08 大島真寿美の本

2010.01.05

戦友の恋

20091225_44007 言葉で簡単に言い表すなんて、できないくらいの。深く深く、かたく結びついた縁。“友達”だなんていう響きでは、とてもとてもくくりきれない。それほどまでに強い強い結びつき。“親友”よりも“戦友”という言葉の方がしっくりくるような、互いにとって特別な関係。大島真寿美著『戦友の恋』(角川出版)は、そんな特別な存在を喪った主人公の再生の物語である。共に過ごした日々を、ゆっくりと噛み締める。せつなさと清々しさの混じり合った、まだまだ続いてゆく時間の中で、どんなに心細くても生きてゆかなければならない。喪った寂しさも、過ごしてきた時間も、何もかもを糧にして、生きてゆく、生きてゆく、生きてゆく。止まらない時間を、確かな足取りで、歩いてゆかねばならないのだ。

 6つの連作短編からなる物語は、漫画家を目指していた主人公と新人編集者だった玖美子の出会いからはじまる。玖美子は漫画の原作者としての主人公の才能に目をつけ、互いのアイデアを持ち寄って一漫画原作者としての主人公を育ててゆく。時には、お酒片手におしゃべりしながら、恋に、仕事に、共に、それぞれに、一歩一歩進んでいった。だが、玖美子は30代にして急逝。残された主人公は喪失感を抱えたまま、新しい担当者と立ち止まることなく、仕事を続けてゆくことになる。玖美子と二人で立ち寄ったお店のオーナー、夜中の焼肉仲間である元彼、玖美子に憧れていたまだ若い担当者、偶然に再会する初恋の相手など、人々とのふれあいの中で玖美子のいない日々を、時間を、噛み締めてゆく。

 1つ目の物語から、さらっと玖美子がもうこの世にいないことが明かされ、その死を悼む間もなく、物語は進んでゆく。主人公は玖美子のいない現実をただただ生き続けるしかない。一緒に歳を重ねて、おばさんと呼ばれるようになって、過ぎてしまった時を噛み締めて、いつか笑い飛ばす…そんなあたりまえのように訪れるはずだった日。一人の人間が消えた空白は簡単に言葉にならない。頭の中で繰り返し、玖美子のいない穴を埋める言葉を見つけようと、もがく主人公。やがて主人公はスランプに陥り、さらに悶々とした日々を送るようになる。玖美子との出会いによって導かれ、はじまった道をこのまま突き進むことへの疑問、心細さ、寂しさ。どうしたって戻らない、たった一人の存在を想うのだった。

 言葉で簡単に言い表すなんてできないくらいの、かたく結びついた縁だからこそ。喪ってから気づく、さまざまなものがある。誰かを亡くして残されたわたしたちに課せられたのは、共に過ごした日々を、ゆっくりと噛み締めるように生きてゆくこと。せつなさと清々しさの混じり合った、まだまだ続いてゆく時間の中で、どんなに心細くても生きてゆくこと。喪った寂しさも、過ごしてきた時間も、何もかもを糧にして、生きてゆくこと。止まらない時間を、確かな足取りで、歩いてゆかねばならないのだ。その命が果てる日まで、ずっと。ずっと。誰かの愛おしい想い出を胸に、噛み締めて、噛み締めて、噛み締めて。生きてゆく、生きてゆく、生きてゆく。そう自分に言い聞かせて、この先も歩いてゆく。

4048739905戦友の恋
角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-11-27

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2009.05.04

三人姉妹

20090422_012 風が吹く。前向きな風が吹く。明日を見据えた風が吹く。どうしたって抗えない物事や次々と起こる出来事に翻弄されながらも、風に吹かれて前に進む。すると、気持ちのよいくらいに髪が風になびいて、今までのことすべてがまあるく納まっている。納まるべきところに。ちゃんと。すとんと。大島真寿美著『三人姉妹』(新潮社)には、そういう納まりのよい物語が並んでいる。物心ついたときは、既に当たり前のように傍にいて、ときに友だちよりも親密で、両親よりも恋人よりも頼りになるくらいのよき相談相手。お互いのことを話すまでもなく、知っている。みっともない部分も恥ずかしい部分も、まるごとすべて受け入れてくれる。意識せずとも、分かり合える。そんな三人姉妹の物語である。

 大学を卒業したものの、就職せずにミニシアターでアルバイトをしながら、映研のOBとして仲間と映画作りをしている水絵は三人姉妹の末っ子。長女の亜矢は早々お見合い結婚をして子育て中だが、ふらりと家出したりもする。亜矢と双子のように育った一学年違いの真矢は、恋心を抱かれている相手をゲイであると勘違いしたまま、自分のキャリアを積むことに熱心で、ヘッドハンティングの誘いにゆれている。そんな三者三様の姉妹だけれど、それぞれに協力し合って、さまざまな出来事を乗り越える。水絵が好きな彼とうまくいかないときも、それゆえに泥酔してしまったときも、母親がいきなり家出してしまったときも、何とも絶妙なコンビネーションで支え合い、ゆるやかな日常を過ごしてゆく。

 この物語の脇役の登場人物たちも、なかなか魅力的である。亜矢にとっては小姑である雪子さんも地味女子かと思いきや魅力的な謎めきがあるし、水絵の元バイト先でもあり映研のたまり場でもあるお店の店長のグンジさんも素敵である。そして、好きな人(真矢)にゲイだと思われたまま誤解されっぱなしのグンジさんが、ちょっと可哀想でもある。グンジさんはお店を切り盛りするくらいだから、話を聞き出すのにも長けていて、真矢とのやりとりは、水絵のもやっとした恋には、何とも刺激的に映る。愚痴を聞きながらも楽しそうに笑っている、自然な親密さで語り合っている…それが、水絵にはかなりの衝撃だった。そんなにも親密なのにも関わらず、恋愛になかなか発展しないあたりが歯がゆい。

 そうして、肝心のこの三人姉妹はと言うと…お互いのことを知り尽くしているから、あうんの呼吸ですべての物事が運んでしまう。沈黙もちっとも怖くはない。はしゃぐときは思いきりはしゃぐ。三人でいるから。三人だからこその絶妙な関係を保ちながら。そうして三人の目の前に、そっとぴゅうと風が吹く。前向きな風が吹く。明日を見据えた風が吹く。どうしたって抗えない物事や次々と起こる出来事に翻弄されながらも、風に吹かれて前に進む。すると、気持ちのよいくらいに髪が風になびいて、今までのことすべてがまあるく納まっている。納まるべきところに。ちゃんと。すとんと。三人のこれから先の人生が満ち足りたものになることを祈りながら、そっと本を閉じるわたしなのだった。

4103144319三人姉妹
大島 真寿美
新潮社 2009-04

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2009.04.04

すりばちの底にあるというボタン

20090403_009 信じること。そこにある夢や希望や未来は、いくつになっても忘れたくないもの。いや、決して忘れてはならないものなのかもしれない。そして、いつまでもずっと胸に秘めておきたいものでもある。今を生き抜くために。これからを生き抜くために。大人も子どもも関係なく、自分の信じたい道を歩いてゆけたら、進んでゆけたら、どんなに素敵なことだろう。大島真寿美著『すりばちの底にあるというボタン』(講談社)には、信じるということの素晴らしさを伝えてくれる物語が展開されている。どこか懐かしく、どこか新鮮で、どこかほっこりする。今を、これから先の未来を信じる大切さ、そんなことを思わせてくれる。登場する子どもたちの勇姿に逞しさを覚えながら、一気に物語に引き込まれてゆく。

 老齢の住人が多くなり、空室も目立つ、寂れはじめた“すりばち団地”に広まる秘密の噂、それはすり鉢状になっている土地の真ん中にスイッチのようなボタンがあるというものだった。団地に越してきたばかりの晴人がおじさんから聞いたのは、ボタンを押すと願いが叶うというもの。けれど、同じ団地に住む薫子と雪乃、雪乃の兄・邦彦が言う噂は、ボタンを押すと世界が沈んでしまうというものだった。全く異なる2つのボタンの噂。ボタンの真相を確かめるべく、4人はボタンのことを知っている人の話を聞いたり、ボタンを守ろうと探しまわったりすることになる。果たして、すりばち団地の行方はどうなるのか…?真実を求める子どもたちの奮闘ぶりが頼もしく丁寧なタッチで描かれてゆく。

 この団地に越してきたばかりの晴人は、すりばち団地の活性化に熱心な祖母と父親の弟にあたるおじさんと暮らしている。母親を知らないまま父親と大きなマンションで暮らしていたものの、突然父親は失踪。施設での暮らしを余儀なくされ、おじさんのもとにひきとられた。このおじさんもまた、中国人の妻とその間に生まれた子どもと離れ離れに暮らすことを余儀なくされている。晴人と出会う薫子もまた母子家庭に育ち、あっけらかんと“同情なんて、いらないよね”という印象的な言葉を放つ。同情的な視線を浴び続けてきた晴人の気持ちが、ほんのりとほぐれたのがわかる場面だ。それまで、ネットの世界に逃げ込みがちだった彼の成長の一歩がここからスタートしたようにも感じられる。

 物語に描かれるのは、地域社会の崩壊と希薄になりつつある人間関係への警告だろうか。けれど、団地に広まる噂に立ち向かおうとする子どもたちの熱心さや真剣なまなざしを通して見えてくるのは、まだまだこの社会も捨てたものじゃないという思いだ。時には大人たちの助けを借りて、時には子どもたちだけで一致団結して、そうやってひとつのことに立ち向かう姿は、なんとも微笑ましく喜ばしい。ああ、大人も子どももないのだな。もはやその境界線は淡く、人と人との生身の関わり合いであるに違いないとさえ思えてくる。そうだ、いつだって子どもの気持ちでいられる。大人でいながらにして、わたしたちは子どものままなのかもしれない。信じることを忘れなければ、きっと。きっと。

4062153068すりばちの底にあるというボタン
大島 真寿美
講談社 2009-02-18

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2007.11.20

やがて目覚めない朝が来る

20071114_014 誰かがまた一人、世界から欠けてゆく。わたしの見知らぬところから。わたしの見知ったところから。そうしてまた一人、また一人と、この世界から誰もがいつしか欠けてゆくのだ。世の中の常として。さもあたりまえのこととして。だからこそきっと、永遠というものにしがみつけないわたしは、誰かが欠けゆくことにある種の執着を見せるのだろう。大島真寿美著『やがて目覚めない朝が来る』(ポプラ社)は、欠けゆく誰かの存在が印象的な物語である。主人公が回想するかたちで、たくさんの人々に囲まれた満ち足りた日々と、その中で悩みながら成長した姿、やがて訪れる人々との永遠の別れなどを、穏やかに慈しむように語られてゆくのだ。

 両親の離婚を機に、10歳より父方の祖母の蕗さんのところへ、母と共に移り住むことになった有加。嫁姑関係はおかまいなしに、蕗さんと母親は仲が良く、二人して有加の父親の不在を埋めるかのように舟ちゃん(父親)の話題に満ちていた。そして元女優の蕗さんの周囲には、いつでも賑やかに人々が集い、昔話に花を咲かせているのだった。そうして語られてゆく蕗さんの波瀾に満ちた人生や、それに関わる人々の人生に耳を傾けることに、有加は心地よさを感じていた。登場する人々は、いずれも甲乙つけがたいほどの魅力的な人物ばかりで、ときに有加の親以上に力になってくれるのだった。だが、そんな日々は永遠には続かない。続くはずもない。

 有加が成長してゆくに従って、当然のことながら周囲の人々は老いてゆく。老いばかりじゃない。突然の死だって訪れてしまうことがある。物語は、そんなひどく深刻になりがちな出来事を敢えて清々しく語ってゆく。それはもう、今を生きているからこその境地とでもいったらよいだろうか。悲しみに暮れるのではなく、今この一瞬一瞬を生きているといった、そのたくましさたるものに、ただただ圧倒されるばかりだ。そして、このたくましさにふと覚えがあることに気づく。あぁ、これは蕗さん譲りのものだと。いや、それとも蕗さんの周囲に集っていた人々一人一人の置き土産ではないかと。わたしは血以上の繋がりを、ここに見た気がしたのだった。

4591100014やがて目覚めない朝が来る
大島 真寿美
ポプラ社 2007-11

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2007.08.07

ふじこさん

20070807_047 さっと光が射し込んで、幼い頃の記憶が思い出したように煌めき出す。あの頃のわたし。あの頃のあの人。色褪せないまま脳内に刻まれたそれは、ときどきそうしてわたしの背をとんと押す。あの頃と今とが、ちゃんと繋がっていることを感じさせるように。あの頃の出来事が、今のわたしを救ったのだと忘れないために。大島真寿美著『ふじこさん』(講談社)は、そんな煌めく記憶をたどる物語である。あるひとつの出会いは、幼い心に希望を吹き込み、この世界にはまだ見ぬ素敵なことがたくさんあることを伝えてくれる。世の中まだまだ捨てたものじゃないと。そして、大人の世界もなかなか悪いものじゃないと。それはまさに、運命の出会いだったのである。

 小学生のリサは、離婚寸前の両親の板挟みになって、ひどく窮屈な日々を送っていた。生きることをやめたくなるほどに。死に場所を探すほどに。そんな時、父親の恋人だという一人の女性、ふじこさんに出会う。彼女は、リサ曰く、これまでに見たこともないようなヘンな大人で、ちょっと乱暴でキレイで、あっけらかんとした人物だった。父の家で彼女に会うたびに、次第に惹かれ、懐いてゆくリサ。そのうち、父よりも母よりも、誰よりも大切な存在になってゆく。だがやがて、別れがやってくる。彼女は彼女だけの宝物を見つけ、旅立つと言うのだ。そして、同時にリサにもリサだけの宝物を見つける日が来るのだと、そっと教えてくれるのだった。

 人との出会い。それは、いろいろなことをもたらしてくれる。もちろん、リサが出会ったふじこさんのように、いい人ばかりとは限らないが、誰にでも人生の転機となるような出会いが、きっとあるように思うのだ。もちろん、出会うのは人ばかりじゃない。いつ何時、何が起こるのかはわからないのだ。だからこそ、先の見えない人生というやつに、わたしたちは一喜一憂するのだろうと思う。些細なことにくよくよして泣いたり怒ったりしながら、ささやかなことに嬉しがったり喜んだりして。そうしていくつもの年月を重ねて、いつしか誰もが自分だけの大切なものを見つけてゆくのだろう。わたしも、わたしだけの宝物を。あなたも、あなただけの宝物を。

 また、他に「夕暮れカメラ」と「春の手品師」を収録している。いずれも人との出会いがキーワードになった作品である。「夕暮れカメラ」では学校をサボって写真を撮る少女と、自分の満足のゆく遺影をとり続けるおばあさんとの出会いが、「春の手品師」では壊れかけた家族の待つ家に帰りたくない少女と、奇妙な存在感を放つ手品師との出会いが描かれている。とりわけ、「春の手品師」での夢と現実とが入り混じった世界は、どことなくあの世とこの世の境界を描いているようで、読んでいてはらはらさせられっぱなしだった。10代の頃に思い悩んだ日々を思い出しながら、ふらふらと物語の迷路にはまりこむようにして、浸ってみるのに最適な作品だと思う。

4062139499ふじこさん
大島 真寿美
講談社 2007-06-21

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2007.05.12

ぼくらのバス

20070413_014 わたしがわたしでいられる時。いわゆるピュアと呼ばれる部分を、わたしは今どれくらい持っているだろう。年齢的には大人であっても、どうも中身は幼いと云われがちなのが、良いことなのか悪いことなのかは別として、ふとぼんやり考えてみた。大島真寿美著『ぼくらのバス』(ピュアフル文庫)を読んでみてのことである。物語は、ある少年たちの夏休みの出来事を、はらはらドキドキさせながら、清々しく爽やかに描くものだ。彼らは、正しいと思わせるほどにピュア全開であり、その少年という時間を自分のものとして充実して過ごしていた。まるで、今という時間が限られていることを知っているかのように。そう、つまりは彼らにわたしはとても惹かれたのだった。

 夏休み。退屈極まりない日常を過ごしていた少年は、ふとバスの図書館のことを思い出す。近所のおじいさんが開いていた、バスを建物のかわりにした個人図書館のことである。けれどおじいさんの死後、閉鎖されたままになってしまったのだ。幼い頃の図書館でのさまざまな出来事を思い出し、少年は再び図書館へ出かけてみようと思い立つ。そして、弟を連れ立ってバスの図書館に忍び込み、秘密の隠れ場所にするのである。ある日、そこへ家出中の少年も加わって、ひと夏の物語が展開されてゆく。少年たちの成長、もたらしたであろう影響、初々しいすべてのものが、なんとも愛おしい。そして思う。彼らはこのバスの図書館にいられることが、本当に至福の時なのだな、と。

 至福の時。わたしにとってのそれ。つまりは、心が満たされている時間というもの。それは多分、こうして本を読んでいるときに違いない。思えば物心ついたときから、ずっと。本があれば、他に欲しいものなどなかったし、密かに友だちよりも本の方が大事だったときもある。この物語のようなバスの図書館の存在は、わたしにとったらとても贅沢な話でもある。それに、こうして自分自身について考えるきっかけをくれるのも、いつだって本だったような気がしてならないのだ。だからきっと、わたしにとって一番自分らしい時間というのは、本を読んでいるときなのでは、と思うのだった。例え、ピュアと呼ばれるものからは遠くとも、わたしはその時間をピュアと呼びたい、と思う。

4861763983ぼくらのバス (ピュアフル文庫 お 1-1)
大島 真寿美
ジャイブ 2007-05

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2007.01.12

宙の家

20070109_020 壁一枚隔てたところで、距離を感じることがある。同時に安堵というものを感じることもある。こんこんとノックすれば、こんこんとノックが返ってくる。けれど、確かにそこには、壁一枚分の隔たりがあって、もしかするとそれ以上の距離があるのかもしれなくて。近くても遠い、遠くても近い。わたしは、そんな関係を愛おしいと思ってきた。大切だとも思ってきた。だからこそ、壊れやすくて危ういものだとも思ってきたのだった。大島真寿美著『宙の家(ソラノイエ)』(角川文庫)には、そんな姉弟の在り方が描かれている。物語の主題は、姉弟を中心に大きくゆらぐものの、やがてその均衡を取り戻すまでの過程である。さわやかなダークさに、清々しい心地にさせられる。

 マンションの11階。そこに暮らす女子高生の雛子。中学からエスカレーター式に進学してしまったせいなのか、本来の性格なのか、暇さえあれば眠ってしまうという、なんとも呑気な日常を生きている少女である。それとは対照的に、小学生なのにもかかわらずしっかりとしている弟の真人。二人は、密接には関わり合っていなかった…はずだった。けれど、祖母の萩乃がときどき交信不能になることをきっかけに、その距離をぐっと縮ませることになる。その絶妙な関係に感心すること、しきり。だが、よくよく考えてみれば、わたしのところもこんなものなのかもしれないなぁと、思ってほっこりしてしまうのだった。“きょうだい”っていいものだ。そう、つくづく感じる。

 物語は、そんなほっこり感を遮るように、危うい方向へと進んでいってしまう。さわやかに描きつつも、人の内面のダークな部分をえぐってゆくのだ。とりわけ、表題作「宙の家」の続きである「空気」は、まさに危ういバランスの中で展開されてゆく。呑気なはずの雛子の内に秘めた気持ちは、無意識のうちに空の向こう側へと傾き始める。11階という高さのベランダから空へ向かうこと。それの意味するものは、客観的に思えば危険極まりない。そんな姉の様子を“なんか変”と感じ取った真人は、親友の郁丸の兄も“かなり変”という理由から、二人を引き合わせるのだった。小学生と高校生と社会人が関わり合い、自分なりのやり方でもがき足掻く姿は、滑稽ながら清々しい煌めきを見せる。

 “宙の家”。11階という高さは、まさにそう呼ぶにふさわしい。きっと、空も近くに感じることだろう。せいぜい4階止まりのわたしには、想像もつかない暮らしである。空など見ることもない2階暮らしの今では、物事の向こう側を垣間見てみたいという、雛子の抱いた欲求すら起こらない(それは、年齢のせいなのかもしれないが)。そんな退屈極まりないわたしの生活にも、危うさはすぐ傍にいつでもあって、その均衡はぐらぐらと揺れているのだろう。そのことを意識してみると、退屈という言葉は不要なくらいに刺激的な日常が広がってゆくようにも思える。そうして、ゆらゆらゆれながらも、心も移ろいゆくのだ。願わくば、よい方へ。よい方へ。進むべき道へ。

404380802X宙(ソラ)の家
大島 真寿美
角川書店 2006-12-22

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2006.12.23

青いリボン

20050325_032 一般的とか、普通という概念ほど曖昧なものはなくて、それぞれが思うそれぞれの普通は、どれも著しく異なっている。例えば、家族。誰もが皆、ごく普通の家庭で育ったつもりでいるのだから、恐ろしい。或いは大して特別でもないのに、特別な家庭で育ったつもりでいる場合もあるから、問題はさらに困難なことになる。大島真寿美著『青いリボン』(理論社)を読むと、なんだか一般的だとか普通だとか、その言葉自体がもはやその意味をなくしている気がしてしまったのだった。誰もが普通で、なおかつ誰もが特別で。わたしの普通は、誰かにとっては特別で。誰かにとっての普通は、わたしにとっては特別で。だから余計にその概念は曖昧になる。わからなくなる。

 物語は、家庭内別居の狭間にいる依子が、友人である梢の家にお世話になることから、ゆっくりとのびやかに微妙な年頃を成長してゆく展開だ。両親共に働いている依子は、一人でいることに慣れすぎていた。母親は出張で上海へ。父親は転勤で福岡へ。実家は北海道。けれど、せっかく入った高校を転校する気にもなれないし、もうすぐ高校2年も終わるのだからと、賑やかな大家族の梢の家での生活をすることになるのだった。たったの四ヶ月ではあるものの、よその家族がどんなものか知らなかった依子にとって、それは貴重な時間であったことだろう。一緒にいても、遠く離れていても、家族は家族。それ以外の何ものでもないのだと、学びきづいたのだから。

 家族。思えば、その存在はなんとも不思議なものである。夫婦とはそもそも他人同士なわけで、そこに子どもが生まれることで親子という家族が出来上がる。それが繰り返されて、代々続いてゆくことになるわけだ。中には、血の繋がりはないものの、そんなことはおかまいなしに親密な親子という場合もある。血の繋がりなんぞ疎ましいほどに、険悪な場合も多々あることだろう。家族という形態にこだわらずに自由に生きている人たちもいるかもしれないし、そもそも家族なんていらないと思っている人もいるだろう。だが、やはり、家族はなんともかけがえのないもので、あたたかだ。そうわたしは、どこかで思っていたい気持ちが強くある。確かに。芯の部分に。

 そう思うのは、冬という季節のせいかもしれないが、帰る場所があるということほど、心強いものはないと思うからなのだ。複雑な例を除けば、実の父親というのも、実の母親というのも、たった一人しかいなくて、どんなにその絆を断ち切ろうとも、簡単には切れないものがしこりのようにいつまでも残るのもの。両親を結びつけた縁は、新たな命をこの世の中に生み、育て、やがてまた、その命が誰かと出会い、命を育む。理想のかたちはまさにそうである。けれど、今の世の中はそうまあるくおさまってはくれない。一般的であるとか、普通だとかいう概念はもう、キレイさっぱり忘れた方がいいのかも知れないとすら思えてならない。その一方で、変わらないで欲しい思いが疼くのだった。

4652077920青いリボン
大島 真寿美
理論社 2006-11

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2006.11.27

空はきんいろ フレンズ

20061110_016 変わり者。よく言えば、個性的。けれどもそれは、周囲と違う自分を他者が判断する言葉でしかない。だから、当人は知らない。自分が周囲と、どれくらいずれているのかを。どんなふうに見られているのかを。そもそも、同じ人間なんて、誰一人としていないというのに、子どもの世界でも大人の世界でも、どこでだって、変わり者と呼ばれる人たちがいる。その不思議。その奇妙さ。なんだか変な言葉である。大島真寿美さく、細川貂々え、による『空はきんいろ フレンズ』(偕成社)を読みながら、ふとそんなことを思ったのだった。そう、これは変わり者同士の友情物語。互いに互いを“かわりもの”と思うアリサとニシダくんの春夏秋冬の4つの物語が展開されているのだ。

 「人間のカタチのスイッチ」で、工事現場の光景に釘付けになるアリサ。その付近の小さな通りで、人間のカタチと人影が重ならないように見張っているニシダくんがいるのを見つける。普段はそれほどよく知らない者同士だった二人が急に近づく時が訪れるのだ。それでも、アリサにとってニシダくんは、やっぱりよくわからない存在なのだけれど。「げた箱は魔法のクスリ」では、アリサは決まって、体育の前になると腹痛を起こす。かかりつけの病院で処方されていた薬が偽物だったと悟ったアリサだったけれど、ニシダくんの言葉に勇気づけられて、腹痛を懸命に堪える。そう、学校のげた箱で。どんなものでも魔法がかかったように変化する瞬間。それをぱっと見せられる話である。

 「夏のハッピーアワー」では、ニシダくんの家庭事情が明らかになる。ニシダくんの父親の少年ぶりは、なかなか面白い。むしろ、ニシダくんの方がずっと大人である。いや、大人ぶっているだけなのかもしれない。大人になろうと懸命になっているのかもしれないと思わず感じてしまう。そして、二人は「金色の光があるかぎり」で別れを迎えてしまう。アリサが父親の転勤で海外にゆくことになるからである。これまでも今までも、転校の多かったアリサは、別れを惜しむ友だちがいずれは自分のことを忘れゆくことを既に知っている。これまでだって、そうだった。だから、今度も同じに違いない、と。けれど、ニシダくんだけは違ったのだった。なんだかいつものときとは、違う気がしたのだった。

 友情。わたしはそれを儚いと思っている。決して、強い絆ではないのだ、と。たぶんわたしが、本当の友情らしきものを抱きつつも裏切られ続けた結果。それが、横たわるからなのだろう。人は些細なことで急激に近づき、些細なことですれ違い、些細なことから離れゆく。血縁関係や家族なるものは、離れていても離れられない形式であるから、また別の話だ。特に子ども時代というのは、小さな世界のすべてが学校であり、友達であり、勉強である。だからこそ、友情たるものが重要で、その動向が日々のすべてを左右すると言っても過言ではないはずだ。誰かを思うこと。関わること。言葉を交わすこと。繋がりを見出すこと。些細だけれど、重要なのは、きっと大人になっても変わらないはず、なのに。なのにね。

403646020X空はきんいろ―フレンズ
大島 真寿美
偕成社 2004-09

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2006.11.11

虹色天気雨

20050510_44001 夢のような時間。それが何気ない日常の中にいくつも散らばっていることに、わたしたちは何かにつけて忘れがちだ。昨日のことでもいい。たった数時間前のことでもいい。思い出せば、きらめくようなものになることに気づけないでいる。今も、かつても。これからも。泣いても。悔しくても。辛くても。そんな、くじけないで歩き続けているあなたへ、わたしへ向けられた、大島真寿美著『虹色天気雨』(小学館)を読むと、ふっとやわらかな思いに包まれるのだ。ときどきくくくっと、笑いながら。いつまでもこの物語の世界の中に浸りたくなる。また、その後に残る、このままずっと生きてゆきたい…という気持ち。ネガティブ思考のわたしすらも変える、愛おしい時間がここにはある。確かなものとして。ちゃんと。

 物語は、突然の電話から始まる。幼なじみの友人である奈津の夫が、突然失踪してしまうのだ。そこで、夫捜しに奔走する友人の子供である美月を預かることになって、主人公の市子は、いつのまにやら周囲に振り回されるように巻き込まれてゆくのである。他人の心配どころではない事態に発展しようとは、つゆ知らず。いい仲間に恵まれて、胸がほっこりするような楽しい時間…と思いつつ、なかなかどうして寂しい時間もちゃんとある。時間は確かに流れている。それが不思議と、わたしたちの日常そのものなのである。些細なことに憶病になって、些細なことに一喜一憂する。それが身近に感じられるほどに、愛おしさは増してくるような気がする。ゆっくりと。じわじわと。

 仲間。奈津の他にも、まり、三宅ちゃん、究さん、土方さんなどなど、いい脇役ぞろいである。お互いがそれぞれの生活を持ちながら、それでも付かず離れずの関係が続くということ。その奇跡みたいな大人同士の関係が、わたしはとても好きだ。奈津の夫の失踪に至っては、間接的にそれぞれが関わっていて、それぞれに思い合い、少しずつ探り出し、ゆっくりと紐解かれてゆく様がおかしい。誤解が誤解を呼ぶこともあるし、思わぬ方向へ話が進むこともある。例えば、あんな人がいた。こんな人がいた。そういう過去めぐりも悪くない。振り返ることは決して、悪いことではない。本当に大切なものは、いつまでもちゃんと手のひらくらいには残る。記憶として。そう、ちゃんとね。未練とかではなく、ね。

 それから、物語の中での“おめでとう”が素敵だ。著者は、こんなふうに表現している。“たった一人で歩いているこの道を、たった一人で歩いているべつの人が、すれ違いざま声をかけ合うみたいに”と。明るくも暗くも、そうやって“おめでとう”を言い合うことが、どれほどまでに人と人とを結びつけるのかを考えさせてくれる一文である。そう、今年もあとわずかになる。そんなときに、わたしは心から誰かに“おめでとう”を言おう。もしも誰かのお祝いがあったとしたら、やっぱり心から“おめでとう”を言おうと思う。そうやって、一言でも誰かと言葉を交わせたならば、ほんの少しでも日常がぱっと華やいでくるような気がするから。そうして、そんなささやかな事柄にきらめきを見出すのも、ちょっと楽しいじゃないかと思うのだ。

4093861765虹色天気雨
大島 真寿美
小学館 2006-10-20

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