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2010.04.18

甘い水

20100403_4008 目の前にある愛おしいものを抱きしめる。愛おしい…今、そう感じられることがすべて。今、ここにいることがすべて。過去もない。未来もない。あるのは、今、ここにある思いだけ。過ぎてしまえば、すべてのものが曖昧になる。過ぎてしまえば、本当も嘘もない。ただあるのは、今、ここに起こっていることだけ。だから、目の前にあるものを抱きしめる。目の前にある愛おしいものを、ぎゅっとぎゅっと抱きしめる。東直子著『甘い水』(リトルモア)は、長い詩のような美しい物語だ。時間軸をばらばらに、最後まで全貌のわからない奇妙な世界で展開してゆく。不思議な心地に誘われるように、するりと物語に浸り込むうちに、これまでに感じたことのない愛おしさに包まれていることに気づくのだ。

 物語のはじまりは、フランという少女が語り手。けれど、これが最後までフランの物語なのかどうかはっきりとはわからない。読み進めるうちに、フランの物語はいつしか途切れ、別の誰かの物語が語られはじめるからだ。やがて、その語りを引き継いだはずの人物も姿を消してゆく。読み手は不思議な語り口に戸惑いながら、うっすらと点と点がつながるとき、物語が響き合うのを目の当たりにする。見えない力に強いられて、あるときは記憶をなくして途方に暮れ、あるときは8人の子を産み、あるときは何人目かわからないいつわりの息子の何人目かわからないいつわりの母親になる…。断片的に語られる物語の中で、それでも失われることのないやわらかな感性が煌いて、“今”を生きようとしている。

 ひとつ、とも、それぞれ、とも言える物語の中で、たびたび記憶を奪われてもなお、懐かしく愛おしいものを手探りながら抱きしめる、その優しさ。目の前にある小さな命を、ただ“愛おしい”と思える母性。そういう感情たちが、孤独と喪失にふるえながらも懸命に根を下ろしている。意識してするのではない。ただ自然に、するりと気持ちの向くほうへ、向くほうへ。“優しさ”と思ってするのではない。“母性”と思ってするのではない。誰かに強いられてするのでもない。わたしたち一人一人に備わっている、まだ見ぬ力が導いてそうするのかもしれない。わたしのグリン、わたしのシバシ、わたしのソル、わたしのミトンさん、わたしの……物語に寄り添いながら、抱きしめたい人たちを目の前に、忘れたくないと思う。いつまでもふれていたいと思う。

 だからわたしたちは、目の前にある愛おしいものを抱きしめる。愛おしい…今、そう感じられることがすべてだと思う。今、ここにいることがすべてだと思う。もはや過去もない。未来もない。あるのは、今、ここにある思いだけなのだ。過ぎてしまえば、すべてのものが曖昧になる。過ぎてしまえば、本当も嘘もない。ただあるのは、今、ここに起こっていることだけになる。だから、目の前にあるものを抱きしめる。目の前にある愛おしいものを、ぎゅっとぎゅっと抱きしめる。ただ自然に、するりと気持ちの向くほうへ、向くほうへ。愛おしいものを抱きしめながら、目の前に広がる世界に一歩、また一歩と進んでゆけばいい。怖いものなどない。わたしはただ、愛おしいものを抱きしめていれば、それだけでいいのだ。

4898152856甘い水 (真夜中BOOKS)
リトル・モア 2010-03-08

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)
 ・『ゆずゆずり』(2009-07-02)
 ・『さようなら窓』(2009-07-25)
 ・『らいほうさんの場所』(2009-12-15)
 ・『水銀灯が消えるまで』(2010-04-05)


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