16 北村薫の本

2008.11.05

野球の国のアリス

20081030_036 ほんのり心地よく効いた皮肉と毒気、ユーモア溢れる言葉遊びに思わずにやり。そして、うふふとなってしまう。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」のモチーフを随所に散りばめながら、読者をファンタジーの世界へ誘ってくれる、北村薫著『野球の国のアリス』(講談社)は、“かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランドシリーズ”のうちの一冊。このシリーズにしては珍しく、青春ど真ん中の清々しい仕上がりになっていて、北村作品ならではのあたたかみのある語り口も健在である。ミステリー的要素はあまりないものの、いわゆる“はてな?”の心そのものが謎めきの要素となっているようだ。見せかけだけのミステリーへの挑戦状とも受け取れる。

 野球好きな少女アリスは小学校時代、少年野球チームのエースだった。けれど、アリスの入る中学には男子のクラブチームしかないため、小学校卒業を機に野球を諦めなければならない。そんな時、知り合いの新聞記者の宇左木(ウサギ)さんの後を追いかけていったら、どこもかしこも左右が反転している鏡の国にたどり着いてしまう。そこでは、季節は既に夏。負け進む大会である“全国中学野球大会最終戦”なるものが行われようとしていた。テレビ中継などで派手に取り沙汰されるものの、悲壮感やエラーやミスを笑いものにする取り上げ方に、“こっちの野球は、間違っている”とアリスは憤りを感じる。大好きな野球のために何とかしたい。つまりは、自分の出番なんじゃないかと思うわけだ。

 物語は、アリスの熱き野球への思いが切々と綴られてゆく。ときどき皮肉まじりに。ときどき言葉遊びを含みつつ。鏡の国では、アリスがひそかに好意を寄せている読書家の安西君が野球部のキャプテンを務めていて、ライバルである野球の天才・五堂君がサッカー部のエース、アリスとバッテリーを組んでいた兵頭君は柔道部に入っているらしい。向こうの世界にはあった出来事がないものになっていることに寂しさを感じつつも、自分の使命を果たそうとするアリス。新聞記者の宇左木さんの企みとアリスたちの思いがいっしょくたに集結し、鏡の国の歴史を変える日は果たして来るのか否か…。人の大きな意志みたいなものは人を動かし、世の中を変えるはず。あるべき姿へ。あるべき道筋へと。

 何はともあれ、野球をほとんど知らないわたしにも、試合の緊張と興奮とを感じさせてくれる後半部分は圧巻である。注目の試合は、再会の喜びと深まる友情とせつない別れなどが入り混じって、何ともじーんとなる展開なのだ。とりわけ、バッテリーを組んでいる兵頭君の“パワー、充電”や、試合相手の強豪校のキャプテンの無神経な言葉に対する五堂君の切り返しが印象的。こんな格好いい中学生が実際いるかどうかはさておき、思わずアリスに嫉妬心すら覚えたほどだ。だって、こんなにも素敵な仲間に囲まれているのだもの。最高の夏、いいや、最高の春休みを過ごしたね、アリス。やわらかな語り口の物語のおしまいまでたどり着くと、そんなふうに自然と言葉がこぼれていた。

4062705842野球の国のアリス (MYSTERY LAND)
北村 薫
講談社 2008-08-07

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2008.01.05

冬のオペラ

20061027_005 真実が透けて見えるということの哀しさは、どれほどのものだろう。見えてしまうからには、目を背けることができない。できないからこそ、強い意志で目の前に広がる現実と立ち向かわねばならない。感情に流されずに。冷静な態度で。覚悟を決め、どこまでも理想を追い求める。北村薫著『冬のオペラ』(角川文庫)に登場する、<名探偵>巫弓彦は、そういう男である。“名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気づくのです…”そして、存在であり、意志であると彼は語る。そうして、名探偵であるがゆえに名探偵に相応しい事件にありつけない彼は、バイトで食いつなぐ日々を送っている。それもまた、哀しき宿命である。

 物語は、<名探偵>巫弓彦を記録者として見つめる、姫宮あゆみの視点で語られてゆく。彼女もまた、物書きになりたいという理想を持つ女性だ。第一の事件である「三角の水」は、二人の出会いから始まって、理想と現実との落差を痛感させられる顛末が何とも心憎い。事件としては、あまりにも小さく面白味に欠けるが、ここで展開される<名探偵>の態度に思わず惹かれてしまうのだった。第二の事件である「蘭と韋駄天」は、女の嫉妬心が蠢くもの。ここでの謎は足疾鬼の仏舎利盗難にも例えられ、不思議なイメージを残してゆく。事件自体はとても小さなものだが、そこで繰り広げられる人間の醜さを、鮮明にぱっと見せられた心地になるのだった。

 第三の事件である「冬のオペラ」は、京都の大学が舞台の不可解な殺人事件で、日常に潜むミステリを得意とする著者の物語にしては、とても残酷な印象を残す。すべての事件は、この事件までの序章であったかのように。だが、いずれも<名探偵>の鮮やかな推理と一言によって、救われる心地がするのだ。とりわけ、“(この人が鬼になったのは)人を殺したからではない。かくありたかった、こんな筈ではなかったという思いに執着し、そこで足摺りをし、悶えたからです…”という言葉には、胸が締めつけられる。夢や理想を持ち続けることはとても難しい。けれど、この<名探偵>とあゆみならば、どこまでも叶えようと挑み続ける気がするのだ。

4043432054冬のオペラ (角川文庫)
北村 薫
角川書店 2002-05

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2006.05.19

紙魚家崩壊 九つの謎

20050512_44002 口あたりのいい文章。心地よい気持ちで読ませるそれは、するりするりと染み込んでくる。空が泣いているようなとき。まさに、今日みたいにしたたかなしたたりを確かに見せるときなんて、北村薫著『紙魚家崩壊 九つの謎』(講談社)は、もってこいの本である。密やかに触れる至福のとき。「溶けていく」「紙魚家崩壊」「死と密室」「白い朝」「サイコロ、コロコロ」「おにぎり、ぎりぎり」「蝶」「俺の席」「新釈おとぎばなし」の9つの謎は、読み手をはらりとその世界に呑みこむ。もう読むのを止められないほどに。ミステリーが苦手なわたしがそんなふうになるのだから、ミステリー好きはどこまでも深くどっぷり浸ることだろう。

 9つある物語から、いくつか書いていく。まずは、「溶けていく」。ここでの謎は、精神的な部分を揺さぶる類のもの。いつからか、どこからか、どこまでも落ちてゆく感覚。きっかけはあまりにも些細で、連続する日常の中では見逃してしまうような、そういうもの。ふと見つけてしまった隙間ほど、恐ろしいものはないとも思える。新卒で入社した美咲が、入り込んでしまったのは、そういうものである。無性に食べたくなったアイスクリーム。けれど、コンビニで心を捕らえたのは、別のものだった。よせばよかった…そんな言葉を呟きはじめたときには、きっともう、かなり心を蝕まれているのだ。元いた場所にぐいっと引き寄せるのは、誰でもない自分自身の心持ちなのかもしれない。

 続いては、表題作「紙魚家の崩壊」について。右手と左手が恋し合っている女性と探偵とが挑む、紙魚家の謎の物語である。この設定だけで、ぎゅっと心を掴まれる。そして、紙魚家の主人とその妻とは、書物収集狂。そこへ行けば、必要な書物が読めるだろうということで、女性と探偵は紙魚家を訪ねるわけである。書物収集に魅せられた2人の思い。それを思うと、はぁと1つ息をつきたくなる。終わらない欲。終わりにしたいほどの欲。それほどのものがあるとすれば、何かを犠牲にしなければならないのか。人と人との結びつきと、それが離れること。あまりにもありふれた日常に見え隠れするミステリーは、心の痛みを強くする。苦しい余韻の中に、愛を見た気がする。

 もうひとつ書くのは、「おにぎり、ぎりぎり」。これは可笑しかった。たまらなく、くくくっと。園芸関係の出版社に勤める千春さんが、先輩の水町さんと一緒に専門家の稲村先生のフィールドへ付き添うことになり、先生の知り合いの大滝さんも加わったフィールドの後、大滝さんの家で奥様を交えて、女性陣はおにぎりをにぎる。そのおにぎりから、ささやかな謎を解くのだ。けれど、これが最もらしいものの……くっくっく。ミステリーにおける、女と男の違いを思い知ることになる。人というのは、生もの。何を起こすか、何を思うか、ときには法則なんぞ通用しない。恐るべし、おにぎり。さて、わたしのにぎるおにぎりは、どんなだったっけ。はて。

4062133660紙魚家崩壊 九つの謎
北村 薫
講談社 2006-03

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2005.05.21

覆面作家の夢の家

20041121_002 思わず絶句してしまうほどの美貌、名探偵の才を備えたミステリー作家「覆面作家」こと新妻千秋と編集者の岡部良介の名コンビが謎を解き明かす<覆面作家>シリーズの3作目。北村薫・著『覆面作家の夢の家』(角川文庫)。『覆面作家は二人いる』『覆面作家の愛の歌』に続くこの本で、シリーズ完結となっている。クリスマスに始まった物語が、再び訪れようとするクリスマスをもって終わる。愛着のある登場人物との別れは、何とも名残惜しく、さびしくなる。本を開けばいつでも会えるのだけれど。

 1話目の「覆面作家と謎の写真」では、マンボウ、思い出の写真、きな粉まみれのダイイングメッセージの3つの謎解きがある。大小さまざまな謎が、実に細やかに描かれている。中でも、海外にいたはずの人物が東京ディズニーランドの写真に写っていたという不可思議な謎が興味深かった(もちろん謎解きはできなかった…)。そこには、せつなく複雑な乙女心と恋心が隠されていて思わず胸が熱くなる。北村氏は、どうしてこうも女性の気持ちがわかるのだろうと、<円紫さんと私>シリーズはもちろんのことこの<覆面作家>シリーズでも思うのだった。

 2話目の「覆面作家、目白を呼ぶ」は、良介の目の前で起こった事故の謎解きである。毒物が混入されたと推理される缶ジュース。けれど、缶は開けられた形跡がない。ここで“残念でした。缶ジュースは関係ありませんでした”とならずに、別の角度から謎解きの重要キーポイントとなって再び登場する。何にも無駄がない。何というミステリー。何という名人技。こういうのは、とっても心地がいい。そして、“人が生きていくのも難しいけれど、人と人が生きていくのも難しいですね”という言葉がじーんと残る。

 3話目の「覆面作家の夢の家」では、ドールハウスで作られた殺人現場の趣深い謎が展開する。ドールハウスが縁で親しくなった和歌史に詳しい学者評論家から、ミステリー作家への難解な12分の1の立体ミステリーの挑戦状。矢で心臓を射貫かれた男、ダイイングメッセージ“恨”の文字。プロポーズに取れるけれど、なぜ恨みの文字なのかが妙。実に知的な謎だ。このお話の中みたいに“二人で並んで同じものの前に立つと、過ごしている時が深いものになる”なんていう関係、すごく素敵だなぁと思う。生きている時間をそうやって誰かと一緒に埋めていけたらなんて…想像、希望、日々妄想。まだ、昨日までの毒にやられているのかもしれない。

4043432038覆面作家の夢の家 (角川文庫)
北村 薫
角川書店 1999-10

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2005.03.23

覆面作家の愛の歌

20050127_030 ミステリー界にデビューした「覆面作家」の正体は可憐な美貌の持ち主である新妻千秋。豪邸であるお屋敷にひっそりと住み、天は彼女に2物どころか3つも4つも与えてしまう。1聞いて軽く100を知るほどに明晰な頭脳を持ち、鮮やかに難解な事件を解決してしまう。お屋敷では人見知りする子猫だが、外に出ると凶暴なサーベルタイガーに変身してしまう。そんな「覆面作家」シリーズの2作目が北村薫著『覆面作家の愛の歌』なのである。3つの章からなる物語。彼女の担当編集者である岡部良介とのやり取りも楽しめる。

 1話目「覆面作家のお茶会」では、名パティシエ出奔の謎に千秋と良介が挑む。特別に大きな謎ではないけれど、登場人物たちがふと立ち止まり、考えて行動しているところが何とも心地よい。これぞ、北村氏のミステリーだと唸らせるのだ。文章もひとつひとつの言葉を大切に書かれているせいなのか、暖かみがあって丁寧さを感じるのである。言葉に対する慈しみは、言葉をただの言葉には収めないで、その場限りではない作品内に広がるように考えられている気がする。計算であろうとなかろうと関係なく、あぁ、立ち止まってみよう。そして、文章の意味を考えてみよう…そんな気にさせるのである。

 2話目は「覆面作家と溶ける男」である。一見、ただ日常の謎解きを連想させるが、犯人の歪んだ思いが印象的な作品である。少年たちに血液型をたずね、ラブレターの投函を依頼する不思議なおじさんの正体をあばく。何のためにそんなことを少年たちに頼むのだろうか。しかも、晴れた日に限って。そのラブレターには、切手が貼っておらず、切手と封筒を別々に渡されているのである。奇妙な謎解き、これだけのヒントだけでわかるだろうか…?

 3話目「覆面作家の愛の歌」は、劇団内で発生した殺人事件に、本格的な推理小説の花形であるアリバイ崩しをからめたミステリーらしいお話となっている。複雑なトリック、名探偵と犯人との息づまる対決が見所である。パーティー会場で対峙する名探偵と犯人。どういう人なのかと犯人側が問えば、「タンテイだよ」と千秋は軽く返す。ここの凛とした姿が何とも格好いいのである。探偵宣言後、千秋の解明した現実離れしたトリックは、現実とは別の空間を生むことを目的とした劇団を舞台にすることで、それを無理なく作品世界に溶け込ませることが出来ている。さすが北村氏である。

 そしてそして、何よりも気になるところは、「覆面作家」のふくちゃんこと、千秋と良介の仲である。良介に対して「人生の師だよ」と賞賛する千秋に、心の中で良介がつぶやく……もっと別のものになりたい。と、こんなふうに。この淡さも北村作品ならではかもしれない。

404343202X覆面作家の愛の歌 (角川文庫)
北村 薫
角川書店 1998-05

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2005.03.16

朝霧

20050223_001 前日に続いて<円紫師匠と私>シリーズの5冊目である北村薫著『朝霧』を取り上げてみた。シリーズを順番に読んでいなくても、わかりやすくて楽しめる北村氏の文章が心地よい余韻として残る。シリーズと共に成長してきた主人公である文学部の4年生の<私>は、無事に大学を卒業し、先生の薦めでバイトをしていた文芸出版社での正式な社員となって、忙しい日々を送ることになる。3章からなる『朝霧』だが、社会人となっても登場人物が一貫性を保っているため、とても読みやすい。大学時代の友人との交流はもちろん、恩師である先生との関係、円紫師匠との不思議な距離感、職場での上司との関係、前作から関わっている田崎先生との関係などなど…主人公はとても器用に人と接していることに気づかされた。

 「山眠る」では、まだ学生。一代の才人は、実は彼らしい死を遂げた、と。高井几董(たかいきとう)という蕪村の高弟について話し、<私>が彼のことを「溢れるばかりの才能のあった人。暗いもの、危ういものを持っていた人のように思えます。」などと答える。そして、田崎先生からこんな言葉をいただく。「いいかい、君、好きになるなら、一流の人物を好きになりなさい。(中略)本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ」と。

 「走り来るもの」では、社会人3年目。仕事でのお付き合いのある女性の作った小説の結末を問う、リドル・ストーリー。結末までの道筋をある程度示しつつも決着はつけずに、読者に選択を委ねる類の小説なのだ。作者自身が結末は1つだと言い、文章から最後の2つのセンテンスが分かるはずだと言っているため、これは立派なミステリーであると言えるのだ。同じ小説も読み手によって、まったく別のものになる。でも、これには1つの答えしかない。円紫さんは見事にすんなりと答えを見つけてしまった。

 「朝霧」では、職場の先輩同士の結婚式。同じ出版社の2人である。一番下っ端の<私>は、受付を担当する。と、その結婚式にて、前作『六の宮の姫君』で隣の席で「レクイエム」を聴いた男性がスピーチをしているではないか…その時に彼が手にしていた本を密かに探していた<私>。ロッジの「素敵な仕事」をたまたま読んだら、おもしろくてたまらない。そして、他の作品をあたっていくうちに、彼が読んでいた「交換教授」と出会ったのだった。あの時、隣で本を読む人に近しいものを感じた。そして、縁があるのならもう一度会えるだろうとも思っていたのだった。しかし、それは偶然ではない裏事情があったのだ。

 また、<私>の祖父の残した日記に登場した暗号めいた漢字のつらなり。それが何を意味していたのか、果たしてどんな背景があるものなのか、その謎を探るのだった。円紫さんにヒントをもらいながらも、自分の力で答えに辿り着き、祖父の想いを知ることとなる。切ない恋心…。読書好きだった祖父。自分の孫に日記を興味深く読まれ、謎まで解いてもらえて、さぞかし嬉しいことであろうと想像する。それにしても、主人公の家族はどうやら母親と姉以外はみな読書好きな様子。家にもたくさんの本があるに違いない。羨ましいかぎりである。

 そして、主人公にも春が来たのか?来るのか?そんな予感…

4488413056朝霧 (創元推理文庫)
北村 薫
東京創元社 2004-04-09

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2005.03.15

六の宮の姫君

IMG_0015gre 芥川龍之介がなぜ短編「六の宮の姫君」を書いたのか、その意図を問うミステリーである北村薫著『六の宮の姫君』。暴力も犯罪も起きない心地よいミステリーは、<円紫師匠と私>シリーズの4冊目。シリーズを順番に読んでいなくても、わかりやすくて楽しめる北村氏の文章のセンスがさえている。シリーズと共に成長してきた主人公である文学部の4年生の<私>は、卒業論文を「芥川龍之介」にすると決めた。先生の薦めで文芸出版社でのバイトを始め、さらに奥深い文学の世界について身をもって知ることになる。文学史を読んでいるような、実際に起きた事柄をモチーフに様々な資料を当たって謎について想いにふけり、日常から作家から円紫師匠から上司から友人から、たくさんのヒントをもらいながら<私>は、一歩一歩確実に成長していく。主人公の読書の幅広さやその量と質は、ただただ尊敬するばかりで、私は少々恥ずかしくなってしまった。

 出版社でのバイトにて、田崎先生の作品のコピーすることが<私>の主な仕事である。国会図書館やどうしても手書きで書き写すしかない古い貴重な作品や新聞雑誌での連載物まで、様々である。そして、実際に田崎先生と話す機会に恵まれて、主人公は芥川龍之介についての話を聞く。誰が話しかけても、何倍にもなって答えが返ってくるような人柄だったという。百人一首の≪龍田の川の錦なりけり≫を≪芥の川の知識なりけり≫とまでいわれたとか。そして、『六の宮の姫君』の話題になったときに、≪あれは玉突きだね。……いや、というよりはキャッチボールだ≫そんな言葉をぽつりと投げ出しただけ。「今昔物語」を素材にした作品があるように、元があって新しいものが出来たという意味で言ったのだと思い浮かぶものの、あっさりそんなことは誰でも知っていることだと言われてしまう。田崎先生は「つまらんことをしゃべってしまったかな。こんな昔の、たった一言の、わけなんぞ分かる筈がないからな」と。

 夏休み、友人と共に旅行をするも、その道中はずっと「芥川龍之介」についての話だけ。しかも、着いたペンションでも本棚の文学全集がかなりの充実ぶりだったため、若い娘2人が夜長に読書となってしまう。就職活動もしないまま、運良くバイト先の出版社で内定をもらうことができた主人公は、『六の宮の姫君』のにまつわる謎に夢中である。芥川と交流の深かった菊池寛とのエピソードを文献で調べたり、菊池寛という人間について書かれた書物によって、作品の持つ裏側を探ったり…円紫さんは、芥川の手紙の内容から、様々なことをレクチャーし、主人公を唸らせる。円紫さんは<私>と同じ学部卒業のOBなのだから、文学においても他のことにおいても素晴らしいくらいに道が明るいのだ。けれど、それをさらりとこちら側がその答えを導けるように話す物だから、引き込まれてしまう。さすが、噺家である。

 人と人とは、操られるように巡り会い別れる。心の器である人間はそこで、愛し敬い嫉妬し軽蔑し絶望し悲しむ。そんな人と人との繋がりの不思議さを感じる主人公。そして、このシリーズでは、お年頃の<私>の恋愛観が書いてあることも興味深い。「空気の違いや水の違いみたいなものをね、自分と同じような方向で感じる人、そういう男の人の側にいられたらどうか。きっと、くすぐったいように嬉しいというか幸せというか、そんな気持ちになると思うのよ」なんて…乙女である。円紫さんとの会話の中では、こんな人が恋人で≪手を握らせないと教えてあげないよ≫なんてやられたら堪ったものではない…そう思いつつ、「降参です」と言い、「これで食後のお茶に誘っても大丈夫だ。付き合っていただけますね」とおっしゃる円紫さん。紳士だと思う。そして、コンサート会場にて隣に座った男性が読んでいた本が気になる主人公。≪スワロー夫人≫とか≪う、う、う、う、う≫。とページの3分の1ぐらいがそれで埋まっている奇妙な本。そして、本を読む人。「いいな」の基準を友人に笑われたが…<私>は心の通じている人とのデート気分で音楽を楽しむのだった。

 そして、私は北村薫のミステリーを誰かと楽しむように読むのだった。

4488413048六の宮の姫君 (創元推理文庫)
北村 薫
東京創元社 1999-06

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2004.12.16

覆面作家は二人いる

IMG_0079 クリスマスシーズンなので、クリスマスに関するミステリー本、北村薫著「覆面作家は二人いる」について書こうと思う。性は<覆面>名は<作家>。ミステリー界にデビューすることになる「覆面作家」は可憐な美貌の19歳の女性。本名は新妻千秋。彼女は大富豪のご令嬢で、散歩中にグランドピアノや何十万もする熱帯魚を買ってきてしまうほどの超お嬢様。自分でお金を稼いでみたかったという理由で小説を応募し、担当編集者の良介と出会うのである。

 彼女は、一聞けば軽く百を知ってしまうくらいの頭脳明晰で良介と共に難解な事件を鮮やかに解決してしまう。そんな完全無敵な千秋だが、想像を絶するくらいの秘密があった。とにかく難解な人物なのである。それは読んでのお楽しみ…というか、文庫の後ろに書いてあるけれど…良介は、双子の刑事の兄になりすましたりして、千秋と日常に潜む不可思議な謎に挑む。

 記念すべき最初の事件は「覆面作家のクリスマス」。クリスマス会をひかえた女子高の寮で起こった事件である。シンプルな謎が犯人の思いを読みとり、事件は何ともするりと見事に解決してしまう。クリスマスならではのミステリー。第2話では、千秋と良介の仲が一気に縮まる。そして、第3話で覆面作家の単行本が刊行となる。

 この覆面作家シリーズは3冊出ている。1冊目がこの「覆面作家は二人いる」そして、「覆面作家の愛の歌」「覆面作家の夢の家」と出版されている。ラブストーリーとミステリーがいい具合にぴったりしっくりきまっている。千秋の作家としての成長、気になる二人の行く末…。クリスマスで始まり、クリスマスで区切りを迎え、一応は幕を閉じたシリーズ。また続編が出るのか楽しみである。

 もうすぐ、クリスマス。あなたはどう過ごしますか…先週、父&兄の誕生日会をやってしまった我が家では、クリスマスも何もない様子である。きっと、普通の週末なのだろう。でも、そんな何気ない1日がシアワセだったりするのだろう。

4043432011覆面作家は二人いる (角川文庫)
北村 薫
角川書店 1997-11

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2004.12.12

月の砂漠をさばさばと

IMG_0020 ミステリー作家として名を知られる北村薫であるが、「月の砂漠をさばさばと」では平凡過ぎるほど平凡な生活風景を描いている。北村氏の描く「平凡な日常」は、穏やかで暖かく日が差したように読者の心を包んでいるようである。人の想いの連なりとささやかな日常の幸せが、丁寧に繊細に描かれている。

 小学3年生のさきちゃんは、お母さんと2人暮らし。お母さんは、お話を作るのが仕事である。毎晩、さきちゃんは布団の中でいろいろな話を聞かせてもらえる。友達同士のようなさきちゃんとお母さんの関係。「どんなときもあなたの味方」と言ってくれる眼差しに見守られて、毎日がゆっくりと、とても大切に楽しく過ぎてゆく。

 さきちゃんのお母さんの語る物語はどれもおもしろい。特にさそりの話が印象深かった。さそりは、いたちに追いかけられて井戸に落ちてしまう。井戸に落ちて溺れてゆくときに、さそりは思うのだ。「わたしは、こうして誰の役にも立たないまま死んで行くのでしょうか。神様、わたしは今度生まれて来る時は、自分のことだけでなく、人のために苦しむようになりたいのです」と。そして、神様はさそりを天に上げて星にしてくれたというもの。何ともロマンチックで夢のあるお話である。

 それから2人で仲良く図書館に通う様子やさきちゃんの聞き間違いがいい。くすくすくるおもしろさ。凝った間違いである。さきちゃんの連絡帳を通じて男の子と交換日記をしてしまうお母さん。登下校時の旗振りが好きなお母さん。台風の日の午前中のほのぼのとした雰囲気のお母さん。子供の理屈が見えないこと、大人の理屈が見えないことに深々と考え込んでしまうお母さん。いろんなお母さんが、とってもいい。

 やがてさきちゃんが大人になったときには、この本に描かれた出来事の多くは忘れてしまうかもしれない。でも「平凡な日常」の中にある小さな幸せの記憶はいつまでも残ってゆくだろうと思う。私もこの本のことによって、幼い頃に母がしてくれたこと、いつも支えてくれていること、誰よりもお互いを理解し合えていることなどを思い出した。

4101373272月の砂漠をさばさばと (新潮文庫)
北村 薫
新潮社 2002-06

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2004.10.27

空飛ぶ馬

 ミステリーなのにミステリーっぽくないところがいい。特別な事件が起こるわけではない北村薫のデビュー作「空飛ぶ馬」。私のお気に入りのミステリー本である。彼の作品は他にもたくさん名作があるが、私はこの本から彼の作品に触れたので、あえてこの本を選んでみた。この主人公の私と落語家の円紫さんのシリーズは、現在5冊になる。この「空飛ぶ馬」→「夜の蝉(変換できない~!正しくは、難しい漢字のやつ)」→「秋の花」→「六の宮の姫君」→最近文庫化された「朝霧」と続き、主人公も大学生から社会人へと成長している。本の厚さも丁度いいので、「ターン」や「スキップ」などで挫折しちゃった人も気軽に読めると思う。

 暴力や犯罪がなくても本格ミステリーは成立できる。そのことを北村薫作品は教えてくれたように思う。ミステリーが大・大・大好きな人には、物足りないかもしれないけれど…考えてみると、社会派ミステリーは生々しく重苦しい。ベストセラーミステリーは、少々内容が軽い。新しい本格ミステリーは、奇妙な場所が舞台だとか、探偵がちょっと変人気味な気がする。個性的とも言えるのだけれど。

 だが、北村薫のミステリーは日常の謎を扱いつつも、論理性が高い作品だと言える。普通の人は見逃してしまう隠れた謎を見出すことのできる観察者の「私」と、名探偵的な「円紫さん」のすべきことをわきまえている大人の振る舞いが、とても素敵なのだ。人物描写、文章、謎の3つ全てが完璧と言ってよいだろう。

 読み始めたら、クセになる可能性アリなので要注意の本かもしれない。主人公と共に成長していくもよし、成長した主人公から読み始めるのもよし、である。短編からなるので、本をなかなか最後まで読むことのできない人にもオススメの本。秋の夜長に、ミステリーはいかが?…というか、今夜はもう冬みたいに寒いけれど

4488413013空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
北村 薫
東京創元社 1994-03

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