15 川上弘美の本

2008.12.19

どこから行っても遠い町

20081203_030jpg_effected 記憶が淡くはらはらとこぼれ落ちる。そのあやういほどの輪郭をたよりに、どこまでも近くどこまでも遠い場所を探しあぐねる。いくら追いかけてもたどり着けないもどかしさと、知れば知るほどにどこかぼやけてゆく情景がここにはある。そのぼやけた情景に身を委ねて浸る心地よさったらないのだ。東京の東にある小さな商店街と、その町に暮らす人々を描いた十一の連作短篇集である、川上弘美著『どこから行っても遠い町』(新潮社)。わたしたちが生きる日々の儚さ、懸命に生きることの愛おしさ、そういったものを感じさせるひとつの町をめぐる物語である。それぞれの物語では、人と人とが濃く結びつき、それでいて侵しがたい領域もちゃんとあって、昔ながらの人情が溢れている。

 十一もの物語が展開されるので、ひとつひとつの物語の印象は読み進めるほどに薄れてゆく。けれど、その薄れ方がなんとも心地よくて、つい最後まで読み終えたときにはじめのページに戻って、繰り返し何度も読んでしまった。ある物語では主人公だった登場人物が、他の物語では重要な脇役として登場したり、点と点が結びついたかと思えば唐突に淡くぼやけてみたり。つかみ所のないふわんとした空気感が、たまらなくいいのだ。語り手は女、男、女、男…と交互に変わり、魚屋「魚春」、小料理屋「ぶどう屋」、八百屋「八百吉」、鶏肉屋「鳥勝」、喫茶店「ロマン」という商店街のお店が物語の端々に登場する。登場人物たちは出会ったり、すれ違ったりしながら、この町のどこかで繋がっている。

 中でも印象深かったのは、雨の写真ばかり撮っている女性を主人公にした物語「貝殻のある飾り窓」での、年齢をこえたところにある友情のような思い。絵にならないおばさんである“あけみ”と主人公とのつかず離れずの関係に憧れてしまう。このあけみさんがある人にとっては色っぽいような、ある人にとってはただのおばさんであるから、人の視点というものの違いをまざまざと感じさせるのだった。また、既に三度も別れている男女が一緒に店を営んでいる物語「四度目の浪花節」の央子(なかこ)さんも魅力的な登場人物の一人だ。言葉の端々から感じられる艶。そして、“好き”という一言に含まれるいろんな意味合いを大人の女性ならではの魅力で伝えてくれる。脇役ながら存在感がある。

 そして、なんと言っても締めくくりである物語「ゆるく巻くかたつむりの殻」が泣かせてくれる。既に二十年以上前に亡くなった春田真紀という女性の視点で語られる、回想と今を生きている人たちの物語である。この物語によって、一番はじめの物語「小屋のある屋上」に描かれる魚春に纏わる話や、「どこから行っても遠い町」で回想される主人公の幼き日の記憶が、やわらかに繋がる。死んだ人間は生きている人間に思い出されることによって、生きていられる。時が流れて思い出してくれる人もいずれはこの世界からいなくなるとしても、誰かの記憶の奥底に淡くも生きた証が残ってゆく。“捨てたものではなかったです、あたしの人生。”そんなふうにおしまいを締めくくれるように生きたいものだ。

4104412058どこから行っても遠い町
川上 弘美
新潮社 2008-11

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2008.05.05

風花

20070421_014 考えるべきことは先送りに。時ばかりを早送りに。そうやって曖昧な状況に安住するわたしがいる。どうしたって日々は過ぎてゆく。そのことに甘えるように。ずっと続いてゆくから。たぶん、この先も。けれど、そのままでいいわけじゃない。そのまま過ぎてゆくはずもないのに、今と向き合うことができない。わたしと向き合うことができない。誰かと向き合うことなどできるはずもない。川上弘美著『風花』(集英社)の主人公・のゆりもまた、そんなふうにして生きる一人だ。夫から離婚をほのめかされてもなお、どうしたらいいのかわからず、考えることから逃げ続ける日々。それでもゆっくりではあるけれど、自分と向き合い、夫と向き合い、その思いを確かにしてゆく様が印象的。

 のゆり、33歳。結婚して7年。夫婦間にあるのは、どこか空虚なざわめきばかりだ。会話らしい会話もなく、危うすぎるすれ違いの生活。そんな時知った夫の浮気。けれど、それを知ったところで言葉の出ない、のゆり。自分とも、夫とも、今置かれている状況とも、なかなか向き合えずにいる。そんな彼女の曖昧な態度は、何となく日々を生きてしまっている現代人を象徴しているようで、読んでいてぎくりとなる。何も考えずに毎日を生きることなどできないけれど、それでも難なく時は流れてしまうから、のほほんとついその流れに身を委ねてしまうわたしたちみたいなのだ。どこまでも他力本願の狡さが見え隠れするあたりに、のゆりという人物の妙なくらいの人間っぽさを感じたわたしだ。

 それでも、のゆりとその夫・卓哉は互いから目を背けずに、少しずつではあるけれど、向き合うようになってゆく。じれったいまでに不器用で、どうかすると振り出しに戻ってしまいそうになる二人の関係性は、現代社会の夫婦というものが、いかに脆く危うい状態にあるのかを考えさせられる。共に暮らしていようとも、近しいようで遠い“夫婦”というものについて、身を以て知らないわたしには、計り知れない部分がたくさんたくさんあるに違いない。けれど、夫婦というものがよくわからないからこそ、主人公・のゆりの思いに寄り添うわたしは、彼女のゆっくりとした人としての成長が、心地よかったのだった。時はめぐり、わたしもめぐる。そうして、彼女の決意を胸にしまう。

4087712079風花
川上 弘美
集英社 2008-04-02

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2008.02.06

いとしい

20070204_029 ゆらゆらとたゆたいながら思うことはただひとつ、世の中はなんて難儀なことよなぁ…である。誰かを強く思うことも、恋うた人と別れることも、恋い続けることも。何も色恋に限ったことじゃない。この世界は何ひとつとってみても、ひどく難儀にできている。気の持ちようだとか、考え方次第だとか、そんな言葉など空虚にすとんと落ちゆくように。川上弘美著『いとしい』(幻冬舎文庫)を読みながら、難儀よなぁばかりを繰り返してしまったのは、語り手であるマリエの恋路を案じていたからに違いなく、物語上で唯一現実をリアルに生きているように思えたからである。物語に散りばめられた数々のエピソードは、自然にするりと胸に染み入ってきて浸らせてくれる。

 物語には、語り手のマリエとその姉のユリエを中心に、その母親のカナ子、母の恋人のチダ、マリエが教えている生徒でチダの愛人のミドリ子、ミドリ子の兄でマリエの恋人となる紅郎、ミドリ子に付きまとう鈴本鈴郎、姉ユリエの恋人のオトヒコらが登場する。どの登場人物たちもあやふやな輪郭で、ゆらゆらと揺れるように描かれている。だから読み手であるわたしたちは、彼らの不確かさを感じながらも、読み進むしかないのだ。これは愛なのか。愛じゃないのか。そうしていつしか、もういいや、と思ってしまう。このたゆたうような感覚に漂って、身を任せればいいのだと。すべての境界がとろりと溶けだして秩序も何もなくなる、そんな物語なのである。

 とりわけ、マリエと紅郎の曖昧な関係性はあまりにももどかしくて、せつなくて。けれど自分自身を省みれば、どんな関係性にしたってそんな空気感はあるもので、ただただもぞもぞとなるばかりで。仕方のないこと、というものが世の中にあることが、こんなにも苦しいだなんて…と、今さらながら気づかされたわたしだ。物語は、現実離れした個性的な登場人物設定の中に、ただ一人マリエという(冷静で)現実的な存在を置くことによって、読み手をぐいと引き込んでゆく。だからこそ、読んでいて無性に人恋しくなる。寂しくもなる。マリエと共に前を見据えようとすらする。そうして、いつの頃だったか、あの頃みたいにどこかを走ってみたくもなるのだった。

4344400062いとしい (幻冬舎文庫)
川上 弘美
幻冬舎 2000-08

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2006.11.20

真鶴

20060723_9999001 浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶ。そうやっていつまでも繰り返して、濃くも淡くもたゆたっていたい心地になっていた。その不思議なる浮遊感に遊びながら、時を過ごすことにいかなる危険が孕んでいようとも、かまわないくらいに。いつまでも、わたしはたゆたっていたかったのに。川上弘美著『真鶴』(文藝春秋)には、そんな感覚が始終漂う。近くにいながらもとても遠くて、遠くにいながらもこんなにも近い。触れているというのに、本当には触れていない。いや、触れさせない。簡単には触れられない。もどかしい思いは渦のように込み上げてゆく。そして、ふっとした瞬間に消えてゆく。脆く。淡く。あまりにも儚く散り散りになるのだ。

 夫の失踪から五年。そこで迷い始めている主人公の京(けい)。老いた母親と微妙な年頃の娘・百(もも)と暮らす女ばかりの生活に馴染みつつも、夫をどこかで探し続けている。いつだって、思い出してしまう。正確に言えば、恋人といるときによく思い出してしまっているのかもしれない。夫の簡素な日記にあった“真鶴”という地名。それを頼りに、引き寄せられるかのように、主人公はそこへ何度も足を運ぶ。ついてくるものを感じながら。曖昧な記憶を少しずつ手繰り寄せながら。夢とうつつの狭間に迷い込みながら。いろんなことを知ってゆく。いろんなものを手放してゆく。“生きたい”と“逝きたい”の違いを、どちらに向かって行くべきかを、ゆっくりと学ぶのだった。

 ついてくるもの。その不確かさが、この物語の中では重要な気がする。霊的なものとも、幻覚的なものともつかないその存在。ここで言うところのついてくるものは、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しているのだった。どちらかと言えば、世の中を知り尽くした、知り尽くさずにはいられなかった、そんな類のものである。主人公の京の場合は、女だった。それも、夫のことを知っているらしい女。それでも、なかなか夫のことを教えようとはしてくれない女なのだった。ふっと現れては、ふいに消える。気まぐれで、強引で、どこか憎めなくて。きっと、可愛い女だったであろう、ついてくる女。それに違いないのだ。わたしの中で、そのイメージは広がってゆく。主人公を差し置いてまでも。

 先に挙げた“生きたい”と“逝きたい”の違い。音は同じなのに、大きく違うこの言葉。白黒はっきりでグレーゾーンの少ないわたしには、この両の狭間で揺れる心がいつでもうずうずとなっている。ときにはきゅっと痛みを帯びて、わたしを困らせるのだ。だからだろうか。この物語の中で、“生きたい”と“逝きたい”で揺れる主人公の心情がとてもじんと胸を疼かせたのだった。いや、じりじりと、だったかもしれない。それくらいに響いたのであった。それでも濃くも淡い物語のせいか、浮遊感はいつでも消えない。一緒にたゆたっていられる。たゆたっていたいと思わせるものが、確かにあるのだと思う。だからわたしは、癖になって何度も読み返すことになる。きっと。

4163248609真鶴
川上 弘美
文藝春秋 2006-10

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2006.10.24

ハヅキさんのこと

20061022_004 するりするり。そうやって流れては消えゆく物語を、わたしはどれくらい読んだだろうか。その儚さに酔いしれながらも、1つずつそっと、わたしから入っては抜けてゆく物語を。するりと入っては抜けて、淡い色を残して消えゆく。そんないくつもの物語を思わせたのが、川上弘美著『ハヅキさんのこと』(講談社)である。なにげない日常と、その中でうごめく人々。そして、たわいもないおしゃべり。ごくありふれた光景が描かれているはずなのに、どこか現実離れしていて、ふわふわと漂うにように掴み所がない。それでいて心地よく読める、なんとも不思議なる、川上ワールドが短いながらも堪能できる作品集である。どこまでが小説でどこまでがエッセイなのか、あとがきにて著者自身も戸惑っているのが実におかしい。

 表題作「ハヅキさんのこと」では、教師時代の川上さんを彷彿とさせる主人公が登場する。内容は、15年ほど前の同僚のハヅキさんのところに見舞いへゆく途中の、回想である。少々だらしのない主人公。それとは対照的にきっちりしたハヅキさん。ただ、結局は主人公と馬が合ってしまって、どうにもこうにも一緒にいる、なかなかよい距離感ある関係の2人である。しょうもない話から、愚痴や恋愛に至るまで。実によくお互いのことを知っている。それでいて、どことなくライバル心剥き出しの所もあり、くくくっと面白いのだ。物語は、この続きが読みたい…というところで終わってしまうのだけれども、いつのまにやら読み手のわたしも、ハヅキさんという人が身近な存在になってしまった。物語に呑み込まれた心地である。

 それから、せつなくなる「むかしむかし」。これにはじーんとなってしまった。過去の恋愛を今の恋人に話すという、なんの教訓もない物語なのだけれども、結末がなんとも愛おしくてせつないのだ。悲しいのとは違う、せつない。この感情は恋愛においては、よく頻出するテーマなのかもしれない。些細なことで喜び、すれ違い、腹を立て、おしまいになる。そんな不毛なことをなぜ繰り返すのかわからないけれども、恋愛というものはたいがいにして、そんなことで終焉を迎えることが多い気がする。おしまいにならないで、いつのまにか続く例も多数あるに違いないけれども、そこまでいったら夫婦の域である。わたしはそんなふうに思ったのだった。それでも不毛な恋愛には懲りることがない。

 そして、人間的魅力溢れる「吸う」もいい。親戚が集うたびにいるキヨエさん。その繋がりを覚えられずにいる主人公が、そのキヨエさんの魅力にすっぽりとはまってしまう物語である。その小さな身体に似合わない大きな声と、隅っこの方に佇む姿。けれどもあるとき、隣りに居合わせて話すうちに、なんとも奇妙な話をキヨエさんから聞かされるのである。“お酒はいいですね。体がね、しっとりしますよ。しっとりすると、あなた、吸いこむようになります…”と。ゆるやかなる話。その中に、読み手であるわたしまで吸いこまれてしまうような感覚に陥った。魅惑の人である。いつか歳を重ねて、もっと重ねて、そんな魅惑の人になれたのなら…そんな憧れさえ抱いてしまう。けれど、孤独はいやよ。それでも、ひっそりと佇んで暮らすのはいいかもしれないと思うのだった。

4062136287ハヅキさんのこと
川上 弘美
講談社 2006-09-30

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2006.10.06

ざらざら

20061003_44027 両の手のひらですくった砂がこぼれ落ちるように、儚く今にも消え逝くような、そんな短い物語がぎゅっとつまった1冊だった、川上弘美著『ざらざら』(マガジンハウス)。23もの短篇は、しんみりと味わい深いものから、ふふふと微笑ませるもの、さらりと流れるようなものまで、川上弘美ワールド満載の作品ばかりだ。読みながらわたしは、いとおしくてたまらなくて、胸につんとした痛みを感じた作品まである。そういう思いというのは、きっと読んでいるわたしの心持ちが、作品としっくりと馴染んだ証拠なのだろう。ゆえに、読んだ人それぞれがそれぞれに、異なる作品に対して、そのような感情を抱くに違いない。読者は身勝手にもそんなことを思いつつ、読む。好き勝手に読む。けれど、同時に愛する。わたしは、そう思っている。

 わたしが何よりも好きだったのは、「クレヨンの花束」。かなり後半に収録されている作品であるせいか、特別印象深い。“好きな人に好きになってもらうこと”に苦悩する主人公が、幼い甥っ子にほんのりと救われる物語である。姉夫婦はいわば修羅場を迎えた関係になっており、やり直し旅行に出かけている。人を好きになること。ただでさえ、そのことが難しいわたしにとっては、その次の課題に苦悩している主人公が他人事ではなかったのだった。読み進めながら、うんうんどうなる、どうなるんだ…と思いつつ、なんとも見事な簡潔な答えを出してみせるところが、なんとも心憎くたまらなく好きだ。好きになること。そして、その後の好きで居続けること。その困難さに、ため息がこぼれる。その答えについては、敢えて書かない。ネタバレになるゆえ。

 続いては「淋しいな」。恋人にふられた女の子の感情の変化が、細やかに描かれている作品である。主人公は1人の男性となんとなく曖昧なまま付き合っていた。この人ならいいかな、くらいの気持ちで。でも、夢中になれるだけの準備だけはできていたのだ。だからある日、ふられたことが切なくて悲しい。なんとも淋しい。そんな、誰もが味わうような感情。それを昔の人はこういったそうだ。“めぐりあわせ”だと。誰が悪い訳じゃない。自分を責めるのは、もってのほか。単にめぐりあわせが悪かった。ただそれだけのことなのだよ、と。まさに、メカラウロコの話である。日本語というものの奥深さを感じさせる言葉でもある。めぐりあわせ。その言葉の響きの美しさと意味合いを心の奥底に刻みつけて、わたしは前へ進もう。そう思わせてくれる物語だ。

 他にもたくさんたくさん、書き留めておきたい物語があるのだけれど、最後に1つだけ「椰子の実」を選んで終わりにする。これは、年子の兄妹の物語である。ずっと抱き続けてきた兄へのコンプレックス。それがするりとほどける瞬間を描いている。そこまでいきつくまでの心の変化というもの、微妙なニュアンスでの表情や心模様。それに対して、わたしは強く惹かれてしまった。さらっと描かれているせいか、ぢんと心に響くなんともいえない哀しみや嬉しさが余計に染みる。そして、いつまでも深い余韻を残して、兄妹というものの絆を思わせてくれるのだ。それはもしかしたら、わたしがやはり兄と妹という兄妹構成のせいなのかもしれないし、他にも通ずる部分が数多くあるせいかもしれないが。ほっこりと。あたたかに。それでも、きゅうんと切なくなったのだった。

483871694Xざらざら
川上 弘美
マガジンハウス 2006-07-20

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2006.08.30

神様

20060829_0_001 第一印象。それは、わたしの中で重要事項の1つになっている。例えば、目の前にある顔。例えば、それと繋がりを見せる体型。例えば、それに伴い漂う雰囲気。ある程度年齢を重ねれば、わたしたち誰もが、そこに責任というものを課せられることになる。“わたし”という名の存在について。“誰か”というたった1人の、或いは複数の、許しを乞うことについて。川上弘美著『神様』(中公文庫)を読み終えて、わたしが廻らせた想いは、そんなことだった。この作品が著者のデビュー作だから、ということ。そして、わたしが最初に触れた川上弘美作品である、『いとしい』を読んだときの高揚感を再び味わった、ということによって。なんとも不可思議ながら、現実味を感じさせる描き方。そこにある浮遊感は、何度読んでも癖になる。

 9つもの物語についてひとつひとつ書くことは困難ゆえ、ここからはわたしの気ままな選択で文章を紡いでゆくことにしよう。まずは、表題作「神様」。登場するのは、律儀なほど温かい“くま”である。それも本物の“くま”なのだ。実際の“くま”は、成熟した大きな“くま”であるに違いないのだけれど、ここには恐ろしさが少しも感じられない。死んだふりをしてまでも助かりたい…そんな切迫感は全くないのだ。きっと、もりのくまさん的な“くま”なのだろう。そんな“くま”との、のんびりした散歩の光景が描かれている。そして、憎いくらいにさらりと、性的なものを思わせる展開になっているのだ。決していやらしくない性。それでいて、純粋な性というものを。ふわり。ふわりと。読み手であるわたしは、少々照れながら読んだのだった。

 続いては「クリスマス」。友人にもらった壺から出てきた“コスミスミコ”という、痴情のもつれで亡くなったらしい女性。そんな不可思議ながら、親しみやすい魅力を備えた女性との日々が、やわらかに心地よく紡がれている。登場するのは女ばかり。そこで話すことと言えば、もうアレしかないでしょう…なんせ、“痴情のもつれ”という事実が“コスミスミコ”にはあるのだから。彼女の呟き。それは、まさに女性であるならば誰しも思い描くような、淡くも儚い夢である。壺で暮らすことになった彼女が、諦めきれない気持ち。それが痛いほどわかる者にとっては、女だらけのクリスマスほどやるせなく、愉快なものはないと思う。人生というもの。そこに、いや、すぐ隣りにこそ、いて欲しい人。その存在をふと意識させられる物語だ。

 最後に、「春立つ」。カナエさんという、おばあさんが一人きりでやっている飲み屋、その名も“猫屋”での物語だ。もう、猫狂いのわたしとしたら、その名だけでもう心地よく読めてしまう。ほとんど客の入っていない店にはもちろん猫がいて、カナエさんの若かった頃の不思議な話を聞くことになる、主人公の女性。やはり、ここでも女同士。語られるのはアレについて、である。カナエさんの語る想い出。それはそれは甘くて、切なくて、愛しくて、悲しくて、寂しくて…そんな乙女心をチクリと刺激するような内容なのである。“女たるもの、一生乙女であるべし”。そんな言葉をふと思いついてしまったわたしは、見事にずっぷり、はまってしまった読者の1人なのだろう。少しばかり恥じ入りながら、まだまだ乙女だと、自分に言い聞かせることにしよう。そう決めた。

4122039053神様 (中公文庫)
川上 弘美
中央公論新社 2001-10

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2006.05.20

夜の公園

20050513_011 いとけない人。わたしはきっと、ずっとそういう人なんじゃないだろうか。少しばかりそういう部分がある、でもなく。ときどきそうなのよね、でもなく。そういう人。そうである人。紛れもなく幼い人。川上弘美・著『夜の公園』(中央公論新社)を読み終えてめぐらせたのは、そんな思いだった。どうして今、ここにいるのか。いつからここにいるのか。どうやって、ここまで辿り着いたのか。物語に始終漂うのは、こういう不確かな日常や揺れ動く心情である。そう、まさに物語の中の登場人物たちもまた、“いとけない人”なのである。年齢的な部分だけを見たら、充分に大人であるのにもかかわらず。年月を重ねてもなお、どこか不自由で。生とはなんと、もどかしいものか。

 物語は、35歳のリリを中心に、その夫である幸夫、親友であり幸夫の不倫相手である春名、リリの恋人である暁の語りで展開してゆく。真夜中にそっと部屋を抜け出したリリが夜の公園で見る光景は、不思議なぐらい鮮やかで、そこにある匂いや気配、音は、知らぬ間に何かをひどく掻き立てる。例えば、これまで意識することのなかった、複雑に絡まる思いというものを。夜が人を魅せるのは、導かれるものが何もかも昼とは違うものだからなのか。部屋を満たす夜ばかりしか知らないわたしは、なんだか無性にそこに魅せられてみたい気がしてしまう。主人公リリが暁に惹かれたのも、少なからず夜の力があるんじゃないだろうか…なんて考えるのは、野暮かもしれないが。

 リリを魅せた夜。それは、暁との出会いである。いつしか冷めていた夫への思いを抱えながら歩いた公園での。暁はマウンテンバイクで、リリの横を通り過ぎる。そこに生じる風と、心を捕らえる広い背中。その刹那が繰り返されて、ふいに始まるのだ。見ていたのはリリだけじゃなく、暁も、だった。顔が好みだとか、趣味が合うだとか、性格がいいだとかではなく、2人はお互いのその佇まいから惹かれ合う。しかも、後ろ姿に、である。そうやって近づいて、馴染むようになって。立ち止まって、あれこれ考えるまでもなく、2人は惹かれあった。触れ合いたかった。ただそれだけのことなのだ。だからこそわたしは、自分を“いとけない人”だと言いたくなる。

 わたしがもうひとつ、心惹かれたのは、リリの親友で教師の春名が、生徒たちに自分とリリを重ねるところ。春名と生徒のこれまで歩んできた年月だとか経験だとかいうものは、もちろん異なる。それにもかかわらず、悩んでいること自体がほとんど変わらない。少女だった頃に思い煩っていたことが、ある程度の年齢になったからとて、わかるようになるのではないこと。それが、妙に悲しくて可笑しくて。なんだか妙に愛おしい。やっぱりずっと、いとけない人。永遠にずっと、いとけない人。それは人としてどうなのか、と考え出したら情けなくもなるけれど、大人とて子どもとて人間なのだと頷ける。心惹かれる部分はまだまだあれども、あとはわたしの胸に留めておこう。

4120037207夜の公園
川上 弘美
中央公論新社 2006-04-22

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2005.11.06

此処彼処

20041212_007 場所に関する温かな連作エッセイ集、川上弘美・著『此処彼処(ここかしこ)』(日本経済新聞社)。この作品を読んで何よりも一番強く感じたのは、著者のいきいきしている様子。はつらつとしているのだなぁとか、日々楽しそうだなぁとか、そういう雰囲気。実際の生活は色々な雑事に追われて大変かもしれないし、悲しみや苦労やあるかもしれないけれど、文章から伝わってくるのは暖かな色をしたものだったのだ。それが、とっても懐かしく愛おしく思えた。日頃、ダークな色を放ち好む私にとっても。読んでいる間始終つきまとっていたのは、清々しい空気感。こういうのは、少々心躍ってしまう。

 エッセイは季節ごと(月別)に4つから5つ。具体的な地名の場合がほとんどだが、「関東」なんていうかなり広範囲にわたる場合もある。これだけでも妙に可笑しくなってしまった。そして、これまでの著者のエッセイは、川上弘美的日常の中にどこかしら嘘日記の色が見え隠れしていた印象が強かっただけに、この作品のプライベートな部分に関する記述にドキドキもした。作品よりも先に、著者のその容姿と雰囲気に惹かれてファンになった私には、味わい深い嬉しいものだったということ。ただ、「武蔵野」がなかったのが残念(あとがきが武蔵野なのですが)。ミーハーな私には、そこだけが惜しかったりする。

 自分にとっての場所。そこに属すると決めたもの、というのがきっと誰もに存在する。もしかしたらそれは、実在しない場所かもしれないし、今はなくともこれから先に見つかるものかもしれない。読みながら自問自答していた私の場合は、ない。何となく。ない。愛着のある場所というものは確かにある。例えば、お気に入りの座椅子の上みたいな狭いカテゴリーならば。自分自身が属する場所(地名)と言われたのならば、はっきりと、ないのだ。それは寂しくも悲しくもあるかもしれない。でも、考え方を変えれば自由であるということ。何ものにも属さずに囚われずにいられるのだから。ただ、他のものが束縛するのには参る…煩わしいしがらみは多いのだ。

 さて、エッセイの印象深いところについて。「浅草」という、かつて一人きりで悲しくなった覚えのある場所が、今は不思議と悲しくなかったという話に出てくる、“自分と同じ名前に店は、ちょっと怖い”である。著者は友人からその同じ名前の店についての情報を耳にすると、気まずさに臆せずに行ってしまうらしい。何だか逞しい。そういうものは、小さな店であればあるほど、メンバーズカードがあればあるほど行きにくい。私の場合は。幼い頃にからかわれたのは、おもちゃ屋だった。そこに電話をすると、“はい、○○ちゃんです!”と私の愛称で店の人が明るく応じるらしかった。願わくは、一度も行かぬまま一生を終えること。

4532165377此処 彼処 (ここ かしこ)
川上 弘美
日本経済新聞社 2005-10-18

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2005.09.12

古道具 中野商店

20050220_610 アンティークではなく、あくまでも古道具を扱う中野商店。そこに関わる人々をめぐる日常が描かれた、川上弘美・著『古道具中野商店』(新潮社)。3回もの結婚の果てに愛人までいる、店主の中野さん。人形作家で中野さんの姉である、マサヨさん。この物語の語り手である、アルバイトのヒトミ。ヒトミと恋仲であるのかないのか微妙な関係にある、同じくアルバイトのタケオ。主に彼ら4人について語られる12のエピソードは、読む者を引き込む力強さと、さらりとした心地よさを感じさせるもの。それぞれの登場人物について丁寧に繊細に描かれており、ぬくもり溢れるかけがえのない物語となっている。

 この物語を読みながら、私はふふふと何度も笑った。ときどき、それはへへへとなった。にんまりしていた。幸せな読書だと、心から思った。描かれているのは、たわいもない話である。特別何か、面白可笑しいことが書かれているわけではない。それなのに笑ってしまった。例えば、店主の中野さんから届く大雑把な文面の葉書だとか、ヒトミに対するタケオの妙な雰囲気の敬語だとか、ぎこちない文面のメールのやり取りだとか、“剣突く”という言葉だとか、アフガンハウンドとボルゾイとバセットハウンドの違いだとか…そんなたわいもないことについて。些細なことに心が動くのは、とても幸福だ。

 そういう幸福さに一番浸っていたのは、「ワンピース」という話を読んでいたときだ。ヒトミとタケオの関係が、うやむやの色に濃く染まっているあたりである。タケオの1日の行動をあれこれ想像し、何時何分にかけようかと考えるヒトミの思いを裏切って、つながる気配を見せない電話。“きっと、食べているクリームパンのあぶらのせいで、指がすべってボタンがうまく押せないんだわ”とか、“太ってしまって、尻ポケットから携帯が取り出せないんだわ”とか。電話に出られない理由の、あらゆる場面を想像するヒトミ。どんな場所であろうと、かなりな高率で受けることができる電話の不便さを思う場面である。

 あぁ、そうなのだ。便利な世の中ゆえにはびこる“不便”というのは、何て忌々しいのだろう。常々感じている思いが、ふつふつとわいてくる。心地よい幸福感と共に。メールの返事がなかなか来ない苛立ちだとか、話題が盛り上がっているときのメールの終止符の打ち方だとか。時間をさほど気にしなくても良いからこそ、妙に気にしてしまうことへの“矛盾”。こんなことで悩んでいる人々を、電話を発明したベルさん(でしたっけ?)は想像していなかったはず…。まぁ、いいや。話をヒトミに戻そう。ヒトミ、可愛いのですよ。500円のぺらぺらしたワンピースが似合っちゃうのですよ。結構乙女なのですよ。ふふふ。

410129237X古道具中野商店 (新潮文庫 か 35-7)
川上 弘美
新潮社 2008-02

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