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2009.07.02

ゆずゆずり

20090627_010 日常をゆうるり生きるコツのようなものは、なりゆきまかせであれこれ悩まずに、訪れることをまるごと受け入れてゆくことなのかもしれない。そして、きっちり計算するのでもなくて、なんとなくぐらいの気持ちで余裕を持っているほうがいいのかもしれない。そうして生まれた隙間は一瞬一瞬を豊かにし、物事を楽しむことを見つける助けとなる。東直子著『ゆずゆずり』(集英社)は、そんなことを思わせてくれる一冊である。物語のようなエッセイのようなその曖昧さの中で展開される日常は、どこか非日常的でありながら人を慈しむ気持ちや懐かしい気持ちを呼び起こし、今生きているこの瞬間を愛おしく思わせる。同じ日常は二度と訪れない。そのあたり前のことをふと忘れている自分に気づくのだ。

 文筆業のシワスという女性の何気ない日常を綴る18編が収録されているこの本では、生まれ月にちなんで、他にイチ、サツキ、ナナと呼び合う同居人たちが登場する。シワスたちは“元の家”から人工都市の“仮住まい”のマンションの一室に移ってきて、ようやく馴染み始めたところだったが、やがてそこを出て“新しい家”へ引っ越してゆくことになる。新しい家を決めるまでの葛藤、決めてからのためらい、引っ越し前後の慌しさの中で、人が生き、日々の生活を営むことについて思いを馳せる。仮の家に移ったからこそわかる、家というもののあり方や、蘇ってくる懐かしい家の記憶…などなどシワスの頭の中は実際に起こった出来事だけでなく、過去の記憶や妄想とあいまって様々に膨らむから面白い。

 一見、誰にでもあるような、なんということもない、なんとなくな日常だが、読んでいてときどきはっとするような場面にあちこちで遭遇する。仮の家で君子欄が咲いたのを見て、冬の寒さを感じなければ、花は咲かないと思う。お腹がすかなければ、食べ物はおいしくないと思う。貧乏を経験しなければ、お金のありがたみが分からないと思う。淋しさを知らなければ、賑やかさがうれしくないと思う。ふられたことがなければ、恋の成就で涙が出ないと思う。何事も花が咲くカラクリと同様に、相反する部分に意味を宿していると考えるのだ。ただ花が咲いただけで、物事を飛躍させるシワス。些細なことから不思議な方向へと思考をめぐらせるあたりがユニークである。ときには暴走だってしてしまう。

 また、読み手を面白いとも可笑しいとも思わせるのは、そこに穏やかな優しさが感じられるからなのかもしれない。同じ人間という生き物としての共感、何よりも人への慈しみ…そういたものに溢れているからなのかもしれない。けれど、その思いも全く同じものが再び訪れることはない。再度、この本を開いたときに違う部分に共感を呼ぶのと同様に、そのときそのとき、今という瞬間がかけがえのないときなのだと思い知らされる。シワスの思考が過去の思い出や空想へと広がるとき、人間が生きてゆく上での楽しさや豊かさは実体験だけではないのだとも教えてくれる。失った数々のものたちを思ってほんのり悲しくなるのは、戻らない日々があるという現実だ。だからこそ、一瞬一瞬が愛おしくなる。

4087712842ゆずゆずり
東 直子
集英社 2009-03

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)
 ・『とりつくしま』(2009-06-29)


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