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2009.06.17

世界はうつくしいと

20090617_034 ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉たちがずらりと並ぶ。言葉たちはわたしの胸元にすとんとおさまりよく座って手招きする。おいでおいで、こっちにはもっと違う世界が広がっているよ、と。おいでおいで、あっちではもっと違う音楽が聴こえてくるよ、と。そうして誘われるままにふらふらとさまよい込んだら、声高にこんなことを敢えて言ってしまいたくなる。“言葉はこんなにもうつくしい”と。長田弘著『世界はうつくしいと』(みすず書房)という詩集を手にして言葉の深みを耽読したわたしは、そんなことを思った。確かな意味と深みを持ち、心の芯の奥の奥まで届いて響く。読むことが惜しいから、丁寧に一語一語をたどりたくなる。愛おしさの集合体のような一冊である。

 「世界はうつくしいと」では、ためらわずにうつくしいものをうつくしいと言わなくなった貧しいわたしたちに呼びかける。“うつくしいものをうつくしいと言おう”と。例えば、風の匂い、午後の雲の影、遠くの山並みの静けさ、きらめく川辺の光、大きな樹のある街の通り、なにげない挨拶…いずれもわたしたちの周囲にある身近なものばかりである。そして“さらりと老いてゆく人”へとつながってゆく。わたしたちの誰もが老いゆくことから目を背けることはできない。また、報道されるニュースばかりがわたしたちの歴史ではないとも言う。わたしたちに価値あるものは、ささやかだけれど鮮やかな日常なのだ。最期にはすべて塵にかえるのだから、“世界はうつくしい”と言わずには、死ねないのだ。

 「大丈夫、とスピノザは言う」では、スピノザについて書かれた本に思いをめぐらせる。スピノザは言う、“大事なのは、空の下に在るというひらかれた感覚なのではないか”と。今ここに小さな存在として在るということ。わたしが在るということ。そして星を数える。無くしたものを数える。けれどスピノザは言うのだ、“大丈夫、失うものは何もない”と。守るものなどはじめから何もないのだと。ひらかれた感覚の中に在るわたしたちは、もっと自由でいい。もっと解き放たれていい。小さなわたしたちは、小さな存在として、ただここに在ればいい。スピノザを知らないわたしは、身勝手にもそう解釈する。そして、詩人に空を見上げさせた哲学を、その思想をほんの少し知りたいと思ってしまうのだった。

 「こういう人がいた」では、今はいない誰でもない人について言葉を紡ぐ。見つめるべきものを知っていて、話すべきことだけを話し、言葉は認識であると伝えた人。そして、言葉は感情ではなく態度であることも伝えた人。沈黙というひとつの態度から、多くのことを伝えた人。ただそこにいるだけで。それだけでいいと言われるような人。そんな人にわたしもなってみたいと思う。けれど思う。それには経験も知識も知恵も…何もかもが足りていないと。易しく、ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉が紡げるようになるまで、まだまだ修行が足りないと思う。あっちこっちへふらふらしながらも思うことはひとつ、言葉は奥が深いものであるということ。そしてうつくしいということ。

4622074664世界はうつくしいと
長田 弘
みすず書房 2009-04-24

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 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)
  ・『幸いなるかな本を読む人』(2008-12-10)
  ・『ねこに未来はない』(2009-04-24)


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コメント

私も、この詩人は大好きです。
「深呼吸の必要」は、何度も読み返して
そのリズムや美しい言葉にうっとりします。

投稿: honyomi | 2009.06.18 08:56

honyomiさん、コメントありがとうございます!
長田弘さん、いいですよね。
わたしも大好きな詩人の一人です。
またいつか「深呼吸の必要」、再読してみようかなと思います。

投稿: ましろ(honyomiさんへ) | 2009.06.18 18:27

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