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2010.01.29

お菓子と麦酒

20090218_021_2 想うは、最愛の人。いつでも鮮やかに蘇る記憶の数々を、そっと胸に仕舞い込む。忘れ得ぬ人を。色褪せぬ人を。変わらぬ想いが過去と今とを繋いでいる。過去のわたし。今あるわたし。その狭間にゆらりといる最愛の人。いつの日にも輝ける、愛おしい人。サマセット・モーム著、厨川圭子訳『お菓子と麦酒』(角川文庫)は1930年、モームが56歳のときに発表された物語である。最愛の女性をモデルに、風刺や批評を交えて描いたという。過去の想い出の回想と現在進行している話とが織りなして、巧みに文学論や作家論などが自由に挿入されている。その語り口は、読み進めれば進めるほどに読み手を惹きつけて離さない。また、愛おしい想いを懐かしむような、あたたかさが感じられる。

 物語の主人公は作家のウィリー・アシェンデン。亡くなった文豪エドワード・ドリッフィールドの伝記を書くことになったアルロイ・キアから、ドリッフィールド前夫人ロウジーと暮らしていた頃の資料提供を頼まれる。若き日のドリッフィールド夫妻と親交のあったアシェンデンは、当時の記憶を手繰り寄せ、その想い出に浸ってゆく。ドリッフィールドの回想録といったおもむきから、いつしか物語はその前夫人ロウジーの魅力を語り尽くす展開へ。ドリッフィールドにとってロウジーという女性がどれほど大きな存在であったか。そして、語り手のアシェンデンにとっても彼女が大きな存在であったことが伺える。その奔放な生き方と無意識に男性を惹きつけてしまう才能に魅了される。

 特別に美人であるわけでもないのに人を惹きつけてゆくロウジー。優しく、無邪気で、誠実。純粋で、善良で、悪気がまったくない。語り手を含めた男性たちと次々と関係を持ち、誰にでも惜しみなく愛を与える…という点では、どうかするとお手軽な安い女になりがちなところを、モームは何とも明るいタッチでさっぱりと描いている。そのせいか、どちらかというとロウジーよりもむしろ彼女に擦り寄ってしまう男性こそがお手軽な存在のようにも思えてくる。ロウジーは彼女に魅了される男性たちよりも、ずっとずっと上手といったところだろうか。普通の道徳的観念では許されない悪女かもしれないが、もはや、あっぱれと言わざるを得ないところがある。女は強し、と思ってしまう。

 題名になっている“お菓子と麦酒”は、シェイクスピアの戯曲「十二夜」の台詞によるもの。人生を楽しくするもの、気ままな生活を代表する語であるという。おそらくロウジーのこと、彼女の生き方をさしているとされる。けれど、一女性としての生き方をさしているのだとすれば、少しばかり古臭く差別的な印象もある。ロウジーからすれば、男たちこそが“お菓子と麦酒”。男たちは彼女の尻にしかれている。今の世も昔の世も、女たちは男たちが想っているよりもずっとずっと逞しいのかもしれない。そのしなやかなしたたかさを発揮して、女たちは男たちを手のひらで転がすのだ。ロウジーとまではいかないにしろ、たった一人の想い人を。想うは、最愛の人。ただそれだけでいい。

4042973019お菓子と麦酒 (角川文庫)
厨川 圭子
角川グループパブリッシング 2008-04-11

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