42 蜂飼耳の本

2012.02.24

うきわねこ

20110309_003jpg_effected ふわふわとしたやわらかさのあるタッチで、きょとんとしたあどけない表情で大きなうきわを手にしている小さな猫のパステル画の表紙に、猫好きならずとも多くの人が強く惹きつけられる、蜂飼耳・文、牧野千穂・絵による『うきわねこ』(ブロンズ新社)。しかも物語はただの猫のお話ではないのである。猫の名は「えびお」。猫なのに「えびお」。そして、猫なのに猫としては描かれていない。猫の姿をしているけれど、一人の男の子として描かれている一冊だ。満月の夜のおじいちゃんとえびおの不思議な冒険を、臨場感溢れる丁寧なタッチのパステル画と独特の鮮やかな言葉遣いの文章とで楽しませてくれる。とても素敵な世界へと読み手を誘ってくれる絵本である。

 ある日、えびおの元におじいちゃんから誕生日プレゼントが届く。開けてみると、赤と白の縞模様のうきわである。えびおの住む街には海も川もプールもない。どうしてうきわなのだろうと、えびおもえびおの両親も不思議がる。けれど、プレゼントのうきわにはそっと手紙が添えられていた。えびおはとっさに手紙を取り出して、こっそり一人で読む。“とくべつなうきわです。つぎのまんげつのよるをたのしみにしていてください”と、おじいちゃんの言葉がある。そして待ちに待った満月の夜、えびおはうきわをふくらませてベランダへ。不思議なことに、体がふわりと浮かび、月に引き寄せられるように空に向かって飛ぶことができたのだった。

 すると、やはりえびおと同じようにうきわにつかまったおじいちゃんが、満月の前で待っていた。そしてふたりは海へ行く。えびおにとっては、はじめての海である。そうして不思議な特別な忘れられない体験をする。海で釣りをする場面では、釣った大きな魚を貪るように食べるさまだけは、リアルな猫らしさが漂う。いや、面白いことに野生の猫そのものなのだ。ああ、やはり猫だったのだ……読み手はどこかそのことにほっとする。そして、澄ました顔でおむすびなんかを食べていたえびおにも、そのえびおという名前にも、これまで男の子としてしか描かれていなかった部分も含めて、猫の姿をしたえびおとおじいちゃんを、特別な“うきわねこ”として認識するようになる。

 おじいちゃんと孫。そのふたりだけの秘密の出来事を描いたこの物語を読み終えて、この旅はとてもわくわく感に満ち溢れた特別な夢物語だけれど、どこか悲しさも含んでいるようにわたしには読み取れた。この出来事は、えびおにとってもおじいちゃんにとっても、かけがえのない思い出となるだろう。でも、おじいちゃんはもしかすると、この夢のような体験をのこして、去りゆく人なのではないかと思うこともできる。たとえばどこか遠くへと旅立ってしまう前のふたりの時間なのかもしれない、と。おじいちゃんは孫であるえびおに大事なバトンを渡す、先にこの世を去る人なのだ。語られない部分に思いをさまざまにめぐらせて、読み手がいろいろに解釈できる、とても奥行きある物語である。

4893095234うきわねこ
蜂飼 耳 牧野 千穂
ブロンズ新社 2011-07

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2009.03.08

のろのろひつじとせかせかひつじ

20090308_012 他者を通して見えてくるものがある。自分にはないもの。自分の嫌な面。醜い面。好ましい面。自分以外の他者のフィルターを通して見えるものがはっきりとわからずとも、通じ合えたときの喜びたるや、何ものにも変えがたいものがある。「軽くなる日」「箱のなかみ」「葉っぱ」「王さまの町」「青いマフラー」「いとこ」の6つの物語からなる、蜂飼耳作、ミヤハラヨウコ絵『のろのろひつじとせかせかひつじ』(理論社)には、全く異なる性格のひつじたちの日常が描かれている。二匹はお隣同士で、とっても仲良し。相手のことを思いやりながら生きている。一緒に遊んだり、おしゃべりしたり、遠くへ出かけたり…そうして、異なる二匹でいることで、相手のことや自分のことが見えてくる。

 のろのろひつじは、文字通りにいつだってのろのろマイペース。せかせかひつじも、文字通りにいつだってせかせかしている。けれど、毎年そろって町へ出かけて行く。せかせかひつじの後をのろのろひつじはゆっくり歩くから、その距離はどんどん広がってしまい、のろのろひつじは望遠鏡でせかせかひつじのことをときどき確認しながら進む。せかせかひつじは、望遠鏡で見られていることなど知る由もないのだけれど、それでものろのろひつじのことを思って休み休み進む。途中でチョコレートなんか食べたりしながら。そうして、のろのろひつじが息を弾ませて追いついてくる姿を見ると、申し訳ない気持ちになったりする。この二匹のコンビネーションがなんともよく現れている「軽くなる日」。

 そんな二匹のコンビネーションは、続く物語でも絶妙だ。異なる性格だからこそできること。異なる相手だからこそできること。そうした他者と違っていることが合わさることで、つながれる喜びというものがあること。のろのろとせかせか。間逆だからこそ新しいものが生まれる瞬間がある。違っていることは決して二匹にはマイナスにならない。持っているものは与えればいい。足りないものは補い合えばいい。そうやって二匹は助け助けられ、これまでの日々を生きてきたのだ。そして、相手を思えば思うほどに、自分にはない相手の魅力に気づいてゆく。自分自身についても気づいてゆく。自分の行く先にも気づいてゆく。のろのろだって、せかせかだって、どちらだって魅力を秘めているのだ。

 わたしの中で印象的だったのは“ちょっと、やせたんじゃない?”ではじまる「青いマフラー」という物語。マフラーをなくしてしまったのろのろひつじのために、せかせかひつじがマフラーを編むのだ。何をやってもスローペースなのろのろひつじは、編み物もスローペース。せかせかひつじは編み物が大得意。ならば、のろのろひつじのために自分の毛を刈りながらこっそりマフラーを編もうではないか、と思い立つ。これまで自分のためにしか編み物をしたことがなかったせかせかひつじは、マフラーを編んでいることを言いたくて言いたくてたまらない。もどかしさと優しさ溢れるあたたかな想いに、胸がきゅうんとなる。のろのろ、せかせか、どちらも違っていて、どちらもいいのだった。

4652013116のろのろひつじとせかせかひつじ (おはなしルネッサンス)
蜂飼 耳
理論社 2009-01

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2008.05.02

転身

20070421_036 息をするように。流れるように。何事にもいつかは慣れてゆく。だからゆうらりと身を委ねて、次々と訪れる転機に身も心もあずけてゆく。まるで擬態のごとくかたちを変え、その色に染まる。ああ、この人と生きてきたような気がする。そうして目の前にいる人を好きになる。好きにならずにはいられない。無意識のうちに変化を遂げてゆく一人の女性の物語、蜂飼耳著『転身』(集英社)。バイト先の友人に誘われるまま北の島へ来た琉々(るる)は、マリモを売る仕事を手伝うことになる。女であることに飽きた頃に身籠もり、やがて湖の畔で木彫りをする人たちの生活に馴染んでゆく。忙しなく身を変え、出会い別れ、また出会う様は、どこか神秘的で夢を見ているような心地にさえなる。

 この物語の主人公・琉々。実に淡々と生きている。決して感情的にならず、何事も流れにまかせる。漂うように、ゆらりゆらりと生きているのだ。だからバイト先の友人(といってもよくは知らない)が突然いなくなっても、いなくなった事実だけを受け入れる。たくさんの思いが胸の中を渦巻こうが、必要最小限のことしか口にしない。いや、むしろ大切なことすら呑み込んでしまっている。何度も何度も言葉を呑み、圧倒的に足りない言葉の中で築かれる人間関係は、はたして深いものであるのかわからない。けれど、曖昧ながらただはっきりとわかるのは、目の前にあるものをまるごと受け止めるという、言葉で多くを語るよりも態度で示す、その根源的なコミュニケーションだ。

 だからこそ、目の前にいる人をするりと好きになり、愛するようになる。共に暮らせば、ずっと以前からその人と生きてきたような心地になる。相手のことを何も知らなくても、自然とそんな感情がわき出てくる。そして、そこに横たわる繋がりを思ってみたりする。流れるままに流される。けれど、ただ流されるのではない。心をひらいて。できるかぎりニュートラルな状態で。呑み込んだ言葉の数だけ、誰かと結ばれるようにと。息をするように。流れるように。わたしたちはもっと身を委ねるべきなのかも知れない。目の前にあるものをまるごと受け入れる強さと、それとそつなく付き合える器用さで。息をするように。流れるように。あるがままに。ゆうらり、ゆうらりと。

4087712184転身
蜂飼 耳
集英社 2008-04-02

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2008.05.01

いまにもうるおっていく陣地

20070428_022 言葉をかきわけてゆく快感にはたと気づく。文字の波間。その連なりに、骨の髄までひたひたと染み入ってくる。容易にはわからないからこそ何度も噛みしめる言葉があり、容易に理解できてしまうからこそあっさりと流れてゆく言葉がある。そうして、いつしか脳裏に浮かんでくる光景は言葉という制限をこえて、伸びやかなまでにわたしたちを導く。蜂飼耳著『いまにもうるおっていく陣地』(紫陽社)。独特の豊かなリズムで紡がれる、著者ならではの詩15篇を収録した一冊である。古典の文語体と現代の口語体を自由に行き交うスタイルは、中原中也賞を受賞したこの第一詩集から既に完成されており、その言葉のセンスにたびたびはっと息を呑む。

 タイトルになっている「いまにもうるおっていく陣地」。ためらいつつも夏草に覆われた廃屋に足を踏み入れ、流しの水が出たままになっているのを目にする。ひねってもなお、いっこうに締まらない(湧き水から引いている)蛇口。水際にあるこの家が、植物によって侵食されているのを目にする。そこで感じるのは、朽ちても確かに残る人の息づかいと植物の息づかい。その共生だろうか。だが、それをひたひたと感じている観察者に対して、連れの彼女は大胆にも残る息づかいを踏みしめてしまう。そして、この廃屋の陣地なるものがそうした行為によって、何らかの変化をきたしてゆくのだ。それが何だかとても親しみ深いことのように思えて、わたしはほっと安堵した。

 「たこ」という一篇では、霧雨をさけて店内でコーヒーを飲む二人が描き出される。コーヒーカップを上げ下げする行為が繰り返され、うわのそらなのか気まずい雰囲気なのか、長い時間が経過してゆく。二人の間には相容れない領域なるものがあるのかもしれない。いや、それは今に始まったものではなく、もっと根源的なものなのかもしれない。二人という関係性の在り方を思うとき、さまざまに思いめぐらすわたし自身の過去や現在と何かがシンクロして、不思議な心地に包まれる。この一篇では、コーヒーカップが骨壺と表現されているあたりが何ともおかしく、もしかしたらデートなのか。それも緊張の初デートなのか…などといらぬ妄想を掻き立てるのだった。

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2007.12.21

紅水晶

20061015_006_2 いくつもの呑み込む言葉があって、僅かばかりの発する言葉があって。そうしてわたしは無口になる。ひどく、ひどく。悪いな。そう思う。けれど、それすらも言葉にならない。一人でいても独り言すら呟けず、多くの言葉を聞き流しては呑み込むのだ。繰り返し、繰り返し。蜂飼耳著『紅水晶』(講談社)を読み終えてそんな思いを抱いたのは、この作品の中の、呑み込まれた言葉がひどく印象に残ったからだろう。登場人物は、鋭いともいえるくらいの視線を持ち、饒舌に心情を語るだけの言葉を持っているにもかかわらず、相手にそれを伝えない。敢えて伝えない。だからこそじんじんと伝わってくる空気感があり、その緊張は多くを語らないことを肯定する。

 表題作「紅水晶」。結婚を口にする恋人を好きだと思いながら、実感がわかない百音(もね)。ぼんやりしているうちに時間だけが過ぎ去り、恋人を思い出す余裕もない。二人の距離には、大きな溝が感じられる。そんな中、石屋を営んでいる恋人のもとにあった、蛙の置物が売れてしまう。百音が気に入っていたものだ。そして蛙の買い手である丸山があらわれて、物語は急展開を迎えるのだ。途中の、タイトルにもなっている“紅水晶”を恋人と百音が探しに行く場面は、思わず息を潜めてしまうほどインパクトがあり、そこに漂う音や鮮やかな色、リアルなまでの手触りなどが、確かなものとして刻まれてゆく。宙に浮く言葉や気持ちとは、うらはらに。

 表題作の他に収録されている「崖のにおい」「こぼれ落ちる猿の声」「くらげの庭」「六角形」についてもやはり、いくつもの呑み込まれた言葉が印象的である。余計なことは言わない方がいい…というような、突き放したニュアンスではなく、例えば、そっと見守るような呑み込み。例えば、簡単に同意するのでも共感するのでもなく、ひとつの個を大切にするがゆえの呑み込み。それらは言葉を慈しむがゆえのものに違いなく、著者が“言葉”というものに対して真摯な姿勢を貫いているからなのだろう。また、作品の端々には独特の表現が見受けられ、詩人ならではのこだわりと表現に対する挑戦のようなものも感じた。いい作品と出会った。素直にそう思う。

4062143879紅水晶
蜂飼 耳
講談社 2007-11-30

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2007.12.08

エスカルゴの夜明け

20071204_055 この世の中に起ころうとしていること。そのすべてを受け止める。食べて、笑って、愛して、喜んで、失って、泣いて…そうやって、まるごと全部を味わい尽くすのだ。たぶんきっと、それが人生の醍醐味。たぶんきっと、それが生きるということ。蜂飼耳・文、宇野亜喜良・絵『エスカルゴの夜明け』(アートン)には、限りない人の営みを存分に味わう少女の姿が描かれている。少女はもはや、大人が思っているほどには子どもではない。いつからかいつのまにか、少女時代から別れを告げる時が訪れるのだ。物憂げな大きな目で、確かなものを見据えているのだ。少女から一人の女性へ。その境界ははっきり知れないからこそ、魅惑のものに違いない。

 <わたし>を引き取ったおじさんは、エスカルゴを食べさせてくれない。売り物だからという理由で。でも<わたし>は、知っている。夜遅くにおじさんがエスカルゴを食べているのを。別にとりわけエスカルゴが食べたいわけではないのに、心は晴れないでいる。やがておじさんのことも、毎日世話をしているエスカルゴのことも嫌になった<わたし>のところへ、男の子が訪ねてきて――。少女の内面は物憂げながら、とても潔く描かれている。ちょっとぶっきらぼうで、それでいてときどき大人びた雰囲気を漂わせて。生きることに貪欲な様が窺い知れるほどに、固い決意を秘めて。そうしてきっと、少女は女性になってゆくのだろう。今、まさに。

 この『エスカルゴの夜明け』は、宇野亜喜良の「肉屋の娘」という作品にインスピレーションを受けた蜂飼耳の詩と、蜂飼耳の書いた物語「エスカルゴの夜明け」にインスピレーションを受けた宇野亜喜良の絵が一冊にまとめられたものである。絵が先の作品と、言葉が先の作品と。いずれの作品とも、あまりにも見事に完成されているので、違和感なくするりとその世界観に浸ることができる。とりわけ、最後に収録されている「銀河」という詩の“やりなおしはきかないが やりなおすようなことなどなにもない この世には”というフレーズに添えられた黒いドレスの少女の絵は何とも言えないものがある。残酷で。美しくて。なおかつ、凛としていて。

4861930685エスカルゴの夜明け
蜂飼 耳
アートン 2006-11

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2007.02.26

ひとり暮らしの のぞみさん

20060712_33015 一人と、独りぼっちは違う。一人には、誰かと寄り添うことで二人にも三人にもなれる可能性があるけれど、独りぼっちは、あくまでも一人きりのままだ。もちろん、どちらにしたって、寂しさや孤独というものはつきものだし、部屋の隅っこで泣きたい時だってあるだろう。そんな時、心の片隅には誰かの存在がいて、何らかのかたちで支えとなってくれることがある。それは必ずしも、人である必要はないし、独りぼっちゆえの強みみたいなものが、どこかにあるのかもしれないのだけれども。どちらかというと、独りぼっちに近いわたしは、蜂飼耳・文、大野八生・絵による『ひとり暮らしの のぞみさん』(径書房)を読みながら、そんな思考をめぐらせたのだった。

 一人暮らしの、のぞみさん。彼女は大きな鳥かごを持っている。けれど、中には何もいない。気がつけば、鳥かごは日に日に大きくなってゆき、いつのまにか大きな鳥と小さな鳥が部屋に入ってくるのだった。そして、鳥のいる生活がスタートするのである。それまでの彼女は、かつていたはずの鳥の存在も忘れるほどに、忙しく日々に追われる生活だったように思われる。一人暮らしというよりは、独りぼっちの暮らし。それを指摘するかのような鳥かごの存在は、彼女の心の空洞の表れのようにも感じられてくる。それは、虚しさかも知れないし、寂しさや孤独といったものかもしれないし、日々のストレスの表れなのかもしれない。とにかく彼女は鳥たちによって救われるのだった。

 しかし、物語はのんびりと穏やかに終わるわけではない。鳥たちには鳥たちの生活があり、のぞみさんにはのぞみさんの生活というものがある。つかの間の幸せに満ちた日々というものは、そう長くは続かないのが世の中の常というものである。大きな鳥が去りゆく時、彼女は気づくのだ。3-1=2なのではなく、1+1=2なのだと。そして、やがて小さな小鳥が去った時も、思うのだ。3-2=1ではなくて、はじめから1だったのだと。はじめから1。それだけを言葉にすると、悲しい響きのものかもしれない。だが、物語を読んでいると、どこかしら強い絆や余裕のようなものを感じさせる1なのである。ただの1じゃなく、2にも3にもなれる1だというように。

 そう、つまり彼女は変わったのだ。生活自体に大きな変化はなくとも、内面的な部分で変わったのだと言えよう。一人の時間も悪くない。たまにはぼんやりと、聞こえてくる音に耳を澄ますのも、なかなかいいものだというふうに。絵本のように薄いこの物語には書かれていないのぞみさんのあれこれを想像してみると、なんだか自分のことのようにほっこりと嬉しくなってくる。独りぼっちに近いわたしの場合は、もしかしたら何よりも本を読んで物語に浸りきることが、最も効果的な心の支えなのかもしれない…なんてことまで考えながら、わたしもいつか一人じゃなくなる日をひそやかに願いつつ、のぞみさんの物語をそっと愛おしむようにおしまいにするのだった。

477050182Xひとり暮らしののぞみさん
蜂飼 耳
径書房 2003-10

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