覚として興味深いのは、物語のところどころに出てくる距離感。山紫水明(さんしすいめい)だったり、人物デッサンだったり。近すぎるから見えるもの。遠すぎるからこそ見えるもの。その中間を示す言葉が山紫水明らしい。同じ場所からばかり見てしまいがちな日常を思って、思わずしばし目を閉じてしまった。深いため息も1つ。その中にあったのは、言葉に対する感嘆と密やかな期待。見るべきものと見たいものが、見えるか見えないか。それはすべて、自分次第だと思い直した瞬間でもあった。そして物語には“何事にも始まりというものがなければならず、その始まりはもっと前からあった何かとつながっておらねばならん”という序文がある。この言葉にも結末でぴりりときた。

4163243704明るい夜
黒川 創
文藝春秋 2005-10-12

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