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2012.03.05

怪物はささやく

20110721_4006jpg_effected 物語の力強さと可能性を信じたくなる本と出会った。一人の少年の喪失と孤独、そして救いの中に寄り添ううちに、物語の奥の奥に秘められた、書き手の熱き思いを感じたような気がしたのだ。パトリック・ネス著、シヴォーン・ダウド原案、池田真紀子訳『怪物はささやく』(あすなろ書房)は、早世した作家シヴォーン・ダウドの遺した原案を、パトリック・ネスが作品化したもの。異なる持ち味の作家の組み合わせとイラストレーションを手がけた、ジム・ケイの力強いタッチのモノクロの画も加わって、見事な化学反応を起こしている一冊である。物語が思う存分に暴れ、蠢き、油断ならない確かな存在として、こうして本というかたちをしている。それは、どんな奇跡よりもフィクションでありながらも、本物の真実として、ここにあるようにすら思えるほどだ。

 物語の主人公の少年・コナーは13歳。死期が近い母親を持ち、周囲からそのことが原因で変に特別な存在として見られてしまい、いじめの対象にもなっており、孤立している。父親は再婚相手とアメリカで暮らし、別に家族を持っている。祖母がいるが、あまりコナーとはよい関係とはいえない。ある夜、そんな孤独なコナーのもとに、母親と暮らす家から見えるイチイの木の姿をした怪物が現れる。“わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ”と。そして、それは真実の物語でなければならないという。不思議と怪物をあまり恐ろしく思わなかったコナー。なぜならコナーは、もっと恐ろしい怪物を知っていたから。やがて、怪物は決まって深夜0時7分ぴったりにやってくるようになる。

 何のために怪物はコナーのもとへやってくるのか、そしてコナーに何を語らせようというのか。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。その狭間でコナーは、一人もがきあがきながら、真実の物語へと少しずつ立ち向かってゆく。恐怖と戦うためにさらなる恐怖と戦うような、そんな激しさを秘めている、つらく厳しい日々と向き合わなくてはならなくなる。物語はヤングアダルト向けのファンタジーのかたちをしていながらも、深く心の奥に響く言葉と感情のうねりを感じる。読み手は、誰もが直面する、生きてゆくつらさを思い知らされる。理不尽で矛盾に満ちたこの世界に、それでも生きる、生きてゆく、そんな本当の意味を問いかけるような、奥深き物語世界なのである。

 少年の喪失と孤独、そして救いの物語は、死と生とをつなぐ物語でもある。普段は目をそらしがちなわたしたちの身近にある問題でもあるのだ。死の影に怯える少年の孤独と恐怖、痛み……それらは、子どもでなくとも感じる当たり前の感情であり、大切な人を失うときに誰もが経験しなくてはならないことである。誰かを失いたくないという気持ち、それと同時に、その人が苦しんでいる姿をこれ以上見ていたくないという気持ちも、看取る側としてはある。そうして、目の前に置かれた現実と自分の中にある認めたくない思いとの間で葛藤する。矛盾した二つの気持ちでのゆらぎが、この物語にはしっかりと描かれていて、はっとさせられるのである。“物語はこの世の何よりも凶暴な生き物だ”という怪物の言葉は、まさに真実を意味しているように思うのだ。

4751522221怪物はささやく
パトリック ネス シヴォーン ダウド Patrick Ness
あすなろ書房 2011-11-07

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