28 島田雅彦の本

2007.12.23

佳人の奇遇

20071204_5039 人の数だけ物語が生まれて。そうしてそこには、奇跡が集う。いくつも、いくつもの。一夜にしてゆらめき、煌めきを見せる奇跡は、わたしたちをそっと導いては、その瞬間をひどく愛おしいものに感じさせる。どんな奇跡であれ。どんな愛おしさであれ。島田雅彦著『佳人の奇遇』(講談社)は、ある日のコンサートホールに集う人々の、恋や人間模様を描いた作品である。オペラ「ドン・ジョバンニ」の展開と様々に絡まり合い交じり合う人々の様子は、滑稽ながら真剣そのものであり、コンサートの一夜に懸ける思いの強さに、思わずじんとなる。また、著者独特の皮肉たっぷりの毒気も端々に感じられ、一ファンとしては満足の一冊となっている。

 極度のあがり症でわがまま放題なテノール歌手の辻アンドレ、元ホステスでアンドレの即席マネージャーのまどか、現代のドン・ファンとも言うべきプレイボーイの指揮者であるマエストロ、出勤途中に初恋の人を見かけてまわりくどい作戦に身を投じる春香、春香の恋に振り回される“彼女いない歴”の長い非常勤講師の太田、42歳にして路上生活デビューを果たそうとしている植島、長男の嫁にひそやかな恋心を抱いている龍野…などなど、様々な登場人物の織りなす物語が、一夜にして変化する。それぞれにとっての奇跡として。そして、「ドン・ジョバンニ」の盛り上がりと共に物語は急速な展開を見せ、面白いほどに読み手のこころを鷲掴みにするのだ。

 この物語に描かれる奇跡は、どんなかたちの奇跡であれ、一応はハッピーエンドなるものだ。わかりやすいものから、あまりにも淡く儚いものまで。それはある種の救いであり、ほんのりとした愛おしさのようなものだったりする。ある者にとっては命懸けの。ある者にとっては一生ものの。そんな一夜に起こった奇跡の数々は、それぞれの胸にいつまでも秘められ、この先も思い出されるに違いない。その一夜に懸けた分だけ、鮮明に。ぬくもりに満ちて。思いを遂げた者だけに訪れる、奇跡として。どんな奇跡であれ。どんなかたちの奇跡であれ。きっと誰にも一度は訪れる。そう信じてみるのも悪くない。信じなければ何も起こらず、始まりもしないのだから。

4062140055佳人の奇遇
島田 雅彦
講談社 2007-10-30

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2006.08.03

エリコ

20051026_4444026 森。それも、この世とあの世の間にある、誰にも近づくことのできぬ深い森。その閉ざされた世界で、祖父によってコトバを学び、ココロを授けられた少女。島田雅彦文・絵による『エリコ』(インデックス・コミュニケーションズ)は、そんな少女の物語だ。少女は祖父亡き後、本当の悲しみや本当の喜びを知るために、父を求めて旅をする。知らなかった世界を知り、ときに誰かを傷つけ、傷つきながら。少女は呼ばれている。どこかにいるはずの父親に。だから、旅を続ける。いや、続けなければならない。続けずにはいられない。物語は、世界のなりたち。聖書で云うところの、創世記を思わせる展開だ(わたしは無神論者だけれども)。はじめにコトバを学んだ。次にココロを得た。そして、“旅に出よ”と命じられた…というように。

 少女の旅路は、あまりにも苛酷だ。コトバとココロ。それだけでは、この世界では生きられない。何かを得るためには、何かを与えねばならない。誰かに愛されたならば、誰かに憎まれなければならない。少女は惜しみなく与えつつ、苦しみながら成長する。かつて学んだ祖父の教えを守って。“コトバは相手を傷つけたり、滅ぼしたりする。コトバを使うときは必ず自分のココロを預けなさい。コトバで相手を傷つけたら、おまえのココロが痛みを感じる。コトバで相手を滅ぼしたなら、おまえのココロが滅びる。ココロを惜しみなく差し出せば、相手はおまえを信じるばかりか、おまえを愛し、自分のココロもおまえに預けようとする”という教えを、胸にしっかりと刻んで。

 父親を捜す術は、ダチョウの卵の殻のネックレス。ひとつきり。腕のいい職人であった父親は、愛する妻を助けるべくして、禁断の砂鉄から刀を作った。そして、神々に命じられるままに次々と彫像などを作った。すべては妻のために。けれど、神々はその手から作られる品々に魅せられ、妻を返してくれなかった。やがてその手は悪魔の手になり、その手から作られた品々は、大きな争いを呼んでしまうことになる。神々と人間との醜い欲望の戦争である。少女は出会う人々から、少しずつ父親について知ってゆく。少女は厳しく悲しい事実を受け止めながら、様々な悲劇を経験し、それでも旅を続けるのだ。少女をそう掻き立てるものは何だろうか。抑制の効いた文章が、不思議と心を痛くする。

 この物語は短い。だが、重ねられた年月は果てしなく長い。なにしろ、何億年にも及ぶのだから。少女はずっと呼ばれ続けていた。父親と思しき声に。少女の支えは、祖父に教えられたコトバとココロ。そして、父親の作ったネックレス。何よりも、どこかから響く、父親の声だったのだろうか。人間の生は長いようで短い。まるで、この物語そのもののようだ。また、儚く散り散りになっても、確かに繋がっているもの。それを思わずにはいられない。たったひとつきりでもいい。そういうものを手にしたのならば、ほんの少しでも触れたのなら、手放してはならない。思い続けねばならない。目を背けずに、いとおしく抱きしめるべきだ。願いが叶うまで、ずっと。いつまでも、ぎゅっと。大切に胸に抱えて。

4757303831エリコ
島田 雅彦
インデックスコミュニケーションズ 2006-05

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2006.06.09

一度死んでみますか? 漫談・メメントモリ

20060605_44006 “メメントモリ”死を忘れるな。わたしたちの本能や良識は、いつのまにか壊れゆく。個人差はあれども、常に身近なところに死が潜んでいることなんぞ、あまりに遠く曖昧にぼかされているように思える。“メメントモリ”死を忘れるな。その言葉を基調として、愉快にも真摯に語り伝えてくれるのが、島田雅彦/しりあがり寿著『一度死んでみますか? 漫談・メメントモリ』(PHP新書)である。実力派作家でわたしの大好きな島田氏の博識さと、人気漫画家である、しりあがり氏のなんともシュールな世界観。この2人の組み合わせと一瞬ぞくっとするこのタイトルに惹かれれば、もうすっかりはまってしまう。生きること、老いること、いずれは死ぬこと。それらを愉しむことのできる1冊である。

 おぉ、なるほど。この本を手にした人は皆、そう云うだろう。いや、云うに決まっている。40代のオヤジたちの言葉は、どれもこれもが頷けるのだから(20代のわたしまでも)。死の話が思わぬ方向へと進みつつも、鋭い矢を忘れない2人。寺山修司の言葉“ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかかって完全な死体となるのである”を用いて、死の重みを問う。寿命が延びたとて、青春が長くなるわけもなく、老人でいる期間が多くなるだけ。思えばそこに、希望などはない。人は生まれたときからずっと、じっと死にゆく。人の営みそのものは、死のためにあるのか。死に近づきたくなる者がいるのはなぜなのか…語りのテーマは実に重い。なのに、可笑しさ満載な2人のコンビネーションがいい。

 先に出た“人の営み”というもの。それは、たいがいにおいて退屈なものである。死にたがる人たちがいる一方で、生きようとする人たちがいる。したたかに。しぶとく。根を張りめぐらせて。健康番組が多いことしかり、流行りのダイエット方法しかり。体にいいこと。即ち、もがき足掻く退屈な営み。それをやりたがる人たちが、世の中にはいるのだ。そして、わたしのように、“さっさと死にたいけれど、生かされてしまっているから、夏に向けてダイエットをしなくっちゃいけないしぃ…”なんていう人種も多い気がする。なんという都合の良さ。人生に対する甘さ。その精神の気怠さは、生きづらい者の典型とも云えるのかもしれない。重みの比重が知らぬまに狂い、バランスを欠いた人たちがいっぱいなのだ。

 この本の中で語られている話題で一番心惹かれたのは、“机上旅行”なるもの。旅が好きで世界中をかけめぐる人々は多いが、期待を膨らませ過ぎたあまりに、実際には大した感動もなかった、なんていうことがある。その点、“机上旅行”ならば、ガイドブック片手に期待だけを抱えたまま旅することができるのだとか。それから、もう1つ。伝統ある地震国としての日本の在り方について語られた部分も印象的だ。島田氏としりあがり氏がそこで話題にするのは、トイレ問題と備蓄用食糧問題。実際に、これはかなり現実的な問題である。被災者の心のケアも大事だけれど、本当に必要なのは不幸の中で見つける楽しみのノウハウじゃないか、なんてことまで語られる。嗚呼、愉快。でも大真面目に思う。生きる術を学ぼう。いや、もっと学ぶべきだと。

4569647278一度死んでみますか?―漫談・メメントモリ (PHP新書)
島田 雅彦
PHP研究所 2006-01

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2005.09.18

退廃姉妹

20050830_122 戦後60年。日本が抱える歴史の闇と女の闇について描かれた、島田雅彦・著『退廃姉妹』(文藝春秋)。妙ないきさつから、戦犯として逮捕された父の莫大な借金と共に戦後社会に投げ出された姉妹。春の菜の花を売ることが売春だと思っていた妹は、ナイロンストッキングと引き換えに処女を奪われ、焼け残った家で米兵相手に身を売る。特攻隊に入った男性の面影を胸に抱き続ける姉は、宿の女将として妹らを支える。そして、姉妹は落ちるところまで落ち、恋や死に溺れる。それぞれの戦後を自分たちなりに強く、しぶとく、自由に生きる。ただ時代に翻弄されているのではない、女の底力のようなもの、矜持を強く思う物語である。

 “東京はアメリカ人に占領されたけど、あたいたちはアメリカ人の心と財布を占領するんだ”そんな思いを胸に秘め、派手な服装と化粧で身を飾り、米兵の腕にぶらさがって歩いていた女たちの存在について語られるのを、私はあまり知らない。1945年当時の日本政府が、占領軍向きの慰安施設を作った事実についても、知る術がなかったくらいに。体以上に傷ついたであろう心の痛みに対して、口を閉ざして沈黙を守らざるを得ない女たちの生き様を思うとき、ふつふつと熱いものが込み上げる。言葉にならないその気持ちは、生ぬるく今を過ごす自分への怒りに少し似ている。

 私の中で一番印象的だったのは、“ヒトは誰かのために泣いたり、笑ったり、働いたりせずには、生きてはいけない”という言葉。誰もが持っているはずのヒトの習性。物語では、友人を思い、恋人を偲び、漠然とではあるが日本人のためと信じながら戦っていた男の心情の内にある、生き残ってしまったことへの絶望。それと共に、同じように漠然と男の面影を頼って、空襲を生き延び、飢えを凌ぎ、敗戦の虚脱に耐えてきた女の目覚めが描かれている。屈辱も憎しみも和らげてくれる、そんな習性を持つヒトであることへの誇り、喜び、実感…私は特に意識せずにこれまで来てしまった気がしてドキリとした。

 島田雅彦氏の物語を読むとき、いつも感じる“毒”。今回の毒は、ほんのりとじわじわくるものだった。適度な甘味と苦味がそっと絡まり合って、静かにゆっくりと体の奥まで広がるような、そんな感じ。メロドラマ的な展開を見せながら、皮肉るような自虐的な語り。あちこちに散りばめられたデカダンスの色。あからさまな毒もいいけれど、こういう毒気も、私はかなり好きである。次はどんな毒を感じさせてくれるか、そういう期待を抱かせてくれる著者の作品。だから読むのがやめられない。いや、やめるもんか。たとえ裏切られちゃってもね。

4163241701退廃姉妹
島田 雅彦
文藝春秋 2005-08-05

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2005.05.20

溺れる市民

IMG_0046 久しぶりに読んだ(再読じゃなくて)島田雅彦作品『溺れる市民』(河出書房新社)。去年の出版時からずっと気になっていたものの、無限カノン3部作である『彗星の住人』『エトロフの恋』『美しい魂』に途中で挫折しているので読んではいけないような気がしていた。もしもこの『溺れる市民』が最後まで読めなかったら、2度と島田作品を読むことができなくなるかもしれない。嫌いになってしまうかもしれない。そんなプレッシャーがずっしり重くのしかかっていたから、読むのがすごく怖かった。あまりいい評判を聞かなかったというのも関係していたこともあって。

 けれど、読んでみてものすごーく拍子抜け…なんだぁ、大丈夫だったじゃない。あれっ、読んだことあるじゃないの。知ってる知ってるこの話。なんと、ほとんどが「文藝」の島田雅彦特集号から連載されていた作品だったのだった。特集号っていったら、ファンなら買うじゃない。連載だって、当然チェックするじゃない。もう、驚かさないでよ。深刻に考えていたのに。妙な緊張を感じていたのに。あぁ、悔しい。してやられた気分。私の数ヶ月は何だったの?くー、泣けてくる。あぁ、島田氏の不敵な笑みが浮かんでしまう。“きみは実にお馬鹿さんだね…”とか“ふふっ、何てまぬけちゃん”(←乙女の妄想)なんて声まで聞こえてくる。

 そして、その言葉にほろりと頬を赤く染めたまま頷く私。はい、馬鹿です。まぬけです。やっぱり好きです…と。描かれているのは、何という毒。何という悪趣味。そういう島田雅彦作品にはお馴染みの世界。“スキャンダラス”だなんて宣伝されていたから、新境地を開拓したのかと覚悟だって決めていたのに安心して楽しめてしまった。思いのほかすんなりと。あっさりと。流れるままに。心なしか文体がさらりとしているような。今までの作品の中で、一番読みやすいのではないかしら。そんな気がしてしまった。それは、作品が心地よい感じに力が抜けているからかもしれない。

 内容は、自らの欲望に溺れて人生を踏み外してしまう人々の物語(主に)。東京郊外の眠りが丘という夢想の町を舞台に繰り広げられる。美脚に捧ぐ、あゆみちゃんのお母さん、聖人の三角関係、幻の女優、オナニスト一輝の詩…などの短編が、初級篇・中級篇・上級篇の3つに別れて展開する。私のツボは、全編パロディーのような“古風の遺言”。このお話は登場人物の名前を連ねただけで、読んだときのクスリと笑っちゃうような感覚が楽しめなくなってしまうので、書かない。というか、書けない。挫折してしまった“カノン3部作”に、もう一度挑戦してみようかなぁと思わせてくれるようなおもしろさ。だって、やっぱり好きなんだもの。その気持ちを引き出したほどに、楽しめた作品だった。

4309408230溺れる市民 (河出文庫)
島田 雅彦
河出書房新社 2006-12-05

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2005.03.21

ロココ町

 久しぶりに再読した島田雅彦著『ロココ町』。タイトルからして、全編パロディーのような、かなり気の利いた洒落のような、そんなイメージがわくのは作者の人柄だろうか。ポスト安部公房と発表当時は言われていたらしいことを解説で知ったのだが、島田作品は文体や主題がコロコロと変わる自由自在な存在だと私は思っている。世の中を皮肉ったような描写も斜めに構えた姿勢も、彼のオリジナルな毒となってチクッとくるのだ。それが何とも形容し難い心地のよいものであるのか、一度彼の作品を読んだ方ならわかるだろうと思う。わからない方は、どの本からでもいいから読んでみてほしい。その毒はやみつきになるだろうから。島田雅彦(1961年~)の世代にとって、安部公房は既に読むよりは使ってこそ生きる先覚者であり、その文学思想を探求するのではなく、発明した小説を再発明する視点を持って描かれた作品のひとつが、この『ロココ町』である。

 主人公の<ぼく>は、大学・大学院時代のメディア研究会の仲間であったB君の行方を探るべくして、遊園地が廃退してそのまま町へと変貌していったロココ町を訪れる。町を探索するうちに、町そのものが迷路的な果てしない遊園地都市として巨大化していることに気づいていくのだった。ロココ町は、ひどくよじれた空間であるらしく、地図とは異なる行き方しなければ着けないのだった。1本道をまっすぐに行けば着くはずなのに、途中で4つに分かれていたり、四次元トンネルとなっていたりするのだった。そのうえ、とんでもないところに連結している。精神病院、都心に直結する高速道路、MUP(Maniac Union Productuonの略)のスタジオ、遊園地、原子力発電所である。これらをどう結びつければよいのか…

 メディア研究会の仲間の中で最もラディカルな情報理論を持っていたであろうB君。だが、彼の理論について行ける者はいなかった。実のところ、B君が何を考えていたのか理解しようとしなかったし、彼の方も自分の理論の説明を億劫がっていたのだ。他者を理解するということは、他者の為すことを自分の思考回路で翻訳することにほかならない。だから、理解しようとする人の思考回路の盲点をつく言葉や行動は網の目からボロボロ落ちてしまうか、壁にぶち当たってはね返ってしまうものであるから。B君は何を思い、何を感じていたのだろうか。

 4ヶ月も消息がわからないB君について、栄養失調で死んだか、発狂して精神病棟の住人になっている……そんな冗談が日増しにリアリティを思わせた。記憶に残る1テンポずれた屈託のない笑顔も実は癒しようのない疲労に裏打ちされていたのだろうか。あの笑いは孤独という拷問に耐えかねて、張り上げた音のない金切声だったのかと想いを巡らす。当時の仲間の中で、彼を探そうと思い立ったのは<ぼく>だけだった。彼を高く評価したのも、最も深く嫉妬したのも、最も残酷な冗談のネタにしたのも、<ぼく>だった。

 一体、ロココ町とはどういう場所なのか、果たしてB君の消息は…?<ぼく>の前に現れる怪しい人たち、妖しい光景。ロココ町の色に染まると、もしかしたら貴方の人生が変わってしまうかもしれない。要注意な本である。

408748064Xロココ町 (集英社文庫)
島田 雅彦
集英社 1993-08

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2005.03.10

子どもを救え!

IMG_0025gg 同じ郊外の住宅街に暮らす顔なじみの妻と幼い子供2人が、その夫によって殺された。小説家である千鳥姫彦は、その事件をきっかけにありふれた日常に潜む殺人にも至るかもしれないであろう倦怠感、幸福の影に潜む危うい均衡、死に満ちた世の中などについて考えを巡らして悩み、彼の退廃した日々が侵蝕し始める…という内容の島田雅彦著『子どもを救え!』は、阪神大震災、地下鉄サリン事件の起きた1995年から連載されていた。島田氏は、時代が変化しようがしまいが、自分が変化してしまうことをこの当時追求していた。

 千鳥は小学6年生にして、直観的に多くのことを学んだ過去がある。人は大した証拠がなくても、人を疑う術を知っている。疑いがいくつも集まれば、事実はねじ曲げられる。事実は時に説得力を失い、疑いや恐怖の前に屈する。無邪気な友情なんてものは初めから疑ってかかるべきもの。犯罪は犯されるだけでなく、作られもする。また、犯罪は犯人の自覚によっては立証され得ない。犯罪は偶然や無知のせいにもできるのだと。

 「人はどうせ死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ」などと言う人がいる。夫によって殺され、自宅から20㎞離れた海に捨てられた3人の母子。理不尽である。死はいつだって理不尽で、納得のいく説明は、あとから生きている者がこしらえる。なぜ自分が死ぬのか納得して死んだわけではあるまい。2歳と1歳の子どもに至っては生きることの楽しみも苦しみも、喜びも悲しみも知らないうちに殺されてしまった。そういう運命だったとでもいうのだろうか。誰がいつ子どもたちの運命を決めたのだろう。あまりにもその死は早過ぎるものであった。殺された母子は千鳥にとって赤の他人だったが、同じ歳の子どもを持ち、同じ界隈に暮らす者であり、顔見知りだった。しかも、事件の真相を知れば知るほどに、殺人を犯した夫と自分との共通項を見つけてしまう。

 殺された妻は孤独だ。死んだ子どもたちは、もっと孤独である。あの子たちは、自分が死んだと思っていないだろう。3歳に満たなかった長女、1歳の長男…夫は法によって裁かれるが、それで殺された妻や2人の子どもの魂が癒されるわけではない。たとえ、夫が疲れ切っていてあまりにも余裕がなくとも。疲労というよりも、摩耗であったとしても。

 退廃が行き着くところまでくると、明るく健康な集団的狂気の域に達する。一人だけ狂うのは割に合わないから、家族ぐるみで、コミュニティぐるみで狂う。人を殺すのも狂気なら、それに平然としていられるのも狂気。人殺しの狂気に弁護士の狂気が加担し、市民の狂気が混じり合い、大金が動いて、人殺しも無罪になる。ロスアンジェルスという都市は退廃の極点にあり、狂気の均衡によってかろうじて成り立っている。この都市の狂気を40年見てきたある男が言う。人はなぜ死にたがるのか、なぜ人は人を殺すのかって?そんなこと誰にもわからない。1つだけ確かなのは、殺し合いも自殺も自然の摂理だということ。女に月経があるように、犬に発情期があるように、人は死にたくなるし、殺したくなる。それを罰し、反省し、未然に防ぐことが文明なのだ。けれど、文明はある程度まで進むと、自己崩壊するから人殺しはなくならないのだと。

 千鳥はかつて「文学は人を救えますか?」そんな直球の質問を投げかけられたことがあった。その質問にどう答えたのか、覚えていない。たぶん、読者の水準によるとか何とか言ったのだろうと。ハーレークインロマンスで救われる女もいれば、獄中でドストエフスキーを読んで救われた人殺しもいる。科学や無知で救われようと思う人々もいる。文学は無力だと思いながらも、今なら言う。子どもを救え、母親を守れ、と。そんなメッセージの込められた作品である。

 実際に起きた事件をもとに書かれているらしいが、ノンフィクションではなく、小説として楽しめた作品だと私は思った。島田作品の初期からのファンにとっては、『優しいサヨクのための嬉遊曲』の続編としても楽しめる力作。アマゾンでの評価はかなり厳しい気が…

4087477282子どもを救え! (集英社文庫)
島田 雅彦
集英社 2004-08

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2005.02.04

ドンナ・アンナ

 4つの短編からなる島田雅彦著『ドンナ・アンナ』。表題作は、女性版ドンファンのようなオペラ歌手であるアンナとその前に突然現れたアンナのファンを称する王子(ハッピィ・プリンス)という若者の物語である。ファンと称する人とは距離を置いて接すること、ファンは常に三人称で扱うこと。けっして「あなた」として付き合わないこと。人といさかいを起こしたくなければ、その人を知ろうとしないこと。それらをこれまで貫いてきたアンナだったが、ハッピィ・プリンスと出会って何年かぶりに再会したような錯覚にとらわれ、何となく懐かしい気分を味わう。

 ソプラノ歌手を志した頃のアンナは、50にして恋多き乙女を気取る声楽教師に言われた。歌手は自分の体をいろいろなものに取り換えなければならない。あなたは育ちのいいお嬢さんだが、時には酒場の女、時には娼婦にならなければならない。あなたは伯爵夫人であり、人殺しの情婦。女になってはいけない。女たちになりなさい。そのためには恋を多くすることだと。たくさんの男を知れば知るほど、歌声には幅や深みがつく。マリア・カラスの声は男たちが作ったといっても過言ではないと。そしてアンナは声楽教師の教えを忠実に実行して、自分の体の中に他人を住まわせようと努力していた。

 アンナはコンサートやオペラの舞台に立った後は熱演の疲れがなかなか抜けない。劇中の架空の女に生気を吹き込もうと、隅々まで神経を配り、体力の殆どをつぎ込む。一人で一度に7人もの架空の女に変身した今回のコンサートでは、意識を失ったローレライや死神のようになってしまっていた。アンナという架空ではないヒロインをうまく演ずることができるまでには時間が必要だった。ちょうど疲れがとれた頃、ハッピィ・プリンスから電話がくる。それを機に、アンナは彼を招き入れて、家政夫まがいの仕事をさせるようになってゆく。

 ハッピィ・プリンスは夕食を作る。
 ハッピィ・プリンスは涙を流す。
 ハッピィ・プリンスは毎夜強姦される。
 ハッピィ・プリンスは愛される。
 ハッピィ・プリンスはアンナと散歩をする。

 ハッピィ・プリンスは、真面目な学生だった。分子生物学を学び、分子レベルでものを見て、人間をバカにしていた。けれど、論理のパズルに飽きた彼は、結論の出ないメヴウスの輪に背を向けた。学者以外の人間の型を探し歩いた。出稼ぎ労働者、おカマ、俳優、禅の坊さん、暴走族…そして、恋愛。15の教え子と関係を持ってみたりもした。ある時期に誰もが遭遇する「自分が自分でわからない」ような状態であったのだろう。

 アンナの前から突然姿を消すハッピィ・プリンス。彼女は、生身の肉体を持ったハッピィ・プリンスは本当に存在したのか疑問を持つ。自分の頭の中のイメージに自分を合わせようとしていたのではないのかと。そのイメージが薄れていくということは、彼の肉体が消滅してゆくということではないのか…。そして、ハッピィ・プリンスのことを思い出そうとする。男でいることが恥ずかしくなったという口癖、女装をアンナに見られて何が何だかわからないといった時、ポルカ・ミゼリヤ(こんちくしょう)と言って駆け出した後ろ姿…を。

 オペラ的な官能に染まったストーリー。モーツアルトの歌曲を聴きながら、ワインでも飲みつつ読むべきだったかもしれない。いろんなことに消極的な乙女の私の場合は、1曲目はフィガロの結婚から「恋とはどんなものかしら」あたりを選曲して。

4101187029ドンナ・アンナ
島田 雅彦
新潮社 1990-10

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2005.02.03

僕は模造人間

20051026_014 母胎にいたときからの記憶の回想で始まる、かなり毒の含みがある島田雅彦著『僕は模造人間』(新潮文庫)。サラリーマンの父・29歳と元デパートの従業員だった母・25歳の間に誕生したジャポンの平均的家庭の第一子である亜久間一人(あくまかずひと)。両親は、親がいなくても、世界の人がいなくなっても、カズヒトは一人で生きて生ける強い子になるように、世界にたった一人しかいないという意味で名付けたのだが…。小学生時代は「アクマ」なと言われた。性格には「ク」にアクセントを付けるに、周囲はおもしろがって「ア」にアクセント付けて呼ばれる。著者の皮肉というか、冗談というか、もしかして大真面目な自己回想なのか、興味深い小説である。

 彼(主人公・亜久間一人)は、自分が自分であったためしがなく、常に他人であった。名前も手も足も舌も声も。それが自分のものだと感じるためには病気になるか怪我をするか、ともかく普通でない目に遭わなければならず、自分の体を痛めつけたり、変質させたり性格という粘土をこねくり回して変形させたり、2つに割ったりする倒錯へと走ることを義務づけられた。

 自分の趣味の夢をみる日々…「他人の心臓」というものを聖書代わりし、どんどん周囲とは異質な存在となってゆく。エスカレートする彼の行動はハラキリゲームにまで至った。三島由紀夫の切腹に影響を受け、父親と口論したりもする。「親から授かった命を無駄にしていいのか?」と父親が一般論で訊けば、「命を大切にして、親とか家族を困らせている奴もいるよ。人殺ししたり、泥棒したり…」と。そして、どんな死に方がいいかを考えてみたり、他人のつくった現実を自分の手で作り変えたいという欲求が生じていたりした。自分は、誇大妄想を食べて生きる死者なのだと。

 亜久間一人は僕であって僕でない。いつでも他人になり変わるが、他人でもない。誰よりも自分のことを知っている親友であり、誰よりも自分に冷淡である。模造人間は何をしてでも生きて行ける。けれど、一カ所にとどまっていることはないだろう。模造人間という不可思議な存在を提起して、私たち人間と裏表となっている関係になっている存在を描き出している。彼は、精神的にも肉体的にも健全であることのコンプレックスをもっと強烈に味わうために鍛え上げられた肉体の持ち主となり、苦痛や衰弱をおいしく味わおうとした。屈服することを先に伸ばす体力があれば、苦しみは長く続くであろうと。

 そして、著者はこんな事も書いている。人間というのは、みんな未完成の模造品。昔の人のパロディをやって生きているようなもの。小説を読んだり、映画を観たり、変な人と出会ったりして、影響を受ける。それで、影響を受けたなりに生きていくことになる。でも、当然の事ながら時代や状況が違うから、結局パロディになる。と、いうことは私の生きている事自体何らかのパロディなのか…著者の分身のような亜久間一人にこてんぱにやられてしまった感が強く残る。そして、著者のにんまりした顔が浮かぶ。はまってしまった自分に気づく…何度読んでも負けるヤワな自分にも。パロディだと思うと、鬱々とした悩みも救われたような感じがする。誰かも経験したモノだと思えば、乗り越えられるのではないかと期待しつつ…

4101187010僕は模造人間 (新潮文庫)
島田 雅彦
新潮社 1989-10

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2004.12.02

そして、アンジュは眠りにつく

 天から言葉が降ってくる…そういうことが過去に何度もあった。あんまりたくさん降ってくるから、書き留める手が追いつかなくて、私は戸惑うばかりだった。心とは別に私の手が受け止める頭が言葉を紡いでゆく。それは、静かにひっそりと。でも、しっかりと強い意志を持って。今日はそんな日とよく似ていた。そして、島田雅彦の短篇「そして、アンジュは眠りにつく」を思い出した。

 私たちは何かの偶然で、無限大の暗黒の中にわずかばかり残された明るい、熱過ぎず、冷た過ぎず、適度に潤っていて、時間も移ろうこの星に何の文句があるだろう。けれど、アンジュは光に満ちあふれたこの星に暮らしているのに、なぜか光はアンジュを素通りしてゆく。なぜ私の世界に光は差し込まないの?と。

 盲目のアンジュの世界は独特である。時間軸もわからない。視覚が奪われているから、匂いと触覚と音が乱れ咲き状態である。しかも、誰が語り手なのかはっきりしていない。心に余裕のない人にしてみれば、何といじわるな短篇だろうと思う。けれど、日常感覚が柔らかな人にとっては、心地よく楽しめる短篇だ。「盲」だからこそ、見える世界があることを気づかせてくれる。そして、「精神を病む」ことでしか、見えない世界もあるのではないだろうか…とふと思ってしまった。それは、かなり歪んでいるかもしれないのだけれど…

4101187088そして、アンジュは眠りにつく (新潮文庫)
島田 雅彦
新潮社 2000-07

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