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2009.09.09

あの子の考えることは変

20090907_014 結局のところ、わたしたちは自分以外の人間の孤独を理解することはできないのかもしれない。でも、できないからこそわかろうとして寄り添い合う。なけなしの想像力で誰かのことを思う。そんな気持ちが孤独をそっと包み込む気がする。ほんの一瞬でも繋がっていることができるのなら、それだけでいいとすら思うほどに。本谷有希子著『あの子の考えることは変』(講談社)は、ルームシェアする女性二人の奇妙で身につまされる心情が綴られている一冊である。23歳の抱える孤独、苦悩、性的コンプレックスなどなどを赤裸々に描き、タイトルどおりに変だと思いきや、読んでいるわたしたちも誰もが皆変であると認めざるを得なくなる展開が待っている。何とも奇妙な物語である。

 語り手である巡谷は、Gカップの胸を自分の唯一のアイデンティティにしている23歳のフリーター。アパートの同居人である日田は、自分は臭いと信じる自称・手記家の23歳の処女。ゴミ処理場から出るダイオキシンと自分の臭いに異常な執着を見せ、処女コンプレックスに囚われて、外見をまったく気にしないでいる日田のことを、常々変人であると思っている巡谷。だが、日田から見れば、巡谷の男への異常な執着や突然気がふれそうになる瞬間があることは変人極まりない。この相当に変人な二人のテンポいい会話に引き込まれるうちに、二人を抑圧してきたものの正体を思うと、もしや自分も彼女たちとなんら変わらぬ変人なのかもしれない…と思考し始めるから不思議である。

 中学時代から同級生だった二人。同じ上京組としてたまに連絡を取り合う程度の仲だった二人が、なぜ引き寄せられたのか。読み進めるほどに、二人の孤独感が浮き彫りになってくる。一人称小説ゆえに、もちろん“あの子”とは日田のことを指すのだが、よくよく読んでみるほどに、語り手の巡谷こそ“あの子”なのかもしれないと思えてくる。そう、あの子とは、読み手のわたしたちも含めたすべての人を指すとも言える。皆それぞれに変な部分を抱えて、自分が正しいと生きている。その正しさこそ、変に違いないのである。そもそも、何が普通で何が変なのか、その境界は曖昧なもの。わたしの信じる正しさは、きっと誰かにとっては変に値することなのかもしれないのである。

 物語はあっけらかんとコミカルなタッチで描かれているが、巡谷も日田も23歳なりに精一杯悩んでいる。その悩みの大きさには差こそあれ、誰もが悩みながら生きていることを考えれば、わたしたちの誰もが二人に通ずる何かを多少なりとも持ち合わせていると言えるだろう。誰もが少しずつ変で、少しずつ自分勝手で、少しずつ正しい。そんなわたしたちが少しずつ寄り添って、少しずつ思い合って、少しずつその孤独を癒せたら、それで充分。そうして、誰かの孤独とわたしの孤独とが少しずつやわらげばいい。結局のところ、自分以外の人間の孤独を理解することはできなくても、少しずつでいい。ほんの少しでも、ほんの一瞬でも繋がることができたなら、それで充分なのだ。

4062156385あの子の考えることは変
講談社 2009-07-30

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