50 皆川博子の本

2008.01.02

倒立する塔の殺人

20061124_4030 甘美なる謎めきに、ただもうくらくらと酔いしれる。物語に含まれる毒に自ら進んで冒されて、その身を委ねるほかないとすら思うほどに。そうして、ばらばらに散りばめられたいくつもの物語がひとつに終結するとき、その複雑に絡まり合う思惑はさらなる美しさを見せてくれるのだ。皆川博子著『倒立する塔の殺人』(理論社)は、戦時中の女子校を舞台に、図書館の本にまぎれていた一冊のノートをめぐる少女たちのひそやかな企みと、作中作とが絶妙に交わりながら展開してゆく物語だ。小説の書き回しをする少女たちによって、物語は次々とめぐってゆき、ある少女の奇妙な死をきっかけにして、その謎めきはさらなる甘美さを読み手に与えてくれる。

 物語の舞台が戦時中ということもあって、始終死の影がつきまとう。あまりにも死が身近にあるせいもあって、どこか感覚が麻痺したようにも思えるくらいに色濃く。だが、そんな中でも、少女たちの心の中にはある種の空想がひしめいている。少女たちの語る、文学や絵画に纏わる話には、感心することしきりである。とりわけ、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「白痴」、アンリ・バルビュスの「地獄」、エゴン・シーレやフランス・ハルスやレンブラントの絵画などは、とびきり魅惑的に登場するのだ。そこには、空想に浸らなければ生きてゆけない少女たちの切なる想いも綴られており、それぞれのモノローグと物語が錯綜して、読むほどに深みを増してゆく。

 また、引用されているバルビュスの「地獄」の一節“われわれのまわりには、どちらを向いても、ただ一つの言葉しかないと思う。それはわれわれの孤独をなぐさめるとともに、悦びの虚しさをあばく、あの廣大な言葉、すなわち無だ。”には、ただただ圧倒された。この物語に漂う虚無感を象徴しているようで、ふうっとため息をついてしまう。先に挙げた他にも、本好きは思わず目を奪われるタイトルがいくつも登場する。例えば、ストリンドベリ、シュニッツラー、ゾラ、ホーソン、ガストン・ルルー「黄色い部屋」、コリンズ「月長石」、江戸川乱歩、ランボーなどである。情けないかな、ほとんどが未読。これから機会を見つけて遅ればせながら、読んでゆきたいと思うわたしだ。

4652086156倒立する塔の殺人 (ミステリーYA!)
皆川 博子
理論社 2007-11

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2006.11.30

絵小説

20051109_005_1 ざわっと、ざわめく記憶。曖昧な、けれど忘れ得ない記憶。その記憶を手繰り寄せてみては、不確かな手応えを感じる。そう感じるがゆえに、自らの手で余計な脚色をする。記憶はやがて確かになるものの、それはもはや真実をこえてしまう。いつのまにか美化され、儚くも朽ち果てる本当の記憶。夢は夢のまま。幻想は幻想のまま。真実は闇の中に封印したまま。真実なんぞ、さもいらないかのように。わたしはいつまでも浸っていられる、都合のいい世界をつくる。夢の中で。幻想の中で。そうやって現実から逃げるように浸っていても、罪じゃないだろうか。皆川博子著、宇野亞喜良画『絵小説』(集英社)は、そんな思いを疼かせる。とびきり美しい作品だ。いつまでも浸りたい世界がここにはある。

 著者が選んだ詩。それに画が加わり、物語が紡がれる。記憶を手繰り寄せるようないくつもの物語は、それぞれが違う煌めきを持って、読み手の心にするりと入ってくる。あまりにもするりするりと入ってくるものだから、その夢を、その幻想を自分のものにしたくなるほどである。それらの現実と幻想の狭間で揺れながら、揺れることを楽しみながら、わたしはわたしの記憶に色をつけてゆきたくなった。もっと色を。もっと色を。際限なく求める思いは、やがて愚かしいまでの欲望を掻き立てる。見たこともない光景を思い描いて、知るすべもないことを知っているふりをする。そうして、わたしという輪郭が歪みはじめてから、ようやく気づくのだ。ああ、これは夢だった、と。

 わたしが一番心惹かれた作品は、「美しき五月に」である。十五歳までしか生きられない少女の、その生の繰り返しを描いている作品だ。少女には過去の記憶が残っている。生まれてから海に還るまでの記憶が。それも、何度も生まれては死ぬという、時をこえた記憶が。そして、必ず彼を見つけるのである。彼が少女に気づいているのかどうかは、わからない。でも、少女は彼に気づいてしまう。いつのときでも彼であると、知ってしまう。確かに覚えているのだ。その彼に見出した少女の性の愉楽。愛とは違う、倒錯した思いに気づいた瞬間。その内面の独白が続くのである。十五という年齢での歪み。微妙に揺れ動く感情。つぶさに感じ取れるひとつひとつのことに、わたしは心揺さぶられた。

 この少女の中には、過去も未来も現在もないはずだった。海に、はじまりも終わりもないのと同じように。海から生まれ、海に還るのだと信じていたから。どの生も同時に、在る。そう思っていたから。いや、確かだと知っていたから。時の流れが一直線にあることを知った先から、少女の中で何かが崩れゆく。そして、何かが目覚める。十五までの命と知っている少女の中で何かが蠢き始める。その蠢きに浸りながら、わたしは海を見た気がした。海の中にいる心地になっていた。まるで自分が、海に還る前のような心地に。本当は山の女のくせに。海などほとんど知らないくせに。もはや十五でもなければ、少女でもないくせに。この蠢きに呑まれてしまったのだった。どっぷりと。

4087748162絵小説
皆川 博子
集英社 2006-07

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