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2012.02.16

トーイン クアルンゲの牛捕り

20111219_54043 千年以上も前に古代アイルランド語で書かれた伝説をキアラン・カーソンによって英語に翻訳され、それをさらに日本語に翻訳されたという重訳による本書『トーイン クアルンゲの牛捕り』(東京創元社)。血湧き肉踊るような英雄譚でありながら、もともとは語りものとして伝えられてきた神話だというせいなのか、口承の言葉たちが文字として連なり、あるときは詩のように歌うように、特徴あるリズムや言い回しを使っているせいなのか、深い友情を犠牲にしてまでの、生きるか死ぬかの殺し合いの決闘の最中にも、どこか悠長なのびやかな心地よい印象さえ残る不思議な物語である。あまりにも次々とあっさりと人が死にゆき、騙し騙され、人の愚かさが漂う物語にもかかわらず、のちの数々の物語に影響を与えるほどの英雄クー・フリンの真実が痛快なまでに面白く、夢中で読める。

 この英雄クー・フリンの英雄譚は、そもそもの話がコナハト国の王アリルとその強き女王メーヴのしょうもないような寝物語がきっかけではじまる。二人はそれぞれの持っている能力や権力、財産を列挙し、競い合う。夫が持っていて自分が持っていない唯一のものが、白い角を持つ雄牛フィンヴェナハと知るやいなや、女王メーヴはアルスター(アイルランド北部)にそれをしのぐ雄牛がいることを突き止めると、大軍を率いて力ずくで奪おうとするのだった。けれどアルスターの男たちには呪いがかかっており、戦うことができない。そこで、呪いを免れていたクー・フリンが国を守るため、たったひとりきりで戦いをはじめることになるのだ。このクー・フリン、子どもの頃から様々な武勇伝を持つ、向かうところ敵なしの若者だったのである。

 女王メーヴはクー・フリンを倒さなければいずれ国が滅ぼされかねないと、実にさまざまな手段を用いる。けれどルールを無視したゲリラ戦術にも、一対一の対決にも、だまし討ちなどにも、やはり圧倒的な強さでクー・フリンが勝利してしまう。その犠牲となる人々の数ときたらすごい数である。女王メーヴはとうとう最後の悪巧みとして、クー・フリンと義兄弟で彼と共に武術を学んだことのある互角の相手であるフェル・ディアズを巧みに言いくるめて決闘を挑ませる。その何日間にも及ぶ戦いは物語の中での一番の見せ場かもしれない。互いに互いを思い合い、かつての友情を懐かしみ、戦わねばならぬことに苦悩する姿には、ひどく心打たれる。狂戦士のようにさえ端々で感じるほど、人間離れした存在だったクー・フリンの、人間らしさの見える場面のようにも思える。

 この神話物語の面白さは、壮大なスケールでエンターテイメントとして描かれている、というだけに終わらない。今この時代に読み物として、文字として、こうして読めるからこその味わいもある。たびたび人々は詩のような、歌のような掛け合いによって心の奥にある思いを語り、土地の地名の由来となった出来事を明かす。独特の反復表現や、“両軍ともに三かける二十は六十人の戦士が倒れた”などというような数字の表現が繰り返し効果的に使われていることも見逃せない。わたしが個人的に好きだった箇所は、“そこでどんなことが起きたかはここでは語らない(P186)”というところ。こういう読み手に想像をゆだねる部分も、口承で長きにわたり語られ、今の世にも受け継がれ残ってきた昔ながらの神話らしさを感じる。多くの命を犠牲にして血を流す物語ながら、読み心地が決して生臭くなく、どこか悠長な、心地よい爽快感さえ覚えるほどに。

4488016510トーイン クアルンゲの牛捕り (海外文学セレクション)
キアラン・カーソン 栩木 伸明
東京創元社 2011-12-21

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