31 笙野頼子の本

2006.12.12

母の発達

20061003_035 この不思議な爽快感を何にたとえよう。生理的欲求が満たされた心地、とでも言うべきか。物語展開の理解に苦しみつつも、するりするりと入り込ませ、難解ながら実に明快な答えをくれる。そんな小説が、笙野頼子著『母の発達』(河出文庫)のように思う。正直、この著者の作品はとっつきにくくて読みにくい。だが、のめり込んだが最後。その夢とも現実ともつかぬ、幻想的世界の虜になってしまうのである。この「母の縮小」「母の発達」「母の大回転音頭」からなる作品は、新しい時代の母と娘の在り方という社会性をテーマにしつつも、母親という存在をどこまでも落としてゆく皮肉なユーモアがたっぷりと含まれている。何しろ、読後感の爽快さがそれを一番物語っているようでもある。

 はじめの「母の縮小」では、どこまでも抑圧された娘の復讐劇とも言える。と言いつつも、母親が古典的なのではない。むしろ、現代の母。未来の母親像と言えるだろう。女でも理系に進むべき、女でも社会に出て働くべき。そういった考えのもと、やがて娘を嫁姑問題よろしくチクチクとなじり、追いつめてゆくことになる。それをただ抑圧されたままにせずに、復讐するかのように母親を縮小させてみせるのが、この母あってのこの娘なのだろう。紡がれる幻覚的な世界は、“病んでいる”の一言では片付けられない何かが潜んでいるように思えてならない。その複雑な心模様は、喜劇にも悲劇にも感じられるからである。この葛藤はただものではない。それだけは確かである、と気づく。

 続いての「母の発達」では、一気に娘は四十代になっている。母親は死んだはずなのにもかかわらず、新たなるかたちの“おかあさん”として、分裂し増殖してゆく。もはや、母親という原型を超越した存在となっているのである。「あ」のおかあさんから「ん」のおかあさんまで。その名前と神話(小咄)を考えることを命じられ、必死になってその課題に取り組む娘の姿が描かれる。ただし、どの“おかあさん”にしても、これまでかというほどに落とされているのだ。それを楽しんでいる母親という存在の不気味さにも驚かされるが、これまで対立していた母と娘が、ここでは共に闘うことも見逃せない。二十代、三十代の間に何があったのか。それが実に興味深いところである。

 最後の「母の大回転音頭」では、娘はもう五十代。母親は家を出てしまうわけだが、それでもなお、母親の呪縛から解き放たれない娘はせっせと母を探し、母のための衣装を繕う。いくつになっても娘は娘であり、どんなかたちをしようとも“おかあさん”は“おかあさん”なのであった。その果てしない繋がりを思うとき、母と娘という関係の奥深さを感じずにはいられない。父親と息子とは異なる、その結びつき。それは、もはや、ただのエディプス・コンプレックスの女バージョン(エレクトラ・コンプレックス)ではないとすら思える。成長過程での複雑な葛藤をも吹き飛ばすくらいに、言葉に変換されたこの母と娘の関係性の物語は、やはり爽快以外の何ものでもない。不思議である。

4309405770母の発達
笙野 頼子
河出書房新社 1999-05

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