71 猫の本

2012.02.24

うきわねこ

20110309_003jpg_effected ふわふわとしたやわらかさのあるタッチで、きょとんとしたあどけない表情で大きなうきわを手にしている小さな猫のパステル画の表紙に、猫好きならずとも多くの人が強く惹きつけられる、蜂飼耳・文、牧野千穂・絵による『うきわねこ』(ブロンズ新社)。しかも物語はただの猫のお話ではないのである。猫の名は「えびお」。猫なのに「えびお」。そして、猫なのに猫としては描かれていない。猫の姿をしているけれど、一人の男の子として描かれている一冊だ。満月の夜のおじいちゃんとえびおの不思議な冒険を、臨場感溢れる丁寧なタッチのパステル画と独特の鮮やかな言葉遣いの文章とで楽しませてくれる。とても素敵な世界へと読み手を誘ってくれる絵本である。

 ある日、えびおの元におじいちゃんから誕生日プレゼントが届く。開けてみると、赤と白の縞模様のうきわである。えびおの住む街には海も川もプールもない。どうしてうきわなのだろうと、えびおもえびおの両親も不思議がる。けれど、プレゼントのうきわにはそっと手紙が添えられていた。えびおはとっさに手紙を取り出して、こっそり一人で読む。“とくべつなうきわです。つぎのまんげつのよるをたのしみにしていてください”と、おじいちゃんの言葉がある。そして待ちに待った満月の夜、えびおはうきわをふくらませてベランダへ。不思議なことに、体がふわりと浮かび、月に引き寄せられるように空に向かって飛ぶことができたのだった。

 すると、やはりえびおと同じようにうきわにつかまったおじいちゃんが、満月の前で待っていた。そしてふたりは海へ行く。えびおにとっては、はじめての海である。そうして不思議な特別な忘れられない体験をする。海で釣りをする場面では、釣った大きな魚を貪るように食べるさまだけは、リアルな猫らしさが漂う。いや、面白いことに野生の猫そのものなのだ。ああ、やはり猫だったのだ……読み手はどこかそのことにほっとする。そして、澄ました顔でおむすびなんかを食べていたえびおにも、そのえびおという名前にも、これまで男の子としてしか描かれていなかった部分も含めて、猫の姿をしたえびおとおじいちゃんを、特別な“うきわねこ”として認識するようになる。

 おじいちゃんと孫。そのふたりだけの秘密の出来事を描いたこの物語を読み終えて、この旅はとてもわくわく感に満ち溢れた特別な夢物語だけれど、どこか悲しさも含んでいるようにわたしには読み取れた。この出来事は、えびおにとってもおじいちゃんにとっても、かけがえのない思い出となるだろう。でも、おじいちゃんはもしかすると、この夢のような体験をのこして、去りゆく人なのではないかと思うこともできる。たとえばどこか遠くへと旅立ってしまう前のふたりの時間なのかもしれない、と。おじいちゃんは孫であるえびおに大事なバトンを渡す、先にこの世を去る人なのだ。語られない部分に思いをさまざまにめぐらせて、読み手がいろいろに解釈できる、とても奥行きある物語である。

4893095234うきわねこ
蜂飼 耳 牧野 千穂
ブロンズ新社 2011-07

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2009.06.20

旅するノラ猫

20090615_009 一味も二味も違った、摩訶不思議なる猫の世界。猫好きにとっては飽きることのないその未知なる世界は、さまざまに広がりを見せる。わからないからこそ想像はふくらみ、いかようにも解釈されて、わたしたちはその神秘に惹かれ続けるのだろう。これからも。この先もずっと。嵐山光三郎文、浅生ハルミン絵『旅するノラ猫』(筑摩書房)では、猫語のわかる人間が登場したかと思えば、念力で俳句を詠む猫たちが登場。集会で句会を開催したかと思えば、遠くを旅したりもする。個性豊かな猫たちと猫語のわかる人間たちとのふれあい、猫が詠む猫俳句の味わい、ノラ猫の悲しい運命というもの…などなどが丁寧に描かれてゆく。そこには猫への愛情だけでなく、著者の生きる姿勢のようなものも伺える。

 物語の中心はノラ猫のノラ。推定15歳。離れ離れになってしまった子猫を探して旅に出たノラは、飼い猫からノラ猫にならざるを得なくなってしまった。たどり着いた先は、アラシさんの家。自分の棲家とアラシさんの家とを行き来して生活している。アソウさんの家のトーちゃんという飼い猫の友だちもいて、ひそやかに俳句を詠み合う二匹。猫は薄情だというけれど、このノラは愛情がめっぽう強い。自分の子猫たちを探して長い旅に出ることになるのだ。ノラが出会う人間たちは不思議と猫語がわかる人たちばかり。猫の食事と言えど、生唾ものの料理が並ぶのが可笑しい。そうか、猫たちはこういうものを求めているのか…なんて、感心してみたりするのだ。猫の世界は嗚呼旨し、楽し、である。

 ノラの旅するのが俳句を詠むだけあって、あの「奥の細道」の旅。長距離トラックに乗り込んで、芭蕉ゆかりの地を旅する。我が子を探して三千里の旅でもある。と言っても、旅に出たい気持ちの方が優先しているような気がしないでもないけれど。さまざまな出会いあれば、別れあり。愉快なだけでは終わらない旅なのだった。楽しさも嬉しさも悲しさもまるごとひっくるめた旅。そして、その気持ちを慈しむように詠まれる猫俳句の数々。ときには仲間の猫の死を悼み、ときには季節の移り変わりを感じながら、思い思いに詠んでゆく。個性豊かな俳句の数々は、物語に添えられたイラストと共に、この物語を味わい深いものにしている。猫の世界は嗚呼なんと風流なこと。愛おしいこと…なんて思う。

 このように、猫好きにとってはなんともたまらない要素のたっぷりつまったこの物語は、猫を愛する人一読の価値あり、である。読めば、猫への愛おしさは倍増すること間違いなし、でもある。猫を見つめる視点も変化するというもの。今までとは違った猫との付き合い方が、もしかしたら始まるかもしれない。そして、ふらりと旅にも出たくなるかもしれない。そう、これは一味も二味も違った、摩訶不思議なる猫の世界。猫好きにとっては飽きることのないその未知なる世界は、さまざまに広がりを見せるのである。わからないからこそ想像はふくらみ、いかようにも解釈されて、わたしたちはその神秘に惹かれ続けるのだろう。これからも。この先もずっと。猫の世界は嗚呼なんて魅力的であること。

448081664X旅するノラ猫
浅生 ハルミン
筑摩書房 2009-05

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2009.04.24

ねこに未来はない

20090403_002 わたしの傍を通り過ぎていった猫たちのことを、ふと思い返してみる。つかず離れずの距離を保った猫もいれば、べったりと懐いた猫もいた。払っても払ってもしがみついてくるほどに人間好きな猫もいた。人間慣れした猫たちは、触られるのをよしとして、ときどき魅惑のポーズでわたしをくらくらさせた。人間同様にして、十人十色。10匹飼えば10通りの猫がいて、個性があって性格があることを知った。そんな猫に魅了されたわたしが“ねこ”と名のつく本を読まないわけにはいかない…ということで、長田弘著『ねこに未来はない』(角川文庫)をようやく手にした。一見、怖いタイトルの本だが、読んでみて納得。するりするりと読ませてしまう。猫の魅力を存分に語っている本である。

 この本によれば、猫という生き物には脳内の未来を知覚する部分が未発達であって、自分の将来に希望を抱くことがないという。そのかわりに、先々に対して心配や不安を感じたりすることもないそうで、猫にとっては“今”しかないということになる。つまり、猫と生きてゆく、暮らしてゆくということは、そんな刹那のひとときを一緒に過ごすということになる。そんなことを踏まえた上で、猫と暮らす日々を思い返してみると、いろいろ感慨深いものがある。隣りでスヤスヤ眠る愛猫が、とてつもなく愛おしく思えてくる。先のことを何も考えないこの生き物は、今を全うするべくして生きているのである。ただ今を、この瞬間を、わたしといると選んでくれたことが奇跡ではないかと思わせる。

 それまで猫嫌いを通してきた詩人である著者は、猫好きの女性と結婚してしまい、仔猫を迎え入れるために、引っ越しまですることになってしまう。子どもがまだいなかったこともあり、夫婦共々猫に夢中になってしまう。けれど、猫のことを何も知らない二人だけに、飼う猫を次々と行方不明にしてしまったり、死なせてしまったり…読んでいて心が痛む場面もちらほらある。けれど、四苦八苦しながら、それでも懸命に猫を育ててゆく様子をあたたかに綴った文章は、愛情に溢れんばかりで、読み手の心にすとんと届いて響いてゆく。猫のためなら、貧しくたってなんのその。猫なしの暮らしなんてもはや考えられないわたしには、共感を呼ぶ言葉や思いとたくさんめぐり会える本なのであった。

 表題作と「ねこ踏んじゃった」「わが友マーマレード・ジム」の3章からなるこの本。とりわけ、猫の本に魅せられてしまった著者について語られた「わが友マーマレード・ジム」が印象的に最後をまとめ上げている。この中で、『長距離走者の孤独』で有名なアラン・シリトーの書いた絵本『マーマレード・ジムの華麗な冒険』との出会いを思う存分語っているのだが、思わず前のめりになって読み耽っている自分にはたと気づく。ああ、我慢できない。読みたい。ぜひとも読んでしまいたい。こういう猫本への情熱を再燃させる本との出会いは、たまらないものがある。スヤスヤ眠る愛猫を横目に、読書に耽る喜びったらないのである。これまで出会ったすべての猫たちに感謝しつつ、また読み耽る。

4041409020ねこに未来はない (角川文庫 緑 409-2)
長田 弘
角川グループパブリッシング 1975-10

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 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)
  ・『幸いなるかな本を読む人』(2008-12-10)

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2008.08.08

まんまるおつきさまをおいかけて

20070416_034 闇夜にぽっかりと浮かぶ月。近づきたくて、いくら追いかけても追いかけても、遠のいてゆくばかりの、わたしたちにはなかなか手に届かない月。そんな月明かりの中、子猫がはじめて見たまんまるの月は、お腹がすいていたせいもあって、ミルクのたっぷり入ったお皿に見えてしまう。好奇心いっぱいの子猫ならではの行動がとてもユニークで可愛らしかった、ケビン・ヘンクス作・絵、小池昌代訳『まんまるおつきさまをおいかけて』(福音館書店)。モノクロのシンプルなタッチの絵も物語も、小池昌代さんの独特のリズムを感じさせる訳も素晴らしく、繰り返し何度も読んでしまった。対象年齢は3歳から、とあるけれど、大人だからこそ子猫の愛らしさが伝わってくるようにも思う物語だ。

 きっと子猫は、とにもかくにもミルクが飲みたかったのだろう。舌をのばしてみたり、ジャンプしてみたり、木に登ってみたり、ついには池にまで飛び込んでしまう。そして、何度も繰り返されるフレーズは、“こんなはずじゃあ なかったのに”である。子猫がどんどん悲惨な目にあってゆくのを、固唾を呑んで見守るしかできないのが何ともはがゆい。けれど、最後の最後に待ちかまえていた結末にほっと安堵することができるのが、唯一の救いであり、ミルクのように甘い夢みたいな物語であるという印象を受けるのだ。それも、格別に心地よい甘い夢。また、同時に月になかなか手が届かないわたしたちの厳しい現実をも示しているようにも思うのだった。

 繰り返される“こんなはずじゃあ なかったのに”というフレーズは、子ども向けの絵本とは言っても、何だか妙にこころに突き刺さる。それはきっと、世の中にこの言葉が満ち満ちているからなのだろう。人間関係における、ささやかな行き違いなんかは、とりわけ“こんなはずじゃあ なかったのに”と言いたくなる。伝わらないもどかしい気持ち、乞いながらも叶わぬ望みなどなど。自分はそんなつもりはなくても、相手に勘違いされてしまうことだってしばしばである。言葉というすべを持っていても、それはひとつの道具にすぎず、本当に使いこなせているとはとうてい思えない。愛らしい子猫の無邪気な物語から、そんなことを改めて思ったわたしだ。

4834020851まんまるおつきさまをおいかけて (世界傑作絵本シリーズ)
Kevin Henkes 小池 昌代
福音館書店 2005-10

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2008.07.11

グーグーだって猫である

20070421_038 猫好きは猫と名の付くものには過剰反応してしまうもので、本屋や図書館をぶらついていても、自然と吸い寄せられるようにあちらこちらで“猫”を見つけてしまう。道をぶらついてもしかり。ペットショップなんぞ行こうものなら、じーっとケースの中に見入ってしまうことばかり。大島弓子著『グーグーだって猫である』(角川文庫、角川書店)は、長年の著者の愛猫サバを看取った後の、二代目の猫“グーグー”と、その後飼うことになった“ビー”との日々を描いた作品である。猫を飼っている人なら、うんうんと頷くことしきり。うちもそうそう。うちなんか、こうなんだから…などと言いたくなるくらいに、猫といえども、それぞれの個性や特徴まで、細やかに描かれている。

 中でも、猫の飼い主として心に痛いなあと思ったのは、“二度目の猫は得である”ということ。一言で猫を飼うと言っても、それなりの知識や経験がなければ、どのように接してゆけばいいのかわからないことだらけなのである。いくら愛猫が悲痛に啼こうとも、何かを要求しようとも、ただわたしたちはおろおろするばかり。医者に行った方がよいのか。それとも、食事の問題なのか。安い缶詰やドライフードをあげたのがまずかったのか…等々。その点、二度目の猫というのは、一度目の猫よりも気を遣われる。長生きしますように。どうか健康でありますように、と。そうして、都合のいい人間のわたしは、一度目の猫が二度目の猫を見守ってくれていることを願ってみたりもする。

 また、とりわけ面白かったのは「言葉遣い」の章。いくら猫相手だからと言って、ぞんざいな言葉は、少々いただけない。そんなふうに友人の言葉から学ぶ著者。著者は、知らず知らずのうちに猫に対して発していた言葉を見直すことになるのである。例えば嬉しい、例えば悲しい、例えば不安、例えば気持ちいいなどなど、猫にある感情はすべてわたしたちと同じもの。だから、猫のエサではなくて、猫のごはん。そんなふうに意識せずに呼ぶことができたら、愛猫との絆はもっともっと深まるかもしれない。猫に対する思いは人それぞれだが、わたしは猫と上手な距離を保ちながら、これからも接してゆきたいと思っている。グーグーもビーも可愛いが、うちの愛猫も負けませんぞ。

4044348022グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)
大島 弓子
角川グループパブリッシング 2008-06-25

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2008.05.31

つづきのねこ

20070514_015 失った哀しみは、そうっと癒えてゆく。ゆっくり、ゆっくりと。そうして、繰り返し嘆くわたしを許すみたいに、ささやかな訪れが何かを諭すのだ。吉田稔美著『つづきのねこ』(講談社)は、猫を亡くした哀しみに暮れる<わたし>のところへ、“つづき”と云って戻ってきたそっくりな猫の話である。同じ毛色に曲がったしっぽ、同じ軽さに同じ病気。前の猫に教えたことは、覚えているのか悪さもしない。だから、つづき。同じ名前で呼んでしまう。生まれ変わりということが、本当にあるのかどうかはわからない。けれど、いつでも思っていたい。もしかしたら、また出会えるかもしれないから。また深く結ばれるかもしれないから。猫好きにとってはたまらなく愛おしい一冊である。

 この作品の魅力は、何と云ってもその詩的な文章にある。詩のような物語、物語のような詩。何とも絶妙なバランスのリズムがあるのだ。そして、そのシンプルな言葉たちは、読み手にそっと語りかけてくるようでもある。少しずつ哀しみがやわらぐ様子をつぶさに描きながら、感傷的になりすぎない。失った哀しみと、出会えた喜び。その両極にある感情に中立な姿勢が伺えるのだ。まるで、猫とわたしたちとの、つかず離れずの関係にも通ずるみたいに。また、この作品において、猫がシルエットで描かれているのが、何とも心憎い。思わず自分の愛猫を重ねてしまい、涙する人は多いに違いない。だって、猫は必ずと云っていいほど、先に逝ってしまうから。

 さて、わたしの愛猫たちは、もうかなりの高齢で持病がある。一緒に過ごせる時間は、長くてもあと数年といったところだろう。そんなことを考えていると、今共に過ごせる時間が、とてつもなく愛おしいものに思えてくる。ベタベタした関係ではないけれど、それでも確かに深いところで繋がっていることは、疑いようもない愛猫とわたし。その関係がいつまでもいつまでも続くことを祈りながら、この作品を読んだのだった。そしてこの作品のように、“つづき”と云って現れるつぎの猫を見失わないように、しっかり目を見開いていたいと思ったのだった。だって今も、こんなにも寄り添っているわたしたちが、また出会えないはずはないのだもの、と。

4062121824つづきのねこ
吉田 稔美
講談社 2004-05

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2008.03.30

ネコを撮る

20070329_001 愛猫のあまりの可愛さに日々を支えられ、その瞬時に魅せる姿を確かに記憶に刻みたくて、猫写真を下手ながら撮っている。切り取られた瞬間は、どれもこれもその魅力を伝えるに不充分で、何とも悔しい限りである。こんなにも愛くるしいのに。こんなにも愛おしいのに…そんなわたしが、少しでも猫写真の腕を上げるべく手にした、岩合光昭著『ネコを撮る』(朝日新書)は、長年猫写真を撮り続けてきた著者ならではの、モデル猫の探し方、猫の機嫌のとり方、決定的瞬間を逃さない方法などなど、猫写真に纏わるヒントが満載の一冊になっている。著者の猫写真の数々や世界の猫事情、野生の猫であるライオンやチーターの生態などにもふれていて、猫の世界を耽読できる。

 中でも、早速実践として使えそうなものとしては、猫の撮影には朝が適している、ということ。猫は朝日が出る頃が一番、活動的なのだそうだ。身体に光をいっぱい浴びる猫の姿は、とても美しいものである。思えば、毎朝のように外にパトロールに出かけている我が家の愛猫たち。帰って来るなりすぐさま爆睡状態が続くため、実は寝顔を一番長く見ているのだった。これでは生き生きした猫写真が撮れるはずがない。けれど、この頃の猫事情としては、人間の生活に密接になりすぎているため、人間のペースに呑まれているらしい。あの気まぐれで、超マイペースの猫が、である。猫様と崇めてしまいがちな猫狂いとしては、何だかそういう細かな猫事情にくすりときてしまった。

 また、猫写真を撮る上での心構えとして、“「個」を見極める”ことが大事だそうだ。とにもかくにも猫を見ること。見つめること。これに尽きる。見ることに始まり、見ることに終わる。それが、猫と人間との良い関係をつくる基本なのだろう。主役はあくまでも猫である。撮っている側は、猫様々と祈るようにして、シャッターチャンスを狙うしかない。著者は、“すばらしい猫写真は、すべての写真にも通じる”とさえ言っているほどである。けれど、猫写真を撮る上でのヒントを知ったところで、なかなかすぐには身につかないのが実際のところである。写真とは、実に奥が深いもの。愛猫の愛くるしさを半分も伝えきれない、相変わらずなわたしだ。それでもまだ懲りはしないが。

4022731338ネコを撮る (朝日新書 33) (朝日新書 33)
岩合 光昭
朝日新聞社 2007-03-13

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2007.11.24

猫ばっか

1010133_444ggrr わたしはよく泣く。たいていはひっそりと孤独に。ときには盛大に。そしてなぜか泣いているときに限って、傍には猫がいることが多い。慰めるわけでもなく、心配するわけでもなく、ただこちらをじっと見つめている。涙目でぼやけた視界からでも、はっきりそれとわかるのは、その眼孔の鋭さゆえに違いなく、わたしはその痛いほどの視線ではっと我に返るのだ。わたしは一体何を嘆いているのだっけ、と。こんなとき、猫が何を考えているのか切実に知りたいと思う。だから涙をふきふき、その鋭い眼孔を覗き込んでみるのだ。けれど、もう若くない眼は何かを語るようで、何も語ってはいない。ただじっと、わたしを見つめるばかりである。

 猫はただのペットにあらず。きっと猫を愛する人なら、そう思っている人は多いに違いない。猫という名称を超えて、猫を猫以上に思う。ときには人間と同類に。あるいは、人間以上に思うことだってある。佐野洋子著『猫ばっか』(講談社文庫)は、まさにそんな猫様々的な人には、たまらない一冊となっている。実用品としての猫、命の恩人としての猫、帰らぬままとなった猫、色気のある猫・・・様々な猫についてのエピソードの数々は、どれもこれもしみじみと猫との時間を思い出させるものばかりだ。文章と共に添えられたたくさんの猫の絵も、それぞれに味わい深く、思わずくくくっと笑ってしまう。究極の猫本という宣伝文句も頷ける。

 こうしてこの文章を書いている間にも、わたしの傍には猫がまあるくなって眠り惚けている。わたしが御主たちのことを、どれほど愛しているのかも知らずに…。ハロゲンヒーターで暖まった部屋の中、ふかふかの毛布に包まれて、当然のようにわたしのベッドを占領して。ときどき「くはぁ」とか「ううぅ」とか寝言をこぼしながら、実に甘い時間を過ごしている。わたしはその寝顔を盗み見ながら、気がつけばにんまりとして、また文章をしたため始めている。そうして思う。夕べの涙の理由など、もうどうでもいいことではないか、と。涙が乾いている今の、この“にんまり”が大事なのだと。わたしは再び猫を盗み見て、一人にんまりとする。

4062730790猫ばっか (講談社文庫)
佐野 洋子
講談社 2001-02

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2007.08.18

カボチャの冒険

20070109_022a ニッと鳴く猫がいて、そっと寄り添う猫がいて、膝でまどろむ猫がいて、わたしは本を読んでいる…これがわたしの理想的な日常の1コマだ。何を隠そう、猫が好きである。誰が何と言おうとも、猫が好きで好きで、好き過ぎて、ときどき猫しか見えなくなることもある。そして気がつけば、年がら年中猫の名前を連呼し、まどろみの中にいる猫にちょっかいを出している。これはもはや、猫にまみれた日常。誰にも止められやしない。そう、要は猫狂いなのである。そんなわたしにとって、猫と一緒の田舎暮らしを描いた、五十嵐大介著『カボチャの冒険』(竹書房)は、思わずニッとなる1冊だった。もう、にたにたと笑みを始終浮かべてしまうくらいの。

 物語は、東北の農村を舞台に展開する。畑を耕しては漫画を描いて生活する五十嵐氏の相棒は、三毛猫のカボチャ。カボチャは都会生まれながら、山暮らしの中で次々と野性的な部分を開花させてゆく。それを見守る五十嵐氏の視線は、どこまでもあたたかくどこまでも猫狂い的。カボチャの新たな行動に対して一喜一憂してみたり、カボチャとの根比べにあっさり負けてしまったり…。とりわけ、猫語に関する話では、もういくらわたしが猫狂いとは言え、笑ってしまうしかないエピソードが描かれているのである。きっと笑うしかないのは、わたし自身に思い当たる節があるからに違いないのであるが。とにもかくにも、猫狂い的に可笑しいのである。

 そして、この作品で魅力的なのは、猫らしい猫としてのカボチャの描かれ方だろう。とにかく猫なのである。それも、飼い猫的な部分と野性的な部分とを併せ持った、特別な猫としての。1歳にならないうちに都会と別れて田舎に来たカボチャは、野良猫と比べたらつくづく飼い猫に違いないのだが、飼い猫にしてみたら野性的な部分の強い猫である。視線一つ、伸び一つとってみても、その鋭さはとても煌めいて見える。わたしはそこにどうしてか、猫というものの美しさやしなやかさ、本能というものを感じずにはいられない。本来あるべき姿、という意味合いでの。猫が猫としてあるべき所以の。まさに猫的魅力が終結された姿だと思うのだった。

4812467217カボチャの冒険 (バンブー・コミックス)
五十嵐 大介
竹書房 2007-07-30

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2007.02.24

タマや

20060905_55018 人間関係の連鎖とでも言うべきか。玉突きのように展開される、人と人との奇妙なる繋がりに、ただただ圧倒されるばかりで読んだ、金井美恵子著『タマや』(河出文庫)。もちろん、タイトル通り、猫の出てくる作品である。猫文学というよりは、猫のいる日常。猫と人間が交錯する作品と言った方が、しっくりくるかもしれない。そして、ただの猫小説に終わらないのは、作品のテーマとして描かれている、自分自身の正体というもの。つまりは、そのルーツという、果てしなく難しい事柄であったりするのだ。けれど、重たくなりがちなテーマを、ユーモアある設定と文体とで、一気に読ませ、ぐいぐいとその世界に引き込んでゆくのである。

 物語は、主人公である夏之が、アレクサンドルに猫を押しつけられることから始まる。そのアレクサンドルの姉というのが、父親不詳の妊娠中に借金と臨月の猫を残して行方知らずになっているである。父親というのは、もしかしたら夏之かもしれないし、彼女に惚れ込んでいるという異父兄弟の冬彦かもしれないし、他の誰かかもしれない。そんなわけで、なんとなく夏之のところへ転がり込んできた2人。なんだかんだと言いつつも、夏之の日常は様々なことに巻き込まれつつも、賑やかなものへと変化してゆき、思わぬところで新たなる繋がりを見せてゆくのだった。また、臨月の猫であるタマも、居心地良く夏之のもとで暮らすようになり、やがてその存在を大きくしてゆく。

 先に述べた、自分自身の正体というもの。いわゆるそのルーツ。物語の登場人物たちは、いずれもそれが曖昧である。主人公の夏之にしても、母親と離れて暮らした時期があり、父親の記憶というのはぼやけてしまっている。また、その異父兄弟である冬彦においては、産んだはずの当人が、その存在を長らく忘れていたくらいである。しかも、夏之自身もその存在を長らく知らなかったという有り様。また、アレクサンドルについても、ハーフということはわかっているにしても、それ以外のことは今イチ当人もわかっていない。行方知れずの姉との血の繋がりというのも、怪しいもので、定かなことではないのだ。そして、タマに関しても、孕ませたその相手はわからない。

 物語は冒頭から始終、生まれてくる子どもの父親の不在を意識させられる展開になっている。そして、自分自身の正体という謎めきをも。そもそも両親のはっきりしている場合に置いても、自分自身の正体なんぞ、かなり曖昧なものである。わかったつもりでいる自分自身のこと。それが一体、わたしたちの何割くらいのものだろう。他者から見た自分自身なんぞ、全くと言っていいほど知らないに等しいではないか。けれど、思う。知らなくてもいいことは、山ほど在ると。答えが果てしないことに、時間を費やす必要はどこにもない。知らないことが多ければ多いほどに、人への興味は尽きないものであるし、謎めいているからこそ、面白いのではないかと思うのだ。

4309405819タマや
金井 美恵子
河出書房新社 1999-06

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