68 エッセイ・詩・ノンフィクション本

2014.01.07

奇跡─ミラクル─

20120727_4001 付箋だらけにした詩集を抱えて、眠れぬまま朝を迎えた。そこには静寂があった。微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさにくらくらしながらも、私は今、ここにいた。ただここにこうして、一冊の本を抱きしめていた。そうできる喜び。そうせずにはいられぬ高鳴りが、そこにはあった。ふれそうなほど近くに、言葉はあった。小さな微笑み溢れた世界が、いつのときも一人一人に存在し続けてゆきますように。新しい朝に、そう願っていた。

 長田弘著『奇跡─ミラクル─』(みすず書房)。あとがきによれば、奇跡と題されたこの詩集は、自分を呼び止める声を書き留めて言葉にした、返答の書であるそうだ。「奇跡」といっても、滅多にない稀有な出来事のことではない。長田さんは、“存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだ”と言う。そして、“日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ”と。長田さん曰く、例えば小さな微笑みは「奇跡」であり、その微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失う。世界はそんなふうに一人一人にとって存在し、これからもそう存在してゆくだろうとも言っている。

 タイトルと同じ「奇跡─ミラクル─」という詩には、花木たちへの慈しみが溢れている。“ただにここに在るだけで、じぶんのすべてを、損なうことなく、誇ることなく、みずからみごとに生きられるということの、なんという、花の木たちの奇跡。きみはまず風景を慈しめよ。すべては、それからだ”と。ただ在る。ただここに在る。ただそこに在る。それがまさに奇跡であること。人にはない植物の佇まい。その生き方。様々なしがらみや醜さを持たない、その凛とした姿を慈しみ、学び、見習う。そう生きよ、そうあれ。あたたかなまなざしの中にある、人としての厳しさの込められた言葉に、私は圧倒されていた。正しいと思う。そして、自分はそう正しくありたいと思う。あらねばならぬと思う。真っ当な人でありたいと思う。

 この詩集に立ち込める正しさの中には、静寂と微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさがあった。それらは様々にその正しさ、物の本質を伝えてきた。私が今どうあるべきか。どう生きるべきか。どう向き合うべきか。そうして、どうありたいのか、どう生きたいのか、どう向き合いたいのか。立ち止まって、自分を呼ぶ声にそっと耳を澄ます。ただじっと耳を澄ます。私にとってのその行為が、正しいのかはわからない。けれど、耳を澄ましている間、心はやわらかに開かれている。開かれた心は、きっと澄んだ微笑を浮かべているはずだ。小さな微笑みは、奇跡のひとつ。微笑みがある世界は、きっとあたたかい。


4622077868奇跡 -ミラクル-
長田 弘
みすず書房 2013-07-06

by G-Tools

| | コメント (0)

2012.06.17

たくさんの窓から手を振る

20120517_010 言葉のつぶたちが心地よく降りしきる。降りしきる中に立ちながら、そこに佇む快楽に身を任せた。言葉のつぶは、ときに弾けてきらきら光って見せる。ときに静かに寄り添い、ときに憂いとともにしっとりしみわたる。中村梨々著『たくさんの窓から手を振る』(ふらんす堂)を読んで、わたしは言葉というもののみずみずしい煌きを久しぶりに感じた気がした。少し小ぶりな手に取りやすいサイズのこの詩集は、なんとも愛らしい佇まいをしている。どこか哀しみを帯びた後姿をしていても、少し微笑みを浮かべているような、そんなやわらかな気配とあたたかさがある表紙の絵にも惹かれるし、なんといってもタイトルの“たくさんの窓から手を振る”という言葉自体のやわらかさがやさしさに満ちていて、響きが心地よくて好きだ。

 一番はじめに収録されている「ロシア」という詩では、人と人との間に距離は関係なくなる。遠く隔てた場所にいても、閃きでひとつになれるのだ。実際には遠く離れているからこそ、近く感じられる感覚が描かれているこの詩は、幼い頃に感じられた何でもできそうな感覚、その頃の未来への絶対的な期待、怖いもの知らずでも確かなものに守られていた懐かしさのようなものまですべて、この一編の詩の中につまっている。自転車に乗ってどこまでも、どこまででも行けるような気がしていた心地、そして友達との関係がずっとずっと続いてゆくものだと信じていた頃の心地。大人になってもその想いを持ち続けることの困難さは、大人になってしまったわたしたち誰もが知っている。だからこそ、はっとさせられるほどの煌きと一緒に連ねられた言葉たちの無邪気さが、とてもまぶしく映る。

 「夜、鳥を飛ばす」という詩は、この詩集の中でも特に好きな詩だ。言葉の儚さがとてもとても美しいのだ。この詩を読み返すたびに思う。わたしたちの存在も、その思考も、その放った言葉も、なんて儚いのだろうと。どれほど言葉を連ねても、どれほど言葉を重ねても、結局は何の意味もなかったくらい跡形もなく、すべてが存在しなかったように何もなくなって、最期には無になるような哀しさと静けさを思ってしまう。この詩に語られていない部分を思って、その言葉たちの余白を思って、ただ静かに読みながら言葉が夜が横たわるのを見てしまう。そうして、その夜の静けさにはたと気づかされるのだ。“なにもない。たぶん、ばれてもなにもないくらい静か。(夜なんて)。”というおしまいの一節の美しさと潔さにくらくらする。

 嗚呼、と思う。言葉のつぶたちが心地よく降りしきるのを、わたしはため息とともにただただ見つめているだけだ。言葉たちの降りしきる中に立ちながら、そこに佇む快楽に身を任せて、その煌きと自由さに、また嗚呼と思う。わたしは時を止めるように、その言葉たちを抱きしめる。抱えられるだけ抱えて、静けさの中にただじっと佇む。そうして少し顔を上げたら、静けさの中、遠くで手を振る人が見えたような気がした。大丈夫。わたしたちも、わたしたちの言葉も、まだあたたかく、美しさを秘めている。まだ、やわらかくやさしい。だから大丈夫。しばし言い聞かせたあとで、わたしはようやくこの本を閉じる。そっと。静かに。そっと。

4781404693たくさんの窓から手を振る―中村梨々詩集
中村 梨々
ふらんす堂 2012-06

by G-Tools

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012.05.30

かみさまはいる いない?

20120528_4016jpg_effected 神様はいるのか、いないのか。その問いの答えを説明するのはとても難しい。その問いの答えは容易には見つからないし、答えはひとつではないからだ。ひとりひとり答えが違っていてもいいし、答えが見つからなくても、無限にあってもいい。そもそも、この問いには答えなどないのかもしれない。自分が信じたもの、考えたもの、それが答えになるのだろう。けれど、谷川俊太郎・文、清川あさみ・絵『かみさまはいる いない?』(クレヨンハウス)は、敢えてその問いについて今考えてみよう、という強い意志を読み手に伝えてくる。さまざまな考えを持つ人々がいる世界で、自分自身を、その生き方を、その考え方を、改めて見つめなおそうと思わせてくれる。平易だけれど強く響く哲学的な言葉と、幻想的な刺繍などによる絵の見事なコラボレーションの1冊である。

 神様はいるのか、いないのか。もしかするとその問いの答えは、自分自身の生き方や考え方がそのまま反映されるものなのかもしれない。すんなり答えられる人はぶれない自分を持つ人なのかもしれないし、答えに迷いがある人は確固たる自分自身がまだ確立できていない人なのかもしれない。もちろん、答えはひとつではないし、いろんな考え方があってもいい。神様の存在を信じる人、信じない人、たくさんの神様がいると思っている人、信じられるのは自分だけだという人もいるかもしれない。でも、この世界の成り立ちを思うとき、確かに創造主はいたのかもしれないと、どこかで思う人もいるかもしれない。わたしたちを試すような出来事が起こるたびに、自分以外の誰かにその責任をぶつけてみたくもなる人もいるだろう。きっと、いろいろでいいのだろう。

 この『かみさまはいる いない?』には、複雑な感情を抱かせる最後の一文があって、わたしはそこの部分が気になって仕方ない。読む人それぞれがその一文をどう読むかで、この本に対する感情は違ってくるのかもしれないし、日本の今の状況、世界のあり方について、それらをどう捉えているか、その考え方によっても、感じ方が違ってくる一文である気がする。著者が投げかける一文、その問題提起に、わたしはわたし自身の迷いを感じてしまった。今置かれている現状を信じたくない自分を、どこか楽観的に物事を考えている自分を、そこに見てしまった。どうにかなる、なんとかなる、どうにでもなる……そうやって何かをおざなりにしてきた自分自身を見つけてしまった。

 本当は今こそ、もっと考えるべきなのだ。もっと真剣になるべきなのだ。今を、未来を、見つめるべきなのだ。そんなことを思った。神様がいても、神様がいなくても、神様を信じていても、信じていなくても、もはやそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。今、この時に、わたしたちが、今について、未来について、考えることが大事なのだと、この本が訴えかけているようにも感じられる。この本をきっかけに、いろいろな問いについて、考える時間を、思案に暮れる時間を、ただただ考える時間を、立ち止まってたとえ僅かでも、ほんの少しでも持つことが大事なのかもしれないと思わせるのだ。この本を前にすると、わたしたちは大人でも子どもでもないのだ。わたしたちは一人の人間として、考える必要性を感じるのだ。ただ考える。今この時に、ただただ考える。それでいい。それだけでいい。そんな時があっていい。そんなふうにも思うのだ。

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)
谷川俊太郎/文 清川あさみ/絵
4861012201

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.04.15

半熟たまご 母と子の詩集

20120405_4003 母と娘、その二人の言葉が響きあって、刺激しあって、なんとも新鮮な心地よい平穏と程よい距離を感じる詩集、平岡淳子・平岡あみ著『半熟たまご 母と子の詩集』(河出書房新社)。母が子を思い、子が母を思い、母親ならではの、子どもならではの、それぞれの視点が展開され、とても面白い。添えられた写真や絵、手書き文字には二人の母と娘ならではの密な関係が感じられる。交換日記のような、対になっているような、互いに刺激を受けあいながらの短い数々の詩の中には、二人の中にあるさりげなくも確かな手触りの思いやりが感じられる。クロスステッチ風の表紙もレトロな可愛らしさでとてもあたたかな雰囲気が本から感じられる、読み手のこころをやわらかにほぐす一冊である。

 母・淳子さんのタイトルにもなっている「半熟たまご」には、“あなたを半熟たまごにゆでたいの それからさきはあなたがきめて もうしばらくわたしのもとにいてもいいし しらないせかいにおもいっきりとびだしてもいいし”(43p)と、自分なりの子育てと娘の成長と将来をこの短い詩の中で描いている。なんともやわらかく、やさしい。そんな印象が残る。そっと娘の成長を見守るあたたかさを感じる。“半熟たまご”という表現は、ある程度の年齢までは親が責任を持つけれど、その後はある程度の年齢を過ぎたら、自分で責任を持って自分で自分の生き方を選んで、逞しく生きてゆくのよ、という娘へのメッセージも伝わってくる。親になるということ、母性というものは、なんだかこの詩の短い言葉の連なりに凝縮されているように思える。

 一方、娘・あみさんの詩の感性はとても素晴らしい。たとえば「くも」では、“くもがなみになってそらをうみにしている”(44p)たとえば「さみしくなかったよ」では、“赤ちゃんのときおともだちいなかったけれどさみしくなかったよ”(62p)たとえば、「じゅぎょうさんかん」では、“ねぇマミィいっぱいごはんたべてきてね4じかんめはおなかすくからおうちではすきなときにたべられるけどがっこうはそういうことできないからね”(70p)たとえば、「ふゆ」では、“白いいきがみえるね生きてるのがわかるね”(86p)と、大人が思わずはっとするような感覚で文字を連ねる。独特の視点で考え、感じ、母を思いやり、気づいた言葉を、そのまま飾らない言葉で表現している。無垢でありながら、深みのある、絶妙な言葉のバランス感覚を持ちあわせているのだ。まっすぐ読み手のこころに届く言葉が広がっている。

 どこまでも素直な視点と思いやり、言葉のセンス。まだ曇りのない目で見る世界には、どんなふうに映るのか。もしかすると、子ども時代は誰しもあみさんのようなまなざしで世界を誰かを何かを思い、見つめていたのか。それとも、これはあみさんならではの天性のものなのか。母・淳子さんの詩も素晴らしいが、あみさんの詩にひたすら魅了される一冊である。人は成長するに従って、さまざまなことを経験する。さまざまに考える、さまざまに感じる、少しずつ汚れも知る。そして、多少なりとも歪んだ感情が芽生えたりもする。いつまでも純真無垢ではいられない。だからこそ、あみさんの言葉の素朴な美しさにはっとするのだろう。忘れていた思いを見出すのだろう。わたしは大人になってしまった……。まだまだ未熟者な我が身ながら、そんなことをはっとこの一冊を読んで気づかされたのだった。

4309014755半熟たまご―母と子の詩集
平岡 淳子 平岡 あみ
河出書房新社 2002-06

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.03.13

詩の樹の下で

20120313_4014 たとえば木々を思うとき、たとえば空を思うとき、人がちっぽけな小さな存在であるということを、わたしたちは痛感する。祈りが届かないような現実を知った後では、なおさらのことだ。一日が穏やかに過ぎようとしていること、ただそのことをありがたいと思う。あたりまえのことに感謝しつつ、明日以降も穏やかな日が続きますように。そう祈りながら目を閉じる。祈りがたとえ届かなくても、いっそう強く、強く祈る。祈り続ける。同時に、ときどき祈りが届かないことに虚しさを覚える。けれど、祈るほかないときもあることをどこかでわたしたちは気づいている。一人の力は小さい。だからこそ、わたしはまだどこかでまだ祈りが届くことを信じたいのだろうということも。たぶん、3月11日を迎えた後は特別に強く、強く。

 長田弘著『詩の樹の下で』(みすず書房)は、福島出身である詩人の著者の近作39篇からなるFUKUSHIMA REQUIEMという意味合いの強い散文詩集である。3・11を迎える日に読みたいと、この本が出たときに思っていた。あとがきによれば、「復興」の復の字には、死者の霊をよびかえすという意味があり、興の字にも、地霊を興すという意味があるそうだ。復興とは、まさに祈りのような言葉だったのだと、この本によって言葉の成り立ちを今更ながらに知った。故郷や絵画の中に描かれる木々たちに寄り添いながら、祈るように紡がれた言葉たちの中には、たくさんの心打つ言葉たちがある。木と人生を重ね合わせる言葉はとても深く、付箋を貼りまくって読んだけれど、わたしの中での一番の言葉は、“何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある。「静かな木」より”という箇所だった。

 木々の静けさを思うとき、わたしたちは饒舌すぎる。ちっぽけな存在のくせに、何もわかっていないくせに、目の前で起きている感情に揺り動かされて、あれこれ語り過ぎる。ときにはじっと黙って、大切なことをゆっくりいとおしく手繰り寄せて考え、心の中で思う。そんな時間があってもいいのだ、とはっとさせられる。多くの情報が飛び交う中、何を信じ、何を感じ、何を考えるのか。その問いの答えは、人それぞれ違ってもいい。けれど、じっと黙って耐えることも、ときには必要な気がしている。自分が小さき者であることを自覚して、身の丈にあった発言をする、行動をする、それが求められているような気がしている。さまざまに木に寄り添い、この散文詩集を思うとき、自分の頭の上からはじまるという空のこともまた、わたしは思い出すだろう。空はどこまでも広いのだ。

 この『詩の樹の下で』に登場する樹の多くは、著者の幼少の記憶の中の木々である。その記憶の中の風景や木々が、美しいままいつまでもあるはずだった。記憶の中の一本一本の木に寄り添う静かで穏やかな言葉たちは、震災で生死を分けた人間一人一人をそっと包み込むあたたかさに満ちている。“死の知らせは、ふしぎな働きをする。それは悲しみでなく、むしろ、その人についての、忘れていた、わずかな些細な印象をあざやかに生きかえらせる。懐かしい誰彼の死を知ったら、街のそこここにある好きな大きな木の、一本を選んで、木に死者の名をつける。ときどき、その木の前で立ちどまる。そして、考える。あくせく一生をかけて、人は一本の木におよばない時間しか生きないのだと。「懐かしい死者の木」より”それでも深く懸命に生きたい、そんなふうに思った。

4622076659詩の樹の下で
長田 弘
みすず書房 2011-12-03

by G-Tools

| | コメント (0)

2012.02.22

本屋さんに行きたい

Ksduhfkdjhfo 街の本屋さんは次々と姿を消してゆく時代にあって、今書店業界は大変な様子。わたしの住む町にも今、一軒も本屋はない。合併したものの図書館すらない町なので、田舎の町というだけなのかもしれないが、本好きにとってはこういう状況下にある限り、インターネット書店に頼らざるを得ない。お隣のお隣の大きな街まで行っても、まともな品揃えの本屋はないから、本好きには寂しい限りの時代になってしまったのかもしれない。そんな中、小さいながらもこだわりを持ち、個性的なユニークな15の新刊書店、古書店、ブックカフェを紹介した本を読んだ。矢部智子著『本屋さんに行きたい』(アスペクト)である。ページをめくるほどに、本好きにはたまらぬ夢のような本屋が並んでいる。

 世の中に溢れるたくさんの本の中から、自分たちのよいと思う本だけを選び抜いて、自分たちの思い描くとおりに本棚に並べ、特色あるディスプレイにし、店構えもふつうの本屋とはどこか違う佇まい。本のつくり手と読み手がつながるような、サロンのような、ギャラリーのような、くつろげるカフェのような、書店という枠にとどまらない自由な空間をつくり出している。本は買うものでも、読むものでもあるけれど、それ以上に楽しむものだということを教えてくれるような空間が広がっているのだ。この本に紹介されている本屋さんへ行けば、読書を楽しむ幅が今の何十倍も広がって、本との本当の意味での付き合い方を学べるのではないか、という気持ちにすらなってくるほどである。

 そこへ行くだけで、そこに佇むだけで、もうそれだけで、読み手は本の虜になる。その場所へ行ってみよう、という好奇心もふつふつとわいてくる。品揃えの多さでいったら、もちろんインターネット書店にはかなわないだろう。けれど、実際に手に取り、手触りを確かめ、はっとするような新しい出会いをする。そんな運命が待っているような気がしてならない。その本屋さんを訪ねるために、旅をしたくなるような気さえしてくるのだ。訪れた人が新しい作家や本を知るための、ささやかなきっかけをつくる手助けをしたいという、控えめながら強い気持ちを感じる。そんな静かに熱い本屋さんばかりである。そこを訪れる価値が確かなものとして心の奥深くに残るような、そんな本屋さんばかりだ。

 「人がつながる本屋さん」、「空間を楽しむ本屋さん」、「あたらしい古本屋さん」、「街と生きる本屋さん」、「もっと!本屋さん」という5章からなり、そのほかコラムとして本屋さんではないけれど、さまざまなかたちで本を楽しめる場所も紹介している。千代田線根津駅根津メトロ文庫や日本科学未来館、目黒シネマ、キッズデザインライブラリーなど、どれもそれぞれにユニークな試みをしていることがわかる。本のある暮らしを送るために、本のある休日を過ごすために、本のある日常を見出すために、大型書店やインターネット書店では味わえない思いを満たすために、本屋さんへ行こう。本屋さんへ足を運ぼう。そういう気持ちを奮い立たせてくれる魅力溢れるガイドブックとなっている。

475721670X本屋さんに行きたい
矢部 智子
アスペクト 2009-04-27

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.14

ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶

20090529_052jpg_effected 大人になりきれなくてもいいじゃないか。いつまでも子どもでいたっていいじゃないか。子どものままの視線で、わたしなりの視線でさまざまなものを見て、感じて、思って、考える。背伸びする必要などどこにもない。ありのままの自分で、ありのままの感性で、物事を見つめる。ただそれだけでいい。そうして自然と見えてきたもの、浮かんだものは、わたし自身の何よりも強みになる。そんなことを思わせてくれる、20世紀フランスの最大の詩人ジャック・プレヴェールの言葉たち。高畑勲編・訳、奈良美智絵による『ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶』(ぴあ)は、21世紀になっても世界中で読み継がれているプレヴェールの詩と奈良美智の絵が不思議に響きあう、魅力的な一冊である。

 表題にもなっているとおり、プレヴェールの詩には鳥が多く登場する。自由を求めて、大空を飛び廻る鳥のごとく生きられたら…そんなプレヴェールの思いを強く意識させられるぴったりの表題だと思う。ときには残酷なまでに真実を伝え、ときにはユーモアを込めて言葉遊びを楽しむ。そして、率直に伝えたいことを語り出す。そんな詩やお話の数々を収録。「灯台守は鳥たちを愛しすぎる」では、どんなふうにしても幾千羽もの鳥たちが死んでしまう。火に向かって飛ぶ鳥たちをどうにかしようと、さまざまな犠牲を覚悟で灯台のあかりをみんな消してしまう。けれど、幾千羽もの鳥を乗せた貨物船が難破することになってしまうのだ。救う命あれば、救われない命がどこかに必ずあることに愕然となる。

 「花屋にて」では、ある男が花を買う。男がポケットからお金を探ると同時に、急に心臓に手を当てて倒れてしまう。男が倒れると同時に床に転がるお金と、落ちる花束。花屋の女は立ちつくして、為すすべもなく、ただ死んだ男とだめになった花束と転がり続けるお金のことを見つめている。どこから手をつけるべきなのかわからずに。これは、リアルな感情を伝える詩だと思う。こういう時、すばやく行動できる人こそ人生経験を積んだ大人なのかもしれないが、ただただ立ちつくす花屋の女は正直だ。真実味がある。もはや救えない命が目の前にあること。そこには、自分の無力さや弱さ、儚い人間の命と花の命が一瞬にして浮かび上がる。そして、同時に自分が今ここに生きている、ということも。

 戦争の悲しさを綴る「家庭的」。母親は編物をする。父親は事業をする。当然のこととして息子は戦争をする。何の疑いもなしに命が続くと思っている家庭の光景。戦争が終わったら、父親の事業を自分もするだろうと思っている。けれど、母親が編物を続けるように、父親が事業を続けるように、戦争も続き、息子は戦死してしまう。彼の命は続かない。そしてやがて、墓地のある暮らしが当然のことになる。悲しいかな、母親と父親の暮らしは続いてゆくから。簡素な言葉で紡がれた言葉に、強く重くのしかかる。皮肉ったようなタイトルも、すべてがわたしたちのすぐ目の前にある、現実を照らし出す。目を背けたくなるようなことも。あますところなく伝える。プレヴェールは鋭い観察者だと思う。

4835616359ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶
奈良 美智 Jacques Pr´evert 高畑 勲
ぴあ 2006-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.07.11

ミヒャエル・ゾーヴァの仕事

20090617_016 “仕事が仕事を呼び、人が人につながり、新たな扉を開く。そう考えてみると、僕にとって仕事は、あるいは人生の縮図そのものなのかもしれない”そんな序章からはじまる、ミヒャエル・ゾーヴァ画・文『ミヒャエル・ゾーヴァの仕事』(講談社)。出版、広告、ポストカード、映像、舞台…様々な領域で活躍する、現代ドイツを代表する画家が日本の読者のために再び語りおろしたという、ゾーヴァのこれまでの仕事のすべてがわかる一冊である。「出版」「広告とポストカード」「舞台と映画」「モチーフ」「風刺」の5章からなる語りと画は、ゾーヴァのファンならば、たまらなくなるに違いない。猫好きのわたしは、序章のあとに、ぎゅっと猫を抱きしめているゾーヴァを見ただけで、思わずくらくらとした。

 遅ればせながら最近になって知った画家、ミヒャエル・ゾーヴァ。たまたま図書館で『ちいさなちいさな王様』という本と出会って、その挿画に惹きつけられたのがきっかけだ。想像力をかき立てるストーリーを感じさせる画と、風刺や洒落の効いた画風は、ぱっと目を惹き、挿画といえども言葉よりも何かを物語る力を持っているように感じられた。そんなゾーヴァの仕事について語られた本ということで手にした今回の一冊。ゾーヴァの仕事だけでなく、私生活にもふれられていて、一ファンとしてはその素顔をほんの少し垣間見られた気がしてとても嬉しい。公私共に長きにわたって相棒だったという、亡きミヒャエル・エッターに捧げられたためか、彼とのエピソードには熱がこもって語られている。

 何といっても、贅沢なまでに画が載っているかと思えば、その画が既に世に出た後だというのに、上塗りしてしまっているというところが、ゾーヴァの作品への強いこだわりを感じる点である。上塗り中の画を一緒に載せているあたりが、ファンサービスというのだろうか。普段お目にかかれない創作の現場を見せられた気がして、たまらなくなる。また、仕事が軌道に乗るまでの日々を綴ったところでは、今は亡き相棒ミヒャエル・エッターとの強い絆を感じてほろりときた。様々な仕事をする上での葛藤、困惑、喜びなどなど、画家としての自分のあり方のようなものに、一時期は悩んだのだろう。“僕はずっと画家だったし、これからも画家であり続けるだろう…”という言葉の裏には、強い決意を感じる。

 また、オペラ「魔笛」の美術監修や映画「アメリ」の画や小道具など、世界を広げていったゾーヴァ。その裏話を読んでみると、興行的に成功した作品に携わったのにも関わらず、契約をきちんとしていなかったために、あまり懐はあたたまらなかった様子。そんなぼやきも含めて、自分の作品についてのこだわりや性格というものを、率直に語る感じからは、画家としての人生をすごく楽しんでやっているのだなということが、まず一番に伝わってくる。画家という職業はまさに彼の天職であり、一生涯、いや、生まれ変わってもきっと彼は画家として生きてゆくのではないだろうか…と、読み手に思わせる。でも、あまりにこだわり過ぎて、締め切りを守らないのだけはどうにかしましょう、ゾーヴァさん。

4062154234ミヒャエル・ゾーヴァの仕事
ミヒャエル・ゾーヴァ 木本 栄 那須田 淳
講談社 2009-04-25

by G-Tools

 ≪ミヒャエル・ゾーヴァの本に関する過去記事≫
 ・『ちいさなちいさな王様』(2009-06-08)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2009.06.23

トロムソコラージュ

20090617_026 魂のある言葉たち。そんなフレーズがよく似合う。限りある言葉の限界ぎりぎりまでたどって、するりと吐き出すように語り出す物語性のある独特の長編詩は、自由自在に変化する。ときにはジャズのアドリブのように。ときにはユーモア溢れるルポタージュ風に。ときには場面がめまぐるしく変化するひとつの映画のように。谷川俊太郎著『トロムソコラージュ』(新潮社)は、そんな一冊である。詩が物語と出会うとき、化学反応のように広がってゆく世界は、死生という重たいテーマを扱っていながらも、軽やかな明るさがある。死というものを見つめる先にあるものは、決して暗いものばかりじゃないことをそっと教えてくれているかのように。魂ある言葉たちはわたしたち読み手に語りかける。

 ノルウェーのトロムソ。ここで書かれたという表題作の「トロムソコラージュ」。“私は立ち止まらないよ”という印象的なフレーズが繰り返し出てくる詩である。さまざまな思いがコラージュのように混ざり合い、わいてくる。「問う男」では、いきなり見知らぬ男が部屋に入ってくるところから始まる不思議な詩だ。問いかけることでしか言葉を発しない男。そして、それに対して動揺する語り手。そのずれたような掛け合いが面白い。そして、さっと非現実から現実に引き戻される展開がユニークである。「絵七日」は、いつのまにか過ぎてゆく日々を言葉で埋め尽くしたような詩。何が起こっても、何をしても、日は過ぎてゆく。絵を描くように紡がれた言葉たちがここにはあって、思わずはっとする。

 一番印象的だった「臨死船」。この詩は一番強く死を見つめている。いつのまにかあの世行きの船に乗っていた語り手の、臨死体験といったらよいだろうか。あの世へ行くのは意外にも大変なことのようで、三途の川も予想以上の大きさ。迷彩服の男たちが船に乗り込んできたり、上空で元人間の鳥たちが飛んでいたりする。ふと生と死の狭間でゆれる語り手は、死んだのに死んだような気がしなくて、生きていたときの延長のように死を感じている。まさにこれは臨死の実況中継である。臨場感溢れる言葉たちは、どこかひやっとするほどに死を冷静に受け止めていて、自分の死というものをかつても考えたことのある者のように感じられた。そうでなくちゃ、きっとこんなにも静かに死を見つめられない。

 そう、ここに描かれているのは、死を見つめ続けてきた者の、好奇心の塊のような感じがするのだ。死というものは一体どんなものかしら…まるで恋に恋するように、好奇心が優先されているような心地。死というものを迎えることを楽しみに待つ心地。それはきっと、歳をある程度重ねたからこその、境地だろう。魂のある言葉たち。そんな言葉が紡げるのは、とことんまで言葉と向き合ったからに違いない。限りある言葉。けれど、無限に広がりを見せる言葉。言葉の限界を知る者は、きっと言葉を慈しむことを知っている。魂ある言葉たちはわたしたち読み手に語りかけるのだった。そっと。ひそやかに。けれど、確かな手触りで。力強く。この他に「この織物」「詩人の墓」などを収録している。

4104018058トロムソコラージュ
谷川 俊太郎
新潮社 2009-05

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.17

世界はうつくしいと

20090617_034 ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉たちがずらりと並ぶ。言葉たちはわたしの胸元にすとんとおさまりよく座って手招きする。おいでおいで、こっちにはもっと違う世界が広がっているよ、と。おいでおいで、あっちではもっと違う音楽が聴こえてくるよ、と。そうして誘われるままにふらふらとさまよい込んだら、声高にこんなことを敢えて言ってしまいたくなる。“言葉はこんなにもうつくしい”と。長田弘著『世界はうつくしいと』(みすず書房)という詩集を手にして言葉の深みを耽読したわたしは、そんなことを思った。確かな意味と深みを持ち、心の芯の奥の奥まで届いて響く。読むことが惜しいから、丁寧に一語一語をたどりたくなる。愛おしさの集合体のような一冊である。

 「世界はうつくしいと」では、ためらわずにうつくしいものをうつくしいと言わなくなった貧しいわたしたちに呼びかける。“うつくしいものをうつくしいと言おう”と。例えば、風の匂い、午後の雲の影、遠くの山並みの静けさ、きらめく川辺の光、大きな樹のある街の通り、なにげない挨拶…いずれもわたしたちの周囲にある身近なものばかりである。そして“さらりと老いてゆく人”へとつながってゆく。わたしたちの誰もが老いゆくことから目を背けることはできない。また、報道されるニュースばかりがわたしたちの歴史ではないとも言う。わたしたちに価値あるものは、ささやかだけれど鮮やかな日常なのだ。最期にはすべて塵にかえるのだから、“世界はうつくしい”と言わずには、死ねないのだ。

 「大丈夫、とスピノザは言う」では、スピノザについて書かれた本に思いをめぐらせる。スピノザは言う、“大事なのは、空の下に在るというひらかれた感覚なのではないか”と。今ここに小さな存在として在るということ。わたしが在るということ。そして星を数える。無くしたものを数える。けれどスピノザは言うのだ、“大丈夫、失うものは何もない”と。守るものなどはじめから何もないのだと。ひらかれた感覚の中に在るわたしたちは、もっと自由でいい。もっと解き放たれていい。小さなわたしたちは、小さな存在として、ただここに在ればいい。スピノザを知らないわたしは、身勝手にもそう解釈する。そして、詩人に空を見上げさせた哲学を、その思想をほんの少し知りたいと思ってしまうのだった。

 「こういう人がいた」では、今はいない誰でもない人について言葉を紡ぐ。見つめるべきものを知っていて、話すべきことだけを話し、言葉は認識であると伝えた人。そして、言葉は感情ではなく態度であることも伝えた人。沈黙というひとつの態度から、多くのことを伝えた人。ただそこにいるだけで。それだけでいいと言われるような人。そんな人にわたしもなってみたいと思う。けれど思う。それには経験も知識も知恵も…何もかもが足りていないと。易しく、ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉が紡げるようになるまで、まだまだ修行が足りないと思う。あっちこっちへふらふらしながらも思うことはひとつ、言葉は奥が深いものであるということ。そしてうつくしいということ。

4622074664世界はうつくしいと
長田 弘
みすず書房 2009-04-24

by G-Tools

 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)
  ・『幸いなるかな本を読む人』(2008-12-10)
  ・『ねこに未来はない』(2009-04-24)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

01 安房直子の本 | 01 雨宮処凛の本 | 02 池澤夏樹の本 | 03 いしいしんじの本 | 03 石井睦美の本 | 03 絲山秋子の本 | 04 井上荒野の本 | 04 稲葉真弓の本 | 05 岩阪恵子の本 | 06 魚住陽子の本 | 07 江國香織の本 | 08 大島真寿美の本 | 09 小川洋子の本 | 09 長田弘の本 | 10 荻原浩の本 | 11 尾崎翠の本 | 12 恩田陸の本 | 13 角田光代の本 | 13 鹿島田真希の本 | 14 金井美恵子の本 | 14 金原ひとみの本 | 15 川上弘美の本 | 15 川端康成の本 | 16 北村薫の本 | 17 桐野夏生の本 | 18 久坂葉子の本 | 18 倉橋由美子の本 | 19 栗田有起の本 | 20 黒川創の本 | 21 小池昌代の本 | 22 河野多恵子の本 | 23 桜庭一樹の本 | 23 酒井駒子の本 | 24 佐藤亜有子の本 | 24 佐藤友哉の本 | 25 佐野洋子の本 | 26 重松清の本 | 27 澁澤龍彦の本 | 28 島田雅彦の本 | 29 島本理生の本 | 30 清水博子の本 | 31 庄野潤三の本 | 31 朱川湊人の本 | 31 笙野頼子の本 | 32 瀬尾まいこの本 | 33 嶽本野ばらの本 | 34 太宰治の本 | 35 田辺聖子の本 | 35 谷崎潤一郎の本 | 36 多和田葉子の本 | 36 津村記久子の本 | 37 中島たい子の本 | 37 中島京子の本 | 38 中島らもの本 | 39 長野まゆみの本 | 40 中原昌也の本 | 40 夏目漱石の本 | 41 中山可穂の本 | 41 中村文則の本 | 41 楡井亜木子の本 | 42 蜂飼耳の本 | 42 長谷川純子の本 | 43 服部まゆみの本 | 44 平田俊子の本 | 44 東直子の本 | 45 古川日出男の本 | 45 福永武彦の本 | 46 星野智幸の本 | 47 堀江敏幸の本 | 48 前川麻子の本 | 48 町田康の本 | 49 三浦しをんの本 | 50 皆川博子の本 | 51 村上春樹の本 | 52 本谷有希子の本 | 53 森絵都の本 | 54 山田詠美の本 | 54 湯本香樹実の本 | 54 矢川澄子の本 | 55 吉田篤弘の本 | 56 吉本ばななの本 | 57 吉行淳之介の本 | 58 海外作家の本(アメリカ) | 59 海外作家の本(イギリス) | 60 海外作家の本(フランス) | 61 海外作家の本(イタリア) | 62 海外作家の本(ドイツ) | 63 海外作家の本(ロシア) | 64 海外作家の本(その他&分類不可) | 65 新潮クレスト・ブックス | 66 Modern&Classicシリーズ | 67 白水Uブックス | 68 エッセイ・詩・ノンフィクション本 | 69 アート・絵本 | 70 漫画本 | 71 猫の本 | 72 犬の本 | 73 心理学・精神医学関連の本 | 74 その他の本 | ウェブログ・ココログ関連 | 日記・コラム・つぶやき | 書籍・雑誌