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2009.09.17

春のオルガン

20090916a_002 大人になってしまえば、不思議と少女の頃のすべてがきらきら煌いて見える。どんな大人になるのだろうか。どんな将来が待っているのだろうか…そういった戸惑いや悩みの、何もかもが愛おしいほどに煌く。もちろん、大人になってもその先の将来はどうなるのかわからない。わからないからこそ、人生は未知の可能性を秘めている。わたしはそんなふうに思う。湯本香樹実著『春のオルガン』(新潮文庫)は、子どもから大人へと変わってゆく少女の戸惑いをつぶさに描いた物語である。さまざまなものに怯え、悩み、少しずつまだ見ぬ世界に一歩を踏み出そうとしている少女。揺れ動く12歳という微妙な年頃の少女の、濃密な春休みの日々が鮮明に紡がれ、爽快な余韻を残してゆく。

 小学校を卒業したばかりの春休み、主人公のトモミは自分が怪物になってしまう夢をみる。馬鹿にされて恐れられて、雄叫びを上げる怪物である。そんな奇妙な夢に怯えながら迎えた春休み、本好きで博識な弟のテツと一緒に過ごすある日、通りがかりの見ず知らずの男に胸をさわられてしまい怯えるトモミ。けれど、隣の家との争いや夫婦喧嘩でぎくしゃくする家を離れて、トモミはテツと共に外の世界をさまよい歩く。そこで、ノラ猫に毎日餌を与えるおばさんと出会い、少しずつ何かが変わってゆく。姉弟を取り巻く環境は、決して心地よいものではなく、行き場のなさがひしひしと伝わってくるけれど、それでもトモミたちをあたたかく見守る人たちがいて、どこか救われる気持ちになる。

 中でも、トモミとテツが家には帰らないと決め込んで、壊れたバスの中で暮らそうとする場面が忘れがたい。いつもは咳き込みながらも納戸を片付けて廃品同然の物を執拗に修理し続ける頑固な祖父が、あたたかな毛布を持ってバスにやってくるのだ。怒るわけでもなく、連れ戻そうとするわけでもなく、ただ寄り添って、子どもの頃の話を聞かせてくれる。説教でもなく、何かを示唆するわけでもない。けれど、そこでトモミは祖母の死について、はじめて祖父と話すのである。苦しむ祖母を見て、もう死んだほうがいいと思ったことを。そんな幼いながらに抱え込んでいた大きな苦しみを吐き出して、トモミは少し大人としての一歩を進んだに違いない。そして、祖父もまた別の意味で安堵したことだろう。

 また、ノラ猫に毎日餌を与え続けるおばさんとの交流の中で、どうしようもないことがあることを知るトモミ。“どうしようもないかもしれないことのために戦うのが、勇気ってもんでしょ”という、おばさんのガラガラ声が印象的だ。大人の事情に振り回されてきたこれまでのことを、そっと許そうと思えてくるあたりが、成長の証だろう。精神的に不安定な母親のことも、ほとんど家に帰ってこない父親のことも、頑固一徹の祖父のことも、威圧的な隣のおじいさんのことも、すべてを受け入れようと。自分を含めて誰もがいびつで、誰もが何かに怯えながら、それでも生きていかなくちゃならない。いいや、生きてゆくのだ。トモミの新しい一歩が、確かなものとして明日へと繋がっていけばいい。

4101315132春のオルガン (新潮文庫)
新潮社 2008-06-30

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コメント

子どもから、大人へ。大人と言うにはまだちょっと違う中間段階への移行期は、思春期とか、思春期前期とか言いますが、大変動ですね。
誰に相談していいのか分からない。そもそも相談と言うことすら思いつかない。
悩んで苦しんで、いびつになってしまいながら、そこでたまったバネがやがて跳躍につながったり、折れる原因になったり。
その時期を過ぎてしまった大人だから、客観視して読める、切なくなれるのですね。

児童に限らず、人間っていつも不思議で難しくて、かと思うと単純で。
面白いですね。客観視できれば・・・。

投稿: mummykinoi | 2009.09.17 09:38

mummykinoiさん、コメントありがとうございます!
子どもと呼ぶには大人過ぎて、大人と呼ぶには未熟過ぎて。
そういう年頃って、本当に難しいですよね。
これは児童書の部類に入る作品なのですが、
そのあたりの葛藤や戸惑いが鮮やかに描かれていて、
自分の12歳の頃の出来事をいろいろあれこれ思い出しました。

大人になった今だからこそ、児童書に学ぶことはとても大きいと再確認。
過ぎ去った時期だからこそわかること、見えることもある。
そして、子どもも大人もないのだな…なんて思います。

投稿: ましろ(mummykinoiさんへ) | 2009.09.17 13:55

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