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2009.12.06

転生回遊女

20090326_012 ゆく、ゆく。とどまることを知らない、奔放な生を抱えて。ゆく、ゆく。果てしない、あてのない旅に向かって。ゆく、ゆく。転がるように、羽ばたくように。ゆく、ゆく。めぐりめぐる日々を、存分に楽しみながら。ゆく、ゆく。そのまっすぐな魂を、自由に遊ばせて。ゆく、ゆく。焦がれるように、惹かれ合って。ゆく、ゆく。誰かと寄り添い、心通わせて。小池昌代著『転生回遊女』(小学館)の主人公のゆく先は、どこまでものびやかに転がっている。ここではないどこかへと進む生は、次々と異性を惹きつけ、人々を魅了する。その正直な関係性を目の前に、いつしかため息がこぼれる。人と人。いや、一人と一人。わたしたちの関係の根本は、常にそういうはじまり方をしていると。

 物語の主人公・桂子(かつらこ)は樹木に強く惹かれ、心通わすように親しんでいた。役者の母親が事故死したために、母子二人の生活から一人きりになってしまう。生前の母親を知る男に促されるままに、芝居に出演することになる桂子。ひと月後にはじまる稽古の日まで、亡き母と同じく旅に出ることにする。桂子の向かった先は、駆け落ちした親友のいる宮古島。旅する先々で異性を魅了して交わる彼女は、多くの人との出会いによって、新たな自分自身を見出してゆく。そうして、タイトルのごとく、どこまでも転がり落ちてゆく。日々、生まれ変わりながら。どこまでも、どこまでも。自由自在に生きる彼女を止めるものはいない。その若さを、そのまっすぐさを、止められない。

 桂子の奔放さには、この人でなければないという、絶対唯一のものはない。唐突にはじまり、自分の意志を持つ前に、植物同士のように自然に絡み合う。受け入れることにためらいは少しもない。そんな彼女に対して、みだらだと言うのは容易い。だが、彼女の結ぶ関係は、どんなときも一対一であり続ける。混在はしない。どこまでも一人と一人で向き合っている。そこには濃密な時間が漂う。隙間なく、ただ二人の時間だ。桂子という人物がそこに生きているということ。ただそれだけで充分なくらいに、わたしたちは彼女に目を奪われる。その、若さゆえのしなやかさ。その、生のまっすぐな貫き。その、途切れることのない煌き。それは、わたしたちの忘れかけた生き方のような気がする。

 とどまることを知らない、奔放な生を抱えてわたしたちはゆく。果てしない、あてのない旅に向かって。転がるように、羽ばたくように。めぐりめぐる日々を、存分に楽しみながら。そのまっすぐな魂を、自由に遊ばせて。焦がれるように、惹かれ合って。誰かと寄り添い、心通わせて。そうやってわたしたちは、どこまでものびやかに転がり続ける。ここではないどこかへと魂をふるわせながら。人と人が出会うとき、一人と一人が交わるとき、わたしたちは気づくだろう。ただ、身をたゆたわせる快感を。ただ、今という瞬間を生きる喜びを。明日のことはわからない。わからないからこそ、生きる意義を見出す。そうして未知なる日々は、ささやかな関係性の後押しをするのだ。

4093862656転生回遊女
小学館 2009-11-30

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