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2010.03.08

故郷のわが家

20100224_4009jpg_effected 儚く移ろいゆくものを愛おしく手繰り寄せる。手を伸ばせばすぐにでもふれられそうなくらい、近いところで疼く記憶の数々。その疼きに導かれるように、なまあたたかい記憶に浸ってみる。若かった頃のわたしも、今あるわたしも、老いゆかんとするわたしも、その境界をなくしてまどろみの中に浸り込む。あの日も昨日も今日の日も、もはや一緒くたにほっこりと心地よい。村田喜代子著『故郷のわが家』(新潮社)。親を看取って、子育てを終えて、何人かの知人を亡くして。そんな年齢になった女性を主人公に、無情に過ぎようとする年月を想いながらふと立ち止まる。ときにユーモラスに。ときに懐かしく。もう戻れないとわかっている日々に、今の想いをひそやかに添えて慈しむ。

 故郷にある生家を処分するため、久住高原に戻ってきた65歳の笑子さん。たった一人きりで家の片づけに取りかかるものの、夢かうつつか区別のつかぬ世界へふらりと入り込んでしまう。古くなった物たちを丁寧により分けるほどに、さまざまな想いが笑子さんの胸でたっぷたっぷと心地よくゆれてゆく。決して戻ることのない時間に想いを馳せて、笑子さんは愛おしい記憶に漂うように遊ぶ。兄弟たちのこと、かつて野望を抱いていた旧友たちのこと、旅先で出会った時間を持て余している同年代の男性のこと、戦時中の兵士たちのこと、人工羊水の中のヤギのことにまでその想いは続く。笑子さんの思いつく“故郷喪失”という言葉が、読み進めるほどにしんみりとじわじわ響いてくる。

 “故郷喪失”。思えば笑子さんは夢とうつつを繰り返しながら、ゆっくりゆっくり自らの手で故郷を葬ろうとしていることになる。ひとつひとつ丁寧に片づけるさま。それは、きっと今現在と過去とを少しずつ切り離す作業なのだろう。現在を生きるわたしたちは、どうあがいても過去には手が届かない。昨日にすら決して引き返すことができないのだ。一生はあまりに儚い。だからこそ尊い。決して戻らない、引き返せない時間がわたしたちを包んでいる。万物は移ろいやすいものだから。わたしたちは日々変化してゆくものだから。今目を瞑ったら、瞑った先から目の前にあったものはもう遠く手の届かないものになってしまっている。こうしている瞬間にも刻々と過去はつくられてゆく。

 物語の故郷での日々は、思えば笑子さんの独り天下だったと言える。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。そこらにあるものを適当に食べて、相棒の愛犬フジ子とあまりに穏やかな日々を過ごしていた。場所も時間も世の中から隔てられた高原での生活は、束の間、笑子さんに与えられた大切な別れの儀式だったのだろう。笑子さんにとって、あの日も昨日も今日の日も、もはや一緒くたになって、ほっこりと心地よい記憶になる。すべては過去になる。そうして、かすかに疼くほのかな想いはもう、明日のことを考え始めてその先にいる。まだ見ぬ明日へ、また出会う故郷へ。うつらうつらしながら、またいつか故郷を想い出すまで。気の向くままに。愛おしい、その心の赴くままに。

4104041033故郷のわが家
新潮社 2010-01-30

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 ≪村田喜代子の本に関する過去記事≫
 ・『あなたと共に逝きましょう』(2009-02-29)
 ・『ドンナ・マサヨの悪魔』(2009-06-10)


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