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2012.02.21

なかないで、毒きのこちゃん 森のむすめカテジナのはなし

20110412dsc_40040jpg_effected 森に生きる少女の子どもらしい感受性で、いのちを学び、喜び、さまざまな動植物と戯れ、美しい森で生きてゆくこと、生きとし生けるものすべてに対するあたたかな愛おしさを感じる、デイジー・ムラースコヴァー作、関沢明子訳『なかないで、毒きのこちゃん 森のむすめカテジナのはなし』(理論社)。ときに胸の芯をぐいぐいつかまれるような哲学的な思考を展開したかと思えば、ときに森での生きるすべそのものは、わたしたちのすべてに通ずる暮らしの営みを思わせてくれる。森というものの偉大な豊かさを、生きてゆく喜びを、たくさんの生き物たちの鼓動を、30もの掌編によって、読み手であるわたしたちは少しずつ少しずつ知ってゆくのだ。

 あまえぼうの子バト、泣き虫のベニテングダケ、口の達者なウサギ、金色の目を持ちながら本当の金色を知らないカゲロウ、くいしんぼうのオオカミ……などなど、挙げ出したらきりがないほど魅力的な個性的な森の動植物たちとカテジナとのふれあいは、どれもがとてもあたたかな物語となっている。猟師でありながら、猟によっていのちを無駄に奪うことを決してせずに、カテジナの素朴な疑問に対してやわらかく答える父親の存在、そしていつだってあたたかくのびやかにそっとカテジナを見守るやさしい母親の存在にも支えられて、カテジナは自分の中に強い意志をしっかり持ち合わせた、いのちを思うことのできるやさしく逞しい少女として物語の中にいる。

 例えば、真っ赤な頭の毒キノコが自分はみんなに嫌われていると泣いていると、カテジナはいろんな手を尽くして毒キノコを励まし、思いやり、毎日のようにお話を聞かせにゆく。いつも醜いと言われても決して怒らないヒキガエルには、尊敬のまなざしを向けながらも、ときには本当のことを言わないほうがいいこともあるのだとヒキガエルにそっと言い放つ。ときには地球の反対側を思って、そこにカテジナと同じように森で暮らし、今このときにも同じことをしている少女がいるのではないかと想像をめぐらせたりもする。アリのゆく道をどこまでも追って、自分が果たして大きいのか小さいのかわからなくなることもある。もじもじしているオオカミにはぴしゃりと言葉を放つ。

 自然とともに、森とともに、そこに暮らす動植物たちを敬いながら生きること。それは森からはかりしれないほどの恵みをもらって、森が生活の一部になっていなければ、忘れがちのことなのかもしれない。細い道をのぼりにのぼってゆく日本の森とは違って、この物語の舞台となるチェコの森は、奥深い森もあるらしいが、多くは身近な野原や畑の続きにあって、いきなり森がはじまるのだそうだ。そして、きちんと管理され、森林保安官、猟師、森番などの専門家たちに守られて人々と共存しているという。まるで物語の中のように、静かにそっと森はほほえんで息づいているに違いない。物語に添えられた作者による画も物語の雰囲気とぴったり寄り添うように素敵で、お気に入りの1冊となった。

4652079702なかないで、毒きのこちゃん―森のむすめカテジナのはなし
デイジー ムラースコヴァー Daisy Mr´azkov´a
理論社 2010-05

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