2008.04.28

平成大家族

20070428_009 すれ違い、すれ違う。近しいようで意外と遠い、家族という存在。よくよく知っているようで知らない。だからといって訊きたくても訊けない、その内情。家族だけれど、家族だからこそ思いは届かず、差し伸べた手は空回りすることだって少なくない。例えば一つ屋根の下に暮らしているということに安堵して、例えば血のつながりに甘えて、まるごとすっかり解り合えた気になること、しばしば。言葉にしなくちゃ伝わらないことは山ほどあるのに、どうかするとそれ以外のものに頼りっぱなし。案外厄介なモノ、家族。中島京子著『平成大家族』(集英社)は、そんな家族のあり様を現代社会の抱える問題と共に描き出す4世帯家族の連作小説集である。

 定職に就かず家にひきこもったままの長男・克郎という存在や要介護のタケを抱えつつも、穏やかだった緋田家。当主の龍太郎は妻・春子と悠々自適な隠居生活を楽しむはずだったが、長女の逸子の夫・聡介の事業が失敗したのを機に同居を申し込まれる。また、嫁いだはずの次女・友恵も離婚し、いつのまにやら身籠もって転がり込んでくる。逸子の息子を含め、合計8人(のちに9人へ)となった家族は、それぞれにさまざまな思いをめぐらせながら、日々を切々と生きている。家族が代わる代わる語ってゆく物語ひとつひとつのエピソードは大問題なのにもかかわらず、何だか妙にほろりときて、読み終えた頃にはいつしか登場人物一人一人が愛おしく思えてくるから不思議である。

 中でも、長男・克郎にスポットをあてた「ネガティブ・インディケータ」「冬眠明け」の外面的・内面的動きは印象的で、確かに一歩を踏み出した一人の人間の奇跡を見た気がした。読んでいる方も、嗚呼春だなぁ。まさに冬眠明けだよなぁと、にんまりと嬉しくなる展開なのである。また、春子にスポットをあてた「カラスとサギ」の淡い熟年層のゆれる思いにもぐぐっとくる。もう若くないのにもかかわらず、親の介護に子どもたちの心配まで抱え、なおかつ夫に振り回され…そんな忙しない心にほんの一時、あたたかな手が差し伸べられる物語である。こんな一編を読むと、母は強しと改めて思うわたしだ。すれ違い、すれ違う家族を支えるのは、きっとこういう存在に違いない、なんて思う。

4087712036平成大家族
中島 京子
集英社 2008-02-05

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2008.04.10

ツアー1989

20070409_021 そこには、わたしかも知れない誰かがいる。わたしの知らないわたしがいる。積み重なる記憶は、次から次へと止めどなく書き換えられてしまう。過ぎ去ってゆくものは皆、確かには刻まれない。それはあまりにも頼りなく、曖昧である。そう、だから記憶はときとして嘘をつく。刻まれたはずの記憶を甦らせるたびに、色を添え、意思を用いる。そうしてつくられた都合の良い記憶は、わたしたちの中でときどき取り出されては、また脚色されてゆく。中島京子著『ツアー1989』(集英社)は、15年前の記憶をめぐる物語である。登場人物がそれぞれに記憶をたぐり寄せてゆく中で、靄に包まれたような過去について考え込み、不穏な空気に包まれてゆくのが印象的である。

 1989年、“迷子つきツアー”なるものが行われ、ツアー客に不思議な余韻を残した。旅先で迷子になる客が一人くっついてくる、というシンプルなものだったが、客の間では秘密めいた感慨のようなものを共有したことが、旅をよりいっそう満足させるものにした。「迷子つきツアー」は、唯一帰国することのなかった迷子の一人である男からの、身に覚えのない手紙を受け取る主婦の物語である。「リフレッシュ休暇」では、職を失った男が引っ越しの荷造りをしながら、15年前のツアーについて記されたノートを読んでゆく。「テディ・リーを探して」では、かつて添乗員を務めたツアーについて書かれたブログを発見した女が、自分の記憶と食い違う部分を正してゆこうとする。

 最後に収録されている、エピソード4の「吉田超人」のみ、それまでのエピソードとは少し違った趣で描かれており、エピソード1の「迷子つきツアー」に登場する、15年前のツアーで迷子になった男の恋した女性に手紙を届けた、ノンフィクションライターの若者を主人公に、現在の迷子の行方を追ってゆく物語となっている。その中で挙げられる“忘れずにいるべきことは何か”というテーマは、記憶ということについて語る上で、とても重要なことのように思う。記憶の中の、わたしかも知れない誰か。わたしの知らないわたし。自分とは何かを証明する難しさの中においても、確固たる自分を自分の中におくことの必要性を、痛感するエピソードだったように思う。

408774812Xツアー1989
中島 京子
集英社 2006-05

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2008.04.08

イトウの恋

20070323_032 生涯一度の出会いというのがあるとして、それを叶えられる人はどれだけいるのだろうか。悲恋に終わるか、結ばれるか、どちらにしても人生における一大事であることに変わりはない。何しろ、見逃してはならない、生涯一度きりの出会いである。最愛の人と“出会えた”ということが、ただただ奇跡なのである。それはいつの時代においても、変わることがない。中島京子著『イトウの恋』(講談社文庫)に描かれる、年上の英国人旅行者の女性に恋した日本人青年の思いに心揺さぶられながら、そんなことを思った。そうしてその出会いに伴う思いに対して、なんだかとても胸が熱くなるのだった。はたしてわたしは一人の人間として、それを持ち得ていただろうかと。

 物語は、英国人旅行者I・Bのガイドを務めた伊藤亀吉が綴った手記を、偶然にも実家の屋根裏から中学教師の久保が発見し、途中で途切れている手記の行方を探して伊藤の娘の娘である劇作家のシゲルを巻き込んでゆくもの。見つかるべくしてそこにあった手記と、出会うべくして出会った二人。伊藤の切々と綴られる手記と、久保とシゲルの無骨な恋(?)物語が交互に展開されてゆき、先を先をと急いで読みたくなるのだった。伊藤の古文で書かれた手記を、久保が現代語に訳している設定のせいか、少々ぎこちなさの残る文体の手記。けれど、このぎこちなさがなんだか妙なくらいのリアリティをもって、若き日の伊藤の成長してゆく姿を生き生きと描き出しているように思う。

 手記を探すうちに、幼き日に別れたまま行方知れずになっていた実母(伊藤の娘)のことを知ってゆくシゲル。そんな中で、たった一枚残された写真の中の母を見つめながら、それまである意味久保に押され気味だった態勢が端々で揺らぐのを、同じ女性としては見逃せなかった。自分を産んだ母の歳を越してしまい、それでも独身でいるシゲルの中でうごめく感情。その中で、“一生女”という真の意味を思いめぐらすわけである。伊藤の手記にはI・Bのことばかりでなく、ある強烈な印象を残す女性にもふれられているのだが、どんなふうに生きたとしても、その生き様における情熱は計り知れないものがある。母となるにしても。恋に溺れるにしても。いずれでないにしても。

4062760037イトウの恋 (講談社文庫 な 70-2)
中島 京子
講談社 2008-03-14

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2008.01.29

さようなら、コタツ

20070129_007 書を捨てて街へ出ずとも、部屋の中は意外にもドラマに満ちている。どこよりもくつろげて、どこよりも自分らしくあれる場所。泣いたり、笑ったり。思えば、そこで繰り広げられた出来事や会話の数々は、ときにふっと甦り、奇妙なる心地へと誘ってもくれる。自室を見渡してみれば、どの品々にも思い入れがたっぷりで、何もかもが愛おしい。お馴染みの部屋に思えたって、そこに物語はあるのだ。中島京子著『さようなら、コタツ』(集英社文庫)は、そんな思いを抱かせるに充分な、“へやのなか”をテーマにした短編集である。収録されている7つの物語は、いずれもユーモアたっぷりに描かれ、リアルな生活感とささやかな幸福感とともに、ほろ苦くも可笑しく展開する。

 表題作「さようなら、コタツ」。15年間使ってきたコタツを捨てて、いざ36歳の誕生日に恋人未満の男性を呼ぼうじゃないか、とする物語である。だが、一日中待てども男は来ない…そんなやきもきしている女性心理を描いた物語である。“待つ”ということ。ただそれだけのことなのに、気持ちばかりが先走ってしまう。この悶々とした思いを、一体どうしたものか。いくつになっても悩むのは、もちろん主人公だけでも、読み手であるわたしだけでもないだろう。“心を離して、お姉さん”そんな妹の言葉が、いつまでも頭に残る。世の中には、待たなくても生きられる女性がいるのだろうか。待ち上手な女性というのもいるのかも知れない…なんて思うわたしなのだった。

 また、「私は彼らのやさしい声を聞く」には、年季の入った平屋家屋に住む大叔父と、そこに残る家族の記憶をめぐる物語が描かれている。この世とあの世の狭間。その危うさの中に漂うやわらかな思いを感じ取って、なんだかほっこりとする物語なのだ。ここで登場する姉妹の心地よい会話。それをうっすら聞きながら眠る大叔父。そして、もう一方で(たぶんあの世からの)呼ぶ声がある。その構図が何ともいいのだ。うたた寝のように、安らかに…そういう死の描き方もあるのだな、とただただ感心するばかり。実にあたたかな死なのである。他にも味わい深い作品がいくつもあった。やはり書を捨てて街へ出ずとも、部屋の中は意外にもドラマに満ちているのである。

4087462234さようなら、コタツ (集英社文庫 (な41-2))
中島 京子
集英社 2007-10

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2007.10.21

冠・婚・葬・祭

20071021_005 わたしはことごとく、人生の節目というやつに縁がない。常に逃げ腰というべきか。面倒という気持ちが優先するというべきか。どうも周囲とは、二歩くらい出遅れているという気がしてならない。いや、事実出遅れているのだろう。要はこの世を生きる身構えができていない、甘ちゃんなのである。中島京子著『冠・婚・葬・祭』(筑摩書房)は、タイトルどおり、冠婚葬祭に纏わる4編の作品を収録している。わたしたちの日常の節目を描く作品はどれも心地よく染み入り、ふっと我が身を反省させる。また、わたしたちの日常の中に埋もれがちな、ささやかな変化や、そのときの心情というものを感じ取ることもできる。穏やかに展開する作品たちを読んでいる間、きっと誰もが時間の流れをゆったりと感じることができると思う。

 地方新聞の記者の過ちがもたらした、出来事と出会いを描いた「空に、ディアボロを高く」。引退したお見合いおばさんの、本当に本当の最後の仕事を描いた「この方と、この方」。社命により、一人の老女を葬式へと連れゆく「葬式ドライブ」。取り壊しを決めた家で、姉妹が最後のお盆をする「最後のお盆」。どの作品に対しても感じるのは、何事にも人の強い意志が不可欠だということ。人との出会いも、結びつきも、別れも、考えることも…。ただすれ違う人と、そうでない人との境目というものは、きっとそのあたりのことが関係しているように思う。わたしのように、逃げ腰だったり、面倒がったり、そういう意識では、二歩ぐらい周囲と遅れたって当然のことなのだろう。なにはともあれ、反省、反省のわたしである。このままではいけない…。

 ちなみに大辞林によると、冠婚葬祭とは“元服・婚礼・葬儀・祖先の祭祀のこと。古来最も重要とされてきた四つの大きな儀式”のことだという。

4480804102冠・婚・葬・祭
中島 京子
筑摩書房 2007-09

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2006.12.22

均ちゃんの失踪

20041212_010 移ろいゆく。変わりゆく。季節も人も。何もかもが、着々と。あっという間に。その変化の流れに逆らうようにして、向かい風の中を歩むことは、あまりにも困難で。あまりにも孤独で。だから、わたしはその流れに身を任せるかのごとく、つい甘えてしまう。移ろいゆくことに。変わりゆくことに。変わろうという意識はなくとも、変わらざるを得ないことに。そうして確固たる変わらぬものを持ちつつも、安易なものに流されてしまう。中島京子著『均ちゃんの失踪』(講談社)を読みながら、いつのまにかわたしは、移ろいやすいものと、変わりゆくもののことを思っていた。それは決して悪いことではない。むしろ、いいことかもしれないのに、堂々と良いと言えないわたしがいたのだった。

 タイトルの通り、均ちゃんは失踪してしまう。その均ちゃんの家に泥棒が入ったことから、集うことになった三人の女性たち。元妻であり、家主の景子。恋人の薫。均ちゃんを二番目の恋人にしている空穂。警察は行方知れずの均ちゃんの証言をとるために、闇雲に彼に関係する人物たちを集めたのだった。けれど、肝心の均ちゃんの行方を知るものは誰もいず、いつのまにやら奇妙な具合に集ってしまった三人の女性たちは、親交を深めてしまう。そこに均ちゃんとは腹違いの弟までが加わって、不思議な構図が出来上がってしまうわけだ。均ちゃんがいない間の数ヶ月間に、それぞれが変わりゆく。もちろん、均ちゃん自身も変わりゆくのであったが、その速度はどうやら彼女たちとは異なるらしい。

 いや、変わりゆく速度というものは、そもそも誰もが異なるはずだ。何が起こるのか予測不可能な日常の中で、わたしたちは急激に変化したり、同じ場所に低迷してみたり、後退することもあるのだ。だが、均ちゃんという人の変化の速度は、どうも登場人物の誰とも交わらない気がしたのだった。周囲は変わりゆくのに、常に自分のペースを崩せずにいると言ったらいいだろうか。それとも、周囲を翻弄してみたりされてみたりするうちに、一人取り残されてしまうと言った方がいいだろうか。あたりまえのことながら、彼は均ちゃんであり続けるしかない運命にあるように思えるのだった。均ちゃんは均ちゃんであれ。彼を通り過ぎていった女性たちは皆、もしかしたらそれを一番望んでいるかもしれない。

 先に述べた、移ろいやすいもの。変わりゆくもの。均ちゃんを通り過ぎてゆこうとする女性たちは皆、それを敏感に感じ取り、潔く受け入れている。自分自身の変化として。新たなる一歩として。或いは、人生の決断として。思えば、何もかもがわたしとは異なるのだった。そう、わたしは甘い。頑固な癖に甘っちょろい。気まぐれでもあるし、流されやすくもある。何かの影響をすぐに受け入れてしまう。やっと確固たるわたしが出来上がった頃には、もうまた移ろい始め、変わりゆくわたしがいる。その繰り返しは、人間なら当然のことかもしれないが、なんとも情けなくなるのだった。まだまだ変化の途中なのだと言い聞かせつつ、励まねば。そう無性に掻き立てられた気がした。

4062136155均ちゃんの失踪
中島 京子
講談社 2006-11-10

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