らいほうさんの場所
まぎれもなく家族だった。守るべきもの、失ったものを同じにして、ただただ彼らは家族だった。どこかにいる誰か、わたしたちとよく似た。家族であるという絆は、本当は何でもよかったのかもしれない。何かを象徴するもの。よりわかりやすいかたちであるなら、なおさら。彼らが傾く先へとつながっていれば、それだけで。血のつながり、ひとつ屋根の下での日々、共に重ねてきた時間…家族であるという事実をつぶさに照らしてみれば、彼らはどうしようもないくらいに家族だった。東直子著『らいほうさんの場所』(文藝春秋)。かつて封印し、秘められ、ふれてはならないものを持つ、三姉弟が織りなす物語である。家族の小さなほころびと再生とが細やかに描かれ、独特の余韻を残してゆく。
インターネットの占いで生計を立てている長女、市民センターで働くバツイチの次女、日雇い労働をしている大人になりきれない弟。彼らは、亡き両親が残してくれた庭付きの分譲マンションで、三人寄り添うようにして暮らしている。庭の片隅には、彼らが“らいほうさんの場所”と呼ぶ秘密の場所があり、大切にしている。だが、穏やかな暮らしはある人物の登場をきっかけに崩れ始めるのだ。小さなほころびは次第に不気味さを放ち出し、家族関係をゆさぶる。読み手であるわたしたちは、いつしか長女が考える占いの文章に引きずられるように、騒動の中に呑み込まれてゆく。彼らがかつて封印し、秘められ、ふれてはならない部分に、手探りのまま踏み込んでいることに気づくのだ。
“らいほう”とは、“来訪”のこと。物語の中では、容易には踏み込んではいけない聖域のように扱われている。花を絶やさず、その存在を崇めるようにして。三姉弟を結びつけている“らいほうさんの場所”とは、一体何なのか…ほのかな可能性を示されるだけで、確かなことは明らかにされない。けれど、それが家族を強く結びつけていることは容易に理解できる。謎めきは終始独特な雰囲気を漂わせ、家族の問題を浮き彫りにする。そうして気づく。思えば、家族であろうとするために彼らが努めていることは、わたしたちのそれと大して変わりないと。決して奇異なことではない。どこの家族にも在り得ることとして、この物語はわたしたちにするすると沁み込んでゆくのだった。
家族であるために、家族だからこそ、わたしたちはさまざまな思いを抱えている。僅かなほころびも、侵してはならない領域も、まるごと全部含めて。全てが愛しさのかたまりだから。まぎれもなく家族だから。その証明を解き明かすように、日々を積み重ねて暮らしている。暗黙の了解として流れがちな、ひとつひとつのことを今更ながらにこの手に広げてみれば、嗚呼とため息ばかりがこぼれてくる。こんなにも強く、こんなにも深く、わたしを募らせるものは他にないだろうと。わたしが今いるこの瞬間にも、見えない力であたたかに守られている気がするのだ。どうしようもないくらい大きな力で。どうしようもないくらい強く深く。わたしたちは、まぎれもなく家族であるから。
![]() | らいほうさんの場所 文藝春秋 2009-11-11 by G-Tools |
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