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2010.02.15

掏摸

20100131_4003 善と悪。言葉の意味するところの2つでは、とても言い尽くせない。何をもって善とするか。何をもって悪とするか。その色分けは難しい。本当の悪ははっきりと見えないだけに、わたしたちの多くは容易に惑わされてしまう。人間を超越したところで、誰かが愚かなわたしたちを見下ろすように、善悪の天秤を揺らしている。揺さぶられるうちに翻弄されて、わたしたちはどこまでも落ちてゆく。中村文則著『掏摸(スリ)』(河出書房新社)。天才スリ師を主人公にしたこの物語は、最後のページまで先が読めない展開だ。何が善で、何が悪か。その境界を曖昧にして、ほのかに見え隠れする希望を探してしまう。どうしようもない運命の中に立ち上る光。その光にすがるように、ただただ読み耽ってしまう。

 主人公の<僕>は東京を活動拠点とする天才スリ師だ。ある日、闇社会の中枢を操作している木崎という男と再会し、3つの仕事を依頼される。<僕>が逃げれば、親しくしている子供を殺す。仕事をしくじれば、<僕>を殺すという。どうにも抗うことができない選択に、<僕>は自分の命を懸けた任務を遂行するしかない。果たして<僕>の運命はいかに…。緊迫感のある描写と読み手の心を急かすストーリー展開とで、ぐいぐい引き込まれてゆく。主人公の行動すべてを見通す、運命の支配者である木崎という男の不気味な怖さに、どっぷりと呑み込まれてゆくよう。そうして善悪をめぐる読み手への問いかけに、思わず呆然としてしまう。答えはあるのか、ないのか。逃げ道はあるのか、ないのか。

 スリをしている時点で、主人公は立派な犯罪者であることに間違いない。けれど、スリ以外には全く悪意は読み取れない。スリのターゲットは富裕層と決めているし、貧しい子供には同情だってする。自分のバックボーンをその子供に重ねてみたりもする。暴力も使わなければ、盗んだ金にも執着しない。物を盗るときに感じる温度や快楽のようなものに、強いこだわりを感じる主人公の姿は、ある意味で芸術的とも思える瞬間がある。スリをする自らに強いた惨めさの中に、強者と弱者という既存の価値観や社会構造を虐げて嘲笑ってやる…そんな意識もある。主人公なりの犯罪の美学に、読み手であるわたしたちはいつしか知らぬ間に寄り添っていることに気づく。だからこそ彼の行く先を案じてしまう。

 物語は終始、理不尽な悪に包囲されている。こんなにもこの世は理不尽なものだったかと思うほどに。何をもって善とするか。何をもって悪とするか。その色分けは難しい。本当の悪ははっきりと見えないだけに、わたしたちの多くは容易に惑わされてしまう。人間を超越したところで、誰かが愚かなわたしたちを見下ろすように、善悪の天秤を揺らしている。揺さぶられるうちに翻弄されて、わたしたちはどこまでも落ちてゆく。そして、落ちてゆく先をまだ少しも知らない。無知なわたしたちの向かった先に、ほんのわずかでも立ち上る光があるならいい。その光にすがるように、わたしたちは進むしかない。課せられた運命に立ち向かうのは、まだこれからだ。そう言い聞かせてただ進むしかない。

4309019412掏摸
河出書房新社 2009-10-10

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