48 前川麻子の本

2007.10.13

海へ向かう

20070901_031 生というものが河のようにあるならば、わたしはその流れを慈しまねばならないだろう。戻らない日を、戻らない時間を、戻らないすべてのものを愛おしく思わねばならないだろう。似たように感じられた昨日と今日。そんな繰り返しの時間など、本当は存在などしていないはずだから。ほんの少し前進して、また少し後退して。生きづらいことに変わりはなくて。それでも、二度とない時間の中で揺らめいて。煌めいて。前川麻子著『海へ向かう』(ピュアフル文庫)には、そういう時間がぎゅっと詰まっている。11歳から40歳まで。出会い、寄り添い、別れて。そして再び出会うことを夢見つつ、濃密な時間を過ごしてゆくのだ。やがて広い大海へと出る日を目指して。

 物語は、中学時代の英美を主人公にしてスタートする。親友のオッコちゃんと、ひょんなことから高知のおじのところで過ごすことになった夏の数日を描いた「川に飛び込む」である。高校生になる自覚がなく、毎日がつまらないわけじゃないけれど、面白いわけでもない…そんな宙ぶらりんな時期を感じ取ることができる。そんな英美の高校時代を描いたのが、続いての「靴を買う」。母親に突然“好きな人がいる”と伝えられる場面からはじまる話だ。真剣な恋に悩む母親や周囲を横目に見つつ、英美は誰かの恋をただ見物するのが精いっぱい。背伸びしたい年頃に、敢えてそうしない彼女に対して、好感を抱くのはきっとわたしだけではないはずだ。

 そして、さらなる好感を呼ぶ「ウクレレを弾く」では、小学生時代の英美を知ることができる。1ヵ月もしないうちに挫折してしまった母親に代わってウクレレを習い始めた英美は、先生の娘である孝枝さんと出会うのだ。小学生から見たら、高校生は大人にずっと近い存在。けれど、その中にも妙に子ども染みた部分を発見してしまう英美。自分が他人にどう思われたいのか、どうすれば嫌われずにすむのか、小学生なりに懸命に考える様子がとても可愛らしい。また、大人と一緒のレッスンでの緊張感がこちらにまで伝わってきて、読みながら英美の体温を感じるようだった。高校生と大人と。その間で苦労する、小学生の図が、何ともこそばゆい話である。

 大人になった英美が中学時代の親友に再会する、「彼女を思い出す」。ここには、すっかり大人になった英美がいる。25歳と、40歳と。様々な失敗と反省を繰り返して、いくつもの傷を抱えて。物語のはじまりからおしまいまで読んでくると、ふっと胸に込み上げる何かを感じ取ることができる。11歳から40歳という、その年月を、営みを、込み上げた深いため息に精いっぱいに込めて、思い返してみる。気がつけば、戻らない日。戻らない時間。戻らないすべてのものを、心の奥深くから愛おしく感じていた。もちろん、この世の中はとても生きづらい。とても一瞬一瞬になど生きられる質ではない。それでも、この一冊に何かを心地よく刺激された気がしたのだった。

4861764262海へ向かう (ピュアフル文庫 ま 2-1)
前川 麻子
ジャイブ 2007-09-10

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2007.08.17

いつか愛になるなら

20070526_45036 救いなどいらない…そうひとりごちてみる。捕らえられ、囚われる。そうやって、恋とも愛とも呼べない関係にすがりついたまま、繰り返されるいくつかの性愛の果てに、あるかもしれない可能性を思ってみるのだ。でも、やっぱり救われない。ただあるのは、不毛なまでの繰り返し。だから呟いてみる。救いなどいらない、救いなどいるものか、と。前川麻子著『いつか愛になるなら』(角川書店)を読みながら、わたしはずっとそんなことを思っていた。満たされることのない愛と、次第に緊迫してゆく葛藤とに圧倒されながら。いつまでもぢんぢんと疼く、強い痛みを抱えながら。そのどこまでも深く根ざした、呪縛のような人間関係に怯えながら。

 自分の居場所を探しあぐね、美大講師・立川の助手となった冬子。彼女は、やがて立川と恋人とも愛人とも呼べぬ中途半端な関係に陥った上に、立川の事務所に出入りする男たちと関係を持つ。ぎこちない奇妙な緊張感を心地よく感じるのも束の間、立川の妊娠中の妻・翠の手伝いをすることになってしまう冬子。そして、立川の家に囚われるように、その呪縛から逃れられなくなってしまうのだった…。物語は冬子の心の微妙な揺れを鮮明に描き、その闇の部分に浸らせるように展開してゆく。まるで、この世界にはひとつきりも救いなどなかったものとして。その悲しみが、その虚しさが、その不甲斐なさなどが、当然のものであるかのように。

 そんな救われない物語であるものの、著者の文体が軽やかであるせいか、するすると最後まで読めてしまう。むしろ、救いなど無意味であるかのように錯覚してしまうほどだ。これは、潔いまでの救いのなさと言うべきだろうか。唯一の光は、タイトルに込められた祈りのような言葉のみである。“いつか愛になるなら”。まさに、冬子の心の奥底から発せられたような願いであると思える。そして気づく。とことん救われない生き方の中でも、彼女は救いを諦めてはいなかったのだと。過去においても、現在においても、もちろん、これから先においても。救いなどいらない…そう簡単に呟く自分自身に恥じ入りながら、この物語の深みにはまり込んだわたしだ。

4048736787いつか愛になるなら
前川 麻子
角川書店 2006-03

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