どこから行っても遠い町
記憶が淡くはらはらとこぼれ落ちる。そのあやういほどの輪郭をたよりに、どこまでも近くどこまでも遠い場所を探しあぐねる。いくら追いかけてもたどり着けないもどかしさと、知れば知るほどにどこかぼやけてゆく情景がここにはある。そのぼやけた情景に身を委ねて浸る心地よさったらないのだ。東京の東にある小さな商店街と、その町に暮らす人々を描いた十一の連作短篇集である、川上弘美著『どこから行っても遠い町』(新潮社)。わたしたちが生きる日々の儚さ、懸命に生きることの愛おしさ、そういったものを感じさせるひとつの町をめぐる物語である。それぞれの物語では、人と人とが濃く結びつき、それでいて侵しがたい領域もちゃんとあって、昔ながらの人情が溢れている。
十一もの物語が展開されるので、ひとつひとつの物語の印象は読み進めるほどに薄れてゆく。けれど、その薄れ方がなんとも心地よくて、つい最後まで読み終えたときにはじめのページに戻って、繰り返し何度も読んでしまった。ある物語では主人公だった登場人物が、他の物語では重要な脇役として登場したり、点と点が結びついたかと思えば唐突に淡くぼやけてみたり。つかみ所のないふわんとした空気感が、たまらなくいいのだ。語り手は女、男、女、男…と交互に変わり、魚屋「魚春」、小料理屋「ぶどう屋」、八百屋「八百吉」、鶏肉屋「鳥勝」、喫茶店「ロマン」という商店街のお店が物語の端々に登場する。登場人物たちは出会ったり、すれ違ったりしながら、この町のどこかで繋がっている。
中でも印象深かったのは、雨の写真ばかり撮っている女性を主人公にした物語「貝殻のある飾り窓」での、年齢をこえたところにある友情のような思い。絵にならないおばさんである“あけみ”と主人公とのつかず離れずの関係に憧れてしまう。このあけみさんがある人にとっては色っぽいような、ある人にとってはただのおばさんであるから、人の視点というものの違いをまざまざと感じさせるのだった。また、既に三度も別れている男女が一緒に店を営んでいる物語「四度目の浪花節」の央子(なかこ)さんも魅力的な登場人物の一人だ。言葉の端々から感じられる艶。そして、“好き”という一言に含まれるいろんな意味合いを大人の女性ならではの魅力で伝えてくれる。脇役ながら存在感がある。
そして、なんと言っても締めくくりである物語「ゆるく巻くかたつむりの殻」が泣かせてくれる。既に二十年以上前に亡くなった春田真紀という女性の視点で語られる、回想と今を生きている人たちの物語である。この物語によって、一番はじめの物語「小屋のある屋上」に描かれる魚春に纏わる話や、「どこから行っても遠い町」で回想される主人公の幼き日の記憶が、やわらかに繋がる。死んだ人間は生きている人間に思い出されることによって、生きていられる。時が流れて思い出してくれる人もいずれはこの世界からいなくなるとしても、誰かの記憶の奥底に淡くも生きた証が残ってゆく。“捨てたものではなかったです、あたしの人生。”そんなふうにおしまいを締めくくれるように生きたいものだ。
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