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2012年5月

2012.05.30

かみさまはいる いない?

20120528_4016jpg_effected 神様はいるのか、いないのか。その問いの答えを説明するのはとても難しい。その問いの答えは容易には見つからないし、答えはひとつではないからだ。ひとりひとり答えが違っていてもいいし、答えが見つからなくても、無限にあってもいい。そもそも、この問いには答えなどないのかもしれない。自分が信じたもの、考えたもの、それが答えになるのだろう。けれど、谷川俊太郎・文、清川あさみ・絵『かみさまはいる いない?』(クレヨンハウス)は、敢えてその問いについて今考えてみよう、という強い意志を読み手に伝えてくる。さまざまな考えを持つ人々がいる世界で、自分自身を、その生き方を、その考え方を、改めて見つめなおそうと思わせてくれる。平易だけれど強く響く哲学的な言葉と、幻想的な刺繍などによる絵の見事なコラボレーションの1冊である。

 神様はいるのか、いないのか。もしかするとその問いの答えは、自分自身の生き方や考え方がそのまま反映されるものなのかもしれない。すんなり答えられる人はぶれない自分を持つ人なのかもしれないし、答えに迷いがある人は確固たる自分自身がまだ確立できていない人なのかもしれない。もちろん、答えはひとつではないし、いろんな考え方があってもいい。神様の存在を信じる人、信じない人、たくさんの神様がいると思っている人、信じられるのは自分だけだという人もいるかもしれない。でも、この世界の成り立ちを思うとき、確かに創造主はいたのかもしれないと、どこかで思う人もいるかもしれない。わたしたちを試すような出来事が起こるたびに、自分以外の誰かにその責任をぶつけてみたくもなる人もいるだろう。きっと、いろいろでいいのだろう。

 この『かみさまはいる いない?』には、複雑な感情を抱かせる最後の一文があって、わたしはそこの部分が気になって仕方ない。読む人それぞれがその一文をどう読むかで、この本に対する感情は違ってくるのかもしれないし、日本の今の状況、世界のあり方について、それらをどう捉えているか、その考え方によっても、感じ方が違ってくる一文である気がする。著者が投げかける一文、その問題提起に、わたしはわたし自身の迷いを感じてしまった。今置かれている現状を信じたくない自分を、どこか楽観的に物事を考えている自分を、そこに見てしまった。どうにかなる、なんとかなる、どうにでもなる……そうやって何かをおざなりにしてきた自分自身を見つけてしまった。

 本当は今こそ、もっと考えるべきなのだ。もっと真剣になるべきなのだ。今を、未来を、見つめるべきなのだ。そんなことを思った。神様がいても、神様がいなくても、神様を信じていても、信じていなくても、もはやそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。今、この時に、わたしたちが、今について、未来について、考えることが大事なのだと、この本が訴えかけているようにも感じられる。この本をきっかけに、いろいろな問いについて、考える時間を、思案に暮れる時間を、ただただ考える時間を、立ち止まってたとえ僅かでも、ほんの少しでも持つことが大事なのかもしれないと思わせるのだ。この本を前にすると、わたしたちは大人でも子どもでもないのだ。わたしたちは一人の人間として、考える必要性を感じるのだ。ただ考える。今この時に、ただただ考える。それでいい。それだけでいい。そんな時があっていい。そんなふうにも思うのだ。

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)
谷川俊太郎/文 清川あさみ/絵
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