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2009.09.16

女中譚

20090916_004 自由気ままに昭和の時代を渡り歩いてきたかのように見える、ある一人の女中の人生。けれどそこには、何ひとつ夢も希望も叶えられない、もの悲しいさだめがあった。女中であるがゆえに、誰かに寄り添い慕い仕える姿。それはただ悲しいだけじゃない、女中としての幸せ。過去をたどって見えてくるのは、幸福に満ちた思い出ばかりなのだった。中島京子著『女中譚』(朝日新聞出版)は、現代の秋葉原のメイド喫茶に常連として入り浸る“オスミおばあさん”が、誰とはなしに語る女中女給時代の話を綴ったもの。これは、昭和初期に人気があった林芙美子、吉屋信子、永井荷風による女中小説からのトリビュート作品を、現代によみがえらせる連作小説集である。

 林芙美子の「女中の手紙」をもとに描かれる「ヒモの手紙」では、女給をしていた澄が、女と駆け落ちしてきて東京に逃げてきた男・信作と知り合う。信作は女を騙して売り飛ばし、さらに金を搾り取ろうと澄に女への手紙の代筆を頼む。信作を信じて止まない女に罪悪感を覚えながらも、次第に信作に魅力を感じ始める澄。揺れる女心が切なく胸に響く。吉屋信子の「たまの話」をもとに描かれる「すみの話」では、独逸から帰国した医師の屋敷に奉公している、すみ。混血の少女・萬里子の世話をすることになるものの、萬里子は以前いた女中のことを懐かしむ。ある時、すみは件の女中の消息を知るものの、何もできない自分を思い知る。また、萬里子とのエロティックな一夜が何とも印象深く残る。

 永井荷風の「女中の話」をもとに描かれた「文士のはなし」では、麻布の洋館に住んでいる変わり者の物書き先生のところに女中に出た、すみ。ほとんど仕事をする必要もなく、時間を持て余していた。一見、楽そうな生活に思えるが、誰とも接する機会のないすみは、夜な夜なこっそりと舞踏練習所に通い踊り子を目指すことにするのだった。この変わり者の物書きというのが、どうやら永井荷風らしく思えて、そのあたりのところも物語のおかしみのエッセンスとなっている。また、気まぐれに出て行ったかと思うと、ひょっこり現れるすみに対しての物書き先生のあたたかい人柄が何ともいい。困った時に頼る相手がこの先生以外いないあたりが物悲しい気がして、ほんのりと切なくなってくる。

 オスミおばあさんの人生は、流れ流れてどこまでも流れて。その終着駅は一体どこになるのだろう…とふと考える。老いてなお、通い続ける秋葉原のメイド喫茶が案外好きだという彼女だが、昔の女中と今のメイド喫茶のメイドとは、大きく異なるに違いない。そこには、どちらがどういいとか悪いとかはなく、やはり時代というものがそうさせたとしか言いようがない。時代は流れ、変わってゆく。その変化の中で、人間の業と欲が鮮やかに浮かび上がるのが生きてゆくということなのかもしれない。そして、物語の端々に散りばめられたユーモアあってこその、この物語なのである。魅力的な女中の物語は、したたかに時代をくぐりぬける女の生き様をも指し示していると言ってもよいだろう。

402250627X女中譚
朝日新聞出版 2009-08-07

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