62 海外作家の本(ドイツ)

2009.06.08

ちいさなちいさな王様

20090604_015 子どもだった頃にはあたり前のように備えていたのに、大人になるにつれて忘れてしまうもの。失ってしまうもの。わたしたちにはたくさんのそういうものがある。中でも、想像力というものは、知識を蓄えれば蓄えるほどに損なわれてしまうもののようだ。幼い頃、雲の上に天上の世界が広がっていると夢見ていたわたしは、もはやいない。妖精や小人が現れることを期待するわたしも、もはやいない。星空を見上げて願い事をするわたしも、もはやいない。けれど、アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァ絵、那須田淳/木本栄共訳『ちいさなちいさな王様』(講談社)には、そんなわたしですらほんのりと夢見心地にさせてくれる物語が展開している。寂しかった心が、ゆっくりとほぐれてゆくような。

 悲しみにとらわれていた<僕>のところにふらりと突然現れるようになった、人差し指サイズの気まぐれな王様。名前を十二月王二世という。ひどく太って、グミベアーを大好物とする王様の世界では、子ども時代が人生のおしまいにあたるらしい。気がついたらベッドにいて、生まれたとき一番体が大きくて、色々なことを知っていて、色々なことができる。けれど、歳をとるにつれて体が小さくなり、色々なことを忘れてゆくという。そして、<僕>にこんなことを言うのだ。“おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日、それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。それに幼いうちは、おまえたちは、知っていることが少ないかわりに、想像の世界がやたら大きいだろう”と。

 確かに王様の言葉の通りだと思う。成長するに従って何かを得る代わりに何かを失ってゆくわたしたちがいる。目を瞑って何かを想像する機会など、少なくなるばかりだ。たくさんの可能性を秘めてこの世界に誕生したわたしたちは、自らその選択肢を狭めて自分をきゅうきゅうに押し込めているような気さえする。もっとこんなこともできたかもしれない。あんなこともできたかもしれない…そんなふうに思うのは、わたしだけではないはずだ。大人になってふと振り返ってみると、失くしてきた様々なものを思い出す。体ばかりが大きくなって、内面は貧しくなっていくようにも感じる。想像すること。それは、様々な可能性を見出すこと。それを見失ったわたしたちに、未来はどう待ち受けているだろう。

 歳をとるにつれて体が小さくなり色々なことを忘れてゆく王様と、歳をとるにつれて体が一定まで大きくなり色々な知識を蓄えてゆくわたしたち。老いてゆくことは、王様の世界のごとく、体が縮み忘れてゆくことにも通ずるけれど、どちらの生き方がいいのかは、安易に語れるものではない。日に日に小さくなってゆく王様はいくら威張り倒していようとも、その存在は儚いものだし、わたしたちの生もまた同じように儚い。それは変わらない。けれど、王様の存在によって、この世界がなにやらまだまだ捨てたものではなく、不思議と奇跡に満ちていることを教えられた気がする。きっとこんな王様のいる世界の方が、断然楽しい。寂しい思いをしている人の心に王様が舞い降りますように。そう願う。

4062083736ちいさなちいさな王様
Axel Hacke Michael Sova 那須田 淳
講談社 1996-10

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2009.06.06

見えない道のむこうへ

20090604_4009 短い物語の中にぎゅっと濃縮された思い。ひそやかで穏やかな語り口なのにもかかわらず、胸に残るのはずしりと重たい読後感。まるで長い旅をしてきたみたいに、どっと胸に押し寄せるものがある。ああ、ここには確かな言葉たちが紡がれているのだな。ああ、ここにはある瞬間をとらえた光景が広がっているのだな、と思わずにはいられない。クヴィント・ブーフホルツ作、平野卿子訳『見えない道のむこうへ』(講談社)は、放浪画家と島の少年との友情を描いている。年齢をこえて心を通い合わす放浪画家と音楽家を目指す少年の日々は、ひどく特別なものだ。出会い、やがて別れを迎えてもなお、永遠につながってゆくような。同じ芸術を愛する者同士ならではの、親愛と尊敬と理解とがあったのだ。

 ある穏やかな日、少年の住むアパートの上階に、放浪画家のマックスが引っ越してくる。少年はたびたびそのアトリエを訪れて、マックスが絵を描いている間、静かに彼の様子を眺めている。夕暮れになると、少年はバイオリンを弾き、マックスはそれに合わせて歌うこともあった。“どの絵にも目に見えない一本の道が通じている。それは画家が見つけなければならないものなんだ。だからあまり早く人に絵を見せるわけにはいかないんだよ。その道をまた見失ってしまうかもしれないから”と言って、描いている絵は決して見せてもらえなかったが、1年ほどが過ぎたある日マックスは長い旅に出てゆき、少年に留守を頼む。留守中入ったアトリエには、マックスの描いた数々の絵が並んでいたのだった。

 画家のマックスと少年の間に流れる雰囲気が何とも心地よい。子どもだから、大人だから…そういった垣根はふたりには何もないのだ。ただあるのは、一対一の人と人との関係である。同じ芸術を愛する者同士の心の通い合いである。少年が見ることになるマックスの描いた数々の絵は、挿絵となってページをめくるほどに次々と登場する。ドイツ語の原題である「瞬間をあつめる人」のごとく、まさに一瞬をとらえた絵たちが、無限に広がる世界をわたしたち読み手に伝えてくるのだった。作者のブーフホルツ自身は、もともと画家であるらしく、どの絵も何かを語り出しそうなほど魅力的である。とりわけ吹雪の中街中を闊歩する雪象や、表紙にもなっている霧に包まれた灯台の絵が印象的である。

 また、マックスはこんなことも言う。“自分を信じて、好きなことを続けるんだよ”と。易しい言葉ながら、深いなと思う。自分を信じること。好きなことを続けること。それは、歳を重ねるほどに難しくなることだからである。絵画も音楽も心の目で見て、心の耳で聴くもの。絶対的でないそれらを信じる力や続ける力を持つことは、並大抵のものではないだろう。自分を信じること。好きなことを続けること。それを叶える一握りの人々は、きっとそういう力が誰よりも強くしっかり胸の奥底にあった人なのだろう。何かを犠牲にしたり、自分を見失いそうになったり。それでもしがみついて、歯を食いしばって。見えない努力を隠して叶えたに違いない。見えない一本の道が通じていると信じて。

4062095513見えない道のむこうへ
Quint Buchholz 平野 卿子
講談社 1999-03

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2008.01.15

タイコたたきの夢

20050601_919035 追い求めては、夢やぶれて。身を砕いては、散り散りになる。それでも夢に向かうことをやめられないわたしたちは、どこまでも前に進むしかない。本能の赴くままに。わき上がる欲求のままに。ライナー・チムニク文・画、矢川澄子訳『タイコたたきの夢』(パロル舎)は、“もっとよいくに よいくらし”を求めて前進するタイコたたきたちの物語である。ある日突然一人のタイコたたきが現れたかと思うと、いつしかその数は爆発的に増えてゆく。その増殖ぶりは、不気味といってよいくらいである。ある種の伝染病のような印象さえ与える。そして、行く手を阻む敵に対して果敢にも冷静に立ち向かい、あらゆる手段を用いて生き延びようとするのだった…。

 タイコたたきたちが“もっとよいくに よいくらし”を求めて前進するたびに、人々と争いが起こり、多くの者が死ぬ。皮肉にもそれはまるで、夢を抱いてはやぶれて、心を痛めているわたしたちの姿のようである。生きているからには、次々と欲求なるものがわたしたちの中には生まれてくる。だからこそ、それを叶えたい。そうやって大小さまざまな夢を抱いて、誰もが前進する。けれど、それが叶えられるのは、ほんの一握りの人間に過ぎないのだろう。夢に対して抱かれたいくつもの感情は、生まれては消えてゆく。あまりにも儚く、散ってゆくさだめにある。それでも、懲りないわたしたちは、次の夢を追い求めてしまう。厭きもせず、また次の夢を、と。

 だが、この物語には、他の要素も含んでいる。たった一人きりだったタイコたたきの行動が、多くの者の心を動かしたこと、である。だからといって、そこには代表なる者は存在していない。主人公がいないのである。皆、同じように夢を追う人々なのである。そこに、何だかとても救われる気がするのは、わたしも同様に夢を追う者だからなのだろう。叶う夢は僅かかもしれない。それでも、追い求め続けることは無駄なことではないと、どこかで信じていたいのだろう。追い求めては、夢やぶれて。身を砕いては、散り散りになる。それでも夢に向かうことをやめられないわたしたちは、どこまでも前に進むしかない。本能の赴くままに。わき上がる欲求のままに。

4894192284タイコたたきの夢
Reiner Zimnik 矢川 澄子
パロル舎 2000-12

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2008.01.14

セーヌの釣りびとヨナス

20070226_001 簡潔さの中にある、おかしみと哀しみ。奥底に根ざす、人の存在というものの根源的な部分。そういうものを、ライナー・チムニク文・画、矢川澄子訳『セーヌの釣りびとヨナス』(パロル舎)の中に感じた。チムニクのユーモラスな魅力たっぷりで、批評精神を感じる線画は、どのページでも味わい深く楽しめるものばかり。そのダイナミックな構図と発想に思わずじっと見入ってしまう。装幀は、さすがはパロル舎というだけあって、こだわりある凝ったつくりなのも、読み手としては嬉しいかぎりである。淡いグレーの紙は、厚くもなく薄くもなく、独特の手触りでチムニクの画を引き立てている。大人のための贅沢な書物といった感じである。

 物語の舞台はパリ。セーヌの河岸では釣り人たちが年中座り込んで、ほんのちっぽけな魚を釣っている。そういう釣り人の一人であるヨナスは、ひとつの願いを持っていた。それは、一生に一度でいいから大きな魚を釣り上げること。ある晩、神さまによってアイディアを与えられたヨナスは、ついにその願いを叶えることになる。けれど、釣りそのものを楽しんでいた釣り仲間たちからの怒りを買い、街を追いやられてしまうのである。そうして、ヨナスは世界中をめぐり、釣りの名人ぶりを発揮してゆく。ついには、“釣りの王さま”にまでなってしまうヨナスである。だが、彼の中である時を境にして、ふっと何かが変わり始めるのだ。

 ヨナスが釣り人として世界中でその力を発揮してゆくさまは、人間のとどまることを知らない欲望を想起させる。もっと大きな魚を。もっともっと大きな魚を、と。ひとつ手に入れたら、もっと欲しがるのは、人の常というものか…。我が身を省みて、恥じ入ることばかり、である。きっとヨナスという人物像は、わたしたちの鏡のような存在なのだろう。また、この物語で面白いのは、その偉大なる欲望を満たす助けを、神さまがしている、というところにある。願いを叶えるというニュアンスと少々趣が異なるのは、わたしの深読みかもしれないが。こういう細かなところで、チムニクの独自の魅力を感じてしまうわたしなのだった。

4894192616セーヌの釣りびとヨナス
Reiner Zimnik 矢川 澄子
パロル舎 2002-09

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2007.08.13

嵐の季節に―思春期病棟の十六歳

20070624_006 何もかもがあっけなく消えゆく。人も、動物も、向かいの家も。そうしていよいよ深まる死への不安に怯えながら、少女は一人、押し潰されそうになってゆく。まるでいくつもの自分に引き裂かれたみたいに。彼女の複雑に揺れ動く心は、どうにも震えを止めることができない。ヤーナ・フライ著、オスターグレン晴子訳『嵐の季節に―思春期病棟の十六歳』(徳間書店)は、死の不安に取り憑かれて自殺を図った少女ノラが、思春期病棟への入院を介して出会った医師や患者たちとのふれあいによって、徐々に立ち直ってゆく物語である。繊細な少女の心の襞を、綿密な取材に基づいて描いたこの物語は、穏やかな感動を呼ぶ仕上がりになっている。

 16歳のノラ。彼女の身近には、いつも死があった。彼女が生まれる前に亡くなってしまった姉の存在、飼っていたモルモットや犬の死、アメリカの伯母の死、まだ若かった叔父の死などなど、周囲で続いてゆくいくつもの死によって、不安感はいよいよ増してゆく。そして、慕っていた教師にまでも死は近づこうとしていた。そんな時、父親の不倫をめぐって言い争う両親に気づいたノラは、とうとう耐えきれなくなってしまうのだ。ひたすら押し込めていた、ノラの感情の行方。その向かう先にあるもの。物語は、彼女の変化をつぶさに描き出してゆく。そして、彼女のように思い悩む若者たちの姿や、心の病を抱える人々の姿、社会的問題などを浮き彫りにしてゆくのだった。

 この物語を読んでまず思うことは、心の病というものに対する専門的な治療の大切さである。ノラの場合がそうであったように、多くの場合、命に関わる危険な出来事があってから、はじめて専門的な治療がなされるという、悲しい現実があるらしい。そして、心の問題が体の変調として現れた時ですら、さまざまな検査で“異常なし”と診断されてしまうのである。なんとも皮肉な話である。こういう話を聞く度に思うのは、精神科医療というものの敷居がもっと低くあったなら…ということだ。その根っこには、わたしたち自身の精神科に対する意識の問題が挙げることができる。もっとその門戸が開かれるために。もっと早期治療が行われるために。何よりも、わたしたち自身のために。

4198622604嵐の季節に―思春期病棟の十六歳
Jana Frey オスターグレン 晴子
徳間書店 2006-11

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2007.08.05

クヌルプ

20070802_036 悔いてもなお、悔いきれない思いがある。願っても、叶わない思いがある。もっとこうなれたはずだとか、ああできたはずだとか。けれど悔い改めたところで、人は生きている限り、愚かしい問いを繰り返さずにはいられない。なぜこうできなかったか、どうしてああできなかったか、と。あるがままの自分と理想の自分の狭間で揺れながら、いつまでも何度でも繰り返し、繰り返し。ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳『クヌルプ』(新潮文庫)は、そんな悔いきれないわたしにとって、学ぶところの多い作品だった。自分らしく生きるとはどういうことなのか。そして、人生を全うするとは、どういうことなのか。深い心の奥底から、しみじみと考えさせられたのだった。

 クヌルプ。彼は一生を放浪して、孤独の中に生きた。まるで、自分の帰り着く場所を探すみたいに。生活力はなかったが、その人間性から友人たちはクヌルプに宿を提供し、ときに尊敬の念や憧れを彼の中に見出すのだった。だが、流れ者のごとく、とうとう失意に倒れるクヌルプ。何者にもならず、何事も成し遂げないまま。けれど、クヌルプの思いとは裏腹に、彼の死の間際、神はそれを“よし”としてくれるのである。彼らしく生き、彼らしく在ったという、ただそれだけで。そして、どの生にも無駄はなかったとして。クヌルプと神との対話は、この物語の核として眩しいくらいに煌めいているように感じられる。あたたかに。すべてをまるごと包み込むように。

 また、この偉大なる肯定は、深く救われる心地がする。こんなにも大きな救いを、他に知らないと思うほどに。きっとこれは、罪人すらも自分らしく在ったと肯定しかねない偉大さである。あるがままの自分を認めるのも、受け入れるのも、容易いことではないこと。それすらも忘れてしまうほど。けれど、忘れてはならない。クヌルプはまともな親方にはならなかったが、決して罪人ではなかった。自然と人生の美しさを見出し、芸術家として生きたのである。行く先々で人々を助け、明るい光を射し込んだ人物でもあった。そんな彼だからこそ、神は彼を認めて受入れ、全てを許したのではないだろうか。彼らしく生き、彼らしく在ったと。彼らしく逝った、と。

4102001050クヌルプ (新潮文庫)
ヘッセ
新潮社 1970-11

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2007.01.19

香水 ある人殺しの物語

20070109_003_1 一見して煌びやかに思われていた世界が、その正体を明らかにするとき、不思議と安堵が立ち込める。そこにある醜悪なもの。そこにある虚しさ。そこにある微笑までもが、取るに足りないものになる瞬間を想像して。ここにいる自分自身と、その世界を埋めるのに充分なほどの材料を得た心地になるのだ。自己満足に過ぎないそんな行為は、物語との接点をどこかしら持って、わたしの前に立ちはだかる。夢見心地で読んだ、パトリック・ジェースキント著、池内紀訳『香水 ある人殺しの物語』(文春文庫)に描かれた、ひれ伏すまでの匂いたるものを知らないがゆえに。ずば抜けた嗅覚というものを持ち得ないがゆえに。そして、18世紀のフランスという国を知らないがゆえに。

 知らない。それは、物語に浸りきるのには、もってこいのすべである。フィクションとノンフィクションとを嗅ぎわけられないことは、その物語をまるごと受け入れる猶予をもたらす。そして、無条件に物語を信じ込ませる。語り手の導くままに、主観が移り変わるままに。天才にもなれれば、無知にもなれる。読む気力さえあれば、常に“なったつもり”でいられるのだ。その行方を遮るものは、現実世界だけである。周囲の騒音なるもの、刻一刻と時を刻む時間、昇り沈む日の光、邪険にも空腹を唱えるお腹といった生理的欲求なるものなど。それらは、“知らないわたし”を許そうとはせず、“知っているわたし”を目覚めさせようと躍起になってくる。物語に浸りきるのは、案外難しいのであった。

 だが、この物語は違う。“知っているわたし”を呼び起こされようが、何が起ころうが、わたしの心を掴んで離さなかった。生まれながらにしてずば抜けた嗅覚を持ち得ている、グルヌイユ。その異才ぶりにぐいぐいと引き込まれ、その世界に呑まれてゆくことになるのである。グルヌイユが求めたもの。それは、ただひとつの匂いだけだった。体臭を持たないがゆえなのか、その才能が突出し過ぎていたのか、唯一無二の香水だけが、この世界を楽園にするのだと信じて止まなかった。やがて、香水調合師としての技術を完全に習得する、グルヌイユ。彼はもう、目的のために手段を選ばない。迷うことなく自分の思い描いた香水を作るべくして、その匂いを我が物にするのである。

 物語は、ただの異才物語に終わらない。人間の心の奥底を掻きむしるように、その醜態を顕わにするのである。一見して煌びやかに見えたはずの、それ。香しいとばかり思っていたはずの、それ。正しいと思っていたはずの、それ。それらの輪郭は曖昧になり、何を信じて何を疑えばよいのかをわからなくさせる。その滑稽さは、これまでも今もなお、視覚に頼って嗅覚をほとんど使わずに生きる、わたしたちへの戒めのように思えてくる。匂いというものが呼吸という、生きる上において重要な部分からやってくること。それが、生きている限り逃れられないことを指すゆえに。研ぎ澄ますべきことを目の前にして、ただ呆然と物語に酔いしれるしかない。ただ、今ここに立ち込める匂いとともに安堵して。

4167661381香水―ある人殺しの物語
パトリック ジュースキント Patrick S¨uskind 池内 紀
文藝春秋 2003-06

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2006.11.18

ニンジンより大切なもの

20061112_017 煌めくようなものを見つけることは、容易いことではない。たいていの場合が、どこかで妥協点を見出して、そこに安定というものを手に入れることを選ぶだろう。何しろ、生活するということには金銭が絡んでくるし、自由に夢を追うことなどは贅沢なことに違いないのだから。それでも、煌めくようなものを手にした人たちは輝いて見える。平凡でありきたりな日常を選んだ者たちよりも、ずっと何か異なるものを持っている気がする。ボリス・フォン・スメルチェック著、清水紀子訳、松岡芽衣絵による『ニンジンより大切なもの』(主婦の友社)には、煌めきを探す旅に出るウサギの物語が紡がれている。やわらかな言葉で、はっとする何かが、見出せる1冊である。

 ウサギのハンニバル。彼は管理職に就き、立派な家を持ち、3人の子供に恵まれて、何不自由なく暮らしていた。けれど、ある朝妻に言われるのだ。“あなた、いったいどうしちゃったの?”と。そう、確かにハンニバルは、ここのところ色々なことに対して愚痴っぽくなっていた。仕事が忙しければ忙しいほどに、定年が待ち遠しくなる。周囲からのプレッシャーも感じている。そして、それを家庭に持ち込んでしまっていたのだった。そんなとき、ウサギにとっては天敵であるはずの年老いたキツネと出会い、ハンニバルの旅が始まるのである。以前持っていたはずの煌めきを探す旅に。年老いたキツネ。彼は賢者のようなまなざしで言う。“「太陽の洞窟」を探し、「黄金の書」を手に入れるがいい”と。

 ここで言うところの、「太陽の洞窟」や「黄金の書」。それは、どこにあるのか秘密にされている。というのも、自分自身で探さなければ意味がないものだからである。つまりは、自分自身で道を切り開いてゆくということなのであろう。ハンニバルは何の手がかりもない無謀なる旅に出るにあたって、様々なことを考えるわけだけれど、よき妻の理解があって旅立つことになるのだった。その旅の中で、幸せのテントウムシや夢見る山ネズミ、大富豪のハムスター、彫刻家になったビーバーに出会う。彼らから学ぶことは、ハンニバルの糧になり、“ドリームジョブ”という天職なるものを見出すきっかけになってゆくのである。それでも旅は、悲しいかな、ゴールを間近にして終わってしまうのであるが…。

 天職というもの。それを見つけ出せる人間は限られている。見つけ出して、それを生活として収入にしている者は、もっとずっと限られている。わたしたちは、生きてゆかねばならない。そして、生の営みには金銭がモノを言う。それが現実というものだ。けれど、心の豊かさや充実した日々を重視した場合、金銭というものは最小限でかまわない気がしてくる。価値観は人それぞれである。だが、あくせく意味なく働くことにどんな価値があるというのだろう。“ドリームジョブ”。それを見出したハンニバルに、生き生きとした日常が訪れたように、本当のあるべき自分というものを見出すこと。それはつまり、自分を知るという過程だと、わたしは考える。まだまだわたしは旅の途中。いつか夢が現実に届きますように。そう願いながら、励み、日々を重ねる。

4072475009ニンジンより大切なもの
ボリス・フォン スメルチェック Boris von Smercek 清水 紀子
主婦の友社 2006-05

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2006.03.21

シッダールタ

20050223_008 ありふれた景色。いつもそこにある景色。私が目を向ける先にあるもの。見えるはずなのに、見えていないもの。或いは見ているふり。目を向けたふり。闇は闇として、本当にそこにあるのか。光りは光りとして、本当にそこにあるのか。私は闇を、光りを、あるべき姿として捉えているのだろうか。ヘルマン・ヘッセ著、岡田朝雄訳『シッダールタ』(草思社)を読みながら、そんなことを自問自答していた。私の前に広げた右ページの下にある、読み終えたページの重なり。それは時間と共に、思考と共に、少しずつ厚みを増してゆくけれど、そこに並んでいる文字の連なりを、すべて理解できているとは言い難い気がして。深遠な思想や探求心のない私は、読み終えたページを反復しながら目で追うばかりだったような気がする。

 この物語は、インドの青年シッダールタ(釈迦と同名だが別人)が、生の真理を求めてさまざまな場所でさまざまに暮らし、人として悟りに至るまでを描いた寓話的作品。多くの悩みや葛藤の中で、どう生きるべきか。何を信じるべきか、問いかけてくる。宗教や信仰、身分、国民性を超えて展開されるシッダールタの生き様は、心揺さぶられて惹きつけられるものがある。自分の進んできた道が正しいと思えることに、勝るものはないのではないだろうか…なんてことまで思わせる。人生における愚かさ、悪徳、過ち、嫌悪、失望、悲しみ。それらを通り抜けてこそある、今というもの。私はそれを信じてみたい。自分の目を通して、自分の心で、自分の身体で実際に体験したことを、味わい尽くしてみたい。そのように思わせる。

 シッダールタの生きる道で邪魔をするもの。それは、知識である。あちこちを彷徨いながらの自我との闘いにおいて、悩みの多くを占めていたものだったかも知れない。シッダールタの場合は、詩行や供犠(くぎ)の知識、度を超した禁欲や活動や努力がそれであった。上へ上へと向くばかりの精神は、気づかぬうちに障害と化していた。そして、賢さは高慢におかされてゆく。人として豊かだったり、賢かったり、尊かったり、そういうものが必ずしも上を向くことではないこと。それを意味する、物語の中に出てくる“下方を目指し、沈んで底をきわめる”という言葉は、私の中で深く響く余韻としていつまでも疼いている。下ることは、それほど悪いことじゃないのだと。下ることも、なんらかの糧になるのだと。

 そうして同時に、こうも思う。人の生き方と自然の摂理とが、相容れないものだということを。河が、下へ下へと流れてゆくのを。葉が、木の枝から落ちてゆくのを思いながら。シッダールタが最後に悟りを見出したのは河だけれど、人はときとして河を超えると思うのだ。人は下っては上がる。上がっては下がる。落ち続けるばかりではない。這い上がれるのだから。地の底からも、ずっとずっと深い場所からでも。河の水が喜びに満ちて下るとしても、葉が地に帰ることを望んでいたとしても。また、そんな過程の中で自分自身に学ぶこと、自分自身の神秘のようなものに興味を抱くことを思うのだ。ここにある疼きは、あらゆるものを希求する、ささやかなきっかけになると思うから。まだまだ人生、捨てたモノじゃないのだ。

4794214693シッダールタ
Hermann Hesse 岡田 朝雄
草思社 2006-01

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2005.11.18

年老いた子どもの話

20051117_060 ある欺瞞がもたらした不思議な物語を読んだ。一体何のために?何を望んで?きっとその答えは、たった1人にしかわからない。そう思った、ジェニー・エルペンベック著、松永美穂訳『年老いた子どもの話』(河出書房新社)。Modern&Classicシリーズの作品は、これで4冊目。名前も住所も家族もわからぬまま保護された女の子。彼女は空っぽのバケツを手に、夜道にただ立っていた。14歳という年齢以外を明かすことなく、彼女の施設での暮らしが展開してゆく。その年齢にしては立派な体格をしていたが、周囲はそのことに深い関心を示さない。彼女の振る舞い、信念、佇まいの謎は、結末まで曖昧なまま読み手に委ねられる。このタイトル、なかなか考え抜かれている。

 ただ自分が14歳だとしか言えぬ女の子は、自分を最も低く落とすことで心を穏やかにしていた。一番弱い存在に自分を押さえておけば、同じ場所を永遠に持ち続けることができるのだと思って。その徹底的な振る舞いは、いつのまにか彼女のものとなり、意識することなしに取って付けたような愚かさを保つようになる。自分自身の首を絞めていることに気づくことなく。生まれながらにして規則を心得ている者のような従順さ、押し寄せてくる敵意に耐える秩序、序列の中で一番安全と思われる最下位に彼女はこだわる。高い地位を得るために、人はその能力や相応しさを示さなくてはならないが、最下位を示す必要はないのだからと。

 そんな彼女に対して、周囲は冷たい。施設での彼女の立場はほんのりと変われども、やはり周囲は彼女に冷たいと言えるだろう。存在を無視されることも、都合よく利用されることも、どちらにしても彼女の状況がよい方向にあるとは言い難い。思えば彼女は何かをしたわけではなかった。ただ周囲の気まぐれに付き合わされただけ。深い沈黙の中にいる彼女は、自分自身のことを話す変わりに、周囲の人間の語ることに耳を傾けているように見せていただけなのだ。自分のことを語り始めてしまったら、彼女の運命は大きく変わっただろう。よい方向にも悪い方向にも、どんな方向にも。そうなったら、この物語は生まれていないだろうが。

 多くの人は、皆自分の話をしたがる。相手の話を途中で遮ったり、口を挟んだり、それを自分の踏み台に利用したり。打ち明け話をした相手をことごとく後悔させるのは、そういうものだろう。私自身もそう。たわいのない話だろうが何だろうが、主役になるのは気持ちのよいものであるから。放ってしまった言葉を取り消すことができるのなら…。この物語での女の子は主役になることなく、どこまでも脇役を貫いている。物語の主人公にこんな思いを感じたのは、もしかしたら初めてのことかも知れない。彼女のその徹底ぶりが、いかに人に求められているかということを改めて知った気がする。助言など何もなくても、人は自分の問題の糸口を見つけてゆく。彼女にも、そうであって欲しい。

4309204007年老いた子どもの話 (Modern&Classic)
松永 美穂
河出書房新社 2004-02-11

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