70 漫画本

2008.07.11

グーグーだって猫である

20070421_038 猫好きは猫と名の付くものには過剰反応してしまうもので、本屋や図書館をぶらついていても、自然と吸い寄せられるようにあちらこちらで“猫”を見つけてしまう。道をぶらついてもしかり。ペットショップなんぞ行こうものなら、じーっとケースの中に見入ってしまうことばかり。大島弓子著『グーグーだって猫である』(角川文庫、角川書店)は、長年の著者の愛猫サバを看取った後の、二代目の猫“グーグー”と、その後飼うことになった“ビー”との日々を描いた作品である。猫を飼っている人なら、うんうんと頷くことしきり。うちもそうそう。うちなんか、こうなんだから…などと言いたくなるくらいに、猫といえども、それぞれの個性や特徴まで、細やかに描かれている。

 中でも、猫の飼い主として心に痛いなあと思ったのは、“二度目の猫は得である”ということ。一言で猫を飼うと言っても、それなりの知識や経験がなければ、どのように接してゆけばいいのかわからないことだらけなのである。いくら愛猫が悲痛に啼こうとも、何かを要求しようとも、ただわたしたちはおろおろするばかり。医者に行った方がよいのか。それとも、食事の問題なのか。安い缶詰やドライフードをあげたのがまずかったのか…等々。その点、二度目の猫というのは、一度目の猫よりも気を遣われる。長生きしますように。どうか健康でありますように、と。そうして、都合のいい人間のわたしは、一度目の猫が二度目の猫を見守ってくれていることを願ってみたりもする。

 また、とりわけ面白かったのは「言葉遣い」の章。いくら猫相手だからと言って、ぞんざいな言葉は、少々いただけない。そんなふうに友人の言葉から学ぶ著者。著者は、知らず知らずのうちに猫に対して発していた言葉を見直すことになるのである。例えば嬉しい、例えば悲しい、例えば不安、例えば気持ちいいなどなど、猫にある感情はすべてわたしたちと同じもの。だから、猫のエサではなくて、猫のごはん。そんなふうに意識せずに呼ぶことができたら、愛猫との絆はもっともっと深まるかもしれない。猫に対する思いは人それぞれだが、わたしは猫と上手な距離を保ちながら、これからも接してゆきたいと思っている。グーグーもビーも可愛いが、うちの愛猫も負けませんぞ。

4044348022グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)
大島 弓子
角川グループパブリッシング 2008-06-25

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2008.01.28

駅から5分

20071204_041 つながる。つながってゆく。誰もが。誰も彼もが。どこかで。どこかしら。どこにだって。どこまでだって。つながる。つながっている。すれ違う人々の景色が重なって見えてくるのは、不思議と懐かしく思える光景の数々。何もかもが愛おしくて。何もかもが煌めいて。くらもちふさこ著『駅から5分』(集英社)に描かれているのは、花染町を舞台に織りなす人々の姿である。1話完結の物語の登場人物たちは、それぞれのエピソードの中ですれ違い、ときに出会い、交わってゆく。儚い偶然にも思えるそんな物語を目の前に、人はただすれ違うわけじゃない。何かしらの意味があって、必然があって、そうしてわたしたちはやがて出会うのだ…そんな思いを抱くのだった。

 会話に頼らずに、画で魅せてゆく物語展開には、はっとする場面がいくつもいくつもある。とりわけ印象的な「episode 1」には、優等生のよし子と不良だった沢田君の甘酸っぱい揺れる恋心が描かれており、彼らの視線がとらえる光景のひとつひとつの眩しさを、しかと感じ取ることができる。紫陽花、塀、マンホール、ポスト、電線、看板、門、階段、廊下、教室、黒板、クリーナー、窓…そうしたごくありふれたものたちが、特別なものに見えてくるのは、主人公たちの視線とわたしたちの思いが、どこかでシンクロしたからに違いない。いつだったか見た景色、いつだったか感じた思いを物語の中に見出して、遠い記憶の渦に呑まれてゆく。溺れてゆく。

 うって変わって「episode 4」では、現代のコミュニケーションなるものを深く考えさせられる斬新な物語が展開する。花染町のBBSで繰り広げられる会話と、一人PCに向かう赤松の心の揺れ。それが絶妙に絡まり合い、ふと自分自身の孤独さと向き合わされることになるのだ。うんうんと唸って、悶々とするほどに。可笑しくも、侘びしくも。また、巻末には相関図なるものがついているのだけれど、ここでまた、唸ることになる。それぞれの物語に登場してきた人物や光景、小道具などがつながりを見せるとき、物語はいっそう魅力的なものへと変化するのである。これから先、それぞれの物語がどう展開してゆくのか、楽しみでしかたないわたしだ。

4088654390駅から5分 1 (1) (クイーンズコミックス)
くらもち ふさこ
集英社 2007-11-19

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2007.12.30

海獣の子供

20071228_004 日常からかけ離れた異世界。目にし得ることができない現象。ぱっと広がるその深みに圧倒されて、海という場所に潜む不穏な気配すら、美しいものと変わり果てるのを見た気がした。それほどまでに説得力ある描写にぐいと引き込まれる、五十嵐大介著『海獣の子供』(小学館)。まだ『月刊IKKI』にて連載中ゆえに、既刊の1・2巻の導入部しか読んでいないが、それでもこの作品の魅力にすっかりはまってしまった。とりわけ、その緻密なタッチで魅せる画風は、深海や魚介類などの妖しい美しさを存分に描いているように思う。個人的には、著者のカラーの画が好きで、ちょっと雑(に見せている?)で何色にもわたるニュアンス至上主義的な画にとても惹かれる。

 子供の頃、水族館で“海の幽霊”を見た記憶を持つ琉花。そんな彼女が、海の中で生まれジュゴンに育てられたという少年たち、海と空と出会ったあたりから、世界中では海に異変が起き、水族館から魚が消えてしまうという現象が頻発しはじめる。魅惑的な深海の光景、少年たちに纏わる謎、少年たちに魅せられた大人たちの動向や過去などなど…少年少女たちの物語の間に断片的に挿入されるエピソードの繋がりや意味が明らかでないゆえに、目が離せない展開だ。海や空の行く先に待ち受けているものが何であるのか。琉花が今後、どう成長してゆくのか。また、さまざまに絡まり合う大人たちの思惑とどう向き合ってゆくのかも気になるところである。

 この「海獣の子供」の中でもとりわけ印象的なのは、琉花と海との出会いだった。きっと多くの人が、飛ぶように美しく泳ぐ少年の姿を食い入るように見つめてしまうに違いない。もうそれだけで、この物語の導入部は成功していると言ってよいくらいだ。そして、もちろんその後も海の中を泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ…。ときにどきりとさせるほどに物憂げだったり、子供らしからぬほどに穏やかだったり、表情をくるくると変えながら、静けさの中にも危険を孕んだ海の世界を、存分に楽しませてくれるのだ。そうして、普段は目にできないような異世界へもそっと誘ってくれる。わたしのように山間部に住むような者にとっては、まさに夢の国そのものなのだった。

 ≪五十嵐大介の本に関する過去記事≫
  『カボチャの冒険』(2007-08-18)

4091883680海獣の子供 1 (1) (IKKI COMICS)
五十嵐 大介
小学館 2007-07-30

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4091883699海獣の子供 2 (2) (IKKI COMICS)
五十嵐 大介
小学館 2007-07-30

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2007.12.24

アンダーカレント

20071205_012 人のこころの奥深くにある底流。それを知らずして、わかったつもりになる。理解したつもりになる。見つめ合えていると錯覚する。分かり合えていると思い込む。表層にあるのは、わたしたちを織りなす一部分に過ぎないというのに。性懲りもなく、想い合う。わたしたちはそうすることで、コミュニケーションを取り、不器用なまでに関わり合う。ほんの一握りの可能性にすがるようにして。豊田徹也著『アンダーカレント』(講談社)は、そんな儚い期待や希望を描いた作品のように思う。そして、“人をわかるとはどういうことなのか”という、シンプルながら難解な問いかけを始終感じさせながら、穏やかな日常の中での出会いと別れを静謐なタッチで描いてゆく。

 物語の舞台は銭湯である。夫が失踪して途方に暮れていたものの、家業を再開する女・かなえ。そこへ、ならず者的な謎めいた男・堀がやってきて、手伝うようになる。かなえは知り合いからのすすめにより探偵に夫の捜索を依頼し、これまで知らなかった夫の顔を知ることになる。物語は、黙々と為される銭湯の掃除風景や水面を見つめるかなえのうつろな表情など、沈黙のうちに展開される場面を効果的に挟みつつ、人のこころの深淵をなぞってゆく。また、かなえが繰り返し見るフラッシュバック的な夢の意味するところや、謎めいた堀の言葉や行動にも目を惹く。そして、さまざまに張り巡らされた伏線の多くは、最後の最後になってその蠢きを見せ始めるのだ。

 結末を導くいくつもの伏線の中でも、とりわけわたしが印象深かったのは、前半部分で堀がかなえにドキリとする問いかけをする場面だった。この段階ではまだ、翳りのある二人の世間話にしか思えない。だが、後半部分になるにしたがって、なぜこの問いかけが出たのか、言葉を詰まらせた理由やその心境などが伝わってくる。堀がかなえを、あたたかいのに悲しげな目で見つめる理由も。その視線の先に何を見ていたのかも。タイトルになっている“アンダーカレント”には、下層の水流や底流。表面の思想や感情と矛盾する暗流という意味があるようだ。人のこころの奥深くにある底流。わたしたちはきっと、それを知ろうとこの先もずっともがいてゆくのだろう。

4063720926アンダーカレント アフタヌーンKCDX
豊田 徹也
講談社 2005-11-22

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2007.08.18

カボチャの冒険

20070109_022a ニッと鳴く猫がいて、そっと寄り添う猫がいて、膝でまどろむ猫がいて、わたしは本を読んでいる…これがわたしの理想的な日常の1コマだ。何を隠そう、猫が好きである。誰が何と言おうとも、猫が好きで好きで、好き過ぎて、ときどき猫しか見えなくなることもある。そして気がつけば、年がら年中猫の名前を連呼し、まどろみの中にいる猫にちょっかいを出している。これはもはや、猫にまみれた日常。誰にも止められやしない。そう、要は猫狂いなのである。そんなわたしにとって、猫と一緒の田舎暮らしを描いた、五十嵐大介著『カボチャの冒険』(竹書房)は、思わずニッとなる1冊だった。もう、にたにたと笑みを始終浮かべてしまうくらいの。

 物語は、東北の農村を舞台に展開する。畑を耕しては漫画を描いて生活する五十嵐氏の相棒は、三毛猫のカボチャ。カボチャは都会生まれながら、山暮らしの中で次々と野性的な部分を開花させてゆく。それを見守る五十嵐氏の視線は、どこまでもあたたかくどこまでも猫狂い的。カボチャの新たな行動に対して一喜一憂してみたり、カボチャとの根比べにあっさり負けてしまったり…。とりわけ、猫語に関する話では、もういくらわたしが猫狂いとは言え、笑ってしまうしかないエピソードが描かれているのである。きっと笑うしかないのは、わたし自身に思い当たる節があるからに違いないのであるが。とにもかくにも、猫狂い的に可笑しいのである。

 そして、この作品で魅力的なのは、猫らしい猫としてのカボチャの描かれ方だろう。とにかく猫なのである。それも、飼い猫的な部分と野性的な部分とを併せ持った、特別な猫としての。1歳にならないうちに都会と別れて田舎に来たカボチャは、野良猫と比べたらつくづく飼い猫に違いないのだが、飼い猫にしてみたら野性的な部分の強い猫である。視線一つ、伸び一つとってみても、その鋭さはとても煌めいて見える。わたしはそこにどうしてか、猫というものの美しさやしなやかさ、本能というものを感じずにはいられない。本来あるべき姿、という意味合いでの。猫が猫としてあるべき所以の。まさに猫的魅力が終結された姿だと思うのだった。

4812467217カボチャの冒険 (バンブー・コミックス)
五十嵐 大介
竹書房 2007-07-30

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2007.06.04

ヒメママ

20070520_015 ふっ、というため息混じりの笑いと、和やかな気持ちと。わたしの中の揺るぎない個というものが、蠢いた気がした。確固たる個。それも生涯を貫くほどの個。誇り高き精神で我が道をとことんまでゆく、個に。単なる我が侭と言ったらそれでおしまいだが、憎みきれない愛すべき個なのだ。曖昧で揺らぎやすいわたしにとっては、サクッと読めるのにしぶとく余韻を残す、玖保キリコ著『ヒメママ(1)』(マガジンハウス)は、侮れない作品だったのである。自己中心的、我が侭、身勝手…この作品でいうところの個は、一般的にそう解釈されるかもしれない。けれど、思うのだ。わたしもきっと、そうだろうと。誰しもきっと、そうだろうと。ただその配分が違うだけで。

 ヒメママ。つまりは、誇り高きお義母さん。日々さまざまな騒動を起こして、家族を悩ませる。贅沢と美しいものが好きな、乙女である。そして、自分が掟という、世の中の人々をデフォルメした存在と言ってもいいだろう。多かれ少なかれ、誰もが自分のことで頭がいっぱいなのだし、もしかすると忙しい自分に酔っている人もいるかもしれない。作品の中では、ごくごく普通の家庭を舞台に設定されているために、一人だけが浮いているわけだが、よく考えてみると、ある意味子どもは皆姫や王子であるに違いなく、ヒメママの周囲の人々だってヒメママ的要素がないとは言いきれない。そう、わたしだってヒメママ度は結構なものになるに違いないのである。

 このヒメママ。それでも、憎みきれず可愛いところもあるものだから、憎みきれず、むしろ愛すべきキャラクターなのだ。ごくごく普通の暮らしを好むヒメママの息子は、既に諦めモードであるが、手探り状態の嫁の奮闘は実にリアルだったりする。そして周囲は皆思っている。このヒメママの不幸は、やはり本物のお姫様ではないことに尽きると。生まれるところ。人は皆それを選べない。そして、死をもそれに近い。作品のテーマは、シリアスなシーンを散りばめながら、それをコメディへと向かわせてゆく。宣伝文句の“爆笑漫画”というのとは、ちょっと異なる魅力満載の作品であるとわたしは思っている。読んだら屹度、誰ものヒメママが疼き出すはず。

4838717644ヒメママ1
玖保 キリコ
マガジンハウス 2007-04-19

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2007.02.17

神童

20050721_9944069 タタン。タタタン。ちち。ちぃちっち。つつん。つつつん。てってて、てって。とーっと、ととと。音がリズムになり、リズムが音になる。すべてを震わす鼓動が、それを感じ取っている。いま、ゆけ。いま、そら。ゆけ、ゆけ。タタン。タタタン。ちち。ちぃちっち。つつん。つつつん。てってて、てって。とーっと、ととと。深い意味もなく名付けた、脳内をぐるぐると廻る、たちつてとの鼓動を感じながら、さそうあきら著『神童』(双葉社、双葉文庫)を読み終えた。「音は鳴る」ものだと思っていたわたしにとっては、「音が響く」という伝え方が、とりわけ印象的な作品だった。奏でられる音楽というものは、「響いて」こそ伝わり、「伝わる」からこそ届き、そして初めて音として「鳴る」のだと知った。

 響いて、鳴る。音の伝わり方を思えば、当然のようなことながら、わたしがそこに注目したのは、物語のはじまりとおしまいを思ったゆえだ。名門音大を目指して浪人中の和音(かずお)が、野球好きな天才ピアニストの少女・うたと出会う物語は、まず「音ありき」の出会いから始まるのだ。それも、ボートのオールから伝わる振動。魚の声。響く音。その音は、絵としてぱっと視覚的に入ってくる。そして、聴覚で捕らえる。確かに。しかとキャッチして、響くものを感じさせるのだ。なおかつ、言葉少なく魅せる絵だから、というのもあるだろう。暗闇の静けさを見事に表現しているのだ。印象的な出会いの場面は、その後に続く物語の端々でも思い出される程に脳内にこびりついて離れない。

 それから、何よりも、この作品で感じるのは、「音を奏ですぎない」ということ。音楽漫画でありがちな、音を表現する過剰な演出が控えめなのである。音を遮断した世界でも聞こえてくるような、振動。あくまでも、音の震えを大事に描いているように感じられる世界がある。特に、わたしは後半部分の自然の音を描いた部分が好きで、自分の暮らす場所との共通項に思わず耳を澄ませていた。そして、意識しなければ聞き取れないような、小さな響きの1つ1つが、たまらなく愛おしくなるような感覚に陥った。自分の呼吸や鼓動までも何もかもすべてが、奇跡のような。宙までも囁くような。そんな錯覚に。ちっぽけな自分自身の存在すらも、無条件に肯定したくなるくらいだった。

 また、それはまさに、著者の言うところの“大好きな音楽を音で表現するのではなく、エピソードとして表現していく漫画を目指した”というところにも、大きく関わっているように感じる。物語の主人公は、和音(かずお)でもうたでもなく、音。音の物語の背景にある、ある1つのエピソードが、和音であり、うたであり、読者であるわたしたちである。そんな思いを抱くのだった。タタン。タタタン。ちち。ちぃちっち。つつん。つつつん。てってて、てって。とーっと、ととと。音がリズムになり、リズムが音になる。すべてを震わす鼓動が、それを感じ取っている。いま、ゆけ。いま、そら。ゆけ、ゆけ。タタン。タタタン。ちち。ちぃちっち。つつん。つつつん。てってて、てって…と。

4575724912神童 (1) (双葉文庫―名作シリーズ)
さそう あきら
双葉社 2003-12

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4575724920神童 (2) (双葉文庫―名作シリーズ)
さそう あきら
双葉社 2003-12

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4575724939神童 (3) (双葉文庫―名作シリーズ)
さそう あきら
双葉社 2003-12-20

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2006.12.21

オリベ

1010131_img マイペースを貫くこと。その困難さは、日常の中で幾度も痛感する。休日のまどろみの邪魔をされたとき。誰かと連れ立っての買い物のとき。一人じゃないときの食事のペース。くつろぎ方。些細なことから、人としての在り方やマナーに至るまで、様々なことがマイペースではいけないと、忠告しているかのようである。けれど、南Q太著『オリベ』(マガジンハウス)は、マイペース万歳と敢えて唱える一冊なのである。色気ゼロでもよし。テンション低めでもよし。めんどくさがりでもよし。コタツから出られなくてもよし。楽ちんな格好でもよし…云々。もう、とにかくオリベのすべてが超マイペースなのだから。だが、一つだけ注意しておこう。マイペースは決して、怠惰ではないのだと。

 わたしが心惹かれてしまったオリベは、読書するときのオリベだ。彼女は古本屋を利用し、文庫本をこよなく愛する。そして、なんとも慈しむように夢中になって読み耽るのだ。けれど、あまりにも夢中になって興奮してくると、なぜか掃除をしたくなってしまう。一段落してまた、黙々と読むものの、やはり読み終えるのが惜しくなって掃除してしまう。という、一石二鳥の読書術を知っているのだ。す、すてき。読んでいるうちに眠くなり、ついうたた寝してしまうわたしとは、まるで違うではないか。生活と密着した読書。これこそが、本物の読書スタイル。いや、新しい読書スタイル。これなら部屋は、いつでもさっぱりしたきれいさを保っていられるはず…と、都合のいいことを思うわたし。少々情けない。

 また、落ち込むときのオリベもいいのだ。人はそれぞれ、落ち込み方やその対処方法が異なる。誰かにぶちまけてさっぱりしたい人もいれば、どこまでもとことん落ち込んで立ち直る人もいる。一人きりで抱え込んで胃をキリキリさせる人もいるだろう。オリベの場合、落ち込むままにまかせてしまい、たまにはくよくよするのもいいかもしれないと思い、綿棒を手に自分と向き合う。執拗に耳を掻いて。その光景は、なんだか小動物みたいで可愛いのだ。わたしときたら、「オリベったらもう…」と、既に友だち扱いである。まさにマイペース。オリジナルを行く人である。そういえば、わたし自身の落ち込み方も、ある意味特殊といえば特殊かもしれない。ただ当の本人が気づかないだけで…。もしかしたら、あたなも…。

 それから、この『オリベ』の中で注目のしどころは、登場する小道具の数々だろう。やはり雑誌『オリーブ』から生まれた漫画だけに、乙女としたら見逃せない部分が多々ある。いくら、オリベに色気がなくても、テンションが低めでも、めんどくさがりでも、そこはやはりチェックせねばと思うのだ。ちなみに、本でいうならば、ビリー・レッツ『ビート・オブ・ハート』、桐島洋子『渚と澪と舵 わが愛の航海記』、シェル・シルヴァスタイン『おおきな木』、桐野夏生『柔らかな頬』などである。なぜか文春文庫ばかり…。普段ならわたしは絶対に手を出さないタイプの本たちであるけれど、オリベが読んでいたとなると、つい読書熱が疼いてくる。恐るべし、オリベ。あなたはただものではない。

4838716567オリベ
南 Q太
マガジンハウス 2006-04-20

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2006.10.17

るきさん

20061003_99046 さやさや。ささやかなる生き方なるもの。穏やかなるその流れに身を任せて、そよぐ風たちに吹かれてみる。それもまたどうしてか、なかなか悪くないものである。そんなことを思う日常に、ぴったりしっくりくる1冊がある。漫画をあまり読まないわたしにはめずらしく此処に紡ぐのは、高野文子著『るきさん』(ちくま文庫、筑摩書房)である。どこかほのぼのとする絵柄ではあるのだけれど、そこにあるスパイスたるや、ぐぐぐっとのめり込ませるものがあるように感じられる。『絶対安全剃刀』からはまった、この高野さんの魅力。そう、つまりは高野的風に吹かれつつ、わたしは穏やかながらも刺激的な世界と戯れていた。大げさに言うと、そんな感じが一番的確な気がしつつ、さやさやと紡ごう。

 主人公のるきさんは、どうやら30代の独身女性。新宿近くあたりのアパート(想像デス)にて、自宅での仕事をしている。生活自体は庶民的。むしろ、少し苦しいくらいなのだけれど、るきさんは彼女なりの生き方で、それを満喫している。一般的に言うところの常識。そこに左右されることなく、なんとも逞しく生活している。ひと月分の仕事を一週間でこなし、月末に“終わりましたぁ!”というあたり、なかなか凄腕のるきさんである。時代をこえてもなお、るきさんはるきさんである。だから、1992年までの作品ながら、古くささを感じることはない。或る意味それは、普遍的な人間的部分が多く描かれているせいかもしれない。人間の本質の根本とも言えるような。

 さて、ここからは数多くある『るきさん』の物語の中から、1つだけお気に入りのものを紹介してゆく。それは、るきさんの人間的魅力を描いた、1990年5月31日の作品である。電車のドアにはさまりやすい、るきさん。踏切にて、見事なまでに降りてくる遮断機にぶつかる、るきさん。これは運動神経の問題かもしれないが、その見事なまでのズレに対する、るきさんの対処の仕方は格別に冷静である。つまりは、慣れ。いわゆる、自分という人間をよく知っているということ。わたしはそんなふうに解釈した。自分をわきまえるということ。その難しさを思えば、さらさらっと描かれる、るきさんのこういう一面に、はっとせずにはいられない。わたしはわたしをわきまえているだろうか、と考え込んでみたくもなる。

 また、この『るきさん』で忘れてならないのは、るきさんの友人である、えつこさんの存在である。お互いに同じくらいの年齢。独身。一人暮らし。という共通項はあるものの、彼女は外で働く人。一体、どこでどうして知りあったのか。その謎は、読めば読むほどに深まってゆく。しかも、実によくるきさんのところに遊びに来るのだ。“ちょっと寄ってみたぁ!”的に。そこから推測するに、どうやら彼女は新宿からは少しばかり不便なところに住んでいて、なおかつ、るきさんと同じ沿線に住んでいるのでは…と。そして、お互いを知り尽くしつつも、許し合えるほどの親密さを保ちつつ、べったりするほどの関係ではない。なんともいい距離感を持っているのだ。こんな友人、ホントいいなぁ。まさに、さやさや。いい感じなのである。

4480032118るきさん (ちくま文庫)
高野 文子
筑摩書房 1996-12

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4592760166絶対安全剃刀―高野文子作品集
高野 文子
白泉社 1982-01

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2006.04.29

ero・mala―Les maladies erotiques

20050423_006 今居る場所だとか、今在るわたしだとか、今廻る思考だとか。そのうちのどれがリアルで、どれがリアルじゃないとか。下腹を疼く痛みだって、無意味に満足な肢体だって、どうかするとわからなくなるのだ。そうして、わからない類のものをかき集めて、わたしは深い呼吸の中に埋もれてゆく。夢にウツツを抜かす。愚かな生き物のようにうずくまる。やまだないと著『ero・mala―Les maladies erotiques』(イースト・プレス)は、わたしの危うい均衡にぴったりとはまる作品で、現実から剥がれ落ちそうなときに、思わず手に取ってしまう。心地よいまどろみと、そこにいつまでも浸っていたい怠惰なわたし。自分に甘くなるのは、ときどきのご褒美だ。

 収録作品は、6つ。短編と中編。タイトル通りのエロである。雰囲気としたら、フランス映画。少女漫画でありながら、男性の視線で描かれる作風。それでも、こうあるべき少女いうよりは、こうありたい少女、のような気がするのはなぜなのか。不思議な感覚がある。あどけなさと大胆さ。その中にある危うさ。物語を惹きつけ、魅力的に魅せる少女は、そういう表情をしている。憂いのある大きな目をして、不機嫌そうな唇をして、気怠そうに佇む。多くを語らずに見つめる。ただ、見つめる。リアルな現実であったなら、通用するのは美しい少女だけの特権のそれ。まさにわたしの理想だったりする。もしかしたら、あなたの理想かもしれない。そう思う。

 この作品の「愛の教育」の少女は、まさに理想的かもしれない。母親を亡くし、父親と暮らすようになった少女は、父親の望む通りの娘になろうとする。愛されるために。母親のように捨てられないために。無防備すぎるひらひらのスカート、長い髪。それはまるで、パパの人形だった。けれど、トリコにとっては、それは不幸というよりも求めたぬくもりに違いない。愛された記憶として、いつまでも残るもの。そんなふうに思う。体を満たして、心まで染みゆく。それは、あまりにお手軽なリアルだったかもしれない。でも、確かにあったあたたかさとも考えられるのだ。だからといって、わたし自身がそういうものに簡単になびくことはリアルじゃない。あくまでも物語としての理想である。

 最後に表題作の「エロマラ」。この世界で、もっともエロティックな病というものをテーマに描いた作品である。性交なしでは生きられない少女のリアル。病に感染した人々は次々と死にゆくのに、同時にどんどん人々は忘れゆく。目を背けてはいけないリアルと、すぐ傍にあるお手軽なリアル。陥りやすいそういうものを、ぱっとひらいて見せられた感じだ。美しい病がこの世界にほんとうにあるとしたら、誰もが懸命に愛し合うことがほんとうにできるとしたら、わたしはそれを選ぶだろうか。憶病ゆえに。憶病であるゆえに、わたしが在るのだとしたら…確かにわたしがわかることは、少女の言う通り、“さようなら”というのが、ひどくさびしい言葉であるということ。それだけのことだ。

487257110Xero・mala―Les maladies erotiques
やまだ ないと
イースト・プレス 1997-04

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