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2009.06.23

トロムソコラージュ

20090617_026 魂のある言葉たち。そんなフレーズがよく似合う。限りある言葉の限界ぎりぎりまでたどって、するりと吐き出すように語り出す物語性のある独特の長編詩は、自由自在に変化する。ときにはジャズのアドリブのように。ときにはユーモア溢れるルポタージュ風に。ときには場面がめまぐるしく変化するひとつの映画のように。谷川俊太郎著『トロムソコラージュ』(新潮社)は、そんな一冊である。詩が物語と出会うとき、化学反応のように広がってゆく世界は、死生という重たいテーマを扱っていながらも、軽やかな明るさがある。死というものを見つめる先にあるものは、決して暗いものばかりじゃないことをそっと教えてくれているかのように。魂ある言葉たちはわたしたち読み手に語りかける。

 ノルウェーのトロムソ。ここで書かれたという表題作の「トロムソコラージュ」。“私は立ち止まらないよ”という印象的なフレーズが繰り返し出てくる詩である。さまざまな思いがコラージュのように混ざり合い、わいてくる。「問う男」では、いきなり見知らぬ男が部屋に入ってくるところから始まる不思議な詩だ。問いかけることでしか言葉を発しない男。そして、それに対して動揺する語り手。そのずれたような掛け合いが面白い。そして、さっと非現実から現実に引き戻される展開がユニークである。「絵七日」は、いつのまにか過ぎてゆく日々を言葉で埋め尽くしたような詩。何が起こっても、何をしても、日は過ぎてゆく。絵を描くように紡がれた言葉たちがここにはあって、思わずはっとする。

 一番印象的だった「臨死船」。この詩は一番強く死を見つめている。いつのまにかあの世行きの船に乗っていた語り手の、臨死体験といったらよいだろうか。あの世へ行くのは意外にも大変なことのようで、三途の川も予想以上の大きさ。迷彩服の男たちが船に乗り込んできたり、上空で元人間の鳥たちが飛んでいたりする。ふと生と死の狭間でゆれる語り手は、死んだのに死んだような気がしなくて、生きていたときの延長のように死を感じている。まさにこれは臨死の実況中継である。臨場感溢れる言葉たちは、どこかひやっとするほどに死を冷静に受け止めていて、自分の死というものをかつても考えたことのある者のように感じられた。そうでなくちゃ、きっとこんなにも静かに死を見つめられない。

 そう、ここに描かれているのは、死を見つめ続けてきた者の、好奇心の塊のような感じがするのだ。死というものは一体どんなものかしら…まるで恋に恋するように、好奇心が優先されているような心地。死というものを迎えることを楽しみに待つ心地。それはきっと、歳をある程度重ねたからこその、境地だろう。魂のある言葉たち。そんな言葉が紡げるのは、とことんまで言葉と向き合ったからに違いない。限りある言葉。けれど、無限に広がりを見せる言葉。言葉の限界を知る者は、きっと言葉を慈しむことを知っている。魂ある言葉たちはわたしたち読み手に語りかけるのだった。そっと。ひそやかに。けれど、確かな手触りで。力強く。この他に「この織物」「詩人の墓」などを収録している。

4104018058トロムソコラージュ
谷川 俊太郎
新潮社 2009-05

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