43 服部まゆみの本

2007.10.19

シメール

20071014_021 落ち入るほどに、落ちてゆく。溺れるほどに、闇は戸惑い深まる。幻想を手に入れようとする人間の愚かさ。それを嘲笑うようにして、物語はじわじわと救いの見えない展開へと進んでゆく。幻想は幻想のままにしておくべきことを、わたしたちに示すかのように…。ある一人の男の幻想が生みだした不幸を描く、服部まゆみ著『シメール』(文藝春秋)。タイトルは、妄想・空想・幻想の意味であり、別名キマイラ。ギリシャ神話の霊的な存在で、頭が獅子、身体が山羊、尾が竜の怪獣を指すそう。また、美意識の感じられる文章で読ませるこの作品は、多数の書物、絵画、彫刻が効果的に使われている。とりわけ、アンドレ・ブルトンのナジャのフレーズは印象に残る。

 6年前の火事で家などを失った木原一家。その息子・翔は、両親(とりわけ母親)の前では、火事で亡くなった双子の兄・聖を装うことを常としている。両親に愛される良い子であった聖と、大人しく本を読むのが好きだった翔。14歳の少年の心は、二つの自分に揺れ惑う。ある日、木原の大学時代の友人である片桐と花見でばったり出くわし、住まいの一部を提供してもらうことになる。美大教授としても画家などとしても成功している片桐は、木原一家にとってまるでサンタクロースのような存在だった。一方、片桐は翔という天使のような容姿の少年に魅せられ、美に恐れおののきながらも溺れてゆくのだった。どんな結末が待っているかも知らずに。

 この作品、登場人物誰もが、特定の誰かに対して過剰なまでの幻想を抱いている。たとえば、木原は木原の妻に。妻は片桐に。片桐は翔に。それが仇となって、やがて危うく保たれていた関係が崩れるわけだ。けれど、よくよく考えてみれば、わたしたちの関係性の中に、幻想のないものなど存在しない。相手のことをよく思いたければよく見え、悪く思いたければ悪く見える。美しいと思い、信じるならば、そう感じられる。それほどまでに、わたしたちの見方というものは、ひどく曖昧なものだ。だからこそ、相通ずる他者と出逢えたときの喜びたるや、言葉では言い尽くせないものがある。たとえそれが、どんなかたちであろうとも。落ちゆくさだめだろうとも。

4163191801シメール
服部 まゆみ
文藝春秋 2000-05

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2007.07.30

ラ・ロンド 恋愛小説

20061124_017 恋愛小説の醍醐味とでも云うべきか。くらくらと酔いしれるように浸った世界は、どこまでも出口の見えない迷宮だった。離れてはもつれ、もつれては絡み合い。わたしたちはそこで、愛と芸術に翻弄されながら震えることしかできない…。服部まゆみ著『ラ・ロンド 恋愛小説』(文藝春秋)は、まさに“恋愛小説”と謳うのにふさわしい1冊である。「父のお気に入り」「猫の宇宙」「夜の歩み」の三部からなる物語は、どこか危ういバランスの中に存在し、魅惑的な雰囲気を始終漂わせている。そして、運命の歯車を少しずつ狂わせてゆく登場人物たちの姿は、物語の深みにはまった読み手そのものを、そのまま映したようにも感じられてくる。

 舞台女優の妙子と、彼女に惹かれてゆく大学生の孝の姿が描かれる。悲願の舞台である“あわれ彼女は娼婦”で妙子が裸体を晒したことにより、二人の間に年齢差以上の溝が生じてしまうのである。一方、哲学教授の一家にありながら、売れない画家である克己は、姪にあたる藍と運命的な出会いをし、互いに惹かれ合うようになる。一見関わり合いを持たないように思えた4人の男女は、やがてその運命を奇妙にもつれさせてゆく。それぞれの物語の端々には、愛と芸術に翻弄されてゆく人々の姿と、その犠牲になる人々の姿がある。愛の輪舞とは、こんなにも残酷なものなのか…そんなことを思いつつも、幻惑感溢れる文章にぐいぐいと魅せられてしまう。

 とりわけ、「父のお気に入り」での孝の同級生の姿は、悲劇的で印象深い。物語の中にもう1つの物語があるような、物語そのものが舞台のような、そんな不思議な感覚に陥る。或いは、これこそが出口のない迷宮と呼ぶべき悲劇なのかもしれない。恋愛という、1つのかたちが生みだした犠牲とでもいうべきか。それとも、運命とはときにこんなにも残酷極まりないものなのか。恋愛に限らず、1対1であったはずの関係が、さまざまな人を巻き込みゆくことは、ごくありふれたことながら、ひどく恐ろしいことのように思えてくる。誰かと関わらずにはいられないわたしたちと、この残酷な物語とは、実は知らぬうちにごくごく近しい関係にあったのかもしれない。

4163259503ラ・ロンド―恋愛小説
服部 まゆみ
文藝春秋 2007-05

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2007.07.06

この闇と光

20050930_019 本物の闇を、わたしは知らない。光さえも、もしかしたら知らないかもしれない。目を深く閉じれば、或いはどこまでも堕ちれば、闇は確かにある。ぱっと目を開けば、眩しいくらいに光を感じられる。でも、違う。どこかが違う。本物の闇も本物の光も、わたしはまだ知らない気がするのだ。服部まゆみ著『この闇と光』(角川文庫)を読んで、そんなことを思った。この作品には、鮮やかなほどの闇と光とがあるからである。本物の闇、本物の光と感じられるくらいの、正しい闇と正しい光。まっすぐな闇とまっすぐな光。その見事な対比と緻密な仕掛けに、くらくらと目眩を覚えるほどに。そして、わたしが見ているものすべてが疑わしくなる。恐ろしくさえなる。

 物語は、現代とも日本ともかけ離れた雰囲気で始まる。失脚した王である父と共に、森の中の別荘に幽閉された盲目の姫君レイア。彼女の世界のすべては、優しい父と侍女のダフネだけだった。父が語り聞かせてくれる物語の数々や美しい音楽やドレス。盲目ながら満ち足りた日々を過ごしていたレイア。だがある日、レイアがそれまで信じてきた世界が一気に崩れ去ってしまうのである。物語はそこから一変し、読み手が全く想像しなかった展開に引き込んでゆく。まさに、闇と光。いや、どこまでも深い闇と、どこまでも仰々しい光という方が適切かもしれない。それらは、闇も光さえもすべてを内なる孤独と化してしまうくらい、滑稽で美しい堕ち方だろう。

 前半で繰り返される、“美しい”と“きれい”。盲目のレイアのイメージでは、この世界は例えようもないくらいに素晴らしかったはずだ。レイアは盲目にして光を知り得ていたかもしれないと、読み終えてから感じた。闇だと思えていたのが光で、光であると思えていたのが闇ということなのかもしれない。結末を思えば、はじめに光があったからこそのものだと解釈できる。では、本当の光とは、本当の闇とは何なのか。わたしの脳内はぐるぐると謎ばかりが増えてゆく。そして、嗚呼と気づく。この物語は、まさにミステリーだと。謎解きではなく、この物語自体が緻密に計算し尽くされた、ミステリー的幻想なのだと。だからわたしは、いつまでもくらくらと浸る。

4041785049この闇と光 (角川文庫)
服部 まゆみ
角川書店 2001-08

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