44 東直子の本

2010.04.18

甘い水

20100403_4008 目の前にある愛おしいものを抱きしめる。愛おしい…今、そう感じられることがすべて。今、ここにいることがすべて。過去もない。未来もない。あるのは、今、ここにある思いだけ。過ぎてしまえば、すべてのものが曖昧になる。過ぎてしまえば、本当も嘘もない。ただあるのは、今、ここに起こっていることだけ。だから、目の前にあるものを抱きしめる。目の前にある愛おしいものを、ぎゅっとぎゅっと抱きしめる。東直子著『甘い水』(リトルモア)は、長い詩のような美しい物語だ。時間軸をばらばらに、最後まで全貌のわからない奇妙な世界で展開してゆく。不思議な心地に誘われるように、するりと物語に浸り込むうちに、これまでに感じたことのない愛おしさに包まれていることに気づくのだ。

 物語のはじまりは、フランという少女が語り手。けれど、これが最後までフランの物語なのかどうかはっきりとはわからない。読み進めるうちに、フランの物語はいつしか途切れ、別の誰かの物語が語られはじめるからだ。やがて、その語りを引き継いだはずの人物も姿を消してゆく。読み手は不思議な語り口に戸惑いながら、うっすらと点と点がつながるとき、物語が響き合うのを目の当たりにする。見えない力に強いられて、あるときは記憶をなくして途方に暮れ、あるときは8人の子を産み、あるときは何人目かわからないいつわりの息子の何人目かわからないいつわりの母親になる…。断片的に語られる物語の中で、それでも失われることのないやわらかな感性が煌いて、“今”を生きようとしている。

 ひとつ、とも、それぞれ、とも言える物語の中で、たびたび記憶を奪われてもなお、懐かしく愛おしいものを手探りながら抱きしめる、その優しさ。目の前にある小さな命を、ただ“愛おしい”と思える母性。そういう感情たちが、孤独と喪失にふるえながらも懸命に根を下ろしている。意識してするのではない。ただ自然に、するりと気持ちの向くほうへ、向くほうへ。“優しさ”と思ってするのではない。“母性”と思ってするのではない。誰かに強いられてするのでもない。わたしたち一人一人に備わっている、まだ見ぬ力が導いてそうするのかもしれない。わたしのグリン、わたしのシバシ、わたしのソル、わたしのミトンさん、わたしの……物語に寄り添いながら、抱きしめたい人たちを目の前に、忘れたくないと思う。いつまでもふれていたいと思う。

 だからわたしたちは、目の前にある愛おしいものを抱きしめる。愛おしい…今、そう感じられることがすべてだと思う。今、ここにいることがすべてだと思う。もはや過去もない。未来もない。あるのは、今、ここにある思いだけなのだ。過ぎてしまえば、すべてのものが曖昧になる。過ぎてしまえば、本当も嘘もない。ただあるのは、今、ここに起こっていることだけになる。だから、目の前にあるものを抱きしめる。目の前にある愛おしいものを、ぎゅっとぎゅっと抱きしめる。ただ自然に、するりと気持ちの向くほうへ、向くほうへ。愛おしいものを抱きしめながら、目の前に広がる世界に一歩、また一歩と進んでゆけばいい。怖いものなどない。わたしはただ、愛おしいものを抱きしめていれば、それだけでいいのだ。

4898152856甘い水 (真夜中BOOKS)
リトル・モア 2010-03-08

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)
 ・『ゆずゆずり』(2009-07-02)
 ・『さようなら窓』(2009-07-25)
 ・『らいほうさんの場所』(2009-12-15)
 ・『水銀灯が消えるまで』(2010-04-05)


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2010.04.05

水銀灯が消えるまで

20100403_4003 日照りが続いた後の雨のようなぬくもりを持ったしめやかさで、しっとりと心によく馴染む物語たち。物語たちはどれもこれも摩訶不思議ながら、どこか儚げでほんのりと寂しくて、何だか物悲しくて、わたしたちの隙間に入り込んでは、あっという間に消えてしまいそうなほどおぼろげだ。今にも消えてなくなってしまいそうな夢の時間。その淡く切なく、届きそうで届かない感じ。そう長くはいられない。あまりに儚い夢のひととき。東直子著『水銀灯が消えるまで』(集英社文庫)という、さびれた郊外の遊園地「コキリコ・ピクニックランド」を舞台にした連作短編集には、そんな印象が残る。疲れた心をときほぐす力を備えた物語に寄り添えば、何とも心地よい雨上がりの空気と日だまりが待っている。

 一番はじめの「長崎くんの指」では、家出をして、することもなく、行くところもなく、さまよい歩いて寂れたコキリコ・ピクニックランドにたどり着いた女性が主人公だ。何とか住み込みでそこに働き口を見つけた主人公は、一目見て従業員である長崎くんの指を好きになる。なめらかなほの白い皮膚で、すっきりと細く、すんなりと長く、すべて適度にふくらんでいる節の几帳面さは、まさに知的で完璧な指だったのだ。そうして、逃げるようにして今までの多忙な暮らしを捨ててきた彼女の、ほんのひとときのくつろぎの時間が展開される。けれど、ささやかな幸せはそう長くは続かない。遊園地は閉園してしまうのである。だから続く短編たちは、その思い出としてどれもどこか儚く物悲しく感じられる。

 続く「バタフライガーデン」では、女を演じることの苦手な40代女性のコキリコ・ピクニックランドの従業員への淡い恋心を描く。「アマレット」では、マリアさんと観覧車の番人・森田さんの穏やかな時間が美しく儚げに描かれる。「道ばたさん」では、道ばたに倒れていた女性とのユーモア溢れる交流が印象的に描かれる。「横穴式」では、今までとは雰囲気ががらりと変わり、背筋がぞっとするような展開が待っている。「長崎くんの今」では、タイトルどおりに表題作から数年後の長崎くんが描かれている。ページをめくるほどにコキリコ・ピクニックランドという場所への愛おしさが増す。思い出を胸に朽ちてゆく時代遅れの廃園。そこにぎゅっと詰まった記憶の数々が、ひとつひとつ蘇ってくるのである。

 それぞれの人々がさまざまな事情を抱えて、たどり着いた場所。そこはどんなに寂れていようとも輝かしい楽園でもあり、足を踏み入れた途端、呑み込まれて帰れない場所でもある。人は寂しさを埋めるためにここを訪れ、思い思いにぽっかり空いた空虚感をそれぞれに満たしてゆくのだろう。また、あとがきにかえて収録されている「夕暮れのひなたの国」も印象的。幼かった頃の“おねいさん”との思い出の話である。少女の記憶に刻まれた日々は戻らずとも、決して消えることはない。ほんの少し日常から自由になりたいとき、真面目であるがゆえに日常が苦しくなってしまったとき、そんなときにもう一度読み返して、ほんのひととき夢の世界へ誘われたいと思う。どれもこれもが愛おしい物語だった。(『長崎くんの指』改題)

408746539X水銀灯が消えるまで (集英社文庫)
集英社 2010-02-19

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)
 ・『ゆずゆずり』(2009-07-02)
 ・『さようなら窓』(2009-07-25)
 ・『らいほうさんの場所』(2009-12-15)


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2009.12.15

らいほうさんの場所

20091214_4004 まぎれもなく家族だった。守るべきもの、失ったものを同じにして、ただただ彼らは家族だった。どこかにいる誰か、わたしたちとよく似た。家族であるという絆は、本当は何でもよかったのかもしれない。何かを象徴するもの。よりわかりやすいかたちであるなら、なおさら。彼らが傾く先へとつながっていれば、それだけで。血のつながり、ひとつ屋根の下での日々、共に重ねてきた時間…家族であるという事実をつぶさに照らしてみれば、彼らはどうしようもないくらいに家族だった。東直子著『らいほうさんの場所』(文藝春秋)。かつて封印し、秘められ、ふれてはならないものを持つ、三姉弟が織りなす物語である。家族の小さなほころびと再生とが細やかに描かれ、独特の余韻を残してゆく。

 インターネットの占いで生計を立てている長女、市民センターで働くバツイチの次女、日雇い労働をしている大人になりきれない弟。彼らは、亡き両親が残してくれた庭付きの分譲マンションで、三人寄り添うようにして暮らしている。庭の片隅には、彼らが“らいほうさんの場所”と呼ぶ秘密の場所があり、大切にしている。だが、穏やかな暮らしはある人物の登場をきっかけに崩れ始めるのだ。小さなほころびは次第に不気味さを放ち出し、家族関係をゆさぶる。読み手であるわたしたちは、いつしか長女が考える占いの文章に引きずられるように、騒動の中に呑み込まれてゆく。彼らがかつて封印し、秘められ、ふれてはならない部分に、手探りのまま踏み込んでいることに気づくのだ。

 “らいほう”とは、“来訪”のこと。物語の中では、容易には踏み込んではいけない聖域のように扱われている。花を絶やさず、その存在を崇めるようにして。三姉弟を結びつけている“らいほうさんの場所”とは、一体何なのか…ほのかな可能性を示されるだけで、確かなことは明らかにされない。けれど、それが家族を強く結びつけていることは容易に理解できる。謎めきは終始独特な雰囲気を漂わせ、家族の問題を浮き彫りにする。そうして気づく。思えば、家族であろうとするために彼らが努めていることは、わたしたちのそれと大して変わりないと。決して奇異なことではない。どこの家族にも在り得ることとして、この物語はわたしたちにするすると沁み込んでゆくのだった。

 家族であるために、家族だからこそ、わたしたちはさまざまな思いを抱えている。僅かなほころびも、侵してはならない領域も、まるごと全部含めて。全てが愛しさのかたまりだから。まぎれもなく家族だから。その証明を解き明かすように、日々を積み重ねて暮らしている。暗黙の了解として流れがちな、ひとつひとつのことを今更ながらにこの手に広げてみれば、嗚呼とため息ばかりがこぼれてくる。こんなにも強く、こんなにも深く、わたしを募らせるものは他にないだろうと。わたしが今いるこの瞬間にも、見えない力であたたかに守られている気がするのだ。どうしようもないくらい大きな力で。どうしようもないくらい強く深く。わたしたちは、まぎれもなく家族であるから。

4163286802らいほうさんの場所
文藝春秋 2009-11-11

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2009.07.25

さようなら窓

20090615_018_2 さよなら。さようなら。サヨナラ。サヨウナラ…幾度ものさよならを繰り返して、人は少しずつ確実に成長する。会いたくても、会いたいからこそ、会わない選択肢。別れたくないからこそ、別れるという選択肢。そういうものもこの世の中にはあるものだ。すべては自分が決断すること。どの選択肢が正しいかなんて、わからない。でも、わからないからこそ、迷いに迷って自分でその選択を信じることが大事なのだと思う。東直子著『さようなら窓』(マガジンハウス)は、きいちゃんと呼ばれる女の子の成長の物語である。ゆうちゃんのくれたたくさんのやさしい物語に包まれながら、一大決心をするまでの過程を、やわらかなタッチで描いてゆく。ほんのり切ない、きゅんとする別れの物語である。

 ひょんなことから一緒に暮らし始めたきいちゃん(築)とゆうちゃん(佑亮)。恋人同士の二人。ゆうちゃんは、きいちゃんが眠れないとき、いろんなお話をしてくれて、どこまでも優しくあたたかく包み込んでくれる。その優しさに甘えてばかりいてはいけないと思いつつも、ずるずると甘えてしまうきいちゃん。彼女は大学を休学し、ゆうちゃんのもとに転がり込んだ居候の身。仕事を探してみたり、実家に戻ってみたりするものの、やっぱり最後にはゆうちゃんの優しさに甘えてしまうのだ。けれど、疎遠だった実の父親が末期の癌であることを知ったきいちゃんは、ゆうちゃんと会わない決意をし、たった一人で父親を看取る。そうして、ゆうちゃんとの本当の“さようなら”が待っているのだ。

 ゆうちゃんが話してくれる不思議な話と二人が出会う人々は、最後の章の伏線のようになって、静かな余韻としてじんわり残る。「泣いた赤おに」について語り合う二人、近所に住んでいたこうちゃんちの話、ジャム作りを教えてくれたお春さんの話、転校生の少女の話、特撮の小道具をつくっていた岩ちゃんの話、ゆうちゃんの友だちの中田剛蔵の話、謎のくしゅを置き土産にくれたミリさんの話、お隣に越してくるはずだった男性の話、同じアパートに住む偽加藤さんの話…などなど。ふわふわとどこか現実離れした話ばかりながら、妙なくらいしっくりと現実と混ざり合って、独特の小説世界を作っている。そしてさようならが待っているからこそ、どれもがかけがえのない愛おしいものとなる。

 きいちゃんの抱えているもの。それは、決してゆうちゃんの優しさでは解決しない、満たされないもの。ゆうちゃんに頼りながら、ずるずるとこのまま生きてゆくわけにはいかないのだ。どっぷりと甘えるだけではなくて、地に足をつけて自分なりの人生を歩むときがくる。会いたいからこそ、会わない選択肢。別れたくないからこそ、別れるという選択肢。そういうものもこの世の中にはあるのだ。すべては自分が決断すること。どの選択肢が正しいかなんて、わからない。でも、わからないからこそ、迷いに迷って自分でその選択を信じることが大事なのだと思う。そう、わからないからこそ、新たな一歩を踏み出す必要があるように思うのだ。きゅんとせつない物語だけれど、清々しいおしまい。

4838718578さようなら窓
東 直子
マガジンハウス 2008-03-21

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)
 ・『ゆずゆずり』(2009-07-02)
 ・『長崎くんの指』(2009-07-23)


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2009.07.23

長崎くんの指

20090624_033 日照りが続いた後の雨のようなぬくもりを持ったしめやかさで、しっとりと心によく馴染む物語たち。物語たちはどれもこれも摩訶不思議ながら、どこか儚げでほんのりと寂しくて、何だか物悲しくて、わたしたちの隙間に入り込んでは、あっという間に消えてしまいそうなほどおぼろげだ。今にも消えてなくなってしまいそうな夢の時間。淡く切なく、届きそうで届かない。そう長くはいられない。あまりに儚い夢のひととき。東直子著『長崎くんの指』(マガジンハウス)という、さびれた郊外の遊園地「コキリコ・ピクニックランド」を舞台にした連作短編集には、そんな印象が残る。疲れた心をときほぐす力を備えた物語に寄り添えば、何とも心地よい雨上がりの空気と日だまりが待っている。

 表題作「長崎くんの指」では、家出をして、することもなく、行くところもなく、さまよい歩いて寂れたコキリコ・ピクニックランドにたどり着いた女性が主人公だ。何とかそこに住み込みで働き口を見つけた主人公は、一目見て従業員である長崎くんの指を好きになる。なめらかなほの白い皮膚で、すっきりと細く、すんなりと長く、すべて適度にふくらんでいる節の几帳面さは、まさに知的で完璧な指だったのだ。そうして、逃げるようにして今までの多忙な暮らしを捨ててきた彼女のほんのひとときのくつろぎの時間が展開される。けれど、ささやかな幸せはそう長くは続かない。遊園地は閉園してしまうのである。だから続く短編たちは、その思い出としてどれもどこか儚く物悲しく感じられる。

 「バタフライガーデン」では、女を演じることの苦手な40代女性のコキリコ・ピクニックランドの従業員への淡い恋心を描く。「アマレット」では、マリアさんと観覧車の番人・森田さんの穏やかな時間が美しく儚げに描かれる。「道ばたさん」では、道ばたに倒れていた女性とのユーモア溢れる交流が印象的に描かれる。「横穴式」では、今までとは雰囲気ががらりと変わり、背筋がぞっとするような展開が待っている。「長崎くんの今」では、タイトルどおりに表題作から数年後の長崎くんが描かれている。ページをめくるほどにコキリコ・ピクニックランドという場所への愛おしさが増す。思い出を胸に朽ちてゆく時代遅れの廃園。そこにぎゅっと詰まった記憶の数々が、ひとつひとつ蘇ってくるのである。

 それぞれの人々がさまざまな事情を抱えて、たどり着いた場所。そこはどんなに寂れていようとも輝かしい楽園でもあり、足を踏み入れた途端、呑み込まれて帰れない場所でもある。人は寂しさを埋めるためにここを訪れ、思い思いにぽっかり空いた空虚感をそれぞれに満たしてゆく。また、あとがきにかえて収録されている「夕暮れのひなたの国」も印象深い。幼かった頃の“おねいさん”との思い出の話である。少女の記憶に刻まれた日々は戻らずとも、決して消えることはない。ほんの少し日常から自由になりたいとき、真面目であるがゆえに日常が苦しくなってしまったとき、そんなときにもう一度読み返して、ほんのひととき夢の世界へ誘われたいと思う。どれもこれもが愛おしい短編集である。

4838716842長崎くんの指
東 直子
マガジンハウス 2006-07-20

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)
 ・『ゆずゆずり』(2009-07-02)


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2009.07.02

ゆずゆずり

20090627_010 日常をゆうるり生きるコツのようなものは、なりゆきまかせであれこれ悩まずに、訪れることをまるごと受け入れてゆくことなのかもしれない。そして、きっちり計算するのでもなくて、なんとなくぐらいの気持ちで余裕を持っているほうがいいのかもしれない。そうして生まれた隙間は一瞬一瞬を豊かにし、物事を楽しむことを見つける助けとなる。東直子著『ゆずゆずり』(集英社)は、そんなことを思わせてくれる一冊である。物語のようなエッセイのようなその曖昧さの中で展開される日常は、どこか非日常的でありながら人を慈しむ気持ちや懐かしい気持ちを呼び起こし、今生きているこの瞬間を愛おしく思わせる。同じ日常は二度と訪れない。そのあたり前のことをふと忘れている自分に気づくのだ。

 文筆業のシワスという女性の何気ない日常を綴る18編が収録されているこの本では、生まれ月にちなんで、他にイチ、サツキ、ナナと呼び合う同居人たちが登場する。シワスたちは“元の家”から人工都市の“仮住まい”のマンションの一室に移ってきて、ようやく馴染み始めたところだったが、やがてそこを出て“新しい家”へ引っ越してゆくことになる。新しい家を決めるまでの葛藤、決めてからのためらい、引っ越し前後の慌しさの中で、人が生き、日々の生活を営むことについて思いを馳せる。仮の家に移ったからこそわかる、家というもののあり方や、蘇ってくる懐かしい家の記憶…などなどシワスの頭の中は実際に起こった出来事だけでなく、過去の記憶や妄想とあいまって様々に膨らむから面白い。

 一見、誰にでもあるような、なんということもない、なんとなくな日常だが、読んでいてときどきはっとするような場面にあちこちで遭遇する。仮の家で君子欄が咲いたのを見て、冬の寒さを感じなければ、花は咲かないと思う。お腹がすかなければ、食べ物はおいしくないと思う。貧乏を経験しなければ、お金のありがたみが分からないと思う。淋しさを知らなければ、賑やかさがうれしくないと思う。ふられたことがなければ、恋の成就で涙が出ないと思う。何事も花が咲くカラクリと同様に、相反する部分に意味を宿していると考えるのだ。ただ花が咲いただけで、物事を飛躍させるシワス。些細なことから不思議な方向へと思考をめぐらせるあたりがユニークである。ときには暴走だってしてしまう。

 また、読み手を面白いとも可笑しいとも思わせるのは、そこに穏やかな優しさが感じられるからなのかもしれない。同じ人間という生き物としての共感、何よりも人への慈しみ…そういたものに溢れているからなのかもしれない。けれど、その思いも全く同じものが再び訪れることはない。再度、この本を開いたときに違う部分に共感を呼ぶのと同様に、そのときそのとき、今という瞬間がかけがえのないときなのだと思い知らされる。シワスの思考が過去の思い出や空想へと広がるとき、人間が生きてゆく上での楽しさや豊かさは実体験だけではないのだとも教えてくれる。失った数々のものたちを思ってほんのり悲しくなるのは、戻らない日々があるという現実だ。だからこそ、一瞬一瞬が愛おしくなる。

4087712842ゆずゆずり
東 直子
集英社 2009-03

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)


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2009.06.29

とりつくしま

20090627_024 この世を去るということ。つまりは死んでしまうこと。それには数多くの未練や複雑に絡み合う感情が渦巻いている。心残りに思うことは、きっと少なからず誰しもあるのだろう。自分が唐突にいなくなった世界を、少しばかり見てみたい思いだってあるに違いない。残してきた家族、愛する人がどんなふうにその後を暮らすのか。覗き見てみたい気持ちもほんのりあるに違いない。東直子著『とりつくしま』(筑摩書房)は、そんな後悔や心残りのある死んだ人、いわゆるとりつくしまもなく、為すすべをなくした人々に“とりつくしま係”さんが、そっと問いかけるように語りかけて、“とりつくもの”に戻してくれる、という設定の連作短編集。切なくてほろほろきて、じんと胸の奥に響く物語たちである。

 “とりつくもの”といっても、生きている魂のあるものはダメだ。モノにだけとりつくことができる。だからモノとりつくことになる死んでしまった登場人物たちは、大切な家族や愛する人、好きな人などの近くのモノにとりつくことになる。ときには大事にされて、ときには邪険にされて、それでもやがてはあの世に向かってゆっくりと進むしかない。いつまでもとりつくモノでいられるわけではない厳しい現実が待っている。野球のロージン、トリケラトプスのマグカップ、青いジャングルジム、白檀の扇子、名札、日記、マッサージ器、リップクリーム、カメラ、補聴器…と、死んだ人はいろいろなものになる。それぞれに思いを込めて。そこには生きるということの刹那を実感させるドラマがある。

 中でも一番はじめに収録されている「ロージン」の母親は、何とも潔くていい。14歳の息子を残して死んでしまった母親が、野球の試合で使うロージンという、ピッチャーが投げる前に手につける白い粉にとりつく物語だ。粉は試合が進めば進むほどに少しずつなくなってゆく。それでも、ほんの少しでも息子の傍にいることを切望するのだ。消耗品として、もう少しだけ一緒にいたいと。長く一緒にいると、余計に辛い思いをするからと。逝くということを真摯に受け止め、別れを決意するその姿は、母親としても、一人の人間としてもさっぱりしていて気持ちよい。母親としての最後の役目を終えてからさよならする。自分の心を整理する。悲しいことに変わりないけれど、こんなふうに締めくくれたら理想だ。

 また「白檀」も印象深い。16歳にして白檀の香りを放つ書家の先生に魅せられた桃子が、ひたすらに先生を慕い続ける物語だ。弟子にまで上りつめて傍にい続けようと思っていた矢先の死。そして、先生に贈った扇子にとりつくことになるのである。夏が来るたびに先生とふれあえる。それだけでいい、と。静かにひたひたと綴られる桃子の切ない思いは、どこまでも美しく繊細な物語になっている。ひそやかに、さりげなく、尽くすという一人の女性の生き様が、奥ゆかしくもあり、いつまでも心に沁みてくる。誰かをここまで慕い続けること。想い続けること。そして、思い出深い品があることに、羨ましい気持ちになってくる。果たしてわたしには、それほど思い入れのあるものがあるだろうか、と。

4480804072とりつくしま
東 直子
筑摩書房 2007-05-07

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)


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2009.06.05

薬屋のタバサ

20090604_011jpg_effected 過ぎ去った時間は戻らない。戻らないから、戻れるはずもなく、あくまでも過ぎ去った時間としてだけここにある。そして、今起こっていることのすべてが、こうなるしかなかった必然としてわたしたちの前に立ちはだかる。後戻りなどできない。逃れようもない。だから生きるしかない。自分の足でしゃんと立って、前を見据えなくてはならない。投げやりでも、無意識でも、わたしたちは進む。足の向くほうへ。導かれるままに。たどり着いた先がきっと、自分の場所。そう信じることで、自分の生を肯定できる気さえする。東直子著『薬屋のタバサ』(新潮社)は、自分の存在を消そうとしていた女がとある薬屋にたどり着き、そこの店主や町の人々との不思議な日々送る日常を描いたものだ。

 身寄りを置き去りにして山崎由実が流れ着いたのは、商店街のはずれにある古めかしい薬屋。その名も“タバサ薬局店”。彼女がどこからやってきて、なぜその町に流れ着いたのか、誰も知らないばかりか。本人すら記憶はおぼろげでわからない。独身の店主のタバサは、つかみどころがなく、謎めいた男である。けれど、町の人々からは絶対的な信頼を寄せられており、タバサの調合する薬を求めて様々な人々がやってくるのだった。“ここに置いて欲しい”という言葉に生活全般の労働と引き換えに、わずかな給与さえ与えてくれる。夫婦でもない。恋人でもないそんなふたりの関係は、いつしか当然のようになってゆく。由実もタバサに次第に馴染み、タバサの処方された薬によって解き放たれてゆく。

 代々、医者であり薬剤師であるこのタバサという人物は、つかみどころがなく謎の多い人物である。年齢も定かではないし、彼の口から語られる話はどこまでが本当なのかわからない。タバサという「奥様は魔女」から名づけられたという名前からして、怪しげである。けれど、妙な説得力があり、こちらに反論する余地を与えないところがある。何しろ由実はどこからか逃げ出してきた身。タバサのところにいると決めとき、誓う。うしろは振り向くまい。思い出さないこと。迷わないこと。<わたし>に取り残された人生を、ただ静かに生き抜くこと。平穏な時間以外に、欲しいものはもう何もないと覚悟したのだった。けれど、タバサの口から語られる過去の記憶によって揺さぶられてしまう由実である。

 タバサの調合する薬の不思議な力、謎めいた夜の巡回、店を訪れるワケありの態度の人々、あらゆるものを飲み込んできたという庭にある池。それらに、由実の決意はなんなくあっさりと揺らぎ出すのである。わからないことだらけ。けれど、それが不思議と心地よい。たゆたうことの愉悦の中で、過ぎ去った時間は戻らないことを知る。そうして今起こっていることのすべてが、こうなるしかなかった必然としてわたしたちの前に立ちはだかる。後戻りなどできない。逃れようもない。だから生きるしかない。自分の足でしゃんと立って、前を見据えなくてはならない。わたしたちは進む。足の向くほうへ。導かれるままに。解き放たれてゆくのだ。たどり着いた先がきっと、自分の場所なのだから。

4103150319薬屋のタバサ
東 直子
新潮社 2009-05

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